20027月の トンテンカン劇場

2002/7/23(火)『一日二時間は音楽を聴いて幸せに暮らそう』

ビル・エヴンスは白人のジャズ・ピアニストで、「マスターピース」とされる作品は60年代から70年代に録音されていて、ジャズ・ファンのあいだではとても有名なミュージシャンみたいです。
彼のピアノを表現するときによく使われる言葉は、繊細、知的、内向的、こわれそう、ロマンチック…。耽美的という形容詞もどっかで聞いたっけ。
音楽を言葉で表現するのは、あまり意味がない。
言葉では表現できないものを伝えたくて楽器を手に取ったり、叫びだしたりした人が、「音楽家」になるのだから。
でも、なんとなくどういうピアノを弾くか、この並んだ形容詞を見ると分かっていただけると思います。

初めてCDをかけてステレオからその音が流れ出したとたん、「うわっ、そーゆーピアノを弾くのはやめてよ〜」って椅子の上に跳び上がって、スピーカーから降りかかる音符を必死で肩から払い落とした(笑)。
和音がタバになって殴りかかる「コンパチ・ハンマー」の不快感ではなくて、「いや、ちょっと、こんなもんに降りかかられるには、私、今、心の準備ができてなくて…」とあわてたというか、びっくりしたというか。

ジャズはよく分からないし、そもそもがこれまで何度か言っておりますが、私はピアノの音があまり好きじゃなくて、弦をガンガン叩くなんて野蛮な楽器だろうと思ってて、弦をはじいたり弓できーきーこするギターやチェロやバイオリンやハープシコードが好きです。
でもビル・エヴァンスの鍵盤の押さえ方はなんかヘンで、こういうピアノの弾き方は初めて聴いて、ルビンシュテインのピアニシモだってこんなに指(と背中 )を丸めないし、ジャズ特有の弾き方かなと思って他のジャズピアノを聴いたら、みなさんたいがいクラシックより「野蛮に」鍵盤を叩いていらした(笑)。
どうもこの人はいろんな意味ですごくヘンな人で、本人も「自分はヘンだ」と自覚してたんだろうけど、そういう人がジャズをやることで世間と繋がって名作を残すという幸せな関係を築けたのは、当人にとっても世の中にとっても良かったんじゃないかと思う。

彼のCDを聴いてると、「ああ、どうしてそんな弾き方をなさるんですか〜?なにか私にできることはありませんか〜」とオロオロと心配して彼のまわりをぐるぐる回ってしまう。
と同時に、カゴを片手に「うわっ、こぼれる、こぼれる」とつぶやきながら、空から星のようにこぼれ落ちてくる美しいピアノの音を一つ残らず拾おうと部屋中を駆け回ってしまう。
その星は大空から落ちるのではなく、プラネタリウムの天井から落ちてくるような気もする。

この人のピアノは「AUTUMN LEAVES(枯葉)」や「MY FOOLISH HEART」などの甘くて感傷的でメロディアスな曲を弾く時に本領を発揮する。中でも私が一番好きなのは「SOMEDAY MY PRINCE WILL COME」。ディズニー「眠れる森の美女」でオーロラ姫が森の中で、いつか王子さまが私の前に現れる、と歌う曲。彼の指が触れたピアノから夢見ながらとまどっている乙女心が嬉しそうに楽しそうに溢れ出してきたとたん、オッサン、まさかピンクのサテン地に白いレースの衿がついたパーティードレス着て弾いてるんじゃないでしょうね…。

甘く、切なく、こわれやすい世界。
かといって、触ろうとすると冷たくて、トゲに指を刺される。
トリオではなく、ソロで弾くときにそれは顕著に現れます。内省的すぎるくらい内攻して、音楽にも「純文学」があるんだなぁと感心する(笑)。

こういう音の出し方をする人は、なにか心に「わだかまり」を抱えているに違いない。そうでないとぜったいこういう音は出せない。
いったいどんな「かたまり」を心にかかえていたんだろう…?

音楽の持つイマジネーションのビジュアルに訴えかける力は強くて、彼のピアノからポロポロこぼれ落ちる星屑を拾い集めて、それが生みだすイメージからいろんな世界を想像して、漫画家は漫画を描くこともあるでしょう。

一方、彼が鍵盤に手を下ろすときにそれを支配しコントロールする心の「かたまり」はいったい何だろう?と引っかかったら、彼にとってピアノとはなにか、ミュージシャンにとって、いや人間にとって「音楽」とはなんだろう?という漫画を描くような気がします。
当然主人公はミュージシャンで、時代は現代になる…。

「ビル・エヴァンス・トリオ」はピアノ、ベース、ドラムスからなって、スコット・ラファロというベーシストの評価がとても高い。
村上春樹さんの言葉を借りると、エヴァンスの「内向する自我を安定化し、相対化し、活性化する」ベース・プレイだそうで、その連動と共鳴によって私たちの前に新しい地平線が現出し、それを聴いて世界が踊り出す。
音楽だそうです。

とにかく私はジャズが分からないので、カウント・ベイシーのベースの方がドスがきいてるぞとか、「ウェザー・リポート」のジャコ・パストリアスの方がカッコいいなとか思うんですが、たしかにトリオの時のビル・エヴァンスはとっても嬉しそうにピアノを弾いている。
スコット・ラファロは若くして自動車事故で亡くなり、このトリオの活動期間は三年ほどで終わり、それ以降どんな才能溢れるベーシストを迎えても、エヴァンスはかつてのような演奏をすることはなかったそうです。
人間と人間が、才能と才能が出会ったとき、奇跡が生まれ新しい地平線が見える…それは一つの「ラブ・ストーリー」かもしれません。

上のイラストを描くきっかけになったhitomiの「SAMURAI DRIVE」はもともと大阪の心斎橋系といわれる「CUNE(キューン)」というインディーズ・グループの曲をカヴァーしたもので、「CUNE」の歌う「SAMURAI DRIVE」をライブで聴きたいなあとずっと思っていたら、最近「リフレイン」という曲で「CUNE」がメジャー・デビューしました。
hitomiの「SAMURAI DRIVE」を聴いてパンク・バンドかなと思ってたら、上田正樹や憂歌団などのねっとりじっとりしっかりの大阪系ブルースの血を引いた実力派バンドだったので、ちょっとびっくり。
ずっとライブを見たいと思っていたバンドがメジャーで聴けるようになるのは嬉しいけど、なんでメジャーデビューしたのかなあとフシギだったりもして(笑)。
メジャーレコードの統制下に入ると、その会社の収支決算スケジュールにそってヒット・チャートに入るシングルを発売し、アルバムを制作しなくてはなりません。「商売」として「音楽」をしなきゃならなくなる。もちろん「音楽」が好きな人は一生「音楽」で食べていきたいから「商売」にしたいと望むわけですが(笑)。
でもメジャーはたくさん売るために宣伝費やプロモーション費をかけるから、その費用をペイするだけの売り上げをクリアしないものは、会社に「音楽」とは認めてもらえないんですね。
そこに「やりたい音楽」とヒット・チャートとのジレンマが生まれ、歴史が続く限りこの追いかけっこは永遠に絶えることはないでしょう。

「CUNE(キューン)」の「リフレイン」のプロデューサーに佐久間正英という名を見て、「あ、そうか」。この方はたしかGRAYのプロデューサーで、いろんなところで名前を見る有名な方です。この名前を見たら契約書にサインしちゃうよね。そのココロ、分かるよ〜。

CD-Rを焼く方はお分かりでしょうが、CDなんて作るのに100円もかからない。それがみなさまのお手元に届くときに3000円になるのは、アーチストのインスピレーション、それを引き出すプロデューサー、それに販路を与える企業がそれぞれに2900円分の労働を積み重ねて「プロジェクトX」を繰り広げた結果です(なんのかんの言いつつ、毎週見てる私)。

そういう「プロジェクトX」を描いた漫画を、誰か描いてくれたら読みたいなあと思ってるんですが。
人間にとって「音楽」とはなんなのかというテーマをタテ糸に、その音楽をどうやって人に伝えるかという「社会的葛藤」をヨコ糸に、面白くてカッコイイ「音楽漫画」を描くのに、今はとてもいい時期じゃないかと思うんですが。

思えば長く辛い「冬の時代」が続きました。
やたら高いキーでものすごいスピードで突っ走る曲が次々とヒットチャートに現れては消え、どんな曲なのか聴いてみたいと思っても、個室カラオケの外にその音がもれることはなく、私はずっと音楽というものがこの世界のどこにあるのか見失っていました。
それは80年代中頃から始まったような気がします。
それまで音楽ファンはそれぞれが「この人に死ぬまでついていこう」と思うアーチストを何人か持ち、彼らの新譜が出るのを心躍らせて待って、限られたお小遣いを振り分けてそれを買いました。
大滝詠一の「LONG VACATION」をレコードで買って、そのあとCDで買い直してるんですが、このあたりが境界だったような気がします。

いつの間にか好きなアーチストの新譜を追う情熱を失って、ふと気がつくとレコード店に並んでいる曲はTVの主題歌やCMに使われて話題になった曲ばかりになっていました。
チェッカーズ、尾崎豊、ユニコーン、レピッシュ辺りまで追ってたんですが。そのあと吉川晃司、岡村靖幸、角松敏生などTV主題歌やCMをやらない人はいい音楽を作っても売れないという状況が続いて、今最先端音楽をプロデューサーとしてパシッと仕切ってるのはそういう人が多い。

音楽を聴かなくなったのは年を取ったせいだ、35過ぎたらみんなCDなんか買わなくなるじゃないか…とずっと思っていましたが、今考えるとレコードからCDになったことが大きかったような気がします。
「CDになって音楽の聴き方が変わった」とよくいいますが、デジタルでクリアな音になったぶん、「この人についていこう」と心を捕らえる音楽の「魔力」を、CDは雑音と一緒に切り捨てたような気がします。音楽が記号に置き換えられて、表現できるレンジは広がったのに、受け取る印象はどれも均一になって、そのアーチストの表情、その人らしさとか、その人の人間味とかが分からなくなって、感情移入することができなくなったのは、私がアナログに愛着を感じるレトロな人間だからでしょうか。

しかしかつて100万売れれば大ヒットだった音楽業界は、CDになってから500万、800万というヒットを頻発するようになり、売り上げを伸ばして大躍進をとげました。おめでとうございます。ふううぅ〜。

そんなレコード業界の売り上げもここ数年は急落して、原因は例によって「ケータイの電話料」と、CD-Rやインターネットの不法コピー。
でも音楽が「嗜好品」である以上、みんなが同じ曲を聴くことには無理があったという人もいて、みんなが聴いている曲を面白いと思えなかった私は、やっと音楽が面白くなってきたと喜んでる、トコトン「マイナー」体質です。そりゃそうよ。今どきビル・エヴァンスを聴いて喜ぶなんて、ぴかぴかのマイナーの勲章(笑)。

売り上げが落ちている中で、売り上げを伸ばしてるのがインディーズのCDアナログ・レコードと、外資系のレコード店

金沢には「TOWER RECORDS」があって、ポイントカード的には「HMV」の方が有り難いんだけど(「TOWER RECORDS」はアメリカの会社で、それも西海岸ってとこが致命的らしくて、クラシック系がまったくダメ)、日本のインディーズのセールスに力を入れてるところと、アメリカ、英国、J-POP以外に、ジャズ、ブルース、ブラジル、アフリカ、カリブ海、フレンチ・ポップスなど世界中のマイナー音楽を「ほら、お洒落でしょ」ってズラッと並べていて、マイナー音楽ファンの私にはたまりません。
そして、その前で何を買っていいのか戸惑う私たちに、ねえねえ、私このCD好きなの〜、あなたも気に入ってくれるとウレシイわ〜ってオタク丸出しのPOPを付けて推薦CDを棚の上に並べてる。
さらに試聴マシンを置いて、今セールス中の盤や話題のアルバムをヘッドホンで聴くことができて、タダでもらえる宣伝用雑誌(「TOWER RECORDS」なら「bounce(バウンス)」)を出し、その内容がそこらの音楽雑誌なんかよりずっと刺激的でハイレベルで、音楽が好きな人たちが集まってワイワイ言い合いながら作っている熱気が伝わってくる。

レコード店と本屋さんは、足を踏み入れたとたん、なにを買っていいか途方にくれるという点で似ていて、どちらも目につくところに積み上げてあって店員さんの「POP」(例えば「今年一番のミステリです。ぜったいオススメ!」とか、手で書いたカードが付いてるアレ)がお客の羅針盤になっていて、これから本屋さんとレコード屋さんの店員は字がキレイじゃないと勤まらないんじゃないかと(「TOWER RECORDS」の店員さんはときどき熱心さがカードからはみ出す) 。

金沢の「TOWER RECORDS」はベスト・セル・アルバムが元ちとせ(買おうか迷ってる)を押さえてエゴ・ラッピンの新アルバム「NIGHT FOOD」というかなり変わった店舗で、日本海側には外資系レコード店が少ないので、けっこういろんなところからいろんな人が集まってきて、そこへ行くといつまでも遊んでいられる遊園地みたいで楽しい。

外資系レコード店に置いてあるCDは半分以上が海外からの輸入盤です。
「日本ではこういうピアニストはどうせ受けないんだよ。分かってるよ。でも聴いてくれよ。いいピアニストだぜ!」と入れ込みすぎて客にケンカ売ってるPOPとか(笑)、ビル・エヴァンスの場合は「ヒーリング音楽が生まれる前に、人を癒す音楽があった…」だったかな。ジャズ・ファンがこれ見たらきっと鳥肌立てて怒ると思う(笑)。でもこの人のピアノはジャンルを越える特異性があって、とにかく多くの人に聴いてもらいたいという一ファンとしての店員さんの気持ちが伝わってきて、ワタシ的には二重丸でした。

アナログ・レコードは音楽のハード面ではとっくに切り捨てられていますが、これが最近なぜか人気急上昇中なのです。
エゴ・ラッピンみたいなこだわりのグループは以前からCDと同時にアナログ盤レコードを出していましたが、最近は宇多田ヒカルとかメジャー中のメジャーも限定発売ってことでアナログレコードを出していて、ブームみたい。聴いてみたいけど、CDより高いのを何とかしてくれ〜(涙)。
でも彼らのアルバムを買う人たちはレコード・プレイヤーを持っているのかな?秋葉に行けば2,3万から数百万まで揃ってますけど(^_^)v。

これからどこへ行くのか、この国の行方と同様に予想がつかない日本の音楽シーンですが、混沌の中にふつふつとエネルギーが煮えたぎっているような気がして、ただでさえカッコよくて面白い「音楽」を今漫画で描くと、ものすごくカッコよくて面白い作品が描けそうな気がするんですが。

音楽漫画というと思い出すのは「緑茶夢」(森脇真末味)と「EXIT」( 藤田貴美)。映画などと違って「音」が表現できない漫画で、このお二人は目に見えない「音楽」を「絵」で描いてて、しかも「音楽」が「今」と切り結んでいた。
お二人でも、他の方でも描いてくれたら喜んで読むんだけどなあ…。

私はポロポロこぼれる星屑を拾って、そのイメージでストーリーを作るタイプの漫画家なので、「音楽漫画」が描けるとは思いませんが、漫画家が「野望」を抱くのはそれがいつか形を変えて思っていたのとまったく違う姿で結実することもあるので、イタリアの食堂で、天井からブタの足の形のハムやいろんな部位の燻製がぶら下がっている下で食事しながら、「美味しそうだな、いつかあれが落ちてきたら食べられるかもしれない」と夢見ていようと思います。

6月に入ってからW杯をTVで見るようになって、そうなるとついサッカー以外の番組も見るようになって、もともと梅雨時は苦手な上に風邪をひいたこともあって体調がよくないんですが、TVを見て音楽を聴かなくなると精神状態が悪化していくのが自分でもよ〜く分かって、これはいけないとスイッチを消そうとするんですが、ついつい続きを見てしまって、そうか、 TVって視聴率を取るために作られているんだ。チャンネルを替えさせないために、スイッチを消させないために、どうやって人をキャッチするか、この情報を知っていると得するに違いないと思わせるか(お昼の健康番組とか、○○家の食卓とか)、知恵をしぼってありとあらゆる手を使っていて、それに並大抵のことじゃ対抗できないんです。

こうなればこのM-10をトンカチでばっさりケサがけ…と思ったんですが、もったいないので誰かに売っぱらおうかと思うんですが、ビデオを見るのに必要なので困っています。

最低、一日二時間は音楽を聴いて、幸せに暮らしたいものです。


***ビル・エヴァンスの音楽を聴いてみたい方に***

Portrait in Jazz
1959年12月28日スタジオ録音
「AUTUMN LEAVES(枯葉)」「SOMEDAY MY PRINCE WILL COME」などの入った名盤。
Sunday at the Village Vanguard
1961年6月25日ニューヨークのジャズクラブ「Village Vanguard」でのライブを二枚に分けて出したもの。グラスのふれあう音や観客の拍手などが入って臨場感満点。
Waltz for Debby 「MY FOOLISH HEART」は「Waltz for Debby」に入ってます。