『トムプラス』が休刊したので「月光の帝国」は第一部終了になりました。。。

というタイトルはシンキくさいので、あの500円玉はどこへ消えたのか というタイトルにしたいと思います

 

2001年6月発売の7月号をもって、雑誌『トムプラス』(潮出版)が休刊することになりました。

最後にあんなまっ白い原稿を描いてすいません。 あれは原稿ではなく、原稿になる途中の過程にあるものです。ここは何を描く予定だったんだろう、どこにトーンを張るんだろうなどと推理しながら見ると面白いかも…って笑ってる場合じゃない(冷汗)。
再び皆さまのお目に触れる機会がありましたら、これらの原稿ももっと黒くなっていると思います。

漫画を描くというのは大変なことです。
ネーム(お話しを下書きの紙に書いて、セリフを書いてコマに割り振って構図などを決めたもの。映画の絵コンテに似ている)を描いて、それが終わったらケント紙に下書きをして、狂いまくるデッサンを原稿を裏返して明かりにすかして見たりしながら必死で直して、ペンで人物の主線(おもせん)を入れて、背景を描いて、ベタを塗って、カケアミをして、定規線や集中線を描いて、消しゴムをすべてかけたあと、スクリーントーンをはって、そのスクリーントーンを削って、二重張りして、ページごとのバランスを見て、全体の流れを計算して、ここはマズイと思ったらやり直して…主線を入れるときも背景を丸ペンで描くときも気を張りつめていないと失敗します。でも一番シンドイのは、ああこのままじゃダメだ…と落ち込む気持ちを引きもどして、なんとか手を考えなくちゃ…と歯を食いしばるときかもしれない。
そんな細かい作業を毎日少しずつ積み重ねて、なんとかかんとか上がるのですが、その作業を去年の10月から私はなんのためにやってきたんだろうと考えると、ただただ情けない今日この頃です。

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「月光の帝国」は2000年の「トムプラス」11月号から2001年7月号まで7回連載し(途中目のトラブルで二回休載しました、すいません)、これで「第一部終了」ということになります。
あれで「最終回」と打ったら、ずいぶんとシュールなラストでしょう(笑)。
そういうのを入れるのは編集さんなので、「終わり」と打ついさぎよい方とか、いろいろいらっしゃいます。

途中で終わっているため、単行本化されるかどうかはわかりません。
新しいコンセプトでまた雑誌を出す計画があるそうで、それにどうか続きを描いてくださいと編集さんは言ってくださっておりますが、上層部の意向ひとつで計画というのはいかようにも変わるものです。そういうとき編集はなにもできないこともわかっております。編集さんが「あの話はなかったことに」と言っても怒る気はありません。

それにしても、第一部終了というのは便利な言葉ですね。
その背景にある、複雑に入り組んだ、一言では簡単に説明できない事情を、これを使ってなんでも「まあ、よしなきことで…」と表現できる。
何も言わないために使う言葉かもしれません。

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じつは私はこの連載を始めるとき、最後までやれるんだろうかと思っていました。
だからけっこう急いで描いていて(あれでも!)、なるべく早く終わらせようと思っていました。でも間に合いませんでした。

これは「トムプラス」がどうこうということじゃなくて、今の出版界を裏から見ると、荒涼たる風景が広がっているからです。
人事対策で出している雑誌、不動産業の稼ぎで出している雑誌。。。
少女漫画で廃刊になって私が「えっ」と驚く雑誌は、4誌か5誌くらいしかありません。
娯楽の変化、少子化、本離れ、会社の構造的問題とか、その理由は私などには手にあまることごとが団体さんでやってきます。

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そんな荒野の中で雨や風に打たれて、出版社ー編集者ー作家ー読者を結ぶ信頼感が少しづつすり減っていくような不安をときどき感じます。

このH.P.で連載のことを知って雑誌を買ってくださった読者の方々には、この場を借りてお詫びいたします。ごめんなさい。責任を感じています。
雑誌は売れないと潰れる宿命ですから、買って下さい、買って下さいと宣伝しました。
体調の不良で休載したときに、うっかり買ってしまった方もおられました。
「トムプラス」を買ったその方々は何のために毎月500円のお金を払ったんでしょう。本当に申しわけありません。

私はずっと、本を買ってもらうということは、読者がかたく握りしめた手の指をいっぽんいっぽん必死ではがし、汗まみれの500円玉をこちらにいただくことだと思っています(あんな作品で500円せしめようとはブハッ、不心得もの、とお叱りを受けるかもしれませんが、どこかに500円払ってくださる人がきっといるに違いないと一筋の希望にすがって描いてるのです)。
描き手になるまえのまだ読者だったころの私は握りしめた500円玉をそう簡単に手放そうとはしませんでした(笑)。漫画家として私を育ててくれた環境は、アセとアブラでびしょびしょの500円玉がレジに吸い込まれる「カラコロ〜ン、チン」という音を聞いて「やったぁ〜」と快哉を叫ぶために、編集者、作家、出版社の営業、すべてが朝から晩まで粉骨砕身で働いていました。

だから私にとって貴重な500円玉がこんなふうに消えてしまうことは、プロとして絶対やってはいけないことです。
雑誌が休刊したことは私の責任ではないと思いますが、その雑誌に描いていたことは私の責任です。
本当にごめんなさい。許してください。500円玉返せっていわないでね…。

出版社、編集者、漫画家の関係は複雑で、その仕事の境界は重なり合って曖昧です。
漫画を描くのは漫画家の仕事ですが、雑誌を作ってそれを売るのは編集者と版元の仕事で、みんながそれぞれ別々の仕事をして、その歯車がうまくかみ合ったときに初めて読者は面白いなと反応して、本やコミックスが売れるのだと思いますが、今の出版界は本離れ、ゲーム、携帯電話などいろいろなものに追い上げられて、三者の流れがなかなかかみ合わない厳しい状況にあるようです。

問題山積でいろいろ難しい時代ですが、フシギと私は人と人とのコミュニケーションの絶対的な不能を感じてはおりません。困難は感じていますが、それもなんとなくどこかで解決する方法が見つかるのではないか…と、なんの根拠もなく思っています。頼りなくてすいません。お金もうけの不能は感じていますが(笑)。

私はグズでのろまなカメのような漫画家ですが、発信したいという欲求は私の中で性懲りなくじんわりと燃え続けています。
漫画の持つパワーはいわれているほど落ちてはいないと思っているし、その可能性はまだ伸びるとも思っています。
もともとカメだったのが、ますますカメになっていくのには困っていますが(^^;)。

「場所」というか「街」を描くことが昔から好きでした。
それでも昔はけっこう白いバックでいいたいことを伝えていた気がするんですが、最近フと気付くと、建物にトーンで闇を作ることに命を賭けている。その人がどこにいるのかとバックを描く重要性が昔より増しました。街や歴史の陰影に心の陰影を重ねたいのかな…などと思っていますが、描きたいことは時間とともに変わっていきますが、それを相手に届けたいという熱意に変わりはなく、それをどうやって届けるかという方法が変わっていくだけではないか、と思っています。

私は少女漫画で育ってきた人間ですし、今でも好きですが、私が描きたいと思っているものはたぶんもう少女漫画の範囲には入らないんじゃないかと思います。
今の商業ベースには合いにくい、誰もが読みたいと思う漫画にはならないのかもしれません。
それが面白い、この上なく美しいと思う私ってしょうがないなあ、まったく…とぼやきながら、カメの歩みでつっかえつっかえ、少しづつ作品を発信していきたいと思います。

ですから、どうか時々思い出して下さい、とお願いさせていただきます。
ちょっとヘンなものを追求している漫画家が、どこかで今日もカメの歩みでヘンな漫画を描いていることを、どうか心のスミに留めておいてください。

これからも気長におつきあいくださいませ。
そして、なんか新しいの出来てないのぉ〜?と足でつっついていただけたら、私はこの上なく幸せです。

 


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