20053月の トンテンカン劇場

2005/3/17(木)『やっぱり大画面でなくっちゃね!二本立て大劇場

ここ数日暖かくなって、やっと冬が終わったなあ!と買い物に出るとき、ピンクの口紅をひきながら鏡を見て、こういう日はピンクのマニキュアをしないで外出する女は逮捕すべきね…なんて思う、春の日です。
やっと春になったというのに、空はぼんやり霞んでカラッと晴れることはなくて、う〜ん、お天気悪いなあ〜。
新潟や東北では86年以来の大雪だったようですが、金沢はやっぱり暖冬で、でも暖冬だからって太陽が姿を見せるワケではなく、毎日朝目が覚めていつも暗くて重苦しい曇天で、4ヶ月もピーカンを見ることがないと、心はユーウツ、体は自律神経失調症(笑)。
獅子座生まれの私は生きていくために光合成をする必要があるんですが(科学的根拠は問わないでくれ)、二酸化炭素と水分は毎日山ほど取ってるのにそれに光が当たらないので、糖分も酸素も不足して根腐れを起こしています。

町では2月から木々は蕾を付けて咲く気まんまんでしたが、今歩いてると目に入るのはサクラの蕾ではなく、オレンジ色の花を付けた杉の木。今まで見たことないくらいのものすごいオレンジ色で、風が吹いて揺れると思わず風上に向かって走り出してしまうんですが、金沢の町中の杉は老木ばかりなのにこんなに花を付けるなんて、よっぽど去年の夏は暑かったんでしょうね。まだ歩道を白マスクを付けた人が埋めてはいないものの、横断歩道で隣りあった人やスーパーのレジの人がみんなクシュンクシュンしていて、「あなたも?」「あなたも?」「お大事に」と声を掛け合って、なんだか町に幻のサッカーチームができて、みんな「運命共同体」になってその成績を喜んだり悲しんだりしてるみたい…なんて、不謹慎な比喩ですね。お許し下さい。

郊外にシネコンができたせいで金沢の映画館はぜんぶ潰れてしまい、私はシネコンが嫌いなので最近あまり映画を見ないんですが、もともと熱心な映画ファンじゃないので(「演劇少女」だったことはありますが「映画少女」だったことはない)そんなに不自由じゃなかったのですが、お芝居が見られないのはホントつらいので、せめて「オペラ座の怪人」の映画くらいは見ようか、と久しぶりにシネコンに出かけました。

ミュージカル「オペラ座の怪人」はロンドン版と劇団四季版のCD(市村正親さんがファントムを演ってる)を発売されてすぐ買って、繰り返し聴いてほとんど歌えます。英語でも日本語でも…ってとこがコワイでしょ?

座席に座って、モノクロのオペラ座が画面に映し出されて、おおっ、なんだか凄いぞ!オークションが始まってシャンデリアが現れてあの「チャ〜、ラララ〜ン」というオルガンの音がシネコンのスピーカーから大音響で流れとたん、「しまった〜!」と椅子を立って帰ろうかと思いました。ウチのスピーカーの方が音がいい(笑)。
ウチのスピーカーはこんなにボリュームを上げられないけれど…。

市村さんがファントム役を演った「オペラ座の怪人」は見ていません。もう金沢に帰っている時で、スターシステムを採らない四季はキャストがその日劇場に張り出されるまで分からないので、はるばる金沢から東京へ行って、市村さんじゃなかったら目も当てられない、とチケットを取らなかったんだと思います。
91年にロンドンで見ましたが、初演のマイケル・クロフォードもサラ・ブライトマンもとっくにニューヨークへ去ったあとの観光客向けキャストで、おまけに最後列の柱の陰というメチャクチャ悪い席で、見終わったあと一緒に行った友人に「これ、愛人が若くてハンサムな新しい恋人を作ったので、怒ったパトロンがストーカーになる話だよね?」と聞いたら「うん。これ、女が若い恋人を作って、パトロンがストーカーになる話だと思う」という返事が返ってきた(笑)。

映画を見ても(戸田奈津子さんの素晴らしい訳詞付きでも)、 若くてハンサムでお金持ちが現れたら、クリスティンでなくてもラウルを選ぶにきまってる。これまでの恩は忘れないわ。憎み合いたくないから、これからもいいお友達でいましょう。キミキミ、いくら16、7だからって世の中を甘く見るんじゃないよ(笑)。それで痛い目にあってしたたかに立ち向かっていく女を描いてドラマツルギィを作り出したのが「エヴィータ」ですが、ティム・ライスと別れたあとのロイド・ウェッバーのミュージカルにはそういう仕組みが無くなって、ドラマとしては物足りない。

このCDに夢中だったのはもう20年くらい昔で、もうかなり忘れてしまったんですが、たしかこのミュージカルは音楽の美しさと装置の豪華さで場面を次々と運んで、最後に怪人を慟哭させることで観客を泣かせる仕組みになっていたと思うんですが…。
その邪悪さゆえに万能にみえた怪人が「ダメなものはダメ」というクリスティンの最終的拒否にあってヒザを折って崩れおちる。その時、心にキズを持ち、奇形になった心を必死でとりつくろって毎日を生きている、怪人は自分だ、というナイフが観客の喉元に突きつけられて、そこで観客たちは怪人と自分のために涙を流す…という?

とすると「オペラ座の怪人」は「バットマン 2」のペンギン男なのか。
あの映画を見たとき、なにせ相手がどっちがビョーキだか分からないバットマンですから、ペンギン男にも正義はあったのだと感情移入して、クリストファー・ウォーケンのかば焼きは自業自得と笑って通り過ぎましたが、ペンギンたちの水葬には泣きました。
それならティム・バートン(「バットマン」の監督)に監督を依頼すればよかったのに。でもそうするとコメディになるから(それは不味い)、脚本をティム・バートンに依頼すればよかったのに。でもそれまでの盟友ティム・ライスを拒んでまで、好きに音楽を作りたいと思ったロイド・ウェッバーですから、ドラマツルギィがあろうが無かろうが素晴らしいスコアを書き上げて人々を感動させたのだから、それはそれでいいんでしょう。

「オペラ座の怪人」が音楽と美術さえあればこんな素晴らしい映画的マジックが使える!という見本みたいな映画に仕上がっていて、演劇的に成功した「エヴィータ」がドラマツルギィがあるがゆえに映画として失敗したことを考えると皮肉ですが、当然のことかもしれません。
ロマンとスペクタクルにあふれて、画面はキレイで、バックにずっとあの音楽が流れているのですから、本当に素晴らしい映画でした。
心残りは、もっといいスピーカーのある映画館で見たかった(笑)。

「オペラ座の怪人」が終わって、ロコモコライスを食べたあと(食べたくて食べたわけじゃないが、金沢のユナイテッド・シネマにはこれとホット・ドッグしかメニューがない)、「アレクサンダー」を見ました。
「レディース・ディ」じゃなかったんですが、久しぶりにシネコンへ来て、またいつ来られるか分からなかったので。

オリバー・ストーンって本当に同じ映画を撮り続ける監督だなあ(笑)。
「サルバドル」と「プラトーン」に感動したあと、ついていけない時期もあったんですが、なんで彼が古代ギリシャを撮るんだろうと思って見てみたら、やっぱり同じだった(笑)。
自分の内に混沌を抱えた人間が前へ前へと突き進んで、混沌をさらに混沌にして、なにがなんだかワケが分からない状態で破滅する。

そもそもオリバー・ストーンは大衆受けする作品を撮る監督じゃないよね? 解決を観客に示さず、混沌を混沌のまま放り出して、どうだ?どうだ?!って見ているものの首もとを締め上げる。なんで彼がハリウッドで大作を撮れるのかというと、そのチャレンジャー精神に富む前のめりの姿勢が「アメリカ的」と評価されているからじゃないかと思うんですが…。
マイケル・チミノ、ルキノ・ヴィスコンティ、リドリー・スコット(作品によっては)など、混沌を混沌のまま放り出す作劇術を好む監督もいますが、オリバー・ストーンは彼らに比べると美意識が足りない。映画文法でこういうものを撮りたいというイメージが感じられない。だから作品は大味で、終わったあと「見た〜!」っていう充足感に欠ける。でも完成度に捕らわれないせいか(ありえるか?)、作品自体は方向不明ゆえに無限大のエネルギーを持って四方へ拡散していき、その混沌が深ければ深いほど見ているこちらの胸をうつ…。困ったもんだ。結局、ファンなんだ。

この映画のアレクサンダー大王がペルシャを征服して、さらに東へ向かい、自分がどこへ行きたいか分かっていないままどこまでも戦い続けるように、この映画もどういう映画になりたいかきっと分かっていなかったんだろう。それはアレクサンダー大王ではなく、オリバー大王の野望なんだろうけれど、大王とか英雄とかいわれて歴史に名を残す人ってみんな死んだあとに勝ったのか負けたのか分からないことが多い。たとえばシーザーとか、ハプスブルクのカルロス5世とか、ナポレオンとか、織田信長とか、秀吉もそうかな。伝記を書く人はみんな「悲劇」を書こうと奮闘することになる。
その過剰さが歴史に名を残す行為をなさしめて、その過剰さゆえに身を滅ぼすんでしょうが、この映画に出てくる人間は過剰な情動に突き動かされてワケが分からない行動をするゆえに、人間はワケが分からないものだ、という永遠のテーマをこちらに突きつけてきて、見終わったあとに観客の心に深くきついエッジを残す。

観ているものはあとを引く、くらいですむけんだれど、オリバーの世界に放り込まれて、アレクサンダーを演じさせられたコリン・ファレルは、撮影が終わったあとしばらく現実世界に戻れなくて大変だったんじゃないかなあ。だって彼はアレクサンダーという役をやれと言われたんじゃなくて、混沌をやれと言われたんですからね(笑)。
その「混沌」の役を彼はこれ以上はないくらい見事に演じていましたが、その混沌の深さゆえに、それをなんとか安定させたいと心から祈るジャレッド・レト演じるヘファイスティオン役がとても効いていました。いつも後ろで、あるいはともに戦いながらアレクサンダーを見つめて、彼を受けとめて愛し支えていた武将の役です。

アレクサンダーの母親役のアンジェリーナ・ジョリー、凄い役者ですね。存在感がありすぎて役に恵まれないかもしれないけど…(笑)。
音楽、いいなあ、効いてるなあと思ってラスト・クレジットを見たら、ららら、ヴァンゲリスでした(「炎のランナー」「ブレードランナー」「2002年W杯テーマ」)。

「オペラ座の怪人」と「アレクサンダー」
なんだか合わない組み合わせですが、悲しい男の映画を二本見ちゃったなあと大感動して、やっぱり映画は大画面で見なきゃね!と思いました。

ところで最近話題のホリエモンは32歳だそうで、フジ・サンケイ・グループに32で挑戦するなんてちょっと若すぎるんじゃない、なんて思ってたんですが、アレクサンダーが死んだのは32歳だそうで、野望と無謀は若ものの特権ね。資本主義社会とサッカー場は、ルールを守って血を流さないバトルフィールドだものね。

公共メディアに外資が入ってくるのを制限せにゃあかんとかオジサンたちがいってますが、地方放送も公共メディアに入れていただけるのなら、どうか来て、来て、私たちを征服して下さい(笑)。ニュースをちゃんと読めないアナウンサーや、ロクな音楽もかけられないディレクターばかりの地方放送にウンザリしているイチ視聴者としては、貴方がたに買収されるのを心からお待ちしております(笑)。

言語や文化でグローバル・スタンダードの「競争原理」から守られているマスコミ・出版界は、昨今の某公共放送の大騒ぎをみればお分かりのとおり、日本の中で一番「構造改革」が遅れている分野ですが、争っている某新聞社も同じようなもんだろう(笑)。外資が入って日産のように風通しを良くしてくれるのなら、日本の風通しはもっと良くなることでしょう。祖国防衛をゲリラ戦で戦う覚悟があるのなら(笑)。