駒越防空砲台
静岡県静岡市清水区(旧清水市)

 静岡県清水市に、戦争末期に造られた防空砲台が非常に良好な状態で残っています。
 徳川家康の墓所として有名な久能山の東側あたり、海岸線を走ると石垣イチゴのハウスが山の斜面をびっしり覆っているところがありますが、その山の山頂部になります。


 砲台跡地は、現在は静岡県柑橘試験場内に位置しています。見学には事務局の許可が必要です。

 地図中央に白く描かれているのが本館(?)で、その上方に白い小さな丸が描かれています。
 白い小さな丸は給水タンク(?)でして、その周囲に遺構が残っています。


砲台近辺
 事務局の許可を頂いたのち、給水タンクを目標として山の斜面を登っていきます。約五分ほどで到着。
 
 こんな感じで見えます。円形をしたコンクリート製の構造物が見えます。

 すぐ脇に、堅固な石垣が見えてきます。

 路面の石垣から、更に段を違えて大きな石垣が造られています。

 道を登りきると給水タンク(?)が見えてきます。そこまで行くと登りすぎ。
 中途に石垣にアプローチする小道があります。
 給水タンクの向こう側から山頂方向を見ると、弾薬庫の一部がわずかに見えます。

 中央部に弾薬庫出入口が見えているのですが、これじゃわかりませんね……。

砲台座その1

 石垣の向こう側に回り込み海岸方向の尾根に進むと、コンクリート製の砲台座が残っています。
 左側に階段部分(円弧から突き出ている所)が見えます。

 内部は水が溜まっています。

 本来底まで通じているはずの階段が途中で途切れていたり、妙な配管があったり。
 おそらく戦後に水槽として利用されていたのだと思います。

 本来は縁の位置が地表となるのでしょうが、現在はこのように基礎部まで露出しています。
 それとも元々こうだったのでしょうか?

 人物と大きさ比較。かなり巨大です。
 階段部分は反対方向にも設けられており、その延長方向(人物視線方向)にもう一基の砲台座が残っています。
 尾根伝いに移動すれば迷いませんが、足元にご注意。

砲台座その2
 
 もう一基の砲台座を見ています。……全然全容がわかりませんね。
 倒木や落ち葉などで非常に見難い状況です。

 階段部ははっきりと確認できます。こちらは改造されておらず、下まで降りることができます。
 円形の中央部には、据え付け用と思われる金具が残っています。
 砲台座その1の位置に戻り、海岸方向と逆の内陸方向を見ると、弾薬庫が残っています。

弾薬庫その1

 砲台座その1に背を向けて内陸方向を見ています。
 中央部にコンクリート製の構造物が一部見えているのですが、ちょっと判りにくいですね。

 前面に回り込みます。

 両脇に出入口を備えた、コの字型をした弾薬庫が残っています。内部にも入れます。

通路

 弾薬庫は四カ所設けられており、それらはこのような通路で結ばれています。

弾薬庫その2

 はっきりと掘られた交通路を辿っていくと、弾薬庫その2の前に出ます。

 ここは出入口は一カ所だけの単純な構造です。

 交通路を挟んで、弾薬庫その2と反対側に、このような貯水施設が残っています。
 当時のものかどうかは判りません。

弾薬庫その3

 交通路をさらに進むと、弾薬庫その3の前に出ます。
 弾薬庫その2とあまり離れていません(写真左側に弾薬庫その2が見えている)。

 その1と同様に、出入口を二カ所設けているタイプです。
 手前側の出入口から内部へ入ります。

 手前側の出入口。ドアの木枠が一部残っていますが、当時のものかどうかは判りません。
 こちら側の内部は綺麗になっています。

 反対側の内部は、木くずが溜まっています。
 反対側の出入口には、木枠がほぼ全体残っていますが、当時のものかどうか?

 反対側出入口を外から見ています。

 この石垣の丸みが、なんとも言えない味を出していますね。お気に入りです。

弾薬庫その4
 弾薬庫その3から先は、交通路が判りにくくなりまた足場も悪くなりますのでご注意。

 弾薬庫その3の位置から山頂方向を仰ぎ見ると、コンクリート製の構造物が見えます。
 かなりの傾斜地をよじ登ることになります。

 よじ登ると、出入口が一カ所のタイプの弾薬庫を見ることができます。

 外観。弾薬庫その2と同じです。

 内部。単純な構造です。
 
 弾薬庫その4向かって右側に、小さなコンクリート構造物があります。
 
 貯水施設でしょうか?       貯水施設?と右側面を撮影。

 右側面から背面を撮影。

観測所?

 弾薬庫その4の右側面から尾根に出ると、観測機器を乗せたと思われる構造物が残っています。

 円筒形のコンクリート構造物です。観測所と思われます。

 ここから更に山頂方向にも、わずかに交通路の痕跡が残っています。
 探索してみましたが、他に遺構を見つけることはできませんでした。



 試験場として管理されているため、下草刈りなどが定期的に行われており非常に見学しやすい遺構でした。
 防空砲台が周囲施設を含めほぼ丸ごと残っているというのは、あまり他に例がないのではないでしょうか。