筋山砲台(山口県下関市田の首)
筋山砲台は、田の首砲台とほぼ同時期に造られた砲台です。
田の首砲台に近接して彦島西南端部に造られました。両砲台の入口は、直線距離で二百メートル程度しか離れていません。

今では全くの荒れ地となっている道端ですが、この写真の位置が入口です。
 
道無き道のようなところを奥に入っていくと、井戸らしき遺構があります。
そこから更に奥に進むと、煉瓦で造られた門柱が見えてきます。
 
言っては何ですが不細工な門柱です。当時のオリジナルでは無いのでしょう。
ここから陣地内部へ入っていくのですが、入口付近でこの荒れ模様です。内部は推して知るべし、ということで見難い写真のオンパレードです。ご容赦。
明治21(1888)年4月着工、翌22年8月竣工(27年8月備砲着手、29年4月完了)という古い陣地であり、また大正9年に早々に廃止された陣地ですので、荒れ放題なのはやむを得ませんか。
 
門柱のすぐ横に、「第六号」と入口に刻まれた倉庫があります。便宜的に「第六号倉庫」と呼びます。
先の門柱の写真に、壁の一部が写っています。

「第六号倉庫」の周辺に、コンクリ製の土台らしきものが残っていました。
「第六号倉庫」に向かって左手側に、荒れ果てた砲座があります。
便宜的に「第六号砲座」と呼びます。

「第六号砲座」の一部には、コンクリートが残っています。

「第六号倉庫」は、前面の壁面積がとても広く造られています。
写真左手、奥方向に前述の「第六号砲座」が在る、という位置関係です。
また、写真右手、「第六号倉庫」に向かって右側にも、「砲座」が在ります。

「第六号倉庫」の右手側にある「砲座」です。便宜的に「第五号砲座」と呼びます。
『「第六号砲座」−「第六号倉庫」−「第五号砲座」−……』という順に並んでいるわけです。
 
こちらにも、コンクリートが一部残っています。
筋山砲台の砲座の中では、ここが最も、壁の構造が判別し易い部分でした。

「第五号砲座」あたりから、奥に続く通路の奥方向を見ています。
かなりな荒れ放題です。
 
「第五号砲座」の奥に、「第五号倉庫」があります。
倉庫内部の煉瓦は残っていますが、外側に煉瓦は見当たりません。
アーチ形になっていたのだろう、という雰囲気はあるのですが。

「第五号倉庫」の奥の「第四号砲座」です。前面の垂直の壁の存在が辛うじて分かる程度です。
 
「第四号倉庫」です。
こちらも、倉庫外側の煉瓦は残っていません。
 
「第四号倉庫」の入口と内部です。内部が落書きで汚れているのが残念です。
近所の方の話によると、つい最近まで浮浪者が住んでいたとか。

「第四号倉庫」の奥の「第三号砲座」です。陥没部が判るだけ、といった感じです。

「第三号倉庫」です。
外側の煉瓦とともに、窓部分の石材も一部が欠落しています。

「第三号倉庫」を正面から見ています。

「第三号倉庫」正面から、更に奥に続く通路の奥方向を見ています。
向こう側には、「第二号砲座」が続いています。

「第三号倉庫」正面を少し通り過ぎ、「第二号砲座」正面辺りから返り見た状況です。
横穴式の倉庫になっているのが分かると思います。

「第三号倉庫」と「第二号砲座」を撮影しています。

「第二号砲座」です。陥没部は広く、周囲を丸く囲んでいる壁の存在は分かると思います。

「第二号倉庫」です。こちらも外側の煉瓦はありません。
奥側の明るい所がが、「第二号砲座」への入口にあたります。
 
「第二号倉庫」の内部です。
外部の破壊は、倉庫群の内で最も著しく見えますが、内部の破壊はさほどではありません。
 
「第二号倉庫」の前から、進んできた進路を返り見ています。

「第一号砲座」です。「第二号倉庫」の更に奥にあります。
丸く周囲を囲むコンクリート壁が、わずかに見えています。
 
「第一号倉庫」です。
ここも外側の煉瓦はありません。外壁面に煉瓦が積まれていた跡の段々が残っています。
 
「第一号倉庫」の入口と内部です。

「第一号倉庫」で、通路は行き止まりになっています。
倉庫の前に、建物の基礎のような構造物があります。
この「第一号倉庫」の更に奥と、先の「第六号砲座」の脇に、それぞれ観測所が造られていたということですが、それらは見つかりませんでした。
つまり、「観測所−第六号砲座・倉庫−第五号砲座・倉庫−第四号砲座・倉庫−第三号砲座・倉庫−第二号砲座・倉庫−第一号砲座・倉庫−観測所」という順番に並んでいたわけです。

「第一号倉庫」の前から、歩いてきた通路を見ています。荒れ放題です。

筋山砲台のある丘を、少し離れた所から見ています。
右手側に、関門海峡と九州側の山が見えています。


上の写真から、筋山砲台のある丘の部分を抜粋。
 
丘の中には、このような「防○○(この写真のは十一とある)」「陸」と掘られた標柱が散在しています。
 
また、丘の斜面には縦横に溝が掘られています。
 
これらは筋山砲台とは関係なく、昭和の終戦間際に造られた陣地壕の類と思われます。


上の写真から、関門海峡と九州側を遠望する部分を抜粋。
対岸中央の海岸線近くに色濃く見えている低い丘に「手向砲台」がありました。
手向砲台の左側に「笹尾砲台」、右側に「富野堡塁」がありました。
右側の平地帯が北九州市市街地です。
右端ギリギリに見えるビルは小倉駅前のリーガロイヤルホテル、この辺りが市街地の中心地です。


撮影箇所を少し変えて、海峡の対岸(九州側)を見ています。
「田の首砲台」のあった丘が、左側にわずかに見えています。


撮影箇所を今度は大きく変えます。
左側に九州側の陸地、中央に関門海峡、そして右側から手前にかけて彦島側の陸地が見えています。

九州側。「笹尾砲台」跡地、「手向砲台」跡地、そして「富野堡塁」跡地が見えています。

下関市彦島側。「田の首砲台」跡地と「筋山砲台」跡地が見えています。


のどかな春の、天気の良い日でした。