釣り雑誌等に掲載したものに加筆して、再録しました。



No.4 2002/11/22



東北釣り紀行
渓流遥かなり-3
高見政良


 高校に入り、絵を描き始めると釣りはパッタリと止め、上京して
絵描きになろうという頃には、それどころではなかった。

 その後何年かして、知人に誘われて竿を握り、川上渓遊という釣
人と知り合い、再び釣りに熱中することになる。
 川上渓遊は山形出身の男、少年の頃から釣りが大好きで、東京で
大学に入っても、就職して社会人になっても釣りを止めることはな
かった。それどころか、病膏盲に入って奥さんを悲しませていた。
 彼とは別の理由で散々妻を苦しめていた私は、彼とすぐに仲良く
なった。
 暇をみつけては、暇をつくっては多摩川、相模川、桂川などの清
流釣りに始まり、ニジマスやヤマメを求めて奥多摩の渓流へと足を
のばすようになった。
 渓遊師匠の指導よろしく、釣技の腕前も上がり(?)、信州・千
曲川の支流や上州・利根川の上流域への遠征も果たした。
 いつしか、イワナを求めてマムシや熊の足跡も恐れぬ釣人になっ
てしまっていた。


 東北への釣行は、渓遊氏等と車で岩手の閉伊川、小本川、雫石川
を探ったのが手始めである。釣果は関東の川に比べものにならない
ものだったが、何度か通っている同行者によると、型も数もだんだ
ん落ちてきているとのことだ。
 今年の夏に帰省した時、半日だけ昔遊んだ奥入瀬川本流でハヤ釣
りを楽しんだ。立派な橋や堰堤が出来た代わりに、川の水量は極端
に少なく、泥の多い川になっていた。水中メガネと銛で追い回した、カジカはもう住めないだろう。
 
 東京近郊の山や河は恐ろしい程の勢いで荒れている。人の心も又、
そうであるようだ。そして日本国中何処も、あまり変わらない様に
なって来ている。
 故郷の釣りは、昔のままの山河でと望むのだけれども、それはそ
こで生活していない都会人の勝手な郷愁というものなのだろうか。
 狭い日本がいつか、美しい姿をなくしてしまった時、“都会人の
勝手な郷愁”をいったいどう始末するのだろうか・・・。

 ともあれ、春が来るまで丹沢下ろしに吹かれて、相模川の寒バヤ
釣りにでも通うとするか・・・。

                おわり

《 北の釣り 1987年1月号 》



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