元陸軍第十二飛行師団司令部跡(小月飛行場跡)
山口県下関市王喜地区 


 この門柱は、海上自衛隊小月教育航空群が置かれている小月航空基地敷地に隣接する団地の前に遺されているものです。写真は1997年くらいに撮影したもので説明板などはありませんが、1998年12月には「王喜地区快適なまちづくり推進事業実行委員会」なる組織によって詳しい説明板が建てられていました。
 この門柱のある敷地と、現在の基地敷地との間には幹線道路が通っており、当時の位置的関係はよくわかりません。
 この地に飛行場が建設されたのは昭和15年3月のことで、当時は「下関飛行場」と呼ばれていました。航空機が移駐して来たのは昭和16年夏からで、その頃から「小月飛行場」と呼ばれるようになったとのことです。昭和19年7月、第十二飛行師団司令部が置かれ、西部地区防衛を担当し、四個飛行戦隊、一個飛行中隊を統括していました。1944年6月15日のB29日本初空襲(北九州八幡地区を爆撃)から、熾烈な迎撃戦が行われ、終戦までに69名の戦死者を出したそうです。

 現在、小月飛行場後は海上自衛隊の教育航空群が置かれています。撮影に行った時も、練習機による訓練が行われていました。飛行場を飛び立ったのち左旋回して、そのまま着陸態勢で滑走路に進入し、一旦接地したのちまた飛び立つ、という事を繰り返していました。
 上昇して左旋回をしてゆく機を目で追ってゆくと、フッと空に溶け込んでしまったように、一瞬見失うことがあります。その瞬間の小さな不安感が妙に新鮮で、なんはなしにしばらく飛行場の脇で眺め続けていました。特に何があったわけでもありませんが、小月基地、また見に行ってみたいです。