97式中戦車(チハ車)・若獅子神社(陸軍少年戦車兵学校跡)
静岡県富士宮市

 昭和14年12月、日本陸軍は戦車隊の拡充強化のを図ります。そのために、「千葉陸軍戦車学校」に「生徒隊」を創設し、15〜17歳の150名が第一期生として入校しました。
 16年11月、「生徒隊」は「陸軍少年戦車兵学校」と改められます。そして17年7月にこの地にて育成教育が行われるようになりました。そして20年8月、6年余りの歴史を閉じました。

 西富士道路の最寄りジャンクション降り口から富士山を見ています。左側の高い樹木脇の白い塔が、若獅子神社です。
 この撮影場所も、戦車兵学校の敷地だった場所です。中隊ごとの隊舎が建てられていた辺りと思われます。

 神社の入り口です。右側に門柱が見えます。

 門柱の表札部には、「陸軍少年戦車兵学校」と刻まれています。立派なものなので、おそらく当時の正門(場所はここからかなり離れています)と思います。

 鳥居の向こう側の本殿?は閉まっていました。本殿の右側に社務所、左側に「若獅子の塔」があります。塔の前には、少年戦車兵学校の沿革などを記した石碑があります。

 塔の左脇には97式中戦車が安置されています。
 お正月に見学に行ったので、注連縄とお供え餅が飾られています。参拝者と比べて頂ければ、中戦車の大きさがわかるでしょうか?大きさは全長5.55m、全幅2.33m、高さ2.23mです。

 この97式中戦車は、サイパン島における戦闘によって撃破されたものです。その後いわば里帰りのように日本に還り、昭和50年、ここに安置されました。
 表面は、パリパリした樹脂?のようなもので薄くカバーされています。

 砲塔部クローズアップ。弾痕が白く縁取られ示されています。
 上方が97式57mm戦車砲、下方が車体にボールマウントされた97式7.7mm車載重機です。7.7mm重機は砲塔後面にも装備されていましたが、そちらは脱落しています。

 駆動部クローズアップ。左側前方の起動輪・全体・後方の誘導輪を撮影しています。こちら側はキャタピラが多く残っています。

 こちらは右側です。右側はキャタピラがほとんど残っていませんが、転輪のゴムが良く残っています。上部転輪は三つのうち一つしか残っていません。