千葉城 月星:千葉氏 千葉市中央区亥鼻町1丁目

訪問おすすめ度



[千葉(ちば)城]
 猪鼻城ともいう。大治元年(1126)、千葉(介)常重は大椎城からこの地に本拠を移し、以後13代330年ものあいだ存続した城である。さらに常重の子常胤の代には石橋山の合戦に敗れた源頼朝をよく助け、千葉氏は全盛期を迎えた。やがて附近に城下町を形成、これが現在の千葉市の起こりと伝えられている。城は現在の千葉市街の南から東に延びる台地を利用し、北は都川を天然の水堀、西は急崖、南は入り組んだ谷津を空堀とした要害であった。
 しかし室町中期に入ると鎌倉公方・足利氏と関東管領・上杉氏との抗争が激化、これに巻き込まれた千葉氏もしだいに分裂していった。そして康正元年(1455)、一族の馬加康胤や原胤房の襲撃にあい千葉城はついに炎上、千葉氏嫡流の滅亡とともにこの城の歴史も幕を閉じた。

天にそびえる白亜の天守!・・・と、言いたいところだがここは天守型の千葉市郷土博物館(Tel:043-222-8231)です。
そもそも千葉城は中世の城郭であり、天守は初めから存在していません。
博物館4Fにはプラネタリウム室があります。また館内には星座早見表や地球儀など、やや変わったものが置かれています。
というのも千葉氏はもともと天文学に関しても深い関心を示していたそうで、たしかに千葉氏の家紋は「九曜」「月星」。そういう意味でもこのプラネタリウム、あながち歴史と無関係な施設ではありません(^^)
千葉氏を全盛期に導いた、千葉常胤の木像。彼の協力がなければ鎌倉幕府成立はありえなかったと言われています。
70歳を過ぎても勇敢に戦場に向かった、強いじーちゃんです。
※この写真は千葉市郷土博物館の許可を得て撮影しました。
展望台から見た千葉城東方。千葉城は現在残っている地域のみではなく、かつてはこの周辺もすべて城域でした。
かつての本丸跡に立つ城址碑、。本当の意味ではここが千葉城の主役といえます。
城址碑の近くにある神明社。ここは物見台跡であり、往時は東京湾が一望できたそうです。
博物館の手前に今も残る土塁。千葉城の数少ない遺構の一つです。
模擬天守がやたら目立っているため大抵の人は素通りしてます(爆
城址のふもとにある「お茶の水」です。ここではわき水がこんこんと出ており、千葉常胤はこの水をもって源頼朝にお茶を献上したと伝えられています。
そのわき水も時代を経て、今では水道に変わりました。世の中便利になりましたねー♪
城址のやや外れ(本当は城址内)にある、牛頭天王を祀る「七天王塚」。千葉氏が子孫の繁栄を祈って建てたとか、平将門の七騎武者の墓とも言われています。同じものが附近に6つ(全部で7つ)あります。


【訪問日記】
 千葉市やその近辺に住んでいる人ならば、一度は来たことのある城でしょう(笑)。城内には今でもわずかながら土塁が残っています。
 それにしても都市化や団地造成によって破壊された古墳や城跡が多いなか、高度成長で発展した千葉市の中心部において、よくぞ千葉城址を守ってくれたものと感動すら覚えました。しかし・・・もともと存在すらしていなかった天守(閣)を建ててしまったのは蛇足といわざるを得ませんな(^^;歴史がゆがみかねません。
 とはいえ天守型の郷土博物館では千葉氏や千葉市の歴史がよく紹介されているし、なんといっても入館料60円は安い!そういう意味ではぜひ訪問していただきたい城址でもあります(^^)



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