東京芸大美術館でビィクトリアン・ヌード展が開かれてい
る。イギリスのビィクトリア女王時代(1837-1901)に描か
れた裸体画を集めたものだ。裸体画が道徳的な観点で批判を
受けながらも、芸術として成熟・発展した過程を明らかにし
ていて意義深い。
最近、ジェンダー(性差)を意識した「裸婦像」に対する
とらえ直しがなされるようになってきているが、時代の動向
を意識した展覧会でもある。
昔、教えていたサークルが市民会館の文化祭に、裸体画を
展示するかしないかでもめたことがある。
そのサークルでは、年に一回モデルさんを使って「裸婦」
を描くのが恒例になっていた。ちょうど、展示の前に完成し
たので、それを並べようということになった。
しばらくしたら、サークルを牛耳っている一部の人達から、
「裸婦」は青少年も見に来るから、教育上ふさわしくないの
で、出品しないという声があがったのである。
こういう前近代的な発言は、政治家の失言ばかりでなく、
珍しくはない。自分の力を誇示したかったり、保身のための
勇み足なのだろうが・・・。
彼等がよく行くヨーロッパなどでは、公園をはじめ公共の
場所に裸体像が堂々と設置されている。神話を題材としたも
のが多いにしても、大人から子供までその健康で美しい姿に、
誰も頬を赤らめたり顔をそむけたりはしていない。
自分達の絵が稚拙で恥ずかしいというのなら、まだ可愛い
のだが、教育上・・・等という理由がいただけないし、社会
教育施設の文化祭なのに、である。
しかし、よく考えてみると、彼等が描いてた「裸婦」への
視点が本音としてのぞいたのかもしれない。それ程意識的で
ないにしろ、差別的で恥ずかしいものだということが・・・。
それ以後も彼等は決して男性モデルを使おうとはしませんで
した。
絵を描くということは、「ものの見方」「考え方」が表れ
るし、表現しなければいけないと、何度も言ったんだけどね。
そういうことを理解しようとしない人たちがのさばるサー
クルで教えるのは、当然止めました。
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