静岡陸軍墓地
静岡県静岡市沓谷(旧静岡陸軍墓地公園)
静岡市の中心街から少し離れた所に、陸軍墓地があります。周りは住宅地です。
入り口です。あっさりしてます。
入り口付近から、全体を撮影しています。
緑多い場所です。現在は「旧陸軍墓地公園」となっています。場所柄ひっそりしていますが、この広さでそれは勿体ないような……。もっと人が来れるような環境にするのもいいかも、などと思いました。
この写真で見て左側奥に慰霊碑や追悼碑など、右側奥に将校の個人墓柱、また少し離れて兵卒の個人墓柱が建てられています。
前の写真の左側奥に、「陸軍墓地参道」と刻まれた標柱があります。元々はそちら側が入り口だったのかも知れません。現在の状態は、戦前戦中当時とはだいぶ異なっているのかも知れません。
「明治三十七八年役 戦死病没者追悼碑」と書かれています。元第三師団長であった大島義昌陸軍大将建立とあります。小さいものから順に、「兵卒・下士官・準士官・将校同相当官之碑」が並んでいます。
「支那事変大東亜戦争忠霊塔」です。最も激しかった戦争の忠霊塔にしては、こぢんまりとしています。また「戦没馬犬鳩慰霊」というものもありました。他にも幾つか建っていました。
個人の墓柱が集められている場所です。ずらりと整然と並んでいますが、下草の具合などを見ると手入れなどはされていないようです。
少佐以上の個人墓柱は、一段上がった場所に並んでいます。
静岡連隊といえば、日露戦争首堡山の戦闘で戦死し軍神となった「橘大隊長」が有名です。
橘少佐の墓柱もここに建てられています。五つ並んでいる内の左から二つ目です。「陸軍歩兵中佐 正六位従六位 勲四等功四級 橘周太之墓」と刻まれています。
先にありました将校下士官の墓柱が並ぶ場所から少し離れて、兵卒従者などの個人墓柱も残されています。本来は、この階級の墓柱が圧倒的に多いはず、なのですが……。
公園として整備するときに移動(廃棄?)されたのかも知れません。また戦後ある時期、墓柱卒塔婆の類は、建材などとして持ち去られたそうです。兵卒階級の個人墓柱は、手頃な大きさだということで持ち去られたのかも知れません。
一つだけ、外国人の墓がありました。ドイツ海軍軍人のものです。
六年ほど前、私が九州に住んでいた頃、用事で長崎に行ったことがあります。帰途、長崎諫早の「橘神社」という所に、休憩がてら見学に行ったのですが、そこが「軍神・橘中佐」を祭った場所でした。その頃は静岡連隊についての知識はほとんどなく、あまり関心を持たなかったのですが、今にして思うと、もっとちゃんと見学しておけば良かった、と後悔しきりです。
にしても静岡で長崎の思い出をくすぐられるとは、予想外の驚きと喜びでありました。