花輪城 月星:高城氏 千葉県流山市下花輪

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[花輪(はなわ)城]
 花輪城は16世紀に小金城(大谷口城)を本拠として周辺一帯を支配した高城氏の城であり、城主は家臣の平本主繕であるといわれている。やがて関東が戦乱が激化すると高城氏は後北条氏に属するようになるが、天正18年(1590)豊臣秀吉の下総攻略によって高城氏が滅亡すると同時に花輪城も廃城になったと考えられている。

南から見た花輪城址。もちろん林の部分だけではなく本来の城域は広大なものです。
城址は以前に発掘調査が行われており、直線連郭式の城であることがわかりました。 現在は虎口が保存されており、写真はその土橋です(ちょっと見にくいが)。
虎口の空堀。本来はこの程度のあっけない規模ではなく、深さは3mほどあったとのこと。
木製の橋が見えますが、これは当然ながら復元ではありません。しかもけしからんことに橋の下にはゴミまでが捨てられていました。
虎口を越えたところが詰めの曲輪であるとされています。『流山市史』によると江戸中期には城の存在を消すため、この地に観音堂が建てられたとのこと。この観音堂の礎石や土壇も発掘保存されており、これによって空堀の発掘も中途半端になったようです(T_T
土塁もかろうじて痕跡程度に残っています。案内板(写真奥)が無ければとても気付かないようなシロモノです。
さらに城の大半が残念ながら近年の道路敷設や病院建設などによって破壊されています。
地方自治体とゆーのは城の土手っ腹に道路を通すのがホンマに好きでんなぁ・・・


【訪問日記】
 流山地域で大きな戦があったという記録はいまのところ残っていないが、この花輪城も大谷口城の北方の防衛拠点として睨みをきかせたことでしょう。歴史上でもこのあたりが梁田氏と高城氏との境界線であり、梁田氏の関宿城は花輪城の北方約30kmの地点にあります。
 それにしても..せっかく城跡公園にするならもっとしっかり整備してほしかったものです。10分もあれば見終わるではないか・・(苦笑



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