騎兵第三連隊(歩兵第三十三連隊、野砲第三連隊)
自衛隊守山駐屯地

数年前、名古屋在住の頃に、名古屋郊外にある守山駐屯地の基地祭に行ってきました。
現在は第十師団が駐屯している所です。

正門を撮影。入口脇の瓦葺き平屋建物がいい雰囲気です。

実は入場したのは裏門からだったり。こちらは北側に面し、先の正門は南側にあります。
 
裏門周辺にも、ちょっと気を引く瓦葺き平屋がありました。

すぐ側を自衛隊員が行き交い、重々しい軍靴の音が腹に響きます。
基地祭見学はここが初めてだったので、とても緊張しました。

パレード会場を撮影。西側を向いて撮影しています。
三階建て建物の距離に驚きました。中に入って廊下を撮影してみたかったです。

パレード光景です。
右奧の瓦葺き建物を目にした時点で、ヘリ編隊が飛ぼうが大砲が鳴り響こうが二の次となりました。
早速そちらに向かいます。

元連隊本部として使われていた建物です。駐屯地の西側に位置しています。

現在は宿舎として使われているようです。基地祭の折には広報展示コーナーとなるようです。
明治30年に歩兵第三十三連隊、その後騎兵第三連隊、野砲第三連隊の本部が置かれたそうです。

玄関脇に「歩兵第三十三連隊趾」、また「陸軍省所轄地」と掘られた標柱が置かれています。

内部の一室に、常設の展示室がありました。
砲弾類や、戦後駐屯地内から発掘された機関銃などが展示されています。

かなり離れた場所にあった「熱田兵器製造所」関連のものもあったりして、雑多なイメージを受けました。

連隊本部棟を右に、駐屯地中央部を眺めます。
これから、広大な敷地を見て回ります。

南側にある正門の東側の区画に、古い建物が密集して残っていました。

左手側が「准士官下士官集会所」、右手側が「中隊隊舎」です。
 
「中隊隊舎」です。現在は倉庫として用いられているようです。
この建物の内部で撮影していたら、偶然に同好の士と巡りあったりして。

「明治29年歩兵33連隊中隊隊舎として建てられ、昭和3年騎兵第3連隊第2中隊の舎となった。
各戦役に輝かしい武勲をたてた先輩たちの軍人精神は実にこの隊舎での営内起居の間に培われた。」
と説明板にあります。

「准士官下士官集会所」です。
「明治29年歩兵33連隊当時に建てられ、二階が准士官下士官集会所、階下が酒保(売店)であった。
酒、大福餅、うどん、しる粉等が飛ぶように売れた。裏庭の植樹にも当時がしのばれる。」と説明さ
れています。

脇に置かれたベビーカーがなんとも言えない味を出していました。
内部の構造は、当時の面影を残しているように見えました。


こちらは「炊事浴場」。
「明治29年歩兵33連隊当時からの炊事浴場の一部の建物である。
食事入浴就寝は昔も今も隊員にとっては大きな楽しみである。」とあります。



こちらの建物には、何の説明もなかったので当時のものではないかも知れません。
木造扉というのがちょっとひっかかりますが。

よくわかりませんが、とりあえず撮影。

あちこちの気になる建物を夢中で撮影していたら、突然警備の隊員から声を掛けられ、
「建物の撮影は禁止」と宣告されてしまいました。
同好の士と二人連れで、かなり目立ったんでしょうか。
目をつけられてしまったのか気のせいか、つかず離れずマークされているような。
気が付くと三階建物の屋上にたつ警備員の双眼鏡は確実にこっちを向いているし!

かくてお開き。物事は程々が肝心のようで。
正門脇に記念碑か慰霊碑かが建てられていたのですが、その撮影が出来なかったのが今でも
心残りです。