20066月の トンテンカン劇場

 

2006/6/12(月)『映画館になんか行かないよ

とうとうW杯が始まった。
買い物してると有線でヴァンゲリスの「2002年のテーマ」がかかったりして、なんだか懐かしくて、足を止めて聴き惚れてしまう。
NHKのオレンジ・レンジはバスケの曲のような気がして、02年のポルノグラフィティの方がよかったな。私にとってサッカーはやっぱりラテン・リズムだ。
予選が始まりましたが、試合が終わると会場に音楽がかかって、それがよく聞いていると「Go West」の替え歌なので、なんで〜?と驚いている。
「Go West」はサッカーの応援歌としていつの間にか耳に入ってきて、歌っているのは英国のポップグループのPetShop Boysで、90年代音楽をまったく聴かなかった時代、PetShopとスタイル・カウンシルで過ごしていたにも関わらず、いったいどのアルバムに入ってるのか分からなくて、必死で探してアルバム「Very」でやっと手に入れたが、もともとはアメリカのコミカル・ゲイ・ディスコ・ポップグループ?のヴィレッジ・ピープル(「YMCA」で有名)の70年代の終わりのヒット・ソングで、そのあとペットショップがカバーして、いつの間にかスタジアムで歌われるようになったらしい。

(Go West)僕たちはいつか旅立つ
手に手を取って
僕たちはいつか辿りつく 夢の国へ
そこは空は青く、空気は自由で
僕たちは求めているものを得るだろう
それが僕たちの運命
決心しさえすれば 手に入る
(Go West)僕たちはいつか旅立つ
手に手を取って

という歌詞を、VillagePeopleは西部開拓に向かう男たちの上にゲイの解放をのせて歌うことで、アメリカ的マッチョ精神をおちゃらかして客体化しましたが、PetShop Boysはあの息が長くて舌足らずな歌い方で気が抜けたように歌うことで、果てしない夢を追い続けるフットボール・ファンの、必ず挫折することが分かっている永遠の夢の悲哀を表現しました。

自由な青空の下で、いつか僕らは手に入れる。
でも。
いくら応援しても、7試合もあるのだよ(決勝までは)。
いくら勝っても、どこかでつまずくことは分かってる。それでも夢を見続けるフットボール・ファンは、やっぱりマゾヒストなのだろう。

小野道風がそれを見て勇気づけられたという、柳に飛びつくカエルを思い出す。そうだ、がんばれ!諦めるな!いつか辿りつく!
「Go West」は、「行け、わが思いよ、黄金の翼にのって」と並ぶ名曲だと思います。

ところで最近やっと「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ。

ダ・ヴィンチ、聖杯、テンプル騎士団、ときては、発売当時によっぽど買おうかと思ったが、この要素をミステリに仕立てると、たぶん私がダメな「時刻表のために殺人を犯す」ミステリになりそうで(ハードボイルドは好きだが、クリスティやクイーンはまったくダメ^^;)、読んだ人たちの感想もイマイチだったし、読むのに時間はかからないみたいだから図書館で借りてそれを確かめようと思ったら、予約数150だったのですっぱり諦めた(笑)。

最近読んだのは、文庫版が出たせいもありますが、映画版の中でポール・ベタニーが修道僧の殺し屋を演っている、と聞いたせいです。

ポール・ベタニーPaul Bettanyというのはイギリスの俳優で、映画「ビューティフル・マインド」で主人公のラッセル・クロウの友人を演じて、のちにその正体を現して、観客を「ああ、なるほどな〜」とうならせた役者です。
そのあと「マスター・アンド・コマンダー」を見たら、ラッセル・クロウ船長と仲良くチェロとバイオリンを合奏してるこの茶色い髪の船医さん、「ビューティフル・マインド」のサイコな友人と同一人物じゃないの?、ずいぶん健康的になったわね〜と感動しましたが、鏡を見ながら自分で自分の手術をするところはやっぱりタダ者ではない?(ラッセル・クロウに関しては、アウトドア派の方が安心^^;)

「ダ・ヴィンチ・コード」の最初を読んで、えっ、これコメディじゃないの〜、と思ったのは私だけ?
だって体に銃弾を撃ち込まれて、心臓ではなく胃だ…死ぬまであと15分!と思ったとたん、ナゾナゾを作って、そのヒントを床や隣の部屋の絵に書きつけて、よっこらしょっと服を脱いでポーズを作って「愛しい孫よ、この謎をといてくれ」と思って死ぬんですよ…。
変わった人だなあ…。きっとこの人物はこれくらい変わったことをやる変わった人物だったんだろう。ダヴィンチ・コードより、そっちの方がよっぽど謎だ。…と思いながら読み進んだら、キリスト教の歴史と泰西名画を素材に、楽しいクロスワードパズルでした。
最後に人を暖かい気持ちにさせるヒューマニズムもまぶしてあったし。

どうやらシリアスだったみたい、と読み終わってすごく残念。
「モンティ・パイソン」に田舎の館で殺人事件が起こって、探偵たちが「時刻表」片手に次々と犯人を指摘するというパロディがあるんですが、この作品、コメディにしたら「モンティ・パイソン」に負けないくらいの大傑作になったのに…!

私が心配してるのは、原作だとポール・ベタニーが演る役があまりに単純でストレートすぎるので、脚本がこのままだと映画で彼がとってもバカに見えるんじゃないだろうか…?
彼の持ち味は表面はこう見えるがじつは…という意外性というか、両義性にあると思っているので。
小説と映画は全くの別物で、ひょっとするとこの映画は原作とはまったく違う、とっても面白い映画かもしれないし、ベタニーの役も脚本の段階でまったく違うキャラクターになってるかもしれませんが、 私はこの映画は見に行く予定はないので、いつかTVでも判断できる日が来るまでは、ハラハラ心配し続けます。

こちらは最近、映画鑑賞するにもえらく苦労する日々です。
98年にシネコンができて、大規模店舗規制法が無くなって、今はどこの地方都市も大変なことになっています。
「シネコン」は嫌いだし、大規模ショッピングセンターとともに郊外にTU○AYAが乱立したせいで、町中のレンタルビデオショップがどんどん消えて、この頃は見たい映画をほとんど見ることができなくなりました。

シネコンは「町」の滅びを告げる「悪魔の角笛」でしたね。

町に映画館が無くなってから、町の中が空洞化して、中心に人が集まらなくなって、気の利いた小さい店からどんどん潰れていって、もともと私みたいなはみ出し者には住みやすい町ではありませんが、それでもなんとか小さな幸せを大事にしながらこれまで過ごしてきたのですが、ショッピングセンターとファストフード店とパチンコ屋がどこまでも広がる、町とも田舎ともつかない、中心と周縁の境目が見分けがつかない、荒野になってしまいました。

映画館どころじゃなく、大規模店舗法とか、市街化調整区域とか、どこかでストップして規制をかけないと、地方都市は大変なことになります。
もう手遅れかもしれませんが…。