20068月の トンテンカン劇場

2006/8/29(火)『海賊映画を見て音楽について考えた(長いぞ)

地球ができて45億年、生命が海の中に発生して30億年、生命が地上に上がって3億年、人類がアフリカ大陸から歩き出して百万年。この世界に理性の光をもたらし、宗教を生み出し、音楽を生み出し、いくつもの文化圏が衝突しては、盛衰をくり返し…、つまり世界史の表舞台になったのは、いつも地中海だった。…といっていいと思う。
それが1492年、ジェノバの船乗りコロンブスがスペインの港から船出して、アメリカ大陸を発見して以来(発見される前からあったし、カリブ海の島をインドと間違えるなんて、失敬千万!)、大西洋に移った。

それに比べると、太平洋というのはなんと平和な海だったことだろう。
青い海原を行き交うのは、島から島へ漂流したり、ちょっと隣りへ移動する人ばかりで、世界史の巨大な裏庭として、流血も抗争も裏切りも略奪も知らず、ゆったりと眠るように穏やかにひねもすのたりうねり続けていた。
19世紀の終わりにアメリカの軍艦がやってきて、アジアのはしっこの国々に開港を迫るまでは…(笑)。

遠い東のはしっこで国内だけで内乱や政権交代を繰り返していた小さな島国の人間には、この五百年ばかりのあいだに、地球の裏側の大西洋を船に乗って行き交っていたのはみんな「犯罪者」に思えるし、いくつもの国や民族がぶつかり合う文化沖積度の高い地域で、常に移動と戦争を繰り返していれば、人間、こんな非道いことまでやれるんだなあ…、と時間的、空間的に遠くから眺めて、ただただ溜め息をつくだけだ。

コロンブスに続けとばかりに、コルテスやピサロなどのスペインの「コンキスタドール」(征服者)たちが押し寄せた南米大陸では、マヤやアステカ、インカ文明を破壊しただけでなく、人口が激減したそうだし(虐殺だけでなく、ヨーロッパ大陸の病原菌が持ち込まれ、伝染病で死んだ人も多かったそうです)、北アメリカでは英国やフランスやオランダがインディアン(ネイティブ・アメリカン)の土地を奪って、植民地を広げて、いつか自分たちの国にしてしまった。

そしてそれらの国には労働力としてアフリカ大陸から多くの人々が送り込まれました。
奴隷輸送船が大西洋を行き来して、ヨーロッパ中の国がその「貿易」で利益を得ていたとすれば、アメリカだけが背負う罪ではないと思うが、最盛期にはアフリカ大陸の労働人口の四分の一が奴隷としてアメリカに連れ去られたという。

故国で犯罪を犯してカリブ海に逃げて、海賊として生計を立てる人も多かったろうが、海賊たちが襲った船に積まれていたのが、スペインや英国が植民地で得た金銀財宝や農産品・香料であれば、人の国に乗り込んで、その金山や銀山や農地を自分のものにして、そこに暮らしていた人たちやアフリカから連行した人たちを奴隷として働かせて、その利益をヨーロッパに持ち帰ろうとした軍人や役人たちも「犯罪者」にほかならず(収奪される側の人間から見れば)、けっきょく当時の大西洋は「力」が支配する、仁義なき「犯罪者たちの海」でした。

私は昔からラテン音楽が好きで、といっても昔は今と違ってレコード屋さんにカリビアン音楽や南米音楽なんてコーナーは無くて、戦前から戦後にかけての歌謡曲や演歌などに西洋音楽として入っていたラテン音楽の要素にこころ引かれて(「情熱のボレロ」とか「ウナ・セラディ東京」とか、酒場で歌う歌にはやたらスペイン語が多かった^^;)、それから世界が狭くなり、日本が豊かになるにつれて、西洋経由でなく現地からのオリジナル音源が手に入るようになって、以来、南米やカリブ海の島のアーチストの音楽、つまりサンバ、ルンバ、マンボ、レゲエ、サルサなどを聴くようになりました。

「ルンバ」というのはラテンリズムに多くみられる、八分の六拍子のダンスリズム(クラーヴェという独特のリズムらしいが、リズム感の悪い日本人にはとてもムツカシイ…)ですが、アフリカから連行される人々が足に鉄の球をくくりつけられて、狭い船内で踊ったところから生まれた音楽だそうです。二人向かいあって足を右、左と伸ばして踊るこのダンスは、伸ばした足を戻すときの動作がスローで、注意して見てると、その先に鉄の球が付いているのが見える。

トリニダード・トバゴ名物のスチールドラムは、金属製のドラムのいろんな部分を叩いて奏でる打楽器のオーケストラですが、港で働く労働者たちが楽器を買えないからと、倉庫の脇に打ち捨てられたトマトやスープのドラム缶をくり抜いて、それを楽器にして叩いたところから生まれたそうです。故郷にいたときは、たぶん動物の皮を張って太鼓にして叩いていたんでしょう。もし日本人がアメリカに拉致されて奴隷として働かされたら(ペリー来航のときに、日本の状況と対応が違っていたら、ひょっとして…?)、こんなに音楽にこだわるだろうか?と思うと、生きていくために必要な文化装置はそれぞれに違うんでしょうね。

南米のパラグアイ・ハープを弾く上松美香さんというアーチストがおられますが、以前その演奏をTVで拝見したとき、若くて美しいとてもチャーミングな女性がハープに手をかけ、南米民謡の演奏を開始したとたん、「え、なんでバロック・ハープが、パラグアイにあるの?」ってびっくりしたんですが、考えてみれば当然でした。バロック・ハープが全盛だった17、8世紀に船で大西洋を渡った船乗りたちが、長い船旅の慰めにギターやハープを持ち込んで、それが南米大陸に渡って、その土地の音楽を吸収しながら、その土地の音楽を奏でるようになったのです。
「コンドルは飛んでいく」などで有名な南米民謡ですが、南米大陸には笛と打楽器はあったが、弦楽器はなかったそうで、ハープやギターはヨーロッパから持ち込まれたそうです。

中世、バロック・ハープの第一人者、アンドリュー・ローレンス・キングの「ルス・イ・ノルテ」はその頃の大西洋を行き交う音楽を集めた名盤ですが、人は音楽を連れて海を渡り、海を渡った音楽はその地で他の音楽と出会って、新しい音楽を作る、ということを教えてくれます。

文化と文化が衝突したところに、新しい文化は生まれる。というのは世界史の「活性化の法則」ですが、衝突はいつも光と影を生み出して、その果実を味わえるのは、光のがわに立った人間だけかもしれません。

北米大陸のメキシコ湾に面した港町、ニューオーリンズにも、アフリカから大勢の人が連行されて、南部の綿畑で働かされました(「風と共に去りぬ」の世界ですね^^;)。
綿畑で働いている人たちは、労働のつらさと故郷への思いをアフリカのリズムに乗せて歌いながら、西洋館から流れてくるワルツやポルカを取り入れて、そこからブルースとニューオーリンズ・ジャズが生まれました。

ニューオーリンズの河口から発するミシシッピ川を行き交う船に乗って、その音楽は上流へと広がり(映画「ショウ・ボート」の世界です^^;)、ミシシッピ沿岸の都市メンフィスに生まれて、小さいときからそれを聞いて育ったエルビス・プレスリーがそれを歌って商業路線に乗せたところから、ロックンロールが誕生し、やがて世界はロックンロールの前にひれ伏しました。

私は「好きな音楽は?」と聞かれると、なんの躊躇もなく「ロック」と答える世代ですが、昔からロックにある種の違和感を感じていて、ジャズやブルースを聴くようになって以来、なぜレッド・ツェッペリンとクリームとサンタナが好きだったのか、理由が分かった。ブルースとラテン(笑)。

西洋人が黒人音楽に影響を受けて、それを演奏することで音楽の新しい地平を切り開いたことは評価しつつも、その過程でアフリカの風や大地の鼓動が抜け落ちて、どこか「神経質」な音楽になったような気がすることに違和感を感じているのかもしれないし、あるいは「世界を変えよう」とか「戦争は止めよう」とかうたう「反体制」のミュージシャンが、近代産業資本主義の「音楽産業」で一番お金を稼いでいるアーチストで、その近代産業資本主義の暴力で迫害を受けている人たちが、失われた故郷を思って奏でるブルースやルンバやサンバが、一部の地域音楽として「特殊」扱いされていることに、違和感を感じているのかもしれません。
まあ、なにより、故郷を失った人々が、音楽の中に「故郷」を求めて奏でる音楽の持つ「おおらかさ」と「哀しさ」が、「商品」のなかにはあまり無いというだけのことかもかもしれませんが。

たとえばブラジル音楽では「サウダージ」とかいわれる、ものです。
これは「哀しみ」とか「憧れ」とか訳されますが、どうも私自身が故国から遠く離れ、違う言語を使うことを強要され、違う文化圏のなかで適応を強要されたことがないもので、あまり実際的に感じることができないのですが、そんな私が「サンバ」を聞いてなぜこれほどまでに心動かされるかというと、どんな人も持っている「ひとりぼっち感」とか寂しさの心象風景を、この音楽が揺さぶるからかもしれません。

最近、キューバのカストロ議長の病状が話題になったとき、フロリダ半島には共産主義から逃れて、アメリカに亡命した多くの人々が暮らしていて、その一人が「どうかキューバに自由を!あの国には何にも無いの」と泣きながら訴えているのをテレビで見て、そう、あの国にはなんにも無い。と、「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」でヴィム・ヴェンダースが撮った、青のきつい銀色に焼けた画面の中のハバナの町を思い出しました。

キューバもカリブ海の島として、西欧列強の支配下に置かれ、アフリカから連れてこられた労働者がサトウキビ畑やタバコ畑で働かされました。
1959年のキューバ革命でアメリカ資本が追い出されてから、キューバには産業が無くなり、観光客も来なくなり、カフェやクラブが潰れて、あの映画に出ていた多くのミュージシャンたちはみんな仕事を失って、葉巻工場で働いたりして苦労したそうです。塗装が剥げ落ちたスペイン風の建物の街で彼らが奏でる音楽は、数十年前からなにひとつ変わらない、冷凍保存されたキューバ音楽で、それがプロデューサーのライ・クーダーに衝撃を与え、その映画が公開されると、世界中に感動を与えました。

ヴィム・ヴェンダース監督はこの映画の最後に、ほこりっぽいハバナの町の向こうにニューヨークの摩天楼を対置して、「いい街だね〜」とミュージシャンたちが楽しそうに会話を交わし、ウィンドウに並ぶケネディ人形を見ながら「だれ、これ?」と無邪気に騒ぐシーンを置きました。

たしかに彼らは観光客が来なくなったことで仕事を失ったが、カストロとゲバラが革命を起こしてキューバからアメリカを追い出すまでは、海辺の高層ホテルを占有して、この島をわがもの顔で支配していたのは、アメリカ資本と観光客でした。
ヴィム・ヴェンダースの問いに、だれが答えられるだろう…。

アングロサクソンに征服された北米大陸と違って、カリブ海の島々と南米大陸は地元のインディオと、大陸から来たヨーロッパ人と、連行されたアフリカンが入り混じって、複雑で特殊な文化圏を作っているようです。

ディップのスパロウ船長の役作りには、このカリブ海の歴史的背景と、今のカリブ海に生きる人々の陰影が、影を落としているような気がします。

アフリカンかアラブかインディオか分からないが(映画を見るとインドやチャイナまでありそうだが)、ディップはスパロウ船長を混血として演じているような気がします。彼はヨーロッパからカリブ海にやって来たことで道に迷ったのではなく、生まれながらに迷っているものとしてこのカリブ海に生まれて、この海を彷徨っているような気がします。

そしてオーリーは「靴ひものビル」という道を失ったものの息子としてこの海に生まれ、エリザベスは英国提督の令嬢でありながら、愛する人のために、守られた場所を捨てて、彼らの仲間に加わろうとしている。

今頃クラーケンの胃袋で戦っているスパロウ船長を、「愛」と「自由」は来年の四月に救えるのだろうか…?
楽しみです。

ディップの映画に駄作がないのはなぜだろう?と、友人たちと話すのですが、本当に彼が出演した映画を見て「損した」と思ったことがない。「ブレイブ」みたいに、よくこんな映画、撮るな〜と呆れるものでも、感動して、見てよかったと思う。
脚本と監督の選び方が上手いのか、それとも彼の存在感が影響を与えて、映画を変質させるのか。

ディズニーのアトラクションとこの映画をまったく違うものにしているのが、彼の存在感だとしたら、ほんとうに凄い役者です。

ちょっと地中海風のタコの食べ方。
薄切りにしたタコを(生でも茹でても)皿に並べて、軽く塩・こしょうをして、にんにくのみじん切りとオリーブ油をかけて、ちくっとレモンをしぼって食べる。タコはにんにくにもオリーブ油にも良く合います。

2006/8/16(水)『タコブツを肴にラム酒を一杯

やりたくなる映画です。
はい。もちろん 「パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」です。

本当は3年前の夏に「マトリクス リローデッド」の公開を楽しみにして、見たあと、ルーカスが20年かけて走った道を4年で駆け抜けるのか、いさぎよし、ウォシャウスキー兄弟!と感動して(笑)、その夏は「パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン」に夢中になった記憶があるので、また同じことが繰り返されるのではないかと、映画館に行くまで心配していました。

すごい!
こうきましたか…!
勝因はやっぱり脚本でしょう。第一作とはまったく違う世界で、キャラクターを動かしています。オーランドとキーラ・ナイトレイの恋人同士に脇役としてスパロウ船長がからむ前作に比べて、今回は最初から三人の話になっています。「3」という数字はいろいろなことができるんですよ。「2」だと1対1になって、感情の受け渡しが直線コースに限られるんですが、「3」だとあっちかと思うとじつはこっちというふうにパスコースが二つできて、「11」だともっといろいろ複雑なパスコースがあって、戦術も入り組んで…って、またサッカーの話をしようとしてますね(^^;)。

とにかくこの映画はタコブツです。
スーパーに並んでるモロッコ産のタコより、地元で取れる水ダコが好きで、薄切りにして柚子こしょうとしょう油で食べています。キムチをみじん切りにしたものとしょう油とごま油をかけてあえても、コリッとした歯ざわりにピリッと辛みがきいてとても美味しいです。

デイヴィ・ジョーンズの顔の周囲でくねる触手にもそそられますが(どういう機械仕掛けで動かしたんだろうと思ったら、CGみたいですね。こんなこともできるんだ…)、クラーケンの手が海から空に向かって上がるたびに、ああ、いったい何人分のタコブツが取れるだろう…。

というわけで、うわ〜、こんなシチュエーションはいや〜!とアタマをかかえたり、うわ〜、タコブツだ〜と感動したりして、2時間30分座席の上で大笑いして楽しく過ごさせていただきました。

一作目のときは気づかなかったんですが、このゴア・ヴァービンスキーという監督さん、とても演出センスがいい。
タコの、ちがう、海の怪物クラーケンの攻撃を受けて応戦して、カットが切り替わって、上から船全体を撮るシーンとかで、ああ、こういう構図で撮るか、と何度も驚いたし、水車がはずれてゴ〜ロゴロのシーンでも、転がりながら戦う3人というバカバカしいシーンを、リアリティあふれる描写で見せて観客を納得させるなんて、これまでの映画では見たことない。まあ、お金あるから、セットとかカメラとか器材とかでムリがきいたんだろうけど。

映画を作るときは、まず、脚本。それから、それをどういう画面で進行させるかを順番に描いていく「絵コンテ」を作りますが、つい職業柄、この画面を絵に描いたらどうなるだろうと、頭の中でタテヨコ1:2の比率の四角を切って、その中にラフ・デッサンを描いてみると(漫画を描くときも、ストーリーを絵にして動かす「絵コンテ」を作って、それを編集さんに見せて了解をいただいたのちに、原稿にペン入れをするのですが、たしか漫画の「絵コンテ」は手塚治虫先生が漫画を描くとき、映画を参考にして始めたものではなかったかと思う)、よくこういう構図を思いつくな〜と驚くくらいカメラの位置が斬新で、くっ、負けた、とヒザを折ってしまった。
べつに勝負なんかしてないんだけど。
こういう構図で画面を描いて、私も読者を楽しませたいな〜と、自分に言い聞かせました。

画面構成だけではなく、3人で決闘(キーラひとりがヒステリー)などの演出も実にスマートで、ムダをすべて切り落としたスタイリッシュな仕上がりで(いったいどういう演技指導をしたんだろう?)、冒険活劇を描くならこのくらいの水準で演出しなきゃね…!と、たぶんこれを見た漫画家はみんなそう思ったろうし、映画やテレビの演出家も「このくらいやらなきゃダメだ」と悔しがったろうし、いろんな人がこの映画で刺激を受けて、「くそっ、見てろよ、いつか…」と心に誓ったと思う(笑)。

ところで日頃「居酒屋」へ行かないお上品な方々のために、タコブツとはなにか?を解説いたしますと、ゆでダコの足をブツ切りにしてワサビとしょう油でお刺身のように食べるものです。とても美味しい。

2006/8/7(月)『トマトのキモチ

やっと梅雨が終わったと思うと、さっと夏がやって来て、暑〜い、暑〜いと騒ぐのは毎年のことだし、ああ、とうとうまた散歩のできない季節が来てしまった〜!と嘆くことも、毎年のことです。

私は町歩きも好きですが、郊外の山を散歩するのも好きです。
しかしこちらの夏はたいてい32度以上になって、湿気が多いので、空がまっ青じゃなくてちょっと白っぽい青で、山の木々はいつもガスがかかって白茶けたグリーンになって、歩きながら見る景色が美しくないし、猛暑が続くと葉が枯れて茶色になる(笑)。
なにより散歩してる自分が、暑さと湿気で茹であげられたタコ状態になる(爆涙)。日陰に入るとちょっとは涼しいが、こんどは木々の繁った葉が風を遮断して、空気が動かなくなって暑さを増幅して、夏はむしろ山が枯れ木ならいいのになあ…。

ドイツW杯のとき、連日30度を超える猛暑で…ってTVで言ってましたが、どんなに暑くても日陰のレストランに入って冷えたビールを飲めば、す〜っと汗がひいて、アルコールは汗と一緒に流れ出して、酔いがまったく残らない。ドイツもギリシャもイタリアもそうだった 。そして頭の上には、いつも澄みきった青空があった。
こういうとき、湿気の多いアジア性気候はホントうらめしい…。

夏は嫌いではなく、むしろ大好きですが、この季節一番困るのは、台所に立つのが苦痛になることです。
大したコックではないことは自分でも分かっているが、台所に立ってあれやこれややることが大好きなのだ。
最近ずっと味噌汁のダシをなにで取るかにこっていた。
昆布は利尻や日高。
かつおぶしは業務用の大袋を買ったら、なかなか減らないうちにしけってしまった(^^;)。
煮干しはあちこちの店で少量ずつ買って試している。どうやらカタクチイワシが好みに合うようだ。

しかしこの季節、通気性のないコンクリートの台所は、クーラーを付けないとコンロに火が起こせない。
ところが低血圧の上に冷え性の私は、仕事をしているとき以外はなるべくクーラーを付けないようにしていて、クーラーを付けるときは必ずオ○パックスを腰に当てる。
だから台所に立つ時間はなるべく短縮して、その結果、朝昼晩のメニューは市販のお総菜かそうめんか冷やし中華ばかりで、それにときどき冷製スパゲッティが加わる。
この献立が9月まで続くのはほとんど拷問だが、クーラー無しに台所に立つのはそれ以上の拷問なのだから、しょうがないと諦めている。

この季節、トマトが安いのは、トマトが大好きな私には大変嬉しい。
トマトは冷蔵庫に入れてはいけないよ、と八百屋のおばさんに聞いていらい、いつも部屋の中に放り出している。冷蔵庫に入れなくても腐らないし、食べるちょっと前に水道の水で冷やすと、たしかに冷蔵庫から出したトマトより甘くて、トマト本来の味がする。
そういえば小さい頃、夏はいつも井戸水でスイカやトマトやキュウリやウリを冷やしていて、ほれ、あれ取ってきて。と、裏の水場や共同井戸に取りに行かされるのは子供たちだった。
野菜の味が落ちたのは露地栽培が減って、ハウス栽培になったせいだと思ってたが、冷蔵庫のせいもあるのだろうか。
でもハウス栽培が露地栽培より美味しいわけはない。

日本でほとんど食べられなくなった露地栽培の野菜も、海外ではけっこう食べられる。そういうのを食べて日本へ帰ってきた団塊世代の駐在員は、これから退職したあと、けっこう第二の人生に農業を選んだりするのだろうか…?だとすると、これから日本に食文化のルネサンス現象は起こるのだろうか?(期待してるんだけど…)

先日、料理用トマト(加熱すると美味しくなる)というのを買った。
イタリア料理に使うトマトソースを作るサン・マルツァーノ種という種類(皮が厚くて、ヨコよりタテに長くて、先がとんがっている)を、近所の農家が作り始めたらしくて、それを鳥肉とタマネギとジャガイモとピーマンと一緒に、コンソメスープで煮込んでみたら、とっても美味しかった!
トマトは肉にもジャガイモにもなんでも合う。イタリアやトルコではけっこう煮込み料理に使われているはずだ。

トマトが安い夏にはぜひ作りましょう!というレシピが「トマト・スープ」
ベーコンは細切り。
じゃがいも、にんじん、玉ねぎはさいの目切りにして、鍋に入れてひたひたの水で煮る。
柔らかくなったら、さいの目切りのトマトをドッと加える。
スープの素は要らない。ただ煮るだけ。これで野菜の味が出て、とても美味しい。

もひとつ、夏の定番は「冷製スパゲッティ」
「カッペリーニ」Capellini(髪の毛)という細いスパゲッティをゆでる。
市販のめんつゆに大根おろし、エクストラバージンオリーブオイル、レモン、バルサミコ酢(無ければべつにいい)を加えて混ぜる。
量はどれもテキトー。何度も作っているうちに、自分の量が分かる。
具はトマト、アボガド、みょうが、キノコやオクラ(軽く塩ゆで)、焼き茄子や焼きパプリカの冷やしたの、細ネギ、生ハム、スモークサーモン(動物性タンパクがある方が、ダシが美味しくなる)、その他いろいろ好きなものをテキトーに入れる。
めんつゆと具を合わせて、しばらく冷蔵庫に入れて冷やす(味がしみ込んでとてもグーらしいが、メンドーだから私はやらない^^;)。
ゆで上がったカッペリーニを氷水で冷やしたものと、めんつゆと具を、ボールか、めんをゆでた鍋をザッと洗ったもので、ザカザカ混ぜる。
そこに、しそ、にんにくのみじん切りを加えて、味を見て、足りなければめんつゆか塩を足す。
そしていただきます。

ふつうのスパゲティは冷やすとなんだか口触りがモチモチして、固めに茹でるとシンが残るので、固くてもつるつる食べられる細いカッペリーニが、冷製スパゲッティには向いている。

冷製スパゲッティはイタリア人シェフが日本にやって来て、ざるそばに感激して作ったそうで、トマトとモッツァレラチーズとバジルに塩を加えたものが有名ですが、これはめんつゆと大根おろしが「和製〜」ってカンジで、大根おろし入りめんつゆに生たらこや明太子を入れると、「冷製タラスパ」的味わいが出て、さらにグ〜です。

冷製スパゲッティはなぜか腹持ちがよくて、夏も冬も仕事をしてるときや食欲がないときにはとても便利なメニューで、具を増やすことでいくらでも栄養を取れるので、私はいつもあり合わせのものでいいかげんに作って、一年中食べています。