老の山砲台跡(山口県下関市)
老の山砲台跡は、現在は「老の山公園」として整備されています。彦島の西北端に位置する大きな公園です。


公園の駐車場にある説明板です。
「海抜一○六メートルの老の山は、寿永の昔、源平壇ノ浦の合戦に際して平家一門の本拠地となるなど、幾多の歴史を秘める彦島の一角に位置し、関門海峡から北九州一帯、さらに日本海を望む景勝の地である。
このような立地条件から、幕末には攘夷戦に備えて長州藩の砲台が築かれ、明治以降は、日本陸軍の砲弾陣地として関門要塞の一翼を占めて来たが、第二時大戦後、平和利用のために開放された。
現在では、市によって頂上を中心とした約二十万平方メートルを公園化し、野外ステージ、こども天国、樹木園など、市民憩いの場として、面目を一新、また園内には、勤労青少年ホームも建設され、次の世代をになう児童青少年の情操教育の場ともなっている。」とあります。
何かの資料によれば、この老の山砲台は大正9年の要塞整理によって廃止されたとあるので、「第二次大戦後に開放された」というのにはちょっと疑問符が付くのですが。
もしも説明板のとおり戦後に開放されたということならば、昭和中期頃までは砲台の原形は残っていたのかも知れません。
老の山公園は敷地が実に広く、あちこちに広場があります。家族連れやカップルの花見客が沢山来ていました。
公園敷地中央辺りに、野外ステージなるものがあります。
ここはそれほど人が居ませんでした。傾斜地なのもさることながら、海から吹く風がとてもキツいためでしょうか。
公園内をざっと見回りましたが、これ、とはっきり分かる遺構は見当たりませんでした。
写真のように、公園の南側斜面に円形をしたコンクリート構造物(おそらく、観測所)の一部が露出していることと、その傍らに煉瓦造りの柱の残骸?のようなものが倒置されています。もしかしたら、これだけかも知れません。
円形コンクリート構造物の近くの見晴台から南西方向を見ています。遠くに大きく見えているのは、六連島です。
公園の一角、元砲台陣地と知って見ると、なんとなくそれっぽい雰囲気があるように思えるのは気のせいでしょうか。
老の山砲台がどのような陣地だったのか、いまでは良く判りません。要塞関連の主要資料である「日本築城史」でも、陣地のイラストすら載っていません。公園整備をした土建業者とか、設計をした会社とかに行けば、当時の測量図や写真とか、残っているんでしょうかね?