絵を初めた人が「ものの見方が違ってきたわ!」と言い、
日常生活の中で、ものを見る見方と、表現するための見方と
は違うんだということに、何となく気が付いた頃から、描く
ことが喜びや楽しみから、苦労や苦痛に変わり始めるのです。
眼の方は、腕が上がるスピードよりも早く、より上を求め
るようになり、描いても描いてもちっとも満足しないという
ジレンマに陥る時期が、誰にでもあります。
ここを通り越せるか否かが、絵が持っている魅力に近づけ
るかどうかの第一関門なのです(何にでも共通することだと
思うのですが・・・)。
筆を持つのが苦痛に感じている自分の中に、画面に向かう
ことを促し、人を苦しめることが喜びであるサド候爵的性格
のもう一人の自分をしっかり育てることが、表現する者には
とても大切なことなのです。
描き続ける中で、苦しみが再び楽しみに変わるという瞬間
に出会える権利を侯爵は与えてくれるのです。
ただ描いてるだけでいいかというとそうではありませんし、
新しい発見がなければ、扉は開きません。
自分は何を描こうとしているのか? 何を描きたいのか?
本当に描きたいのか? ということを考えながら描き続けな
ければならないのです。
描きたいもの、描かなければならないもの、描き続ける必
然性を、サド侯爵との形と色を使った問答で見つけ出さなけ
ればならないのです。
いじめられながら、描くこと=苦しむことを続けていると、
描くこと=喜びと感じられる時が、必ずやって来ます。
自分の中のサド的な性格にいじめられ、苦しむことが楽し
いことに感じられるという、マゾ的な性格にも変わっていく
んです(?)。
「描き続けることは、ひとりサド・マゾの世界だよ!」と
教えています。「この楽しみを知ったら、生涯足を洗うこと
が出来ませんよ!」とも・・・。 |