田の首砲台(山口県下関市田の首)
 田の首砲台は、山口県下関市の彦島の、南端西方に作られました。
 資料によっては、「田の首崎砲台」という名で紹介されていますが、ここでは「田の首砲台」とします。

 現在は、「○○霊園」となっています。この霊園入口が、砲台入口だった場所です。
 坂を登って右側(西側)に、四つの砲座と三つの倉庫が造られていたそうです。

 霊園入口の坂の東側は、山を切り崩して崖のようになっています。東側崖上に残っている林の中に、標柱が数カ所に残っていました。
 霊園入口の坂よりも西側は、全域が霊園として整備されています。こちらの方に、砲座と倉庫が在ったわけです。

 霊園の背後(南側)は急な崖になっており、崖を降りると海辺になっています。
 いつの時代のものかは分かりませんが、石垣が残っています。また、石垣の残骸が辺りに散らばっています。
 遠景に見えるのは福岡県北九州市側の山です。
 中央部に少し色濃く見える低い丘が手向砲台跡地、そのやや左側奥辺りが笹尾砲台跡地です。

 海辺に散らばる石垣の残骸です。
 中には、「陸」と刻まれた標柱もありました(写真ではよく見えません、残念)。

 霊園の東側の、古くからある工場(日新耐火工場?)の入口です。

 関門海峡の対岸、福岡県北九州市側から見ると、こんな感じです。

 この「田の首砲台」は、下関要塞の砲台の中で、最初に着工(明治20年9月)し、最初に竣工(明治21年12月)した陣地と言われています。
 日清戦争の頃ですから、もう百年を軽く超える前の陣地です。今となっては、波打ち際に倒れ、また山中で草に埋もれた標柱しか、当時を偲ぶものはありません。
「海ゆかば水漬く標柱(しるべ) 山ゆかば草蒸す標柱 世が移り人が忘れど かへりみはせじ」
 おそまつ。