200412月の トンテンカン劇場

2004/12/23(木)『メンテナンスのどろ沼にずぶっと一足

今年は暖冬でございまする。
しかし雪が降ろうと降らなかろうと、気温が高かろうと低かろうと、冬至に向かって日照時間が短くなることには変わりはないので、ただでさえ日照時間が少ない金沢で4時半を過ぎるとまっ暗になるこの季節は、私が一年のうちで一番苦手な季節です。
でもやっと冬至が終わったので、これからは日照時間が増えていくと思うと、ちょっとHappyな気分です。

10月から言っていたHPのメンテナンスですが、まず「TONTENKAN劇場」の左側のフレームがいっぱいいっぱいになっていたので、一年ごとに区切るように変えました。ついでにこのMENUページの右側にあったレンブラントや神戸旅行など、いくつかの記事を「TONTENKAN劇場」の中に入れました。日記としてです。

そもそもなんでこのHPを作り始めたかというと、あれはたしか99年の冬…ちょっとお試し気分で「Photoshop」を入れたら、それで画像を作るのが面白くなって、そのままHPを作ってしまった…というじつに不純な動機で始めたので、HTMLも画像も最初はぜんぜん分からなくて、メチャクチャ重い画像を平気で上げたり…とか、とんでもないことをいっぱいやりました。たくさんの方にご迷惑をおかけしました。本当にすいませんでした。

インターネットとHTMLと画像が少し分かるようになってからは、自分がどういうミスをやったかということが分かるようになって、あそこ直したいな、ここ直したいなといろいろ思ったんですが、HPに途中から手を加えるのってけっこうムツカシイ。
HPはHTML(Hyper Text Markup Language)という形式で作るんですが、これはファイルを「Internet Explorer」などのブラウザで見られるようにするための形式だそうで、HTMLってファイルをあちこちにリンクさせる機能だから、どこかを直すと必ず別のところに影響が出て、ぜんぶ直さなきゃならなくなって、直してるウチにワケが分かんなくなっちゃって、いつも迷子になった…(笑)。

最初からキチンと構成を考えて作らないとHPはダメなんだ…って分かったのはかなりたってからのことで、これがホント「あとの祭り」だなって思ったんですが、でも最初から自分がどういうページを作りたいか分かっててHPを作る人って少ないですよね。仕事でHPを作る人じゃないかぎり、みんななんかこれって面白そうだな…ってところから始めますもん。そしてどろ沼にはまってアップアップ…(笑)。

HDクラッシュのあとに新しくブラウザのBookmarkを拾いに回ったとき、インターネットが始まってすぐの96,7年くらいに出来て、私がサイトを作るときにさんざんお世話になった有名サイトが今けっこう休止したり、サイト再構築中のためにアクセス不能、というのを見て、ああ、やっぱりなあ。
あの頃HPを作った人たちって以前からパソコンに精通している人たちが多かったと思うんですが、HPってホント手間がかかるので、個人で大きなサイトを作ると管理に手がかかって4、5年でバーンアウト症候群になったり、ドッグイヤーの技術進歩の中でつぎつぎ新しい技術が出てきてHPに詳しい人ほど「作り替えたい!」という欲求に取り憑かれて、大がかりな再構築作業に入ったりするんですよね…。わかる、わかる、その気持ち。

一方、技術は日々進歩してソフトも次々バージョンアップするのに、FTP(File Translate Protocolの略。ファイルをサーバに送ってインターネットで見られるようにするための「形式」)は進歩がなくて、相変わらず面倒で、昨今ブログが人気を集めているのはそのせいもあるんでしょうね。私は使ったことが無いけれど、あれはいろんなことが出来るのに簡単そうでキレイでインタラクティブも出来て便利そうだな〜って思います。

私がメンテナンスのどろ沼に踏み出したのもそういう時期がめぐってきた、ということかもしれません。
でもご安心下さい。私はぜったい休止しません(ホント?)。
よりカンタンに、よりシンプルに、ドラッグアンドコピーアンドペーストでメンテできるHPを目指します!そして今よりもっとちゃんと更新します(これはウソね…^^;)。養老院に入ったらPowerBook 2400の埃を払って「シルバーTONTENKAN劇場」をアップします。誰も読まないって(笑)。
HDトラブルでしばらくぶりに使ってみたんですけど、PowerBook 2400はやっぱり可愛いくていいマシンで、まだまだ現役で使えます。でもPowerBook G4もいいですね…(^^;)。
ノートの方がいろいろラクで使いやすいんですが(持ち運びも出来るし、体にもたぶん優しい)、画像の処理はやっぱりデスクトップでないとダメだし、液晶ディスプレイがどの程度「画像」に使えるのかとか、まだまだいろいろ迷いの多いパソコン道ですが、これからも精進いたしまするので、どうかよろしくお願い申し上げまする。

2004/12/2(木)『「鎮守の森」はムカデの夢を見るのか』

昔から散歩が好きでした。
繁華街をブラついて本やレコードを買って、喫茶店でコーヒーを飲んだり、行きつけの店でオムライスや天ぷらそばを食べるのが好きでした。
愛読書は「散歩のとき、なにか食べたくなって」(池波正太郎)と「僕は散歩と雑学が好き」(植草甚一)と「建築探偵の冒険・東京編」(藤森照信)です。
公園で緑に囲まれてぼんやりドッグ・ウォッチングをしたり、風に吹かれて川べりをブラついて鴨の親子を観察するのも好きです。
春から夏にかけての暖かい季節は、美味しいパン屋さんでサンドイッチを買って自販機のコーヒーを買って公園のベンチでよく食べます。
「買い食いはいけません」と小さい頃から言われていたような気がしますが、家の中で食べるより青空の下で食べる方が美味しい。と、教えてくれたのはイタリアですが(ベランダや中庭や広場にテーブルを出して食べるカフェやレストランが多い!)、日本の食べ物屋さんはどうしてあんなにお客を壁で囲んで空調をかけるのだろう。生き物が生命を維持するためにするのが食物摂取行為なら、青空の下で太陽の光を受けながら風に運ばれてくる葉緑素やマイナスイオンと一緒に食する方が美味しいし、摂取した栄養の吸収もぜったいイイと思うのですが。
千利休のお茶席に招かれて懐石料理をいただいたら(お茶は三ヶ月坊主で、お懐石までいかなかったのだが…)、座敷の障子はいつもお庭と池に向かって開け放されていて、雪が降るのを見たり屋根に当たる雨の音を聞きながら、それもおもてなしの一部としてお料理をいただいていたと思います。

そんな散歩好きの人間が、ムカデ騒動以来あまり散歩に行かなくなりました。卯辰山でムカデの卵をくっつけてきたんじゃないか…?という疑いがアタマのどこかから離れない。
気がつくと太ってしまって、これはマズイ
私の散歩コースは山の斜面にある神社への階段を登って、ちょっと広い公園へ出て、そこからクネクネ坂道をたどって川へ降りるというルートなんですが、体調が悪い時は川からクネクネ坂道を上って公園へ出て、神社の階段を降りるという反対のコースを取ります。同じコースでも、登るか降りるかで運動量が違う。1時間タラタラ歩くより、10分坂の上り下りをする方が運動量が多い。ダイエットをやっている方は階段や坂を見つけたら必ず登りましょう。東京の人は毎日JRの階段を登り降りしているので、この必要はありません(^^;)。

そんな「引きこもり」の私を、山の紅葉が「秋だよ〜。おいで、おいで」と招きます。大好物の腐葉土が招きます。
木から落ちた葉が積もって雨の降ったあとに腐りかけているのをぱくぱく食べるのが大好きなんですが、ホントに食べるんじゃなくて、シイやナラなどの広葉樹の葉っぱが落ちて重なり合ってズブズブに腐りかけているところに顔を近づけてくんくん匂いを嗅ぐと、本当に「美味しい」んですが、なんでだろうと思ったら、「腐葉土」なんですね。植物を育てるための肥料。雨が降るとそれが溶けて川から海に流れ出し、魚が食べてつやつやぷりぷり美味しくなるための栄養素。
落ちた葉っぱをムカデが食べて、そのフンが土に染みこみ、その土から植物の根が栄養を吸収するので、ムカデと私は食べ物のシュミが同じ、いや、「腐葉土のコックさん」として彼らが森でどんなに大事な役割を果たしているか分ってはいるんですが…。

二匹目のムカデには会いたくない。でも山からの呼び声には答えたい。
そこで玄関にマットレスをひき、殺菌作用のある薬品をまいて、帰ってきたらそこでズックを洗うのはどうだろう?と考えたんですが、どういう薬品をまいたらいいんだろう。殺虫剤?除草剤?(違う!)DDT?農薬?それで一番最初に殺菌されるのは私?と考えると、ちょっと気分が悪くなった。

しかたがないのでムシさんたちと仲良くする方法はないのか?と考えた。
情報の少なさがお互いの敵意を増幅させるのなら、ムシさんたちのことをもっとよく知って、彼らがこの世界でどういう役割を果たしているのかを理解したら、私たちは仲良くなってきっと愛しあえるに違いない。そのために買った本が「ぶきみなムシ」。カウンタの上に載せたら、おねえさんに吹かれた。…みんなキライなんだ。
その子供向け「ムシ絵本」とにらめっこしながら、私はワームやムカデが好きになる〜。ほ〜ら、ワームやムカデが好きになってきた〜。だんだん好きになってきた〜。…うなされそうです。

自然科学やエコロジー系の本を探していたら「鎮守の森」(宮脇昭 新潮社) という本に出会いました。以前「鎮守の森」は日本人のココロにとってとっても大事なんじゃないか?と書いたんですが(2003年10月TONTENKAN劇場)、そんなことはとっくに30年以上前から植物生態学で唱えられていて、そのためにいろいろな対策を実践している方々がおられました。

宮脇昭先生は日本の植物生態学の権威で横浜国大の名誉教授で、その土地にはその土地に向いた植物(「潜在自然植生」という)があり、それに基づいてみんなで植林して「ふるさとの森」を再生しよう!という運動を今、日本やアジアの熱帯雨林で精力的にやっておられます。

私は日本の代表的樹木はマツとスギだと思ってたんですが、じつは日本の伝統的自生樹木はナラ、シイ、タブノキ、カシなどの広葉樹林で(東北にいくとブナが加わる)、マツやスギなどの針葉樹は岩壁の厳しい環境に自生するマイナー植物で、戦後に住宅建材として日本中に造林されて、それがやっと伐採できるようになったら安い外材が入ってきて価格競争に負けて、ほったらかしにされたマツ林はマツクイムシ発生や山火事の原因になり、スギ林は花粉症患者を大量に生み出し続けている…というのは有名な話ね(^^;)。

この本の内容は宮脇先生の経歴を知ると理解が深まる…というか、本に書かれていないことまでいろいろと考えてしまいます。
昭和三年に岡山の山の中の農村の四男坊として生まれて、二人の兄が戦死して、家を継ぐために農業学校に入った先生は、もっと研究がしたいと両親の反対を押し切って東京農工大を受験するために上京したのが、昭和20年。途中で乗っている列車がB29に爆撃されたり、山陽本線や東海道線が空襲で不通になってるところを、やっと長兄の住む浦和の家に辿り着いたのが3月9日。その夜地平線の向こうを真っ赤に染めたのは、昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲。
翌日電車が動かないので、線路沿いに府中の学校まで歩いていく途中、たくさんの死体が横たわっていたそうです。
戦後の混乱の中、東京農工大を卒業して、そのあとも広島、東大などで研究を続けながら、1958年ドイツに留学します。

生態学(エコロジー)は19世紀後半にドイツの生物学者ヘッケルによって名付けられた学問だそうで、ヨーロッパの森は19世紀末に一度全滅して、今の美しい田園風景はすべてそのあとの植林で作られたものだ…と聞いていましたが、産業革命のせいだと思っていたら、肉食の狩猟民族が森で放牧すると家畜が下草を食べてしまい、それで森が荒れてゆっくりと緑の減少が進んでいったそうで、産業革命でそれに加速度がかかったんでしょうね。19世紀後半のヨーロッパは本当に大変なコトになっていたみたいです。

日本が追いかけた西欧近代化が犯してきた間違いを、その本場で、西欧近代的方法によって教わる、という経験をしたワケですが、そうして帰ってきた日本は高度経済成長まっさかり。なにもかも失ったところから立ち上がった人々は新しい日本を建設しようと日本中に工場を立てて排水を垂れ流し、煙突からケムリをもうもうと出し、山をダムで潰し、河岸をコンクリで固め、農村から都会へと人は集団移動し、見捨てられた田は荒れ、次々作られるゴルフ場には殺虫剤がまかれ…、自分が生まれ育った日本の農村の風景がどんどん変わっていくのを見て、「研究室に閉じこもってはいられない」って先生が思ったのもムリないと思う…。

先生はドイツ国立植生図研究所長のチュクセン教授から「潜在自然植生」を教わっていました。その土地にはその土地の気候、地形、土壌などの条件によって自生する植物が決まっている。森は高木、亜高木、低木、下草によって多重に構成され、養分、光、水分、空間をめぐって熾烈な生存競争を繰りひろげながら共存している。これに様々のバクテリア、コケ、動物などの活動が加わり、トータルな生命活動環境を作っている。外から手を加えてこのバランスを崩すと、環境全体が完結性を失い、ゆっくりと時間をかけて崩壊していき、やがて取り返しのつかない状態に至る。

ドイツで日本の「潜在自然植生」は?と考えたとき、先生は幼い頃の村の祭りでお神楽が終わって外へ出ると明けかけた空に「鎮守の森」が黒々とそびえ立っていた清澄な光景を思い出して、あそこにはむかしの森が残っているんじゃないか?と思います。「鎮守の森」というのはヨーロッパやアメリカで「ふるさとの森」というのとはニュアンスが違って、自然条件に宗教的意味が加わったこういう森は他にはあまり無いらしい。

森というのはその土地の気候や土壌や地形に合わない木を植えると根が広がらなくて台風や地震などの災害ですぐ倒れたり、病気にかかって枯れたり、他の植物との生存競争に破れて消えていったりして、やがて荒れ地になるそうです。反対にその土地自生の森林は阪神大震災のときも被害を受けなかったし、東京大空襲で焼夷弾が東京を焼け野原にしたときも明治神宮の森は焼け残ったそうです。

昔の日本人は森を切り開いて水田を作るときも、風をふせぐために、地震に耐えるように、台風の被害を受けないように、西日が当たらないように、森を全部切らずに残した…それが「鎮守の森」だそうで、さらに山の急斜面や、海に突き出した半島の先や、水源地の山などの自然が脆弱でヘタに触るとすぐ壊れてしまうところには神社や祠を建てて、ここには触っちゃいけないぞ。たたりがあるぞ。バチが当たるぞ〜。

森林を切り開いて村や水田を作ってきた先人たちは(私たちが今住んでるところは昔からアスファルトだったんじゃない^^;)、長い時間をかけて自然からいろいろなことを学んで、自分たちが生きていく環境を守るためにそれを生かす知恵を持ってたんだなあ。自然と共生する深くて神妙な日本的感性は、これから環境問題が一大テーマになる人類の未来に一つのモデルを与えてくれるかもしれない。

と思うと同時に、これは危ない。…という不安も覚えました。

「もっと豊かになりたい」とか「もっと生きたい」とかいう欲望を持った時から人間と自然の対立が始まったとしたら、ギリシャ神話のプロメテウスは火を盗んで罰せられたし、禁断の知恵の実を食べたアダムとイヴは「エデンの園」を追放されました。日本神話はよく知らないが、たぶん神に反抗するエピソードは無いと思う。

「神」という名を付けた自然と戦うことで自分たちが「罪」を犯しているという自覚を持っていた彼らは、両者をなんとか調和させようと数千年に渡ってさまざまの神学や哲学や倫理学を生み出してきましたが、そういう「試行錯誤」の歴史を持たないで彼らの発明した「物質文明」に首まで浸かっている私たちは、プロメテウスの罪を知らずに「火」を使い、アダムとイヴの「原罪」を自覚しないで「知恵の実」を食べている。西欧文明の果実だけを受け取って、その代金を払う方法を知らないし、払う気もない。それが今の日本ではないか…。
たぶん数十年後には日本より数倍大きな規模で中国が「火」を使い、ぱくぱく「知恵の実」を食べて、その毒の処理方法に困るような気がするんですが、規模が大きいぶんとっても怖い…。

なにより東洋的自然観は「理論の中」ではなく、「山や川や森の中」にあるので、それを失って都市と荒廃した森の間で難民と化している日本人に、文明と自然との共生を図る新しい「行き方」を生み出すことができるんだろうか…?と考えると、先行きはあまり楽観できないような気がします。

だから宮脇先生は今「ふるさとの森」再生が必要なんだ!と木を植えられておられるのだと思います。企業や役所を動員して、たくさんの人々にハッパをかけて、朝から晩まで木を植えられておられるのだと思います。
昔の日本に戻るためではなく、これからの日本が人間と自然の新しい調和を生み出してくれることを祈って、一本一本の木を未来に向かって植えておられるのだと思います。

「鎮守の森」(宮脇昭 新潮社)は読んでると、森の清澄なアロマが香ってくる気持ちイイ本なので、本屋さんや図書館で見かけたらぜひご一読ください。

河合隼雄、日野原重明、宮脇昭。
この三人のスーパー・オジイチャンたちはどこか似ている。

三人ともいつもニコニコ笑いながら、
私たちはどうしてこんな国を作ってしまったんだろうと心の中でポロポロ涙を流し、
もしまだ自分に出来ることがあるなら何でもしようと西へ東へオロオロ歩いている。

そういうところが似ている。こういう人に私はなりたい。
年をとればオジイチャンもオバアチャンもないのだ(笑)。