2008年3月のトンテンカン劇場

2008/5/30(金)『温泉でお守りGET!』

4月に仕事が終わってから、誘われて近所の山代温泉に一泊で行ってきました。
お湯は胃腸病や神経痛や美肌にけっこう効いたような気がするし、ここで一、二週間湯治すればもっと体調が良くなるだろうに…と後ろ髪を引かれつつ帰ってきました。

この山代温泉にはあの「食の巨人」”北大路魯山人の別荘”がありました。
とてもステキな、昔の木造日本家屋です。

魯山人の別荘の入場券です(入場料 大人500円)。
お守りにして、料理本のしおりに使っています(笑)。

大正4年。
まだ魯山人が「福田大観」と名のって、書と篆刻をやりながら日本中をうろうろしていたころ、金沢の商家の食客(いそうろう)になって、そこのお坊っちゃんの細野燕台に誘われて山代温泉へ行き、山代のだんな衆の吉野治郎に「うちの家作だから、好きなだけ住んでいいよ」って別荘を与えられて、そこで温泉宿の看板をコツコツ彫っているうちに、その町で「窯」をやっていた須田青華に陶芸を教えられて才能を開花させて、だんな衆たちと一緒に近くの橋立の港(ここで揚がった魚は高い値が付くという、今も昔もブランド漁港)へ行って魚を仕入れたり、金沢の料亭「山の尾」で料理法を習ったりしているうちに食器と美食の大家となり、数年後に東京で「星岡茶寮」を開き、そこで使う食器を山代の窯で焼いたりして、晩年までよく山代を訪ねていたそうです。

私は魯山人には詳しくないんですが、彼の才能をだんな衆たちがよってたかって伸ばそうとしたネットワークには「これこそ日本のパトロネージだ!」ってなんだか感動してしまいました。

茶と画と書と陶芸と料理は、どれも切り離せない「総合芸術」です。
結界を結んだ庭を通って、茶室という「世間」から切り離された空間に入り、そこで床の間の掛け軸や花器を味わい、お茶を飲んで世間話をしながら、山や海から集められた旬のものを懐石料理として味わう。
たぶん鳥の声や風の音や窓の外の雪や季節の花がその空間を飾り、興にのった誰かが謡曲をうたいだしたりして、みんなが合唱したかもしれません。

この3月に金沢の美術館で「安宅コレクション」の展示がありまして、朝鮮や中国の青磁や白磁がこんなに美しいとは〜!とびっくりしたのですが、このコレクションは「安宅産業」という商社のオーナーが集めた美術品を、1977年に会社が倒産したときに銀行が引き取って、大阪市に譲ることで大阪市立東洋陶磁美術館が作られて、今はそこの収蔵品なのですが、じつはこの「安宅産業」という商社は金沢の近くの海産物問屋の人が明治時代に大阪で作った商社で、その二代目が道楽者で陶磁器コレクションは集めるは、クラシック好きで音楽家を援助するは(今でも安宅賞というのが芸大か桐朋にあるはず…)で、それが身代をつぶすまでに至った経緯はかつてNHKで「ザ・商社」(先代片岡仁左右衛門、山崎努、佐藤慶、夏目雅子etc.)というドラマになったんですが(今なら「ハゲタカ」の「サンデートイズ」?)、金沢の商人の二代目は必ず女か道楽で身上を潰す…と言われていて、ああ、ホントだ…(笑)。

この安宅英一という二代目は、欲しいと狙いを定めると、総合商社の情報網を総動員して(戦時中は中国から半島まで、そのあとはアジアからヨーロッパまで、外務省より緻密)、手に入れるためにあらゆる手練手管を尽くして、「売らない」と断った人にはその息子を入社させて恩を売ったりして、クモの巣のように罠を張ってじいっと待って、数十年後に狙っていた獲物をGet〜!したりしたそうです。
妄執というか、執着心というか、コレクションとか骨董とかに興味がない私にはまったく理解できない世界なのですが(だって、ねえ、レンブラントの絵を誰かにもらっても、うちの6畳間にどう飾る?)、それで集められたこのコレクションは確かに美しさの格が違って、なに一つ欠けるところがないパーフェクトな美の世界でした。
目利きだけじゃダメ、お金だけでもダメ、コレクションに一番大事なのは欲しいと思った目標に向かって毎日心と技を鍛え続ける「アスリートの精神」なのかもしれません。

そ〜ゆ〜だんな衆が今はど〜していなくなっちゃったんだろう…?と不思議です。

松尾芭蕉だって江戸時代にそういうだんな衆たちがいたから「奥の細道」を旅行することができたわけだし、戦前にはそういう人たちが、アタマがいいのに貧しくて上の学校へ行けない子どもたちを援助して帝大へ行かせて学者や役人にして、国の未来に貢献するシステムがあったのに(帝大へやった若者を娘と結婚させて、養子にするというパタ〜ンも多くて、それで恋人と引き離されて泣いた人も多かったようですが…^^;)、昨今の地方都市ときたら「おねげ〜でございますだ〜、お代官さま」精神を発揮するばかりで(道路はもういらないよ、この辺は。支援団体が建設組合なので、知事が必死に働いているだけ)、戦前まであった世間のことは自分の目で見て自分で決めるってだんな衆たちの心意気はいったいどこへ行っちゃったんだろう?
戦後のアメリカ軍による農地改革で、昔からの庄屋とか大地主がいなくなっちゃったのがいけなかったのかなあ…。
今、郊外型大規模店舗のせいで、地方都市の商店街はシャッター化していて、昔からのだんな衆はますます減って、今の地方都市にはTVとパチンコ屋しか無くなっちゃいました(涙)。