ベルリンのスタジアム

ベルリンのオリンピックスタジアムには数年前行きました。

6月で、横のプールで遊ぶ子供たちの歓声を聞きながらメインスタジアムに入り、芝生を見たとたん「えっ、これで十万入るの?」

座席のカーブが湾曲してるとかでスロープが緩やかで、それでスタジアムが狭く空が広く見えたようです。その空をさえぎる屋根におおわれてる、あそこが貴賓席。ヒトラーをこうやって撃ってれば第二次大戦は起こらなかったのにと柱の陰でスナイパーごっこ。
これやる人多いようです。

ナチス様式といわれる直線と曲線で石を組み立てた建物で、威圧的ではあるけどシンプルでストイックな美しさ。廊下のトーチのフォルムはまるきりアールデコで、アールデコとバウハウスが好きな人ならあれは好きでしょう。

いいとこだけは取ったのね。そして彼に切り捨てられチョン切られて消えていった様々の文化的営為、生命のことを考えると、しばし黙祷。



第二次大戦末期の英米軍による空爆でBERLINは瓦礫の山になったそうですが、再建された今の町並みを歩いていると、昔の姿を探すことができます。ああ、ここは再建されたところ。ここは残ったところ。

泊まったペンションは修理して使ってるらしい戦前のアパートで、フロア全体で医者か弁護士が家族で住んでいたようなところでした。部屋の天井の高さや、使われていない螺旋階段上の召使い部屋や、玄関の鉄扉の細工の見事さに戦前のベルリンの中産階級の豊かさがうかがえて興味深かったです。

 

 

 

加えて、戦後の占領で壁で東西に引き裂かれた悲劇の傷跡も町中に残っていて、本当に傷だらけの町です。

ただその傷を彼らは隠そうとしないのです。空爆で半壊した教会や強制収容所跡を目に付くところに残し、海外からの客にも「私たちは二度とやりません」と宣言する。あれがドイツ人の生真面目さか、外交的パーフォーマンスか私には分かりませんが。

日独の責任の種類は違うと思いますが、全てを壊して新たに立て替え「もう知らない」と言い、自分たちの被害の跡だけ保存して宣伝する日本のやり方は、ドイツと比べられると、ちょっと、つらいものがあります。

映画「キャバレー」、ルー・リードのヴェルベット・アンダーグラウンド「BERLIN」。
昔からBERLINという名はその傷ゆえに人の心に胸騒ぎを起こさせる町でしたが、チェックポイントチャーリー跡の博物館のソファでラリって寝ていた若者に「壊れた町」の陰を見つつ、それに負けないで新しい明日を作り出そうとする強い人間の意志も感じて、ベルリンは今も昔も不思議な町です。

 


 

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