○◎●高蔵捜索記〜遭難するかと思いました●◎○

1・陣地跡を捜す
 高蔵保塁は、小倉の南側を防御する唯一の陣地です。現在、この方面(小倉南区)は、洞海湾や関門海峡などが隣接し交通の便の良い小倉北区と比べれば、開発などはさほど進んでいません。
 北区や門司区に存在する陣地跡は、全てなんらかの破壊がなされたり、または整備を受けています。例えば和布刈砲台は跡形もなく、笹尾砲台は徐々に住宅地が迫り、また手向砲台は公園となり……。しかし、それは言い方を変えれば、跡地が身近であるということです。この高蔵保塁は、そんな現在の日常生活圏から隔離された場所にあり、地元の方に聞いても、陣地跡がどこにあるのか、またそこへ向かう道筋を確かに知っている方には会えませんでした。
 「この山のどこかだね」「……」どうしましょう。

 まず小手調べとして、マップルに載っている山道を虱潰しに歩き倒しました。しかし、見つかりません。自力での探索を諦め、「北九州平和資料館準備会」という団体の方に場所を尋ねることにしました。数年前に一度写真を撮りに行ったらしく、ここでようやく位置を知ることが出来ました。
 ところが、実際に行った方には会えませんでした。しかも、どうやらその方も途中で道に迷ってしまい、山歩きをしていた地元の方に偶然出会い、案内してもらってようやくたどり着いたとのこと。
 「ここ(地図を示す)に残ってはいるんだけどねえ。道筋はわからないなー」「……」
 この時点で判った事は、場所、規模、概形、現状。──とりあえず、場所を確認できたのは大きな成果でした。道筋は全く不明のままですが。
 得られた情報を記した手帳がこれ。既に危うさが匂っております。

2・道がない
 目的地は高蔵山南側の斜面途中の平地。ここに通じる道を捜す日々が続きました。しかし、どうしても見つかりません。虚しい帰路を何度か辿るうち、無謀な事を思い付いてしまいました。
 「まずは一度平地に着いて、それから帰り道を捜せばいいじゃないか」
 登り道を捜すことは諦めて、道無き道をがむしゃらに登り陣地跡に行き、しかるのち道を捜そうというわけです。なあに、直線距離なら1キロもないだろう──。もはや後先考えておりません。
3・沢登り作戦
 マップルの地図では、南西側斜面に沢が流れています。山中に入っても、この沢から離れなければ、現在地が判る。迷うことはないだろうと判断、沢を辿って目的地に近づくことにしました。沢がなくなったあたりから少し登り、それから東に向かって進めば目的地にたどり着く。そんな作戦です。沢がなんたるか、山中での「少し登る」「東に進む」ことがどれほど難しいか全く知らずに、今思えばよくもまあこんな出鱈目な作戦を思い付いたものですよ。
 さて、もうこの方法しかない、と思い詰めて出発。まずは高蔵山南側の「新池」に車を停め、沢登り作戦開始です。

 ところが歩き始めてわずか数分、あっという間に作戦遂行は危うくなってきました。「砂防ダム」が行く手を阻んでいるのです。
 初めの2つくらいは小規模だったのですが、次第に斜面がきつくなってくると、それに従ってダムの大きさも洒落にならなくなってきます。ダムに突き当たるたびに大きく迂回して斜面を登り、また降りて沢に戻る。そんなことを数回繰り返すと、体力と気力は著しく消耗してしまいました。
 しかも地図には記されていない沢の分岐点に突き当たってしまいました。「なんだよ、これは」
 もはや当初の目論見は完全に破綻してしまったのです。当たり前だ。
4・勘頼み
 この時、私が持って行った手帳がこれです。

 これ以上なく、思い切り山を舐めていますね。そのツケが廻ってきました。さて、戻るべきか進むべきか?進退を決めるにあたり、先の体力と気力の消耗が影響してきました。無駄というのは許せない、という考えは危険です。冷静でない証拠です。「ここまで来た道を無駄に出来るか。少なくとも、現在地は目的地よりも西側である、ならば東側の斜面を登っていけばいいではないか!」と猪突猛進、いよいよ人跡未踏の地に足を踏み入れて行ったのです。
 東側(と思われる)斜面に細々と見える、沢(らしき)ものを登って行きます。 「思われる」とか「らしき」とか、冷静になっている今でこそ、よくぞこんな無謀な真似をしたもんだと呆れることができますが、その時は「俺の勘に間違いはない!」としか思っていません。気力と体力の続く限り、上へ上へとよじ登って行きました。
5・負傷
 さて、沢らしく見える山肌の溝はどんどん頼りなくなってきます。それでも苔が強く付着した岩肌などをわずかに辿っていったのですが、遂にはそういう目安も無くなってしまいました。本当に、ただ「周囲に比べれば窪んだ溝になっている」程度になってしまった辺りで、足を滑らせ左膝をしたたかに打ち付けてしまいました。
 激痛と負傷の恐怖は、無謀な興奮状態を一気に冷却させました。周囲を見渡して、どうやってここまで登ってきたのか不思議なほどに急勾配の山中に、木の根や蔓にしがみついている我が姿に気が付いた時の情けなさは、今でも覚えています。急速に冷えて行く汗。遭難の恐怖。
 何にしても、打撲のショックで感覚のない(それほど酷く打ってしまいました)左膝の状態を確かめなくてはなりません。この時、ズボンの裾をめくりながら「出血していたら戻ろう」などと馬鹿なことを考えていました。自分の怪我をコインの表裏のように考えてしまったのは、根っからの脳天気ゆえでしょうか。結果は出血なし。これで「よし、まだ行けるぞ」などと思ってしまったのだから、脳天気にも程があるというものです。
6・災い転じて
 しばらくして左膝の感覚も戻り、なんとか踏ん張りが効くようになりました。足を滑らせた原因は、窪んだ溝地には落葉が厚く積もっているために足場を誤った事でした。それを反省して、ここで沢を登ることを中止、沢からはなるべく離れずに足場のしっかりした場所を選んで登って行く作戦に切り替えました。
 こうすれば沢よりも乾燥しており落葉も少なく、足場手がかりとなる蔓も多く、比較的楽に登れます。しかし、数分前の自分の地点が判らなくなってしまうという不安と引き替えです。結果からいえば、この作戦変更が正解でした。
 足を滑らせた地点から直ちに沢を離れ、山頂に向かって左側の斜面によじ登りました。沢らしき溝地を常に右手側に確認しながら、数分進んだ時、進路左手側の窪地に石柱を発見することが出来たのです。
 沢を登り続けていれば、おそらくこの石柱は斜面の陰に入って見つけられなかったでしょう。周囲を見渡しても、視界の効く限り、石柱はこの一本だけです。これまでの道筋でまがりなりにも近づいていたことを証明してくれたようなものです。「陸軍」と掘られた石柱の横で、ここにたどり着けた幸運に我ながら感心し、しばらく心からの安堵感に浸りました。
7・到着
 「陸軍」と掘られた石柱はおそらく、明治当時の目印で、入山した一般人に要塞地帯であることを知らせるためのものです。ために、おおよその目安でしかありませんが、石柱の表裏の方向で、陣地跡の方向が推測できます。
 ここで方向を定め、傾斜地を更に登って行きました。石柱から歩いて数分、遂に傾斜地が途切れ眼の前に平地が開けました。ああ久々の平地。出発前に見た地図には、目的地以外に平地はありませんでしたから、十中八九、ここが目的地です。しかし、平地に入ってほんの数メートル先は厳しい茨の薮が繁り、薮の向こうに行くどころか、向こうに何があるのかも見通せません。
 北側には更に山頂へ向かう傾斜地が続き、東側と南側は背丈より高い茨の薮、西側はたった今登ってきた崖。動けるのは、南北に細長い3×15メートル程の狭いスペースだけです。落ち着いて周囲をよく見ると、煉瓦や瓦といった残骸がわずかに残っています。
「こんなに狭いわけがない。この薮の向こうになにかがある筈だ」これまでの無茶が報われるかどうか、最後の関門として、茨の薮を通り抜ける道を捜さなくてはなりません。これが結構な難関でした。闇雲に近寄っても棘が刺さってどうにもならず、右往左往するだけしか出来ません。途方に暮れ、それでも諦められずにギリギリまで薮に近づくことを何度も繰り返し、その何度目かに、わずかに薮の切れ目から向こうを見通す場所を見つけました。「あったぁ!」
 写真ではよく見えませんが、これが私が初めて見た高蔵保塁跡です。頭に血が昇り、もう道を捜すとか悠長なことは言っておれません。突撃、突撃!痛い痛い痛い!
 ようやく陣地前の広場に転がり込めました。興奮のあまりよく覚えていませんが、たしか広場前倉庫八番近くの坂に出たのだと思います。上着、ズボンは棘で引っかかれてボロボロです。南側に並んだ倉庫も気になりますが、最初に景色を見たくなりました。「遺構」を見たかったのか、「遺構からの景色」を見たかったのか、よくわかりませんが、この時はまず景色を確かめたくて仕方がありませんでした。広場の端に立つと、280m程の高低差が一気に無くなるような、実に急勾配な山です。高蔵山から初めて見る周防灘。あれは○○池、あそこが○○町、○○川、ゴルフ場……ここ数週間、歩き回った場所が手に取るように見えます。その時その時の記憶がよぎり、高揚感が沸き上がって来ました。
「──やった!」
 喉が震えるほどに声を出し、人知れずガッツポーズをするというのは、実に気持ちいいものです。しばらくすると、これまでずっと曇天だったのが私が到着するのを待っていたかのように陽が雲間から出てきました。前半の無謀な行動も、過ぎてしまえば程良い味付けとなってしまっています。この日の事を忘れることはないでしょう。
8・反省
 忘れることはないでしょう──なんて、そう綺麗に終わるもんですか。この二週間あまり、無理・無茶・無駄な行動が多すぎました。
1;立て看板の距離を確認しなかった……高蔵保塁のページで説明していますが、登山道の入り口に、「高蔵広場3900m」との立て看板があります。しかし、最初の探索時、2000mほどしか登っていない地点に現れた別の広場を勘違いして探索してしまいました。当然そこには何もなく、その日のうちに「この登山道筋には無い」と結論づけてしまったのでした。実際はこの道こそが大正解だったのですが。
;思いつきの行動が多かった……高蔵山周囲の登山道には、「九州電力関門連系線○号」という徒歩でも狭い道が幾本も交叉しています。探索開始当初、こういう細い道が妙に気になり、手当たり次第に入り込み、無駄に体力と時間を消費してしまいました。めざとく近道を見つけたつもりが、それは単なる無計画、行き当たりばったりでしかなかったわけです。その結果、大正解の道の奧をもう少し行けば新たな立て看板が有ったのに、引き返してしまうという失敗をしでかしてしまったのでした。
3;情報収集および準備が足りなかった……先の手帳も舐めていますが、しっかりした地図やコンパスを持たずに山に入るのは、無謀です。というより危険です。実際、山中で迷ってしまった時、日没までに下山できたかどうか、今もって疑問です。この高蔵保塁跡は、他と比べて特別な場所にあるのですから、それなりの準備が必要なことに思い至りませんでした。
4;脳天気すぎた……全ての原因。しかし、結局は見つけられたから、まあいいか?

 以上、高蔵捜索記を終わります。高蔵ページ冒頭「高蔵への道」ではすんなりと書いていますが、実はこういうドタバタが有ったんですよ。高蔵へ行かれる方、新池─沢登りルート、一度試して見て下さい。絶対おすすめしません〜。