20032月の トンテンカン劇場

2003/2/15(土)『明けましておめでとう…には遅すぎる』

5ヶ月以上H.P.をフリーズさせてしまいました。
5月の時よりひどい状態ですね。たはは。
クリックして覗くたびに「ああ、また同じ画面か…」と、みなさま呆れ果てていたと思います。
何かあったんじゃないか…?とご心配もおかけしてしまったようで、本当に申しわけありません。

ずっと原稿を描いていて、あ、H.P.をなんとかしなきゃとパソコンに向かうと原稿が気になってまったく進まず、こりゃダメだと原稿に戻ると集中力が無くなっていて原稿が進まず…ということを何度も何度も繰り返して、両方ダメならどちらかに集中した方がいいだろうと、しばらくパソコンのスイッチを切っていました。

どうしてパソコンにさわるとこんなに集中力が無くなるんだろう…?と不思議でしょうがないんですが、パソコンが体調に及ぼす影響を、ネームやなにやかやでトゲトゲの電波を出してパソコンの電磁波とサイキック・ウォーズを戦っているときに、じっと観察してみますと、どうもセロトニンとかアドレナリンとかの神経伝達物質に、パソコンは影響を与えてバランスを狂わせるんじゃないかと思います。あるいは右脳、左脳やα波、β波の交感神経、副交感神経などの自律神経系を狂わせるのかも…。
脳のはたらきも神経伝達物質のこともまだよく解明されているわけではないので、いいかげんに想像して言ってみているだけですm(_ _)m。

とにかくふつうにパソコンをさわっているときには無い疲労感とか右手の痙攣とかが、パソコンを操作したあとに原稿を描こうとすると出てくるので、「ギョッ」とします。
これには「血行の悪い」私の体質が関係しているのかもしれません。
血行が悪い人間は「水」に入ると体が冷えて毛細血管が収縮してますます血行が悪くなるそうで、腰痛を治すために寒い時期にスイミング・スクールに通い続けて腰痛を悪化させたことがあります(号泣)。
「血行」というのは太極拳や中国武術をやっていたときの経験からいって、 「神経」です。
漫画は肉体労働ですが、神経も使います。

以前肺炎で入院したとき、退院したあともずっと調子が悪くて(病院ってほどこす治療がなくなると、治ってない人も退院させる^^;)、やっと体調が戻ったかなと思って小さいカットを描こうとして、どんな構図にしようか考えたとたん「げんげんげん」(咳き込む音)。この線をはみ出さずに引かなくちゃとペン軸を紙に下ろしたとたん「げ〜んげんげんげん!」
ぜいはあ。
緊張すると毛細血管に血が流れなくなって、発作を起こすようなんです。
漫画を描くとき、いつもこんなに緊張してたのかと、自分でも驚きました。

漫画を描くことに集中すると「言葉」が描けなくなるのもフシギです。
漫画でも「言葉」は書くんですが(フキダシのセリフとか書き文字とか)、たいがいの漫画家はそれを「言葉」としては使っていません。
「絵」と組みあわせて「作品」の一部として統合しようと使っています。

だからふつうに「字」を書くことで人になにかを伝達しようとすると、あれ〜っ、と考えこんで、どうするんだっけ?と一瞬間があく。
「言葉」でなにか考えようとすると「絵」になってしまい、「絵」で考えようとすると…人は「絵」で考えることはできません(笑)。感じることができるだけ。
「言葉」と「感じ」のあいだに橋を渡すために、私は「漫画」を描いてるんだなあとあらためて納得したりして(笑)。

聖書は「言葉は神である」といいましたが、言葉があるから漫画も描ける。
でも言葉で描けないものを描くのが「漫画」です。
「漫画」を描くことは、浮世絵と和歌を貼ってその組みあわせで「情緒」を作り出す江戸時代の「屏風」に似てるのかもしれません。

「絵」だけでなにかを語ることも、「文字」だけでなにかを語るということもできなくなって、でもそういうアタマにならないと「漫画」は描けないとも言えます。

H.P.を書こうと思ってもその間に一コマの背景を描ける…と思うと、手もアタマも動かなくなって、なんだかアセってばかりで、エネルギーが空回りしているうちに、いつの間にか時間が過ぎていった数ヶ月でした。