20037月の トンテンカン劇場

2003/7/10(木)『時間の中の街の風景』

梅雨まっさかりでございます。ふう〜っ。
私は雨が降るとおなかをこわしたり体が動かなかったりと湿気にとても弱くて、金沢はいつも梅雨みたいなものだけど、さすがに灰色の空を見上げる日がこんなに続くと、どうにも体が動かなくなってツライです(涙)。
台所で火を使うと暑いのであまり入らないようにしてたんですが、こりゃイカンと一念発起してキムチ鍋を作って汗を流しながら食べたら、血行が良くなって元気になった。う〜ん、バテてるときは中華料理、おでん、キムチ鍋など火をたくさん使った料理を食べるのが、私のような血行の悪い人間にはやっぱりいいのね。

さて、西洋館がキライな女の子はいないと思うんですが(笑)。
私がちょうど東京に出た頃「帝都物語」(荒俣宏)が出版されて、それと藤森照信さんの「建築探偵」の本を片手によく東京をぶらついたものでした。私が住んでいた善福寺から武蔵野にかけては一歩入ると西洋館銀座というくらい戦前の面影が残っているところで(そもそも通っていた学校が西洋館^^;)、編集部があった神田も戦災を逃れた印刷所や商店が残っている、ノスタルジックでハイカラなフシギな町でした。

金沢も戦災に遭わなかったせいで大正か昭和初期に建てられた古い西洋館が今でもけっこう残っているんですが、近所に買い物に行くときにいつもその前を通る西洋館がありました。
そこは内科・小児科の看板が出ているお医者さんで、金沢の西洋館の半分くらいってお医者さんですね(あとの半分は古い問屋さんや商店)。西洋の医学を勉強したお医者さんは、西洋の技術といっしょに西洋の生活も導入したんでしょうか。

その西洋館は木造二階建てで、青いペンキで塗られていて(大韓航空の機体を塗る青いペンキを白い木に塗ったようなそらいろブルー)、横に大きな日本家屋もくっついていてかなり広い敷地で、古い西洋館の医院はよく二階が入院施設になっていたりしますが(今は使われていなくて、閉められた窓の破れたカーテンの向こうに荷物が積み上げられていたりする)、ここは病室も無さそうで、ずいぶん広いけどほとんど使われていないみたいだな。

などとストーカーするより、風邪ひいたときに一回かかってみればよかったんですが(笑)、ここに引っ越してきた20年ほど前はたしかやっていたんですが、気がつくと「内科・小児科」の看板が無くなっていました。
ああ、引退されたんだなあ。それともおじいさんが亡くなられたのかなあ。
病院を継ぐ人はいなくて、お子さんがいなかったのか。いや、きっと息子さんは秀才で東京の医大に行って、そこを卒業したあとに大学に残ったか、大病院に入って将来の病院長と言われるくらいの大活躍をしていて、あちらでどこぞのお嬢さんと結婚して、今やどうにも金沢の町医者にはなれない事情ができて、ご両親も「戻ってくれ」とは言えないんだろうな…などと私は一人で勝手に想像しておりました。

このお家は道が交差する角地に立っていて、西洋館の脇から草むらが続いて、そこに花が咲いてて灌木が数本立っているという野原みたいなお庭が広がっていました。ヘイはブロック塀ではなく低い格子鉄線で、それに野バラのつるを這わせたりしていて、外を通る人からもよく見えました。

病院が営業を止めたあともずっとお庭は手入れがされて、いつもきれいでした。
枯木だらけで桜も咲かない寒い季節に、この庭の草むらに水仙の花が咲いているのを見つけると、ああ、春が来るぞと嬉しくなったし、それから横を通るたびに、あやめが咲いている。ハナミズキが咲いている。
庭のかたすみにはスズランとライラックの木があって、ここは5月6月に北海道ステージになりました。金沢では育ちにくいのか、知名度が低いから育てないだけか、どちらも金沢の花屋さんやお庭ではあまり見ない草花です。ひょっとして思い出の北海道旅行のお土産…?
秋になると草むらににょきっと桔梗が咲いていたり、コスモスや紫苑が咲いていたり。
つぎつぎと花が咲いて、刻々と景観が変わっていって、今日はどんな花が咲いてるんだろうとその庭の横を通るのがいつも楽しみでした。

おばあちゃん、がんばってるねえ。
何回もこのお家の横を通りながら、私はこのお家に住む人を一度も見たことがないんですが、おばあちゃんが朝か午前中にお庭の手入れをしていたら、その時間に私が通りかかることはなかったでしょう(^^;)。
私は勝手におばあちゃんにこのお庭を手入れさせていますが、男が作るお庭と女が作るお庭は違うような気がして、構成力はないけど、愛と優しさが庭中にあふれているこのお庭を作っているのはたぶんおばあちゃんだと私は思ってた。

そんな野原みたいなお庭でしたが、さすがに何年か前から春が来ていろんな花が咲いても、いつまでもほんとうの野原みたいになったとき、あ、とうとう、と思いました。
おばあちゃんも倒れたんだ。
それともずっと「来いよ、来いよ。一人じゃ心配だから」と言っていた息子のいるところへ行く決心をしたのかな。

それから西洋館は青いペンキがどんどんはがれ落ちてはげちょろけの幽霊屋敷になって、お庭は草やお花が生え放題の本当の野原になって、だれも住んでない廃墟だと一目で分かるようになっても、そのお家はずっとそのままそこに立っていました。
誰も住んでいなくてもう要らない家なら、なぜ壊さないんだろう、なぜ売らないんだろうと、その側を通るたびにフシギでした。
買い手がつかないのかな。
それとも有名大学の教授になった息子が、いつか戻ろうと迷っているのかな。
それとも医者になった息子と、結婚して県外へ嫁いだ娘のあいだで相続問題がこじれてモメているのかな。
おっと、いつのまにか妹まで作ってしまいました(笑)。
でもこの家の子供は両親の愛を受けてのびのびと育った一人息子のような気がするので、私の想像の中では一人息子ということで話を進めさせていただきます。

息子は自分が育ったその家が大好きで、その家でお医者さんをやってるお父さんと毎日お庭の手入れをしているお母さんが大好きでした。
でも自分がその家に戻ることはないと知っていたし、いつまでもその土地を荒野にしておくこともできず、迷ったあげくやっとその土地を手放す決心をしました。ひょっとすると東京か埼玉に新しい病院を建てることにしたのかもしれません(笑)。

というわけで、梅雨時にしばらく外を出歩かないでいたら、その西洋館があとかたもなく解体されて、盛り土のサラ地になっていました。
その横を通りながら、まったく、なあ。木造住宅を解体するのって二、三日しかかからないんだなあ。無くなるときは本当にあっという間になにもかも無くなってしまうんですね…。

なんであれ、誰であれ、好きなものを無くすのは悲しいことです。あのお庭は永遠にこの地上から消え失せて、もう二度と見ることはできないんだなあ。

しばらくあの西洋館があった道を通らないようにしようと思っています。
ここにあの庭があったと思い出す私の記憶が薄れて消えるまで。