和良比堀込城 月星:原氏 千葉県四街道市和良比

訪問おすすめ度



[和良比堀込(わらびほりごめ)城]
 和良比堀込城のある現四街道市は鎌倉時代には千葉介常胤の所領である千葉荘あるいは千葉北荘の一部と考えられている。その後一族の臼井氏が臼井荘を領して和良比氏を称し、室町時代にも千葉一族である原氏の所領となり、臼井荘の支配下にあった。文献では16世紀前半、千葉氏属する後北条氏と小弓御所:足利義明方の里見氏の抗争が激化する頃に現れる“蕨城”は当城であると考えられており、戦国期には一時的に里見義道の城として使われている。

JR四街道駅ちかくの和良比堀込城。「えっ?どこに」ですって?それはおいおい解ってくるでしょう・・・
城址の一部が保存されている緑地公園。案内板には昭和60年の全面発掘時の航空写真もあり、どうやら2つの曲輪で構成されていたようです。
どうやらここが2郭への虎口だったようです、とーぜんながら石垣はニセモノでしょう。
貴重な虎口跡も片側だけじゃ、なんのこっちゃわからんではないか(T_T)
これが2郭か!?なんとまあ無惨なことか。本来はこの3倍近い規模だったようです。
かつて2郭の周囲を取り巻いていた土塁、高さは約1.5m。こちらも一部のみの保存です。
土塁外側の空堀。これまたお粗末なもので道路敷設によって削られた跡がはっきりと残っています。これも曲輪の周囲を取り巻いていたようです。
しかし主郭の全域や2郭の大半はごらんのとうり。山ごとかっさらったんじゃ探索しようもありまへんな(+ +;
案内板に出ていた発掘時の空堀。板碑や五輪塔、宝篋印塔などが見つかっており、それらには南北朝の北朝年号を印していたとのこと。


【訪問日記】
 うわさには聞いていたがここまで無惨な姿だったとは・・もはや城址というより残骸であり、概念図片手に城談義する余地なんざまるでありまへんな。いちおー宅地造成前に全面発掘されたのは不幸中の幸いでしょうが、“美しが丘”などという新地名だきゃ、や・め・な・さいって(-"-)
 それにしても「和良比」とは変わった地名だが「蕨」に通ずるものがあるとすれば埼玉にある蕨市もなにか関係あるのかな〜。ここらへんをご存知の方、ぜひご教示ください(^^)

もどる トップへ