毎日が二日酔い
これは「2400御入院!!!」でトラブルを抱えたノートパソコンを背中にしょって
1999年11月27日から12月5日まで東京から宝塚をさすらった激動の記録です。

11月27日(土)

東京に着いたのは夜9時。

東京ではいつも大学時代の友人のマンションに居候させてもらうが、今回はこの部屋に私一人だ。
春に会社を辞めた彼女は、その後お母さんの具合が悪くなり、実家でずっと看病をしている。
勝手知ったる他人の家とはいえ、人の家に一人でいるのは寂しい。
みんなそういう年代になったのだなと、感傷的になる。
子供がいない私にはよく分からないが、独身や離婚して一人の人間には、これから大事なものを失っていくだけの時間が来るのかもしれない。
家族の絆はかけがえのないものだが、失っていくだけでは人間は生きていけない。
家族を越えた人間と人間の関係の構築に、パソコンのネットワークは向いているのではないか。いや、もう役立っているのではないか。

そんなことをぼんやり考えながら、布団をしいて倒れ込む。お風呂にも入らなかった。

 

11月28日(日)

今回の上京のメインイベントは、本日5時半から日比谷のレストランで開かれる。

小学館の編集者として萩尾望都氏らを育て、いわゆる24年組の少女漫画革命を起こしたY氏が定年で退職される。それを送る漫画家主催のパーティーだ。
そのレストランに集まりワイン片手に談笑する人々を見渡した時、背筋に衝撃が走った。
少女漫画の歴史そのものだったのだ。
萩尾先生の開会の御挨拶。「いろんな編集がいますが、Yさんは「編集」らしい「編集」でした。」
それ以外言いようがない、心に残る愛に満ちた言葉だった。

こんなふうに漫画家に送られる編集が、あと2,3人いる。それは少女漫画の世界で、少年漫画、青年誌にも、私は知らないが、「伝説の名編集」といわれ、その名前を語る時、尊敬と愛で作家の口調が変わる編集が何人かいることを知っている。

彼らもこれから順番に現役から退いていく。
彼らの世代に共通しているのは、何も無いところから今の日本の「漫画」を作った「革命家」だったということだ。
彼らがいなくなった時、「漫画」はどうなるのだろう。時代が変化しエンターティメントが変容する中、新しい「革命」を起こす編集は現れるのだろうか。

そんなことを考えながら、ヘトヘトで帰り着き、再び布団に倒れ込む。

 

11月29日(月)

金沢での疲れと移動の疲れを癒すための休養日。

パソコンのモデムカードのことで金沢のサービスセンターに電話する。モデムカードは中に入っており、カードを取り替える時に外から鍵をかける状態になってしまったと教えられる。
「持ってきて下されば、30分で直します。」相変わらず優しいお兄さんだったが、今は東京で修理屋を探さねばならない。PFU(パソコン修理のチェーン店)を教えられ、電話するが、「お預かりして、二週間はかかります。」持ち込んでその場で修理してくれるところは少ないらしい。これはダメかなとちょっと弱気になる。

夕方、家主の友人が用足しに戻ってきて、一緒に近所の焼き肉屋さんで夕食を取る。

その後彼女のパソコンの使い方を教えてもらい、接続する。久しぶりで自分のH.P.を見た。しかし、遅い。3、4年前のパーフォーマってこんなもの?「そうなの。だから私あなたのH.P.1,2回しか行ったことないの」そりゃ当然だ。
BBS「ぶどうの木の下で」まで辿り着くのに10分か15分かかった。久しぶりにBBSに書き込みをした。本体には接続できないので、BBSでいろんなことを書きまくってしまった。それにしても、遅い・・・。

彼女が帰った後、接続を切ろうとしてインターネット・ダイヤラーを誤作動させた。しまった、と再起動をかける。だが再起動せず(再起動ボタンがウチの2400と違っていたらしい)、インターネット・ダイヤラーは切ってもゾンビのように蘇っていくどもいくども電話をかけ続ける。電話代が・・とあせった私は思わずパワーキーを押す。画面は切れたが、電源は入ったままだ。なぜ?人のパソコンは分からない。壊してしまったのか。

まあ、電話は切れたからいいやと自分の2400に戻り、G3は早いなあと使い心地を楽しんでいると、Kのキーがコケた。えっと、つまり角度20度くらい前のめりにめり込んで埋まってしまったのだ。キーボードもガタが来てるのか。それとも私の指はさわるものすべてを壊す「破壊の指」なのだろうか。
心乱れつつ、寝る。

一日グータラしていたのに、心休まらない日だった。

 

11月30日(火)

今日は世界一のクラブチームを決める「トヨタ・カップ」!
カードは「マンチェスター・ユナイテッド(イギリス)×パルメイラス(ブラジル)」

BBSで知り合ったSAさんとSIさんと4時半に新宿伊勢丹の「AGIO」で待ち合わせる(一応プライベートなことは仮名にしました)。
SAさんは「いい女」だった。これがあの「ベッカム〜!」とエキセントリックに叫ぶ人なのか。
SIさんはほっこり笑顔がかわいい。ホントに寝袋しょって女一人でヨーロッパのスタジアムを放浪したのか、この美少女は。
だからオフ会は面白い。

早い夕食を取りながら、サッカーやいろんな話をして、「そろそろ行こう」と店を出て、国立競技場に向かう。千駄ヶ谷の駅を降りたところはスタジアムに向かう人とダフ屋が入り乱れてにぎやかだった。冷やかしに「いくら?」と聞いてみたら、S席二枚で4万円だった。

スタジアムをぐるっと回っている途中、金網越しにVIP入り口に車が着き、日本代表監督トルシエ氏と奥様が降りた。回りからピッピーと口笛と拍手が起こる。彼はちょっと手を振って答えた。
やっと中に入り、席に着く。先に来ていたSAさんのお友だちGIさんが「もっと早く来れば、練習が見られたのに」と言う。ちょっとレストランで話しすぎちゃったね。

7時10分。試合のキック・オフ。
席はゴール裏のわりと前の方。遠近感はないが選手が近い。
前半はマンチェスターが目の前のゴールに向かって攻め込んでくる。向かって左側にいる、おお、あれが噂のベッカムかあ。
両方とも相手の出方をうかがっていたのか、最初はかったるい動き。
20分過ぎに右側を駆け上がってきた選手が目の前で「あ、これはキーパー取れないや」というセンタリングを上げた。まるでスローモーション。キーパーの手は届かず、後ろから詰めた選手がゴールに蹴り入れる。ゴールよりセンタリングの方がスゴかった。ギグスという人気選手だ。

それで時差ボケから目が覚めたのか、マンチェスターの動きが変わった。なんかスゴイや、このチーム。どうだどうだって見せびらかすワケじゃないんだけど、その落ち着き方、一瞬スピードを上げてあっと気が付くとゴール前まで行っているパワー。強い。

パルメイラスはブラジルお得意の個人技と流麗なパス回しでこれでもかこれでもかと攻めるんだが、どうもなんか入らないなあ。きっと最後まで入らないよと思っていたら、ホントに入らなかった。

Jリーグでパルメイラスみたいなチームはけっこうある。パルメイラスの選手が何人もJリーグに来ていたし、日本のサッカーはずいぶんブラジルの影響を受けてるんだと思った。でも、Jリーグでマンチェスターみたいなチームは無い。この落ち着きとパワーはとてもイギリス的だ。日本とイギリスは遠い国なんだなあ。
最後まで時差ボケから醒めなかったのはベッカムだった。目立たなかったし、お得意のフリーキックも枠に飛ばなかった。でも彼がボールを持つたびにスタジアムに歓声が上がり、フラッシュで国立はキラキラ光り輝いたから、ショーアップには立派に貢献してたと思う。

マンチェスターは50%位の力で勝ったらしい。試合が終わっても、記念撮影も、簡単な優勝セレモニーも、だあれも飛び上がったり、抱きついたり、笑ったりしなかった。ビクトリー・ランも、あんたらイヤイヤやってますね、おにいさん。クールだった。勝つためにやって来た。勝った。それだけだった。なんてカッコいいんだろう。なんて強いんだろう。なんて美しいチームだろう。

やっぱりトヨタカップはナマで見るとスゴイ。入手の難しかったチケットを下さったSAさん。本当にありがとうございました。

スタジアムを出た4人は、マンチェスター選手達が泊まっている目黒のホテルへ向かった。
ホテルの前にはマスコミやファンが待っていたが、SAさんとGIさんがホテルに宿泊しているので、私たちは中へ入れてもらえた。
ラウンジで「マンチェスター祝勝会」をして盛り上がった。むちゃくちゃ盛り上がったが(特にSIさんとGIさん)プライベートなのでここには書かない。

帰ろうと玄関へ出た時、まだ数人がそこで選手達の帰還を待っていた。
マンチェスターの選手達はどこで祝勝会をしていたのだろう。そこでは少しは嬉しがったのだろうか。

 

12月1日(水)

3時から新宿「プチモンド」で編集の方と会う。

それから渋谷経由三軒茶屋へ。世田谷パブリックシアターで、NODA MAP「パンドラの鐘」観劇。
まだ時間があったのでそば屋に入る。おお、天とじそばがある!これ、天ぷらそばを玉子でとじたものだが、金沢には無い。そばの本拠は東京で、金沢はうどん文化圏なのだ。

世田谷パブリックシアターの入っているキャロット・タワーは、コンクリートやパイプを使った力の入ったデザイン。すごいなあと思ったが、時間の流れの中でどう位置付けされるのか、十年後に見てみたいと思うビルだ。

「パンドラの鐘」は・・・ストーリーがよく分からなかった。すんません。

 

12月2日(木)

今日は6時半から宝塚花組の公演「タンゴ・アルゼンチーノ」「ザ・レビュー’99」

部屋でヘロヘロ過ごし、ギリギリ有楽町へ向かう。

真矢みきが退団して、愛華みれがトップになってから、私には初めての花組公演だ。
真矢みきってホント面白い役者だった。来たお客様にぜったい良かったって思って帰っていただくぞってサーヴィス精神。それが回りの人たちも動かして、凄い集中力の舞台になった。本人は宝塚という形式に疑問を持たないこともなかったようだが、その限界の中でやるだけのことはやらせていただきますとタンカ切って、お芝居の役というより、「宝塚の男役」という役を全力で演じていた。ああいう人、また出ることはあるんだろうか。

お芝居については、あまり言わない。いつも私は芝居よりレビューの方が、宝塚では好きなのだ。

ドラマでもレビューでも、「踊りの花組」といわれる華麗さに圧倒された。
宝塚名物の男役総黒燕尾服で踊るシーンの見事さ、いや娘役も、とにかくダンスシーンでは、踊ることがこんなに楽しいと、見ているこちらに伝わってくる。この集中力は花組の伝統だろうか。
ああ。楽しかった。この楽しさこそ宝塚だと思う。

 

12月3日(金)

一緒に宝塚へ行き、その日は私と一緒に帰った家主が、とんでもないことを言う。
「シメさん(宝塚の元トップスター紫苑ゆうさん)のリサイタルが明日あるんだけど、チケットが一枚余ってるの」
これが4日のトラブルの始まりだった。

3時半から、新宿「中村屋」で編集の方と会う。

6時に下井草の「村さ来」。いろんな人と会う。
仮名にしようにもちっと多すぎるので、まあ、友人たちと久しぶりに会ってとても楽しい時を過ごしたと思って下さい。

午前2時に「村さ来」を追い出され、下井草では次の場所は見つからないべーと思ったのもあるが、このメンツは朝帰りどころか、昼まで飲んじゃうこともあるので、ここでおとなしく散会して帰ったのは、どうか明日に向けての私の最後の理性が働いたからだと思って下さい。

もう書き飽きたけど、帰ったら布団に倒れ込んで、すぐ寝た。

 

12月4日(土)

今日はBBS「ぶどうの木の下で」のオフ会。
その後、夜7時から兵庫県宝塚の大劇場で「紫苑ゆうリサイタル」。
おまえ、一体どうやって行く気だ。泊まるとこはどうするんだ〜。

起きてすぐ、送る荷物と持ってく荷物の荷作りにかかる。
ずっと役立たずだったパソコンは、もちろん持っていく荷物。
リュックにしょって両肩に負荷を分散した方がラクなんだが、今回は別のリュックを背負ってきたため(衣服とのデザインの関連)、肩に掛けるカバンに入れる。
片方の肩に重いものを背負うと必ず後で体に来る。しかし、しょうがない。

荷物を出して、JRのみどりの窓口で「のぞみ」の時間を調べる。げっ。思ったより本数が無い。仕方ないと3時の便を買う。

そんなことをしているうちに、12時半青山劇場前の集合に遅れてしまった。
ずっと待っていてくれた駱駝さんとさくらっこさんに誘われ、同じく遅れたもえぎさんと向かいの「ポンテヴェッキオ」に向かった。
穴蔵風のイタリアンレストランのテーブルで皆さんが振り向く。うっ、カチンコチン。

指さされた真ん中の席に着く。
「マスター、ご挨拶を」と言われ、「きょ、今日はネットではなくライブでお話ししましょう」ボソボソボソ〜。
それから自己紹介。
ワインを決めて(キャンティの赤)お料理は前菜は一皿目野菜の盛り合わせ、二皿目はお肉の盛り合わせ。生ハムやパテがけっこう香料を使ってあって本格的。
次にパスタ。一皿目はあさり(?)の白いスパゲッティ。二皿目はトマト味のきしめんみたいなパスタ。すごいボリューム。この時点でかなり満腹した。

テーブルは細長くて、私はその真ん中辺りに座っていた。
うにさんやしくしくさんや和音さんとパソコンの話をした。みんなMacだった。ちなみにアンケートを採ってみると、半分Mac、半分PC。駱駝さんは両刀使いだった。テーブルの端に座ったぷうやんさんやもえぎさんとはあまりお話しできなかった。残念です。

そしてメインディッシュは牛肉を焼いたのにルコラ(イタリアの小松菜?)とチーズをのせたもの。ジューシーで焼け具合が絶妙でおいしかった〜。

その時さくらっこさんが「森川さん、時間!」と叫び、私は現実に引き戻され、3時の新幹線に乗って大阪へ向かう予定を思い出した。

ああ、なんてバカな予定を入れたんだろう。ドルチェがまだ出ていないのに。

じゃなくて、ぜんぜん話し足りなかった。もっとここにいて、いろんな人と話したかった。しかしグズグズしていれば大阪へ行けなくなる。

その時駱駝さんが「飛行機」と言った。そうだ、新幹線から阪急で宝塚へ行くより、伊丹からタクシーの方が早い。
NoviceさんがカバンからANAの時刻表を取り出した。さくらっこさんが携帯を取り出した。駱駝さんが何も見ずにJALの電話番号を言った。「地下ではかからない!」二人で急な階段を上ったり降りたりした。結局、お店の電話でANAの5時30分の便を予約して、3時半までということで、テーブルに戻った。
頼んで私だけ先に出してもらったドルチェは、もうとけてシャーベットがジュースになっていた。
でも楽しいお話は続きました。

そして、時間が来て、みんなレストランを出て「またオフ会やろうね」「京都がいいな〜」「金沢オフ会の話あるんだけど・・」(これ私)と口々に語りつつ、別れ別れに散っていきました。

出席者のみなさま。どうかバカなスケジュールを入れた私をお許し下さい。本当に私はドジで無責任でしょーがない人間です。二度とこんなことはやらないよう反省します。

3時半にお店を出た私たちは地下鉄駅に向かい、Noviceさんに送られ、和音さんに案内され、私は羽田に着き、伊丹に向かった。
ヒコーキは30分近く遅れた。5時半発、6時半着だったのが、6時発、6時40分着になった。
幸いタクシー乗り場は空いていて、乗り込んで「お願いします。公演は7時なんです!」と叫ぶと、オジサンは高速を通って飛ばしてくれて、宝塚大劇場前に着いたのが7時5分。駆け込むとシメさんが開幕の御挨拶をしているところ。間に合った。
タクシーのオジサンは最初私を時間に遅れた宝塚の生徒さんだと思って、「そりゃ大変だ」って飛ばして、次に客だと分かってもブンブン飛ばしてくれて、あの地域の人たちの宝塚を家族みたいに思う暖かい気持ちを感じて嬉しかったです。ありがとうございました、おじさん。

紫苑ゆうさんのリサイタルについてはこちら

で、リサイタルが終わった後、友人とシメさんの出待ちして、「ホテル無いの」って言うと、その友人の友人が、私と同じホテルに泊まりなさいよって携帯かけてくれて、梅田のホテルまで案内してくれて(夜の梅田はダンボーラーが多くて怖かった)、12時過ぎそのホテルにチェックインした。

お風呂に入るエネルギーは、どこを探しても見つからなかった。

 

12月5日(日)

疲労と筋肉痛で起きたのが11時過ぎ。

案内してくれた宝塚ファンの方と、梅田駅(これは阪急で、JRだと大阪駅。金沢と東京しか知らないものには、この私鉄と国鉄の熾烈な争いは理解しがたい)で遅い朝食、もしくは昼食を食べながら、いろんなお話しした。初対面の人なのに、宝塚ファンてことだけでいろいろお話しできる。すごいです。

この後名古屋から多治見に友人を訪ねる予定があったんですが、筋肉痛と精神的疲労があまりに激しいので、諦めて金沢へ帰ることにする。
「スーパー雷鳥」に乗って2時間半で金沢へ。その2時間半、長かった。
帰ったら・・ああ、もう本当に書き飽きた。布団に倒れ込んで寝た。

 


こうして激動の東京滞在は終わったのですが、ちょっとフォロー。
友人のパソコンは無事でした。
Kのキーは翌日チッチッと触っていると、また角度0度に戻りました。そのまま使ってます。
東京では修理できず、金沢帰ってサービスセンターに持ち込んだウチの2400は、すべて回復しました。CANONのお兄さんには良くしていただき、最後までお世話になりました。ありがとうございます。

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