臼井城 月星:原氏 千葉県佐倉市臼井田

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[臼井(うすい)城]
 臼井城は千葉氏の一族である臼井六郎常康がこの地に居を構え、臼井氏の中興の祖といわれる興胤の代(14世紀中頃)に城としての基礎が置かれたと伝えられる。やがて戦国時代の末期には同じ千葉一族の原氏が城主となり、太田道灌や上杉謙信らの猛攻をことごとく守り抜いた。
 しかし天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東攻めによって徳川家康が来襲するとさすがの堅城・臼井もついに落城、小田原陥落とともに千葉氏も滅亡した。江戸時代となって以後、酒井家次3万石の居城となったが文禄3年(1593)に火災に見舞われ城館は焼失、慶長9年(1604)に廃城となった。

「臼井城址公園」の看板がある公園入り口。この先は本丸なのでここはどうやら搦手口(城の裏方)のようです。
いきなり逃げ道からの侵入になってしまいました(^^;
おっ、石垣だ。関東の中世城郭で石垣が使われるのはめずらしく、貴重です。
広大な二ノ丸跡。かつては多くの城館が立ち並んでいたことでしょう。
文禄3年の火災さえなければ近世城郭として改築され、ひょっとすると佐倉城に匹敵する名城となったかもしれません。
二ノ丸と本丸の間にある、かなり大規模な空堀です。
思わず別の曲輪と見間違うほどの大きさです。
二ノ丸と本丸の堀切をつなぐ土橋。いまは盛り土によって保存されています。
土橋は狭く、大軍の侵入を不可能にしています。また道をS字にうねらせることで敵の突入のスピードを鈍らせる効果があります。うーむ・・・これは堅い守りだ・・・
土橋を越え、本丸の虎口(入り口)に迫ると今度は両脇に土塁が・・・。これはおそらく『横矢掛かり』でしょう。
『横矢掛かり』とは虎口に迫った敵を側面から弓矢で攻撃するための防衛施設です。当時の虎口には当然堅い門があるでしょうし、それを横から弓矢に狙われてはたまりません。
私もどうにか突破に成功しました(^^;

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