大和型主砲弾
山口県下関市火の山公園
日本各地に残されている旧海軍の遺物として、「戦艦の主砲弾」というものがあります。記念物として利用しやすいのでしょう。山口県火の山公園は、明治三十年代から昭和二十年まで陸軍の要塞として利用されていた場所です。その陸軍要塞跡地にも有りました。
写真1 火の山公園山頂部
火の山公園と一口に言っても、この公園は実に広大です(詳細は別の場所で記す予定です)。山を上り詰めたところにある展望台の脇に、この主砲弾は置かれています。

写真2 大和型主砲弾 写真3 碑板
白い基礎部正面に、碑板が填められていますが、これには主砲弾の諸性能が書かれているだけで、この砲弾の由来などは一切説明されていません。

写真4 主砲弾その1 写真5 主砲弾その2
たいていの主砲弾を利用した記念碑は、垂直に立てて威容を誇っているのですが、ここでは写真のように斜めに置かれています。これがまた面白いわけで平素撮影できないような角度で迫ることが出来ました。

写真6 主砲弾その3 写真7 主砲弾その4
そんな置かれ方をしているので、写真のようにペタペタと触られて、風防部はツルツルになっています。
撮影当初は、観光客が退くのを見はからって撮影していたのですが、しばらくするとその風情が妙に気に入ってしまいました。
子供たちは「やまとだってー!」とか歓声を上げているし、大人たちは「へー」「ほー」とか色々と見入っているし、中には結構楽しい勘違いをしている人もおられました。それで、観光客らを入れて撮影しました。今ではとても気に入っている一枚です。
「下関の記念碑(下関教育委員会編)」という本に、この主砲弾の由来が書かれていました。これによると、この主砲弾は戦後になって瀬戸内海から引き揚げられたものだそうです。
瀬戸内海で砲弾の火薬処理をしていた中国火薬株式会社が引き揚げ、昭和33年の「下関博覧会」(下関市制施行七十周年記念開催)に出品したのですが、その後火の山公園にロープウエーが開通したときに会社より寄贈されたもの、と紹介されています。