20036月の トンテンカン劇場

2003/6/26(木)『おそうじ「虎の穴」大作戦』

カラー・イラストを描く仕事をしながら部屋の模様替えをやっていたら、これは散らかすことと片づけることを一緒にやっているようなものなので、能率の上がらないことこの上ありませんでした(^^;)。

三年前に今使ってるデスクトップのパソコンを入れた時に部屋の大掃除をしたんですが(2000年の4月にMacのG4を入れました)、それからあっという間にどんどんモノが増えて、ふっと気がつくと床が消えていて、部屋を横切ろうとするとつま先立ちになって、いろんなモノにけっつまずいてヨロヨロよろめいて「おっとっとっと」と八方を踏んだり、テーブルに手をついて必死で支えたりして、ああ、私はいつか部屋の中で本か家具につまずいて、倒れたところにきっとイスかダンボールの角があって、それに頭を打ちつけて死ぬ運命なんだろうな、と覚悟を固めつつあった今日この頃。
先日のGWにやって来た恐怖の「お掃除部隊」ときたら、とにかく情けも容赦も遠慮もなく、捨てる捨てる捨てまくる。

「これ要らないんでしょ?」「でもいつか使うかもしれないから…」ポイッ。
「これなに?」「景品でもらったんだけど、タダでもらったものを捨てるともったいないから…」ポイッ。
「これなに?」「無印や通販生活のカタログだけど、いつか買うかもしれないから」「買うときは新しいカタログを請求しなさい。請求しても手に入らないときは、潰れたってことだから買えません」ポイッ。
友人たちのうしろで「もったいないオバケが出るぞ〜、もったいないオバケが出るぞ〜」と踊っていたんですが、とにかく彼らが掃除していったところは今やスキップして回れるくらい空間がいっぱいで、床が見えるって素晴らしいことですね(笑)。久しぶりに部屋の中で簡化太極拳二十四式をしています。
掃除というのは60%が「捨てる」ことで、30%が「磨く」ことで、10%が「しまう」ことだ…とつくずく悟ったんですが、これは私だけ…?

しかし私たちはどこかで捨てることは「悪い」ことだと思っていないでしょうか…?ウチのおばあちゃんは包装紙やそれを包むヒモをぜんぶキレイに折り畳んで押入にしまっていて、いつまでもすり切れたキモノを大事そうに着て、その背中で「モノを大事にしなさい」と小さい頃から教えてくれたおばあちゃんの姿が、何か捨てようとするときにいつも私の頭のスミを横切るんですが、おばあちゃんが育った昭和初期はモノを捨てると生きていけなくなる貧しい時代で、今はあふれるモノを捨てまくらないと部屋の中で人間がゴミに埋まって窒息する「豊かな」時代だ…ということが、私はどうも生理的になかなか納得できないのです。

ウチの冷蔵庫はあのテレビCMの「教授、この日付『昭和』です…」がジョークではなく、すぐそこにある実存だったんですが(Ziploc買いました。たしかに便利です^^;)、今や壁面が見えるくらいピカピカのスカスカで、スカスカだとどこに何があるか一目で分かって、友人に「あるものを食べなさい。新しく買うのは無くなってからにしなさい」と言われて、「なるほど〜」。
私はとにかく冷蔵庫をいっぱいにするのが大好きで、冷蔵庫がいっぱいだとそれだけで幸せになって、徹夜に次ぐ徹夜でロクに食事もとらず、冷蔵庫の中のモノすべてを腐らせて、食べるものがなくなるとまた新しく買って、それを腐らせて、また新しく買って…ということを繰り返していました。べつにひもじさに泣いた覚えはないんですが。食い意地がはってるのか。たんに整理整頓が苦手なのか…。

とにかく私の友人たちはみんなモノで溢れかえった部屋に住んでいて(漫画家でなくとも)、なにせどこへ行っても日本は住宅事情が悪いですから、捨てられない好きなモノや好きな本をちょっと部屋にコレクションすると、家中がモノで埋まって身動きできなくなって、そのストレスでみんな「引っ越したいよ」とか「倉庫借りたいよ」とかボヤいてるんですが、たぶん生活空間におけるインテリアというのは二つの役割を持っているんじゃないかと思います。
好きなモノや好きなモノがのった本をカベにぎっしり配置した友人の部屋に入って「うわっ、これは結界だ」と後ずさりしたことがあるんですが(笑)、外の世界から「自分」をガードすることがインテリアの一つめの役目。
同時に自分の生活と外界をスムーズに風通しよく繋ぐことがインテリアの二つ目の役目。自分をリフレッシュさせたり、友人たちを呼んで騒いだり、外へ出ていくための創造的ベース基地として自分をパワーアップさせる場所を作ることです。内と外へ向かう二つの相反する役割を要求されるからインテリアという「生活空間創造技術」はムツカシイ高等技能とされて、こんなに人が整理整頓術やリフォーム情報に心ひかれるんじゃないでしょうか。

今回私の部屋を片付けてくれた恐怖の「お掃除部隊」も人一倍モノに対する執着心が強いんですが、それに優先順位を付けて整理し、必要なモノと要らないモノを区別して選別することにおいて異様な才能を発揮する人たちで、その作業を目の前に見てその指導を受けられたことは私にとって刺激的でとても勉強になりました。彼らが私に教えてくれた『おそうじ虎の穴の七つの鉄の掟を、日夜つま先立って歩きカベやドアにぶつかってこぶを作ってはもっと広い部屋に引っ越したいと願っている人たちのために、ここにご紹介いたしましょう。

●ゴミは一日一回捨てる(容器がいっぱいになるまで待たない。一日、一ゴミ)

●明日にしよう、とは思わない(「アスタ・マニャーナ」はゴミの辞書には無い)

●冷蔵庫はつねに空間を保持し、一週間に一度は残飯整理で冷蔵庫を食べ尽くす。

●床の上にはモノを置かない(買ってきたものは片づけ、出したものはすぐにしまう)

●5月と11月に点検、大掃除する(天気が悪い年末ではなく、お天気がよくて窓を開けていても寒くない5月と11月に大掃除はやるべし)

●カーテンは夏に洗う(布のカーテンはクリーニングに、レースは自宅の洗濯機。すぐに乾くし、カーテンが無くても寒くない)

●レンジ・フィルターは三ヶ月に一度交換する(つまり油汚れがついてさわるのがイヤだな〜と思う前に交換する)

いかがですか?かなりユースフルな提言だと思うんですけど。
私はこれを書いた紙をすぐ目に入る机の横に貼っています。

恐怖の「お掃除部隊」のおかげで、私の部屋に数年ぶりに再び空間が生まれたので、そのスペースを利用してもっと住みやすい、仕事のしやすい部屋にしようと、インテリア大改造に取りかかりました。
新しく机とカーペットを買いました。

3年前パソコンを入れたときに、大学時代から使っていた机をトンカチでぶっ壊して(その前は友人のお兄さんの机だったという年代モノ)、空いたそのスペースにパソコン・デスクを入れたんですが、たぶん部屋に初めてパソコンを入れるときに「ここが空いてるから、ここに置いてちょうだい」という大邸宅に住んでおられる方はほんの少数で、ほとんどの人は机を片づけたり、ステレオを外に出したり、部屋をひっくり返して大掃除をしてパソコンを入れる場所を作るんじゃないかと思います。私もこれまで机があったスペースをパソコンに明け渡したので、それまでそこでやっていたWORKSをどこか別の場所でやらなくてはならなくなって、ダイニング・テーブルを仕事机にすることにしました。生活空間と仕事空間の兼用です。

それまでもその境界は曖昧だったのでさほど不都合は感じなかったんですが、問題はスペースの広さや余裕ではなく「ここはなにをする場所」という役割が曖昧になったことでした。
つまり、これまでも私は多くの原稿を「ダイニング・テーブルの上で」描いてきたんですが、それは「しめ切り」という恐怖のナイフにいつも背中をつつかれていたからで、しめ切りを考えずに好きなものを描こう!とダイニング・テーブルの前に座ると、つい好きな料理本や好きなテレビを見てしまって、時間が日々の生活に流れてしまって、原稿は明日でもいいだろうとスタコラサッサと逃げてしまって、これはどうもマズイ。すごくマズイ気がするぞ。
「しめ切り」という恐怖のナイフが無いなら、座るだけで原稿を描かなくてはならない「場所」を作ることにしよう。と、机を買うことを決心しました。
しかもなんと欲しかったのは『学習机』です(笑)。
目の前に本や文房具を置く棚が付いていると便利かもしれない。
その棚にPOST ITのメモを付けたり、お気に入りの絵はがきをピンで留めたりしたら、そのLANDSCAPEが視線を遮ぎり、内へ内へとこもる「特別な場所」を作ってくれるんじゃないか、 と思ったんですね。

そんなわけで学習机を求めてシーズン・オフの6月に金沢中の家具屋さんを回って「お子さんのために大変ですねえ」とか言われてニャムニャム笑いながら、売れ残ってホコリをかぶっていたなんだかアヤシイ学習机を安く買いたたいて購入しました。

その学習机を部屋に搬入して「そこじゃない、ここここ。あと十センチ、右、いや左…!」とかいいながら配置して、その机でカラー原稿を描いたりしていたんですが、いや〜、この机が何を考えてるのか私にはさっぱり分かりません。
漫画を描くときの道具は右にペン・カーゴ。左に絵の具。中央に水差しと筆を拭くためのタオル、といつも配置が決まっていて、すべての配備が終わるとオートマチックに右手や左手が動き出して、それにつれてアタマも動きだして、気がつくと絵ができあがっているんですが、今はまだ原稿はここに置いて、パレットが左なら水差しは右で、え〜っと、筆は棚のここに置けるかな、あ、落っこっちゃった。ってカンジで、絵を描くこと以外にばかりアタマを使っています。
新しい机と私、まだまだお互いに偵察中みたいです。