20035月の トンテンカン劇場

2003/5/30(金)『腕におぼえあり』

「腕におぼえあり2」の再放送がNHKで始まったので、喜んで毎日見ています。(「1」はいつやったんだろう?)

10年前の金曜時代劇ですが、やっぱり面白い。
藤沢周平さんの原作は読んでないけど、江戸を舞台にした「用心棒稼業」のお話で、村上弘明は異様に長い二本の棒をさしたえもんかけがキモノを着て歩いてるみたいだけど、少女漫画のヒーローみたいにカッコイイし、渡辺徹はいかにも「江戸」って生活感があるし、ナレーションの山川静夫アナは迫力満点だし、なにより悪役の片岡鶴太郎の虚無的な無頼漢の役がメチャはまってる。
みんな剣の腕がたつ役ばかりなので、チャンバラ・シーンが迫力があって、みんなけっこうタテがうまい。村上さんとか鶴ちゃんは居合いとかやってるのかなあ。今ここに「殺気」が漂ってますよって演出でちゃんと見せているところがお見事。

金曜時代劇って大河より狭いスタジオだと思うんだけど、「武蔵」のタテにはナゼあれほど「殺気」が無いんだろう…?あそこまでいくと脚本が悪いんだか演出が悪いんだかもう見分けがつかない状態だけど(原作が悪いというのは最初から分かっている。「平家物語」や「鳴門秘帖」のほうがぜったい面白い。「バガボンド」の人は原作を読んでないんじゃないかと思う^^;)、踊りをやってる人があれほど腰が決まらないとは… 。
踊りも武術も腰が決まらないと上半身と下半身の動きがバラバラになるってとこは同じです。

NHK七不思議の一つは、金曜時代劇にはどうしてこんなに男がお風呂に入るシーンが出てくるんだ?(笑)。
今回もしっかり村上弘明と鶴ちゃんが銭湯で密談をしていました。これで由美かおるに勝とうと思ってるんだろうか…。

十数年ぶりに見て改めて注目したのは、本多等則さんの音楽です。
この方は世界的に活躍しているジャズ・トランペッターですが、テーマソングやバックに流れるプアッパパパラパ〜ッ!という音楽を聴きますと、ああ、マイルスがお好きなんですね〜!と、今の私には分かる(笑)。

べつにマイルスでなくてもいいんですけど、私が最近聴いて面白がってる音楽は「ハード・バップ」とかいう種類のジャズらしくて、脚本家かプロデューサーか分からないんですが「腕におぼえあり」のスタッフのどこかにジャズ・ファンがいらしたようで、あのドラマ全体がそういう音楽が響くことを計算した進行やシーンの構成になっている(と、私は思っている)。

「ハード・バップ」というのはどういう音楽かというと、いわゆる「モダン・ジャズ」と一般にいわれるジャズはまあみんなそういう要素を持っているようなんですが(私にもよく分からない)、マイルスのレコードの中では「カインド・オブ・ブルー」より「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」のほうに近い。
どこが面白いかというと(音楽を言葉で表現することほど無意味なことはないんですが、あえて!チャレンジしますと)脱構築っていうのかなあ、シンコペーションを変化させて、えっ?そういうリズムってあり〜?!って聴くものの意表をついて、流れを変えるっていうか、ガラガラポンしちゃうっていうか、背骨を抜いて違うカタチに作りかえちゃうっていうか。
なんか私はこの辺の音楽を聴いていると、ときどき笑い出しちゃうんですよね。視点を変えてそれまで見ていた世界がまったくちがう光景に見えると、そのショックを人は笑うことで吸収しようとするでしょう?
異化作用っていうのかなあ。
やっぱりうまく言えません。すみません。

これはクラシック音楽だとできないし、ロックでもできません。そもそもロック調のバック・ミュージックってあまり聴いた覚えがありませんが。

「腕におぼえあり」を見てると、このお話って個人と組織の対立とか、報われない恋とか、けっこう重くて暗いテーマを扱っていて、かわいそうな人がいっぱい出てくるのに、どこか明るくて風通しがいい。
アップ、ロング、心理描写、状況描写、シリアスな状況が笑ってしまうシチュエーションに変わるところとか、そういうストーリーと画像の演出を「ハード・バップ」的リズムを使って、生理的にうまく処理している。…って見てて思ったんですが。

ハード・バップ的な、つまり軽やかで明るいステップで世界をどついてガラガラ崩してつぎつぎと新しいパースペクティブを見せながら、緊張感にみちた重いテーマを展開する音楽は、私はぜったいシェイクスピアにあう!と思うんですよ。
蜷川さんや前衛好きの英国のロイヤル・シェイクスピアはきっともうやってると思うけど、効果音とかじゃなく、音楽とのコラボレーション劇としてジャズ仕立てのシェイクスピア劇を見てみたい。ぜったい面白いと思うんだけどな〜!

ところで私が一番笑ってしまうハード・バップは、あの「お上品」なビル・エヴァンスの「あなたと夜と音楽と」(「INTERPLAY」収録)です。
ビル・エヴァンスって深く深く海の底に沈んでいくような抒情的で内省的なピアノ・プレイが本領だと思うんですが、この曲はガラガラポンです。な〜にレッド・ガーランドごっこをやってんだ〜?(笑)
「Portrait in Jazz」の「枯葉」やギターのジム・ホールと競演した「UnderCurrent」の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を聴くと分かりますが、彼ってじつはかなりのぶっ壊し屋です。

「INTERPLAY」でドラムを叩いているのは、マイルスのグループで一緒にやっていたフィリー・ジョー・ジョーンズで(「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」のドラムは彼ですが、「カインド・オブ・ブルー」のドラムはJimmy Cobb)、この人はドラムを叩くのではなく、ドラムを壊す。ちっ、叩きすぎてバス・ドラ破っちまったぜ、しかたねえ、シンバルだ、あれ、走りすぎてこわしちまった、くそ、とにかく音を出せばいいんだろう、ドンガラガッシャ〜ン…まさしく「嵐を呼ぶ男」です。これで人を感動させるドラミングになるんだからまったく大したものです。

「Portrait in Jazz」や「Waltz for Debby」などではシャラララのブラシ多用のポール・モチアンと組んで優雅なアンサンブルを聴かせてくれるビル・エヴァンスですが、フィリー・ジョー・ジョーンズの破壊的ドラムと組むのも好きだったみたいで、彼がドラムを壊している横でピアノを弾くのがとても好きだったみたいです。
この「INTERPLAY」というレコード自体はトランペットを吹いているフレディ・ハバードの音がぜんぜんリリカルじゃないし、色っぽくもないので、あんまり好きなレコードじゃないんですけど(もう、マイルスったらちょっとエクササイズ代わりに吹いてあげればいいのに〜って思ったぞ^^;)、複雑なビル・エヴァンスの心境を知るにはいい一枚、って思うのは私だけ…?

彼はどこかでハード・バッパーになりたいと思ってたような気がします。
マイルスやレッド・ガーランドみたいに世界を壊して、そこに新しい世界を再構築するミュージシャンになりたいと思っていた。
でも彼の本質はそこにはなかった。違うところにあった。迷いながら、試行錯誤しながら、それを追究していった。…と思う私は、はい。ビル・エヴァンスのただの追っかけです(笑)。

ところで私は登場人物の名前にはあまりこだわらない方で、ワリといいかげんに名前を決めるんですが。
「信長」のネームをやっているとき、ちょうどテレビから「久慈、打ちました!」と阪神戦を中継するアナウンサーの声が聞こえてきて、なんか中世の武将らしい名前だなと「久慈三郎」にしたし(私は阪神ファンではない、どころか野球がよく分からない)、「ジークフリード」はとにかく主人公は「ジークフリート」で、友人のクルト・マイヤーの「クルト」は私の好きな作曲家のクルト・ワイルかもしれないし、「マイヤー」は東欧のユダヤ人の中で一番ポピュラーな名前と聞いて、それにした。
あるいはどこかのフランス料理店で、アルザス・ロレーヌ地方の白ワインを頼んだら、それがとても美味しくて、ドイツ・ワインはあんなに不味いのに、オーストリア・ワインは繊細でとても美味しくて(ほとんど国内で消費されて輸出されないそうです)、首都ストラスブールのアルザス・ロレーヌ地方は「最後の授業」で有名なドイツとフランスの国境で、ドイツ領になったりフランス領になったりしたところですが、ドイツ風の白ワインを作りながら、味はフランス風に美味しい、ということが印象的で、この辺りはユダヤ人が多く住んでいて、そのワインの名前が「なんとかマイヤー」だった、なんて思い出が影響してるのかもしれません。

しかし「オリンピアード」の岩田くん。
岩田くんってなんか美少年には向かない名前だわ。
綾小路とかとはいわないが、田中とか鈴木のほうがよかったのになあ、なんで私こんな名前を付けたんだろうと思いながら、毎週土曜日(と水曜日)はTVの前に座る私。今年は負け続けて、やっぱ去年総合優勝なんかするとモチベーションが下がるのね、と心配しながら、いつの間にか気がつくと立っていたいつもの首位の座。やっぱ強いわ、ジュビロ岩田、ん?字が違ってる。

…そういうことだったんですねえ。

2003/5/10(土)『「お祭り」の正しい設計図』

ゴールデン・ウィークに東京から「おそうじ部隊」がやって来て、嵐のように掃除して、つむじ風のように去っていきました。
いや。彼らは観光と美味しいものを求めて来たんだと思うんですが(笑)。
ウチの部屋を一目見たとたん悲鳴を上げて、かたっぱしから片付け始めて、部屋中を磨き始めて、ゴミと本を捨てまくって…ふううっ。おかげさまで今私は信じられないくらいとてもキレイな部屋に座ってこれを書いてます。本当にありがとうございましたm(_ _)m。私はこんなふうにキレイで美しい部屋が大好きなので、あれ以来「お掃除おばさん」と化して毎日部屋をピカピカに磨いています。いつまで続くことやら(笑)。

お掃除のあいまに、みんなで八尾の曳山祭りに行きました。
全国的に有名な富山県の八尾町の「越中おわら風の盆」は9月1、2、3日ですが、5月3日は曳山(山車。だし。京都の祇園祭の山鉾のようなもの)が町を巡回するお祭りがあるとかで、「風の盆」に行きたいなあとずっと思っていた私は「わ〜い、八尾だ〜、お祭りだ〜!」と行ってきました。
なんか、すっごく、面白かったです。

北陸自動車道にのって富山市のひとつ手前のI.Cで降りて、田んぼの中をしばらく走ると、金沢から一時間くらいで着く。な〜んだ、こんなに近かったのか!

八尾町は井田川という川からちょっと小高い山になっている斜面に、二本ほどのメイン・ストリートが引かれて、その周りに広がっている小さな町で、金沢の有名な観光スポット「東の廓」がちょうどこういうカンジなんですが、斜面に作られた「坂の町」という点ではイタリアのアッシジもちょっと思い出す。
聖フランチェスコ教会で有名なあの町も小高い丘に作られた「坂の町」で、古い町並みが続くビジュアル面だけでなく、町に漂う宗教的な雰囲気と(お祭りだったせいですが^^;)、住んでいる人たちがお客さまを迎える暖かい雰囲気がどこか似ている。

私たちが着いたときはもう曳山祭りは始まっていて、六つの曳山が順番に細い通りを練り歩いて町を一周するんですが、曳山というのは京都の祇園祭の山鉾みたいな上下に細長い二階建ての山車で、それが日光の東照宮みたいな細かくてカラフルな木の細工におおわれていて、上の階には紋付きはかまの人たちと一緒に木製のお人形が乗っていて、平安時代のお公家さんみたいのや中国の故事に出てくる人物や、それぞれの曳山によってお人形が違うみたいで、曳山の装飾もそれぞれその物語にそって作られているみたいで、下の階には音楽担当の方が入っていて、御簾の向こうで横笛と三味線と太鼓でずっとお囃子を奏でている。

その曳山を十人前後のお兄さんたちが前と後ろに別れてかけ声をかけながら威勢よく引くんですが、四つの巨大な木製の車輪にも金属製の装飾が入っていて、とても立派。 曳山全体が欄間のようでもあるし、全身に巨大な唐草モンモンのイレズミをしてるみたいでもある(^^;)。

町の人や観光客に混じってそれを見ながら、通りに並ぶ古い日本家屋を「キレイだねえ」と言いながら歩いていると、新築のお家なのに古い日本のスタイルで建てている家が多いのに気がついた。へえ〜、今でもこういう家が建てられるんだね。あとで「八尾工務店」という大きな看板のお店を見たので、きっとここがこの町の大工仕事を一手に引き受けてるに違いない(笑)。

諏訪町という通りに出ると、古い町並みが一直線に伸びてその向こうに緑が見えて、「うわ〜、キレイな通りだねえ!」ここは昭和61年に「日本の名通り100選」に選ばれたそうです。ナルホド。

家の前には鉢植えの植木や花が並んでいて、玄関にも大きな花瓶に花が生けられていて(お祭りだからでしょうが)、これもお祭りだからでしょうけど、どの家も戸も窓も開けっ放しで、覗き込むと上がりがまちがあって、そこに視界をさえぎる屏風があって、その向こうにチラッとお座敷が見える。私が小さい頃、近所の家はみんなこうだったなあ。しかも玄関の横に縁台を置いてある家が多い。夕涼みにぼんやり外を眺めたり、ご近所が遊びに来てそこで話し込んだりするための縁台。そう。このカンジがアッシジに似ている。縁台はアッシジには無いので、広場やカフェのベンチだけど(笑)。

ご近所でもないのに私たちは縁台に座り込んで、「暑いね〜、疲れたね〜」とパタパタ手であおっていました。9月の「風の盆」ではこの縁台を観光客が取りあうんだろうな。遠くからやって来るお客を迎えるためにこの縁台を置いているのかもしれないな。

昼食に入ったおそば屋さんで食べたとろろそばはとても美味しかったです。
地元のそば粉で作ったそばも美味しいが、山いもがとっても甘くて新鮮で、ネギも香りがよくて刺激的でさっきまで畑に埋まっていたみたい。醤油のお味もいいですが、きっと水が美味しいんだろうな。立山連峰からの水が町中の溝に流れていて、ドブが清流なのです、この町は。

町を歩いているといろんな家に「自治会会長」とか「警護」とか貼り紙がしてあって、「なに、これ〜。ほとんどの家が役職じゃない〜」(笑)。
入り口に大きな提灯がある古くてステキな建物には必ず「公民館」という看板がかかっていて、中には広いお座敷と御神酒の樽が積まれていて、人々が挨拶しあっている。
「さっきも公民館があったよ」「でも、ここも公民館だよ」「なんでこんなに公民館が多いんだろうね?」と言い合っていると、友人がケータイで情報を仕入れてきた。なんと八尾町の「風の盆」は町内の十一の町が歌と踊りを競い合うお祭りなんだそうです。「阿波踊り」の「連」と同じですね。
こんな狭い町なのに、十一の町はそれぞれ町内会を持っていて、それぞれが立派な「公民館」を持っていて、それぞれに自治会会長や副会長がいて、お祭りには紋付き袴をはいて挨拶しあったり、笛を吹いたり、山車を引っぱったり、踊りをおどったりするのです。うひゃ〜っ。

日本の夏祭りはふつう八月十五日の旧盆の前後だけど、「おわら風の盆」は九月の一、二、三日で、それは二百十日で台風のシーズンで、どうか悪い風がこちらに吹いてきませんように。稲が無事でたくさん収穫できますようにって祈るお祭りだそうです。だから「風の盆」なのね。

曳山の行列の前には、獅子舞をする人たちが歩いていて、これは邪気を払って通る家々に幸せがありますようにって祈る儀式ですね。

曳山の見所は、狭い路地の角を廻る「ぶん回し」
祇園祭もそうだろうし、毎年死人やケガ人が出ることで有名な大阪の岸和田の「だんじり祭り」も同じだと思うんですが、曲がり角に来ると、引いているお兄さんたちがかけ声をかけ合って、ものすごい力を出して「えいやっ」と山車を90度回転させる。
狭い道で上に長いバランスの悪い曳山を回転させるのはムツカシイ。初心者ドライバーの車庫入れみたいに何度もバックしてはちょっとずつ角度を変えて、最後に「せ〜のっ!」ってほとんど曳山を持ち上げるようにして回転させる。しかも八尾は「坂の町」なので、90度回転に必ず下りか上りかの重力が加わるので、直接引いているお兄さん以外に、曳山を引き上げたりその落下をくい止めるために縄をかけてそれを引く人たちも加わって、みんなで一緒にかけ声をかけて、力を合わせて曳山を回転させる。
それがうまくいったときには、もう見ている方も、うわ〜っ!パチパチパチの大拍手です。
ここで「警護」という貼り紙の意味が分かった。
みんな「東町」とか「上新町」とか町名の入ったはっぴを着ていて、バランスの悪い曳山が倒れたり、回転しそこねて前方の家に突入したり、車輪に巻き込まれて見物人がケガしないように、曳山のまわりにいて扇子を振って「そこ危ないよ、どいた、どいた」ってあおってる人たちが、「警護」という名前が胸に入ったカミシモを着ていたのです(笑)。

ここで、90度回転がムツカシイなら直線距離だけを巡行すればいいのに、という効率優先の近代的考え方を思い浮かべてはいけません(笑)。

町の名誉のためにこの曳山を回転させる。失敗はしないぞ、ケガ人は出さないぞ、と心をひとつにして曳山を回転させるために、みんな命を賭けて力を合わせて困難なことをやり遂げる。そこに町と町の対抗意識が加わって、他の町がみんな上手くやったのにウチの町がヘマをやらかしたら恥ずかしい。と思うことで、信じられないほどのエネルギーが生まれる。

これってサッカー観戦のサポーターじゃん(笑)。
サッカーのサポーターって観客ではなく、その町のために一緒に戦う仲間で、選手たちはその共同体の代表なんです。これはイタリアや英国でのことで、日本ではJリーグ事務局が「百年構想」で、ただ今その目標実現のために努力中(^^;)。

お囃子の太鼓、三味線、笛をそばで聞いていると、音が直接肌に響いてきて、ドドンズンと腹の皮を揺り動かして、彼らがふだん出せないような力を出せるのは、音楽が鼓舞してるからかもしれないなって思いました。

たとえばあの空気を切り裂くような能の笛の鋭い響きは、死んでしまった人たちの魂を眠りから揺りさまして、「ここにおいで」って四角い空間に呼び込むために吹いている。
青森ねぶたの哀切な笛の音も、死者の魂に「お盆だから帰っておいで」と呼びかけている。

石にも木にも山にも「神」が宿っていると考える私たち日本人は、豊作をもたらしてくださいとか、洪水が起こりませんようにとか、みんな幸せに暮らせますようにとか、石や山や川に祈ります。仏教でも墓や仏壇に向かって死んでしまった人たちや「ご先祖さま」に「どうか守ってください」と祈ります。

昔の人たちにとっては石も山も川も、そして死んだ人たちも「生きて」いたんじゃないかな。「お祭り」では「地獄の釜」のフタが開いたり「天国への階段」がかかったりして、生きている人たちと一緒に死んだ人たちやバケモノたちが飛びはねて町はわいたわいたの大騒ぎになって、「お祭り」が終わると彼らは帰っていって、いつものように静かな日常が戻ってくる。

「お祭り」は人が目に見えないものと出会う機会で、その出会いを作って現実を非現実に結びつけるのが「音楽」の力なのかもしれないな。

目の前に見えるものだけがこの世界のすべてで、目の前に見えるものだけで人が生きているなんて、それこそリアルじゃない「非科学的」な考え方ですよね。

日常や現実はよどんで流れが悪くなるので、私たちは「お祭り」で定期的に現実を「初期化」して、クラッシュしないようにしているのかもしれない(笑)。

八尾は日本アルプスにかかる山の町でありながら、飛騨から切り出される木材を日本海側に運んだり、養蚕業で織物を作ったりして「商都」として栄えたそうで、旦那衆は女たちに働かせて、自分たちは俳句や音曲に血道を上げて遊びまわっていたそうです(笑)。
立派な山車を作れたのもお金持ちだったからで、「越中おわら節」は元禄時代に生まれたそうですが、遊びまわってる旦那衆が胡弓を使ってみようとか、浄瑠璃も取り入れようとか、優美な踊りにするために日本舞踊も取り入れようとかいろいろな工夫をした結果、日本の民謡の中でも一、二を争うあの名曲「越中おわら節」ができたそうです。

「おわら資料館」で「風の盆」のビデオや資料を見たんですが、いいです。サイコーです!町流しは夜の10時から始まり、12時に最高潮を迎えて、3時4時でもまだ町を流す囃子方や踊り手たちがいて、朝が明けるまで裏町では歌が流れているそうです。
女の子たちは浴衣を着て、見よう見まねで「おわら節」の優雅で色っぽい手つきを真似て、小さな男の子たちも「男踊り」といわれる、直線的でありながらやっぱりどこか優美で色っぽい踊りを、パパやお兄ちゃんたちに負けるもんかって必死で踊っていて、その彼らが五月の曳山祭りでは頬を紅潮させて力まかせに山車を引くんだから、これこそ「文武両道」じゃないか…?

むかし日本ではどんな町や村にも「お祭り」があって、死んだ人が帰ってきたり、神さまに豊作になりますようにとか、災厄がふりかかりませんようにって祈ってたけど、いつの間にか姿を消して、今は徳島の阿波踊りとか、青森のねぶた祭りとか…岐阜の郡上八幡でも八月中、今日はあの町、明日はこの町とところを変えて一晩中踊り続けるそうで(「はるこま、はるこま〜」とか、学校で踊りを教えるそうな)、知り合いの知り合いをたどってこの夏はなんとか行きたいなあ…。

八尾町の獅子舞や山車を見ていると、なんだか町中で「歌舞伎」を上演していて、それを一日かけて見物しているような気分になりました。
「歌舞伎」って歴史や伝説で有名な強い英雄が出てきて、これまた有名な悪い英雄や悪霊を退治してその魂を鎮めて、メデタシメデタシ。どうかみなさまがいやまして栄えますよう、世界が平和でありますよう、パチパチパチ。ってとこで終わる。
とくに「市川家」はいつも強い霊に扮して舞台に現れて、悪漢や悪い霊を退治して終わるお話しを十八番にしていて、最後のアンコールで「にらんでごらんにいれます」って言って、ミエを切ってみせると、お客さんが「わ〜っ」て喜んで拍手するのは、その眼力に邪気を払う力があるといわれているから。だから市川団十郎は代々目が大きくて、江戸の遺伝子が「武蔵」まで続いてるって、すごいことだよね(笑)。

八尾の曳山の上に飾られたお人形たちも日本や中国の歴史に出てくる有名な英雄たちだと思うんですが、そういう邪気を払う力を持つ人々を舞台の上に乗せて、「超現実」と交感する術を操って神ならぬ身で「グランド・マスター」になりたいという野望を抱いた人たちが、ソフォクレスやシェイクスピアや近松や鶴屋南北だったんじゃないか…。
お祓いの儀式を越えて、もっと複雑な形で生と死を操って人々を感動させる方法を求めたところから「演劇」が生まれたんだなあ、と私は「お芝居」が生まれて育ったゆりかごを八尾で見せていただいたような気がして、ちょっと感動してしまったのでありました。

たぶん今「お祭り」を失って、それと一緒に共同体意識や超現実と出会う機会も失って、日本の中で一番荒廃しているのは、中途半端に近代化してしまった地方都市じゃないかと思うんです。
ときどき死んだ人や伝説のバケモノが降りてきて、目の前にあるものだけが「現実」じゃないよって生きている者に教えて、町をしばらくブラブラして帰っていくところに暮らした方が、人はたぶん幸せになれるんじゃないかなあ…。

ところで八尾にはやたら犬が多かった。
最初に出会ったのはシーズーで、それからプードル、ハスキーの雑種、柴犬、etc.どの犬も美形で、かわいくて、人なつっこい上に、体脂肪率が低い(笑)。
階段を登ると遠くに立山連峰が望める散歩路とかあるので、人も犬もいつもいい空気を吸いながら運動してるんだろうなあ。
ツバメの巣も多くて、低い角度で街路を飛んでいるツバメをすぐそこに見て「はろー、元気〜?」と声をかけると、「ひゅん」と頭の上をかすめて飛び去った。ほかにもいろんな鳥がいましたが、カラスはあまり見なかった。この町にカラスが増えたらお終いだな…。

九月の「風の盆」には三日間で三十万人の観光客が来るそうですが、八尾は二本のメイン・ストリートのまわりに家が広がって、そのまわりに田んぼが広がっている本当に狭い町で、宿屋も飲食店も駐車場も少なくて、「民宿」はないの?というと、「風の盆」のときはどの家も帰ってくる親戚を泊めるのにせいいっぱいで、民宿なんかやってる余裕はない(笑)。
三十万もの人がこの町に来て過ごすことを考えると、かなり悲惨な状況です。八尾までの道は一車線なので渋滞につぐ渋滞で、やっと辿りついても駐車場がないので路上駐車して、途中のコンビニで買ってきたお茶やお弁当を食べて、「町流し」を見て、車の中で寝て、帰っていくんじゃないか…。

宿やお店がないってことは、八尾が「風の盆」でお金もうけする気がないってことなんだろうな。
彼らは自分たちの町を「観光都市」として「For Sale」に出す気はなく、自分たちの共同体を守るために、戻ってくる人たちを迎えるために毎年「風の盆」を続けていて、その祭りを「いいねえ、すばらしいねえ」と評価されることはすっごく素直に喜んでいるみたいですが、年々歳々こんなに観光客が増えて、それで自分たちの祭りが変わってしまったらどうしようと困っているようにも思えた。
ぜひ九月に行って、それを確かめたいものです(←こ〜ゆ〜ヤジ馬がいるから混雑するんです^^;)。

「お祭り」は観光として見物に行くものではなく、自分たちが住んでる町でやるもので、歌って踊って楽しんで死者やバケモノたちを歓待して、自分が共同体の一員であることを確認してそれに誇りを持つのが正しい「お祭りの設計図」だって思いました。

というわけで、私は要求します。
日本中、いや、世界中に、もっと祭りを!
金沢にもスタジアムを!
市民ホールではなく、芝居小屋を作れ!(笑)