20039月の トンテンカン劇場

2003/9/26(金)『「冒険活劇」復活への計画書(マル秘)の続き』

最近ビデオで「TRY」を見ました(正確にいうとDVD。この調子でいくと「踊る2」は年末くらいか…)。
これは戦前の上海で織田裕二くん扮するサギ師が日本軍の将校をだまくらかして、中国の革命のために日本軍の武器をごっそりいただいちゃう、という日本版「スティング」のお話です。
西欧とアジアが出会う町。「魔都」と呼ばれるくらいいろんなものが混乱して、その混乱の中で人々が生きていた町、「上海」。
かつて私も戦前の上海を舞台にした話を描きましたし、昔の上海を舞台にしたいろんな話も見てるんですが、あっ、こういう視点もあったのか…!と驚いて、次にすっごく悔しくなった(笑)。

織田くん扮する「伊沢」には朝鮮人のサギ師仲間がいて、中国人革命家から依頼を受けて彼らのために働くんですが、「伊沢」も朝鮮人サギ師仲間も革命を志す中国人も、みんな自分たちの「国」から追放されたアウトローで、国境を超えた彼らが大都会の深い夜の闇にもぐり込んでしまえば、そこは人間と人間として利益を計りあったり、感情でつきあうしかない世界で、その間に信頼や友情が生まれれば、「国」なんて後からついてくる副次的要素にすぎなくなる。

これまでエリを正して向かいあうものだと思っていた「国」や「歴史」が、織田くん演じる「伊沢」というカッコよくてひょうひょうとしたキャラクターの前にガラガラと音を立てて解体して、映画を見終わったあとに「人間」という見透しのいいパースペクティブが残る。
日本語に加えて、中国語、朝鮮語、フランス語、ドイツ語、英語(ロシア語もか?)をペラペラしゃべるサギ師になるのはすっごくムツカシイと思うけど(笑)、「伊沢」みたいな人間って私、ぜったいあの時代の日本にいたと思う。この映画ってひょっとするとそういう日本人を描いた初めての作品かもしれない。

でもこれ負け惜しみにきこえるかもしれないけど、ホントに負け惜しみかもしれないけど(^^;)、ウソの話ってディテールを忠実に再現しないと、ウソになる。映画自体が一つの大きな「ひっかけ(スティング)」だから。
西太后は死んだのにまだ清朝だそうだから、時代は1911年(明治44年)くらいだと思うんだけど、そうすると伊沢はそういう背広は着てないぞ…!ってチェックをビジュアル面から入れちゃって、ストーリーの「ウソ」と「歴史」のウソを重ねられなくなる。
脚本もストーリーを展開すると同時に、歴史を現代から逆照射するというメンドーな作業を負荷されているから説明不足なところが多くて、これ、2時間の映画より、連続テレビドラマでやったほうがいいんじゃないか〜?
って思ったとたん、フジの月9で13回連連続でやったらどうなるかってイメージが私の頭にド〜ンと浮かんだ(笑)。

とにかくこの映画には個々の作品を超えて、観客が熱狂する「要素」がそろっているのです!
エキゾチックな非現実の舞台背景、酒場の歌姫(でもウラで革命運動に通じている)、現代とは比べものにならないくらい振幅の大きい友情と裏切り、アタマも家柄も権力もすべて持ってるカッコイイ悪役。
「ガジェット」というか、ユング心理学でいう「アーキタイプ」というか、花開く日本アニメの世界。つまりアムロとシャアなのだ(笑)。

脚本家には「歴史もの」の大家ではなく、恋愛事情や日常的風景を描くのが上手い若手を選ぶ。たとえば宮藤官九郎さん?
じつはこちらではずっと「池袋ウェストゲートパーク」の再放送をやっていて、「TRY」を見てそれがクロスしてしまった。
その脚本の中で、彼らはエキゾチックでウロンな大都会の底に吹きだまって、金の話をしたり、理想を語りあったり、女をめぐってケンカをしたりしています。
そんな中に、突然もうけ話が飛び込んでくる。
駆け引き、友情、裏切りが飛び交い、「ダース・ベイダー」のように信念を持って、どこか屈折した過去を持つ「悪役」が現れて、毎回そのカゲがラストをかすめるのを「ヒキ」にする(もちろん「視聴率」狙います^^;)。

ここで一番大事なのは音楽。
「TRY」ではディキシーランド・ジャズっぽい音楽を使ってましたが、もっとパーカッションをキツくして、トラディショナルな中に現代的エッセンスを加えた音楽にして、現代から響く不安が過去に向かっていくような音楽をラストに流して、そこに毎回「続く」の文字をかぶせる。

「トレンディ・ドラマ」はとっくに終わっているんだから、私としては週に一度くらい現実を忘れて別世界でトム・ソーヤやピーター・パンといっしょに遊ぶ「冒険活劇」を、カッコイイ役者さんと今は旬と咲きほこるキレイな女優さんたちの実写で見たいのだ。
それは地湧き肉踊る、愛と陰謀と友情と裏切りのタペストリー。
ディズニーランドの「ホーンテッド・マンション」や「カリブの海賊たち」に脚本を与えたら、人形たちはきっとこうやって動きだす…!という華麗でドラマチックなストーリー展開。
場面もヒッカケも、キッチュでウソっぽくて、しかし「感情」だけは真実でピュアで、「ウソ」をつけばつくほど時代や歴史を超越して「真実」を伝える。そんなドラマに、連続テレビドラマ「TRY」はなるんじゃないか?!
だって今、冒険活劇をやってるのはアニメと「ひょっこりひょうたん島」だけですよ…?

でもきっとテレビでは上海ロケも香港ロケも予算オーバーで、こういう話は企画会議の机に上がったとたんボツになるんだろうな…。
こんなドリーム見てるより、自分でそんな漫画を描きなさいよ…!っていわれそうなんですが、はい。爾後よく検討してみます。

最近TVで見ているのはNHKの金曜時代劇「蝉しぐれ」です。
見る気もなくTVを付けていて「文四郎さま」「お福」という会話をきいて、ピッ、と耳が立った。
これはかつて宝塚星組で紫苑ゆうさんと白城あやかさんがやった「若き日の歌は忘れじ」ではないか?
藤沢周平さんの原作で、宝塚には地味すぎると客の入りはイマイチだったが、「よかった」とか「アレで紫苑さんやあやかさんのファンになった」という声も多い知る人ぞ知る名作で、映像化されるのは初めてじゃないかと思う。
内野聖陽と水野真紀のキャストがはまっていて、脚本の黒土三男さんはこれまでさまざまの人気ドラマを送り出してきたベテランの脚本家さんですが、そのベテランのドラマになぜクドカン(宮藤官九郎、劇団「大人計画」のメンバーで「池袋ウェストゲートパーク」や映画「GO」の脚本家)が出ているのか、不思議なことだらけのこのドラマの完成度は、異様に高い。
役者も演出のテンションも高いし、小室等さんの音楽はイスラムの宗教音楽やホーミーなどをバックに流して、それが江戸時代と違和感なくマッチしているのはナゼだ。たしかにホーミーの声は「蝉しぐれ」に似ているが。

「天下を取る!」というキャッチ・コピーで派手に攻める戦国時代と違って、江戸時代というもうすでに出来上がった「箱庭」で、お家騒動とか家老の失脚とか長屋に引っ越したとか禄高がアップしたとかいうことしか事件にならない地味でせちがらいサムライ人生を、これほどスリリングで官能的なドラマに仕立て上げるなんて、すごいっ!

こーゆー人の心を揺さぶる求心力のあるドラマって、必ずプロデューサーか、演出家か、外から見ていると分からないけど、中心のどこかに役者とスタッフを引っぱっていく人物がいて、彼のもと、役者やスタッフたちが和気あいあいと楽しく番組を作っているかというと、みんなどうやったらこの役を上手くやれるんだろう?とか、あいつなんてムチャいうんだ、現場をまったく分かってね〜よ、くそっ、しかたねぇ、上手く撮影するためにもう一回やろう、今夜は徹夜だぜとか、ビリビリの緊張状態の苦しい精神状態が続いていたにちがいない(笑)。いつもイライラして、みんなヒステリーばかり起こしていて、一触即発のスタジオだったにちがいない。でも自分たちはすごい仕事をしてるということもどこかで分かっていて、ま、この作品が上がったら、プロデューサーと脚本家の殺し方を考えようって思っていたにちがいない(笑)。

このドラマを見ていると作品の面白さと同時に、ものを作る人間のあらまほしき姿が見ているこちら側にも伝わってきて、そうそう、苦しみたまえ〜、もだえのたうちまわりたまえ〜、キミタチは今一番幸せな状況にいるのだよ〜ってコトホギながら、私はとても幸せな気分になります。

 

 

2003/9/11(木)『「冒険活劇」復活への計画書(マル秘)』

今年は『サングラスの夏』になると思っていたら(「マトリクス2」を見てネオごっこをする)、『パイレーツ・オブ・カリビアン』 の夏でした。
『盆踊りの夏』になる可能性もあったんですが、郡上踊りは来年に延期です(爆涙)。

むかしコンピューターゲームの「大航海時代」にいっしょに狂いまくった友人が「いいの〜、ディップがいいのよ〜!」と電話の向こうで大興奮しまくって、私はこのごろ金沢であまり映画を見なくなっていて、というのも金沢の映画館はすべて潰れて、郊外のシネ・コンに行くのはメンドーで、しかもシネ・コンはビデオ上映が多いとかで、粒子が粗いのはそのせいかあっ!「マトリクス」の画面が粒子ザラザラなんて映画の自殺ですよ。これならウチで貸しDVDを見た方がマシ。「ビデオを待っちゃダメ?」と聞くと、「大画面で見た方がゼッタイいい!」

というわけで、天気が悪いのにむし暑い中をえっちらシネ・コンへ出かけたら、『パイレーツ・オブ・カリビアン』はよかった!ディップがサイコー!大笑いしながら18世紀のカリブ海でいっしょに海賊をやって、船で風切って、海に沈んだ(笑)。このスカッとした臨場感は大画面で見ないと味わえない。映画館で見てホントよかった。少なくとも「ユナイテッド・シネマ金沢」の中央の一番大きい5番ホールはフィルム上映だと思う。画面がキレイだったし、スピーカーもまあまあだった。

ディズニーランドの「カリブの海賊」のイメージを映画にしたそうですが、脚本があのディズニー映画なのにディズニーをおちょくりまくったトンデモ・アニメの「シュレック」の脚本家とかで、いにしえの海賊活劇の王道を行っているのに、どっかオカシイ。
もちろん一番オカシイのはジョニー・ディップ。ドレッド・ヘアの長髪にジャラジャラビーズつけて、あごひげを三つ編みにあんで、日よけのタールを目の下に塗ると、整ってるけど寸詰まりのあの顔がまるきりアニメのヒーロー顔になる。まっすぐ歩けない軟体動物のようなこの海賊は、じつはジャマイカの怪しいレゲエオジサンではないのか(笑)。
彼の演じる海賊同士の復讐劇に、汚れをしらぬ青年(オーランド・ブルーム、「指輪物語」のエルフ族の弓の名手レゴラス役)と貴族の娘の身分違いの恋がからんで、アステカの呪いを受けて月の光を浴びると骸骨になる悪い海賊役を名優ジェフリー・ラッシュがやっていて、彼ったらあまりにイイ男なので、その悲惨な運命につい同情してしまう(笑)。

とにかく海の画面がキレイで、船から海に落ちてどっぼ〜ん!というところを、海底のカメラから撮って、魚の群れが泳いでいるところに人が落ちて、泡とともに沈んでいくと驚いた魚たちが逃げまどうシーンなどうっとりしてしまう。

『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見てから私はしばらく正気を失って、私はホントは漫画家なんかじゃなく海賊になりたかったんだ!大海原に船をこぎだして、町々を略奪したり、戦艦と戦ったりしたいんだ〜!と、「大航海時代」の新作はないかと「光栄」のH.P.に行ったら(私は「大航海時代」でいつも職業「海賊」を選んでた^^;)、新しい「大航海時代」のMac版は出ていなくて、目の前真っ暗。

以前に地中海の海賊を描いたことがありますが、地中海の海賊はキリスト教国とオスマン・トルコの海軍の対立関係に収束されて、カリブ海の海賊のような自由度に欠けて、同じ海賊でもちょっとニュアンスが違うのです。
私はカリブ海で海賊をやりたい!と、「カリブ海の海賊たち」みたいな本を探して読んでみたら、れれれ〜っ?!

資料で読んだ現実のカリブの海賊たちは、スペインが侵略した南米大陸から宝を運ぶ船を、イギリスやフランスに保護を与えられたならず者たちが略奪して、ヨーロッパで和平条約が結ばれれば、手のひらを返したように自分たちのジャマになると、各国の海軍は彼らを討伐して、一方海賊たちは海賊たちで大海原の自由な仲間として同盟を組んだかと思えば、戦利品を争って裏切りあったり内紛で殺しあったりしてみんな自滅する。
なんだ。これはカリブ海の「仁義なき戦い」じゃないか?

なにか面白いな、と思ったとき、私は資料調べをして、そのなかに普遍的な要素を見つけだしたとき、それをフィクションに再構成するという手法を使うんですが、これほど資料とイメージが解離したことは初めてでした。「海賊」ときいて人々が想像するイメージと現実の「海賊」はまったく違う。もちろん客観性の皮をかぶりながら、じつは主観性のかたまりというウサン臭い「歴史」なんてものと長くつきあってきた私は、世の中なんてそんなものさ。ふっ。とサトリをひらくのも早いんですが、「現実」の海賊と「想像」の海賊のあいだには共通点すらないんじゃないのかなあ?

ここで「海賊になる」ということはどういうことか?
という哲学的命題について、思弁を深めてみることにしましょう(ぷっ)。

海賊になること。それは宝を求めて、富を求めて船に乗って、大海原に出ること。生まれ育った故郷を捨てて、国にも権力にも縛られず、ウデ一つでこの世を、いや、海を渡っていくこと。力と人望だけを頼りに実力主義の世界を生きていくこと。そして自由と引きかえに手に入れるのは、定かならぬ明日。モットーは「短く、愉快に生きること」。
ところが現実の「海賊」ときたら、国と国の事情のあいだに嵐の海の小舟のように翻弄されて、自由や仁義など二の次で、裏切りと謀略を繰り返して刹那的人生を生きるだけのバカばっか…。

とすると、この映画の中でディップが演じていた海賊は「現実」の海賊ではなく、人間が「海賊」という言葉を聞いて想像する「イメージ」そのものを、彼はそのジャマイカ風のステップで再現して、増幅して、スクリーンの上に造形していたといえましょう。

最近「ショコラ」(「ギルバート・グレイプ」を撮ったラッセ・ハルストロム監督)と「耳に残るは君の歌声」(「オーランド」や「タンゴレッスン」のサリー・ポター監督)と、ディップがヨーロッパをさすらうジプシー役をやる映画を続けて見たんですが、この人は純情なアングロ・サクソンの青年とかではなく、社会から疎外されたアウトサイダーをやったほうがイイなあ。
ネイティブ・アメリカンの血を引いているそうなので、アウトサイダーの役をやるとその心の有りようが演技に出るのかな。
と思っていたんですが、そういう思いに「パイレーツ・オブ・カリビアン」を加えると、この映画でジョニー・ディップはたぶんアカデミー男優賞とかはきっと取れないだろうけど、この映画を見た人々は、彼こそ私が思ってる「海賊」そのものだ!とそのジャマイカン・ステップにカンドーして、一生忘れられない映画になるんじゃないかな。

好評につき「2」も作られるようです。
出るのかな、ジョニー・ディップ?