広瀬神社
大分県竹田市
広瀬中佐胸像

写真1 広瀬神社鳥居 写真2 鳥居前の広瀬中佐胸像
この神社は、戦前は軍神とされた広瀬武夫海軍中佐を祭神としていましたが、戦後は竹田市およびその近郷出身戦没者を合祀するようになっています。
九州には、大分の「広瀬神社」そして長崎の「橘神社」と、両軍の軍神をまつる神社があります。更に日本海海戦戦場をのぞむ福岡県津屋崎町には「東郷神社」、やや離れますが山口県防府には「乃木神社」もあります。土地柄でしょうか。
境内・1
写真3 阿南陸軍大将顕彰碑
写真1の鳥居をくぐり階段を登って境内に入ると、まず正面に阿南陸軍大将の顕彰碑が建てられています。阿南大将も大分県竹田市の出身であり、この神社に合祀されています。
境内・2(広瀬武夫記念館)

写真4 軍艦朝日のカッター 写真5 記念館内部
境内には、プレハブ二階建ての記念館が建てられています。その一階には、軍艦「朝日」のカッターが置かれています。二階は、広瀬中佐の遺品などが収められています。
合祀されている戦没者の遺品なども展示されていますが、ほとんどが中佐のものでした。
境内・3(軍艦比叡のマスト)

写真6 本殿 写真7本殿左脇(復元マストが見える)
境内から本殿に向かうと、その左手側に軍艦「比叡」の復元マストが建てられているとの説明板が建てられています。実は、その説明板を見るまでそのことは知りませんでした。九州のどこかに「比叡」のマストが保存されているというのは、何かの本で読んだのですが、それがまさかここだったとは。本当に驚きました。

写真8 復元マスト保存の石碑 写真9 神社外からマストを見る
神社境内から見ると、マストは木々に隠れてしまって良く見えません。神社の外に出て東側にまわると、障害物もなく良く見えています。遠目から見ると、避雷針のようにしか見えませんが。
マストについては、木製の説明板と写真8のような石碑とで説明されています。広瀬中佐が兵学校を卒業後に初めて乗艦したのが「初代比叡」であり、その由緒をもって、「二代目比叡」のマストが奉納されたと書かれています。神社が完成した昭和13年、ちょうど「二代目比叡」がマストを取替していたためです。
比叡のマスト

写真10 マスト基部 写真11マスト頂部
マストを立てている場所は、写真9で見ても判るように、絶壁上です。落石防止のためか、その絶壁は完全にコンクリートで固められており、マスト基部はコンクリートによって頑丈に固定されているように見えます。
マストには梯子がぶら下がっているのですが、腐食が激しく、いつちぎれ飛んでもおかしくないような状態です。また、頂部には横桁を通していたと思われる金属部品が見えます。
写真12 マスト頂部(別角度)
マスト頂部を別角度から見ると、先端の様子が不自然なことに気付くと思います。横桁の金具の位置が上過ぎるように見えます。実は、現在の状態は上半分を撤去した状態なのです。
先の碑文によると、昭和28年の台風で上部が破損したと書かれています。そして昭和48年に地元海友会の発起によって修理復元されたのですが、その後老朽化が進んだために平成8年5月に上部を解体したと説明されています。
写真13 撤去された上部その1 写真14 撤去された上部その2
マストの周囲を探索すると、境内側の絶壁斜面にそれらしいものが放置されていました。

写真15 撤去された上部その3 写真16 撤去された上部その4
撤去部分は、細かく寸断されており、元の状態は良く判りませんでした。
写真10に見える白い建物は、近くの共学高校です。この広瀬神社の横に幹線道路が走っているため、学生らがよく行き来していました。寄り添う影もあったりして、落ち着いて写真を撮ることも出来ません。それはともかく、そういう場所なのにゴミや落書きがほとんど無かったのがとても印象に残りました。