11月27日(土) |
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東京に着いたのは夜9時。 東京ではいつも大学時代の友人のマンションに居候させてもらうが、今回はこの部屋に私一人だ。 そんなことをぼんやり考えながら、布団をしいて倒れ込む。お風呂にも入らなかった。
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11月28日(日) |
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今回の上京のメインイベントは、本日5時半から日比谷のレストランで開かれる。 小学館の編集者として萩尾望都氏らを育て、いわゆる24年組の少女漫画革命を起こしたY氏が定年で退職される。それを送る漫画家主催のパーティーだ。 こんなふうに漫画家に送られる編集が、あと2,3人いる。それは少女漫画の世界で、少年漫画、青年誌にも、私は知らないが、「伝説の名編集」といわれ、その名前を語る時、尊敬と愛で作家の口調が変わる編集が何人かいることを知っている。 彼らもこれから順番に現役から退いていく。 そんなことを考えながら、ヘトヘトで帰り着き、再び布団に倒れ込む。
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11月29日(月) |
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金沢での疲れと移動の疲れを癒すための休養日。 パソコンのモデムカードのことで金沢のサービスセンターに電話する。モデムカードは中に入っており、カードを取り替える時に外から鍵をかける状態になってしまったと教えられる。 夕方、家主の友人が用足しに戻ってきて、一緒に近所の焼き肉屋さんで夕食を取る。 その後彼女のパソコンの使い方を教えてもらい、接続する。久しぶりで自分のH.P.を見た。しかし、遅い。3、4年前のパーフォーマってこんなもの?「そうなの。だから私あなたのH.P.1,2回しか行ったことないの」そりゃ当然だ。 彼女が帰った後、接続を切ろうとしてインターネット・ダイヤラーを誤作動させた。しまった、と再起動をかける。だが再起動せず(再起動ボタンがウチの2400と違っていたらしい)、インターネット・ダイヤラーは切ってもゾンビのように蘇っていくどもいくども電話をかけ続ける。電話代が・・とあせった私は思わずパワーキーを押す。画面は切れたが、電源は入ったままだ。なぜ?人のパソコンは分からない。壊してしまったのか。 まあ、電話は切れたからいいやと自分の2400に戻り、G3は早いなあと使い心地を楽しんでいると、Kのキーがコケた。えっと、つまり角度20度くらい前のめりにめり込んで埋まってしまったのだ。キーボードもガタが来てるのか。それとも私の指はさわるものすべてを壊す「破壊の指」なのだろうか。 一日グータラしていたのに、心休まらない日だった。
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11月30日(火) |
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今日は世界一のクラブチームを決める「トヨタ・カップ」! BBSで知り合ったSAさんとSIさんと4時半に新宿伊勢丹の「AGIO」で待ち合わせる(一応プライベートなことは仮名にしました)。 早い夕食を取りながら、サッカーやいろんな話をして、「そろそろ行こう」と店を出て、国立競技場に向かう。千駄ヶ谷の駅を降りたところはスタジアムに向かう人とダフ屋が入り乱れてにぎやかだった。冷やかしに「いくら?」と聞いてみたら、S席二枚で4万円だった。 スタジアムをぐるっと回っている途中、金網越しにVIP入り口に車が着き、日本代表監督トルシエ氏と奥様が降りた。回りからピッピーと口笛と拍手が起こる。彼はちょっと手を振って答えた。 7時10分。試合のキック・オフ。 それで時差ボケから目が覚めたのか、マンチェスターの動きが変わった。なんかスゴイや、このチーム。どうだどうだって見せびらかすワケじゃないんだけど、その落ち着き方、一瞬スピードを上げてあっと気が付くとゴール前まで行っているパワー。強い。 パルメイラスはブラジルお得意の個人技と流麗なパス回しでこれでもかこれでもかと攻めるんだが、どうもなんか入らないなあ。きっと最後まで入らないよと思っていたら、ホントに入らなかった。 Jリーグでパルメイラスみたいなチームはけっこうある。パルメイラスの選手が何人もJリーグに来ていたし、日本のサッカーはずいぶんブラジルの影響を受けてるんだと思った。でも、Jリーグでマンチェスターみたいなチームは無い。この落ち着きとパワーはとてもイギリス的だ。日本とイギリスは遠い国なんだなあ。 マンチェスターは50%位の力で勝ったらしい。試合が終わっても、記念撮影も、簡単な優勝セレモニーも、だあれも飛び上がったり、抱きついたり、笑ったりしなかった。ビクトリー・ランも、あんたらイヤイヤやってますね、おにいさん。クールだった。勝つためにやって来た。勝った。それだけだった。なんてカッコいいんだろう。なんて強いんだろう。なんて美しいチームだろう。 やっぱりトヨタカップはナマで見るとスゴイ。入手の難しかったチケットを下さったSAさん。本当にありがとうございました。 スタジアムを出た4人は、マンチェスター選手達が泊まっている目黒のホテルへ向かった。 帰ろうと玄関へ出た時、まだ数人がそこで選手達の帰還を待っていた。
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12月1日(水) |
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3時から新宿「プチモンド」で編集の方と会う。 それから渋谷経由三軒茶屋へ。世田谷パブリックシアターで、NODA
MAP「パンドラの鐘」観劇。 世田谷パブリックシアターの入っているキャロット・タワーは、コンクリートやパイプを使った力の入ったデザイン。すごいなあと思ったが、時間の流れの中でどう位置付けされるのか、十年後に見てみたいと思うビルだ。 「パンドラの鐘」は・・・ストーリーがよく分からなかった。すんません。
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12月2日(木) |
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今日は6時半から宝塚花組の公演「タンゴ・アルゼンチーノ」と「ザ・レビュー’99」。 部屋でヘロヘロ過ごし、ギリギリ有楽町へ向かう。 真矢みきが退団して、愛華みれがトップになってから、私には初めての花組公演だ。 お芝居については、あまり言わない。いつも私は芝居よりレビューの方が、宝塚では好きなのだ。 ドラマでもレビューでも、「踊りの花組」といわれる華麗さに圧倒された。
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12月3日(金) |
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一緒に宝塚へ行き、その日は私と一緒に帰った家主が、とんでもないことを言う。 3時半から、新宿「中村屋」で編集の方と会う。 6時に下井草の「村さ来」。いろんな人と会う。 午前2時に「村さ来」を追い出され、下井草では次の場所は見つからないべーと思ったのもあるが、このメンツは朝帰りどころか、昼まで飲んじゃうこともあるので、ここでおとなしく散会して帰ったのは、どうか明日に向けての私の最後の理性が働いたからだと思って下さい。 もう書き飽きたけど、帰ったら布団に倒れ込んで、すぐ寝た。
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12月4日(土) |
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今日はBBS「ぶどうの木の下で」のオフ会。 起きてすぐ、送る荷物と持ってく荷物の荷作りにかかる。 荷物を出して、JRのみどりの窓口で「のぞみ」の時間を調べる。げっ。思ったより本数が無い。仕方ないと3時の便を買う。 そんなことをしているうちに、12時半青山劇場前の集合に遅れてしまった。 指さされた真ん中の席に着く。 テーブルは細長くて、私はその真ん中辺りに座っていた。 そしてメインディッシュは牛肉を焼いたのにルコラ(イタリアの小松菜?)とチーズをのせたもの。ジューシーで焼け具合が絶妙でおいしかった〜。 その時さくらっこさんが「森川さん、時間!」と叫び、私は現実に引き戻され、3時の新幹線に乗って大阪へ向かう予定を思い出した。 ああ、なんてバカな予定を入れたんだろう。ドルチェがまだ出ていないのに。 じゃなくて、ぜんぜん話し足りなかった。もっとここにいて、いろんな人と話したかった。しかしグズグズしていれば大阪へ行けなくなる。 その時駱駝さんが「飛行機」と言った。そうだ、新幹線から阪急で宝塚へ行くより、伊丹からタクシーの方が早い。 そして、時間が来て、みんなレストランを出て「またオフ会やろうね」「京都がいいな〜」「金沢オフ会の話あるんだけど・・」(これ私)と口々に語りつつ、別れ別れに散っていきました。 出席者のみなさま。どうかバカなスケジュールを入れた私をお許し下さい。本当に私はドジで無責任でしょーがない人間です。二度とこんなことはやらないよう反省します。 3時半にお店を出た私たちは地下鉄駅に向かい、Noviceさんに送られ、和音さんに案内され、私は羽田に着き、伊丹に向かった。 で、リサイタルが終わった後、友人とシメさんの出待ちして、「ホテル無いの」って言うと、その友人の友人が、私と同じホテルに泊まりなさいよって携帯かけてくれて、梅田のホテルまで案内してくれて(夜の梅田はダンボーラーが多くて怖かった)、12時過ぎそのホテルにチェックインした。 お風呂に入るエネルギーは、どこを探しても見つからなかった。
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12月5日(日) |
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疲労と筋肉痛で起きたのが11時過ぎ。 案内してくれた宝塚ファンの方と、梅田駅(これは阪急で、JRだと大阪駅。金沢と東京しか知らないものには、この私鉄と国鉄の熾烈な争いは理解しがたい)で遅い朝食、もしくは昼食を食べながら、いろんなお話しした。初対面の人なのに、宝塚ファンてことだけでいろいろお話しできる。すごいです。 この後名古屋から多治見に友人を訪ねる予定があったんですが、筋肉痛と精神的疲労があまりに激しいので、諦めて金沢へ帰ることにする。
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こうして激動の東京滞在は終わったのですが、ちょっとフォロー。
友人のパソコンは無事でした。
Kのキーは翌日チッチッと触っていると、また角度0度に戻りました。そのまま使ってます。
東京では修理できず、金沢帰ってサービスセンターに持ち込んだウチの2400は、すべて回復しました。CANONのお兄さんには良くしていただき、最後までお世話になりました。ありがとうございます。