20076月の トンテンカン劇場

2007/6/24(日)最近あやめとかきつばたの違いを知りました

 

こんにちは。
「青空」評論家の森川久美です(笑)。

日本海側と太平洋側の日光は違うし、ちょっと行っただけの九州では、日光以前に、それを浴びて活動する葉緑素のパワーにドッカ〜ンと圧倒されて(緑の濃さが違う!)、これもちょっと行っただけの北海道では、その透明な光のなかに浮かび上がるフォルムの鮮やかさに、湿気が少ないとものがくっきり見えるなあ…と感動しました。

雨の北海道→曇りの東京→晴天の金沢と飛行機で移動するにつれて、湿気が上がっていったときは、天気と湿気は関係ないんだなあ…と知りましたが、イギリスでは「一日のうちに四季がある」と言われて(晴れたり、曇ったり、雨が降ったり)、傘は必携品ですが、みんなそれをくるくる巻いて滅多に開かない理由は、雨が降っても湿気は少なくて、濡れてもすぐに乾くからだと知りました。
イギリスの空はターナーの絵みたいにいろんな透明なブルーにいつも白い雲がうずをまいて走っていて、ず〜っと見てても飽きることはなかったなあ…。大自然のパレット。

ただでさえ晴天の少ない金沢でも、今年の春の空がいつもなんとなく茶色にくすんでいて、くっきり晴れた日の記憶が無いのは、やっぱり黄砂のせいだろうか…?
部屋やら布団やら衣類やらみんなザ〜ラザラになっちゃって、窓ガラスも外が見えなくなるくらい汚れちゃって、ふき掃除しないといけなくて、ホント〜に大変。でも商店のガラス窓や自動車の掃除はもっと大変だったでしょうね。

日本海がエチゼンクラゲだらけになったのも、これから日本が春の青空を失うかもしれないのも、左上のあの巨大国がのたうち回るせい…?と思うと、なんとも憂鬱な気分ですが、「中国」というと昨今テレビに映るのは上海の高層ビル群ばかりですが、衛星で関口くんの「中国鉄道旅行」を見てると、やっぱり中国っていいなあ…って思う。
地平線に終わりがないせいか、山も平野もダイナミックでゆったりしていて、人が土と水の中で暮らしていて、通りすがりの観光客のノスタルジーかもしれないけど、日本が失ったものがここにある。懐かしくて、ホッとして、変わらないでほしい…と願ったものです。もう何十年も前の中国旅行のハナシ。

あの頃はホテルの朝食で出る目玉焼きがまっ黄色でプクッと盛り上がっていて、ニワトリはみ〜んな原っぱで放し飼いで(ブロイラーという知識が無かったらしい)、サンライズ・エッグってこういうのをいうのか…って感動したものです。
それがいつの間にか「中国製」というと薬品漬けの農産品の代名詞になっちゃうんだから、時代の移り変わりの早さにはめまいがしそうです。

最初にトルコに行ったときも(1983年?)、ほこりをかぶった悠久の町にのんびり時間が流れていて、10年ほどしてまたイスタンブールに行ったら、経済発展を目指して町中工事してて、EC加入を目指す発展途上国になっていて、なんだかケンケンしていて、前の方がよかったなあ…。と友人にいったら、明治時代にラフカディオ・ハーンが来て日本に惚れ込んで、そのあとダメになった、ダメになった〜と嘆き続けたのも、同じ理由だったのかもしれないね。と言われて、仰せのとおり〜と納得しました。
後進国が発展途上国になるときはみんな同じ過程を辿るのかもしれないね。

それにしても中国はどうしてあんなに急ぐんだろう…?
経済的に豊かになることと幸せになることはイコールではないと、日本を見てれば分かるだろうに。じっさい地方と都市の格差があんなに騒乱を起こしているのに…。
発展途上国ってみんな経済的繁栄ばかりめざして、幸せを見失っていくような気がする(含:日本)。たしかに腹がへってればお金が必要ですが、それでますます腹がへる人が増える成長って、どこかおかしいと思うんだけどなあ…。

「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」を見ました。
1、2のオトシマエをすべてつけました…というてんこ盛りの映画でした(笑)。
でも予定調和の3よりは、タコブツに始まってクラーケンの胃袋で終わる不条理な2が、私は一番好きみたいです。
オーリーの物語はこれはこれでとてもロマンチックな物語なのですが、カリブ海の法則が「不条理」だとしたら、その「ナゾ」を一身に背負ってほしいのは、やっぱりキャプテン・スパロウなのです…。

海賊は好きだし、解らなかった謎があまりに多くて、オーリーはなぜタコにならなかったのか?とか、そもそも「1」でバルボッサ船長以下「ブラックパ−ル号」の乗組員がなぜオーリーの血で呪いを解かれるのかも、私は分かっていない…。
時間があれば映画館へ行って、DVDでも繰り返し何度でも見たいと思っています。