20043月の トンテンカン劇場

2004/3/3(水)『たかがそば、されどそば、なのです。』

どちらかといえば私が今住んでいる金沢は「うどん文化圏」ですが、「どちらかといえば」というただし書きが示すとおり、讃岐うどんみたいにシコシコとコシのあるレッキとした由緒正しいかみ切るのにアゴが疲れるうどんではなく、白くてフニャフニャのうどんが甘くて色の薄いおダシの中に沈んでいる。
本格的讃岐うどんも大好きだけど、この軟弱なうどんも私はけっこう好きで、ときどき無性に食べたくなるのは、小さい頃母親に連れられて実家に遊びに行くと、「おやつ食べといで」とおばあちゃんがおこずかいをくれて、従兄弟たちと一緒に向かいの「うどん屋さん」に走って、注文するのは「すうどん」。たしか当時25円。甘いおダシの中にフニャフニャの白いうどんが泳いでいて、上にのったネギの香りが香ばしい「すうどん」は、懐かしい子供時代の思い出なのさ。

金沢には一軒だけ本格的江戸前のそばを食べさせる老舗のお蕎麦屋さん「砂場」がありました。繁華街の角に立つ古い日本家屋、高い木張りの天井、抹茶色の塗り壁にはいつも季節の花が吊されて、テーブルとイスは年代物。古い町屋のような作りの建物には坪庭があって、雪隠(せっちん、トイレではない)を出るとそこのつくばいで手を洗う、という情緒のあるお店で、ここは子供たちだけで行けるお店ではなく、大人たちと一緒に行ってそこで食事のマナーや公共の場所でどうふるまうかを学ぶ、いや、しつけられるお店でした。

何度か言ってますが、地方都市で進む「ドーナッツ化現象」。
繁華街にはヤング層が増えて、買い物ついでに「砂場」に入るといつもガラガラで、金沢の人はお蕎麦を食べなくなったのかなあ。お客が減ったせいか、はたまた数代続いた「老舗」にとうとう後継者がいなくなったのか、理由は分かりませんが、そのお店は高いお味の水準を守ったまま、数年前に突然廃業しました。
先日そのお店の前を通りかかると、跡地が鉄筋コンクリート作りの若者向け衣料ブティックになっていて、めでたいっ!近代経済学的に適正な購買成績を見込める、とても正しい跡地利用だわっ!じゃなくて(笑)。
おいおいおい、たった一軒の蕎麦屋だけど、このお店を失ったことは金沢にとってもっのすご〜い損失なんじゃないのかい?
あの古い茶室のように美しいお店をもう一度作ろうと思ったとき、いったいどれだけのお金がかかることか。
そしてあの店に来るお客たちが子供たちに代々伝えていた、美味しいものの記憶と公共の場で大人たちが子供たちに仕込む食事のマナー。それが今、デ○ーズやマク○ナルドで学べるのかい?

なにより「砂場」という名前なんだからこのお店を創業した人はきっとお〜むかしに「蕎麦の本場」東京(江戸?)の名店「砂場」で修業して、それから金沢にお店を開いたんだと思いますが、まっ黒なツユにコシのあるそばが沈んでいる本格的「江戸前の蕎麦」が、金沢では食べられなくなってしまった…!
私が池波正太郎の時代小説が好きなのは、池波さんと一緒に当時の江戸を歩きながら蕎麦屋やうなぎ屋で美味しい蕎麦やうなぎやカモ鍋を食べるのが楽しみだからなんですが(笑)、あの天ぷら蕎麦が、鴨なんばんが、もう金沢では食べられないなんて…(暴涙)。

私はかなり麺類フェチで、日本中に麺類フェチは多いと思うんですが、なにより蕎麦は二日酔いに効くので(笑)、吉祥寺に住んでいたころは、お酒を飲み過ぎた翌日は必ず東急の上に入っている神田の「まつや」の出店にごまそば(ざるそばのつけるタレがごまだれなのです)を食べに行ったものです。
そこでやっぱり二日酔いの同業者とばったり出会って、「やっぱそばだよね〜」と盛り上がって、そのまま赤ちょうちんに…という過ちを繰り返して…、懐かしい青春の思い出です(笑)。
最近そばのルチンがアルコール分解酵素があるとか、ごまはセサミン…?とにかく健康にいいと騒がれ始めて、ああ、元気になったのはそのせいか…と納得しました。

「砂場」が廃業して、金沢の人は蕎麦を食べなくなったのかなあ…と思っていたら、数年前からポツポツと金沢に新しい蕎麦屋ができ始めて、最初は「フン、どうせ観光客目当ての民芸調お食事どころだろ」とバカにしてたんですが、行ってみるとちょっと違う。どこも「そばの本質を極めたい」という熱意に突き動かされた「求道的お店」で、いい意味で趣味的にやっておられる本格的おそば屋さんばかりなのです。

そばというのはお米が作れないほど気候が厳しい、地質が貧しいところに植えても収穫できる作物だそうで、たしかに福井の永平寺とか長野とか北海道とか、そばの産地は山の中の高冷地に多くて、「貧しいからそばを作るのさ」って見下すようにいう年配の人もいるんですが、小麦粉だらけのその辺のおそばより美味しいんだから、べつにいいじゃない。今はお金さえ出せば、お米なんてどこでも買える時代になったんだから。

日本の食糧自給率は40%とかで、そば粉はほとんど国外産だそうですが、これらの店は長野や北海道の国産そば粉を使用して、コシがあって美味しい。席に着くと、おねーさんが持ってきてくれるお茶碗に入っているのは水でも番茶でもなく、そば茶。あとでそば湯がポットか湯飲みに入って必ず出てくる。そばを茹でたあとのこのお湯には栄養分が流れ出しているそうで、そばよりそば湯の方が二日酔いに効くんだなあ(年をとっても進歩がない)。
そういうお店は、ネギやとろろや玉子や海苔などのほかの素材にも気を配って、なるべく地元のいい素材を使っていて、当然ですね。とろろいもに混ぜる玉子は新鮮なほうが、いももそばも味が良くなる。その結果、そういうお蕎麦屋さんに置いてあるメニュはすべてがヘルシィで、なにを食べても美味しくて、食べたあと体調が良くなって「食べるお医者さん」みたいだ。

★金沢めん類マップ

こういうお店は、むかしの日本家屋を改築して居間に囲炉裏を切ったり、民芸調のテーブルセットを置いたりして、そのお宅を訪問して美味しいものをごちそうになる、という雰囲気のところが多い。
店主が女性のところも多く、夜は予約制のところが多く、少数のお客さまに心を込めて作ったお料理を食べていただきたい、という「大量生産、大量消費」ではなく「おもてなしのこころ」で営業していて、あんま儲からないや。でもそういうものを食べて喜んでくれるお客さんの顔を見たいから、私この店やってるんだもん、しかたないや。って店主の笑顔を私は一人で想像してしまって、ますます体調が良くなります(笑)。

たべもの屋さんのお仕事ってほんっとうにタイヘンだろうな〜って思います。材料調達とか仕込みとかで時間は不規則で、水とかナベとか重いものを運んで、粉打ちとかもものすごい重労働で。そういうなかで「笑顔で微笑んでいるようなそば」を出してくれる先に挙げたようなお蕎麦屋さんが金沢には増えていて、そういうところにかなり常連客が付いていて、観光ガイドにものってるせいか、狭いお店は平日でもけっこう満員で入れなかったりします。

金沢の名店「砂場」は無くなりましたが、こういうお店がつぎつぎと生まれて、それぞれが繁盛しているところをみると、ほんとうにいいもの、ほんとうに食べたいものを作りたいと思っている人がいて、そういうものを食べたいという人がいて、そういう人たちがこういう店を支えている…。それはとってもいいことじゃないか?と思うんですね。「砂場」の魂を私たちは引き継いで後世まで受け渡ししていかなきゃいけない(なにしろ江戸ですからね)。
べつに永平寺でもいいんですが(福井県のここも、おそば名所!)、美味しいものは人を幸せにしてくれるということを教えてくれるお店がこれからも増えて、たくさんの人にそういうお店を知ってもらって、行ってもらって、「ああ、いいお店だなあ」って思ってもらえたら…。

これらのお店は冷たいそばが多いんですが、そば粉100%の十割そばは熱を加えるとバラバラになってしまって、つなぎに小麦粉を加えないと温かいそばは作れない。そば粉の風合いを大事にすると冷たいそばになるそうで、唯一温かいそばを作る「くら」は二八そばにしているそうです。
そばって本当に難しい生き物ですねえ。
でも私はかつて「砂場」で食べたあのまっ黒なツユにごま油で揚げたえび天とほうれん草をのせてユズを散らしたなかにそばが泳いでいる江戸前の「天ぷらそば」が忘れられず、ときどき無性に食べたくなって、荒野に向かって「砂場、カムバ〜ック!」って叫んでいます。