岩屋観音の機関銃陣地
愛知県豊橋市大岩町(岩屋観音)

 岩屋観音は、愛知県西部東三河地区の名所旧跡の一つです。直径50メートルほどの大岩が、東海道のすぐ脇に屹立しており、かなりの偉観となっています。正式名称は「大岩寺 窟堂(いわやどう)」というそうで、奈良時代天平二年(西暦730年)に行基が諸国巡行の際に木像の千手観音を安置して開いたといわれています。
 江戸時代には、街道をゆきかう人々から多くの信仰を集めたそうで、ことに備前岡山藩主であった池田綱政はこの観音を崇敬し、観音経・黄金燈籠、絵馬などを寄進したとのことです。当山を詠んだ和歌・俳句は多く、また歌川広重の東海道写生画の中に、当山を描いたものが数点あるそうです。
      
岩屋観音(上に観音像が小さく見えます)。 山上に建つ聖観音像。
 山上に立つ聖観音像は、江戸時代、地元の大工が、難しい橋の架け替え工事に苦しんでいた際にここに参籠し、霊夢によって難工事を完成させることが出来た、ということがあり、その恩返しとして寄進されたものだそうです。
 観音像は太平洋戦争中に供出され、現在のものは昭和26年に再建されたものです。

案内マップ。左側の遊歩道で囲まれた小さな楕円形の所が岩屋観音。
 岩屋観音堂の周りはには遊歩道が巡らされており、快適な散策スポットとなっています。岩上の聖観音の所まで上るのもさほど大変ではありません。なかなかの景色です。


 さて、ここから「戦捜録」です(笑)。
 上の案内マップ左下に、遊歩道で小さく囲まれ楕円形をしている所がありますが、ここが岩屋観音のあるところです。ここは全体が一つの大きな岩となっています。
 戦時中、この岩をくり抜いて、機関銃陣地が造られました。
 楕円形をしている遊歩道をぐるっと回ると、くり抜かれた機関銃座や陣地への入口などが、四箇所確認できます。これらは全てコンクリートで塞がれています。

 機関銃座跡です。西側に作られています。

 機関銃座跡から少し離れた所に、陣地の出入口跡と思しき所があります。

 出入口跡なのか銃座跡なのか、ちょっと分かりません。
 
 多分出入口跡です。ここの近くには煉瓦片が散乱していました。


 岩上の聖観音像の所まで登り、東側を望見すると、二川トーチカや第七十三師団の陣地壕群が残る山が見えます。その山を挟んで山頂に展望台がある山が見えますが、この山の北側には二十八センチ榴弾砲陣地が作られていたそうです。

岩上より東側を望む。
手前に観音像、少し離れて展望台のある山、その向こうが第七十三師団の陣地壕群のある山。

 ここは、東海道が内陸に向かって折れ曲がるようになっています。
 例えば、浜名湖西側辺りに上陸した敵軍が名古屋方面に向かって侵攻するのを迎え撃つというような想定において、重要な防御地点とされていたと思われます。
 奈良時代開闢の名勝旧跡に陣地を穿ち、本土決戦準備を進めた将兵の思いや如何。