20023月の トンテンカン劇場



2002/3/29(金)『キミと90分プレイするのは初めてだねと 彼はうれしそうにボールを蹴った』

97年から98年にかけて、私にしてはサッカーの試合をよく見る機会に恵まれて、JリーグでもジョホールバルでフランスW杯出場を決めたあとの日本代表でも彼の走る姿を追いかけました。
しかし強化試合からフランスで見たジャマイカ戦まで、彼は何かに耐えるように必死でボールを追っているだけで、楽しそうにサッカーをしている姿を見た記憶がありません。

W杯出場を決めたあとも、日本代表には攻撃と守備の切り換えのタテの連携、右と左のサイドの切り換えというヨコの連携がまったくなくて、サッカーというのは一人一人の技術をこの有機的連関性に乗せて一つの宇宙を作り出すところが面白いスポーツなので、ただひたすらいわれた場所を守って、あとはおまえ一人で何とかしてくれ、頼む〜と日本代表全員が彼の個人技に頼り切ったような戦術には美しさもスリルも感じられず、当然創造性のカケラもなく、「負けないことは勝つことじゃないよ」と見ていてただ退屈でした。

彼の目にはチームの限界と勝利の行方ははっきり見えていたでしょう。しかし彼には96年のアトランタ・オリンピックの時に監督に逆らって外された経験があります。日本のスポーツマスコミとの仲もサイアクの時期で、「こうしてくれたらもっと動きやすいんだけど」などと思っていることを口に出したら、また新聞に「ジコチュー、監督に反抗」と面白おかしく書き立てられるのが分かっていました。
フィールドから追い出されてプレイする機会すら取り上げられる屈辱をふたたび味わうより、とにかくボールに触って海外に売り込もうと思ってるんだろうな。選手は11人いるが、走ってすべってクロスを上げる彼は一人でサッカーをやっているように見えました。

そんな彼の動きが、小野くんが入ってきたときだけ変わったように思う。
小野シンジ、「天才」、ボールに愛されるために生まれてきた少年。彼がボールを持つと、なにをするんだろう、どこへどうボールを出すんだろうとキュワッと心と体が跳び上がる。この時18歳だったか。代表に入っても大舞台に臆すことなく、ベテランより落ち着いてプレーするそのふてぶてしさは、才能のせいか、ユースでつんだ国際経験のせいか。
ところがなぜか小野くんは監督の試合構想に入っていないらしく、数回試合が終わる10分前に投入しただけで、もうスタミナ尽きたと思っていたのに突然御茶ノ水博士にエネルギーを注入されたように生き生きと走り回ってパスを繰り出す彼と、ベンチでなんでオレを出さないんだ〜とフラストレーションたまりまくりだったらしい小野くんが走り回って、これは何か起こるかもしれないぞという妖しい予感がフィールドを支配し始めた瞬間、審判の試合終了のホイッスルを聞くという経験を二度ほど味わって、私にとってのフランスW杯の日本代表が終わりました。

そのあと彼はイタリアへ行って活躍し、日本代表監督には押しつけがましい耳障りなフランス語でまくし立てるシャンゼリゼでもこんな騒がしいヤツいねーよーってくらいいたずらに血の熱いフランス人が就任した。

その監督の下で小野くん大活躍のアンダー20が世界ユースで準優勝「勝利のキッスで大祝福!選手たちみんな大迷惑!!!」したあと、アンダー23のシドニー・オリンピック予選が始まった。
年齢制限ギリギリの23歳だった彼がオリンピック・チームの一員として戦うことにしたのは、アトランタの雪辱を果たしたかったからかもしれないし、ナイジェリアで鍛えられたものおじしないトルシェ・ベイビーズとプレイしてみたかったからかもしれないし、小野くんともっとパスの交換をしたかったのかもしれない。

ところが小野くん、1999年のオリンピック一次予選でフィリピン選手のスライディングを受け、ヒザ靱帯断裂の大ケガをしてしまったああぁぁぁ…。
2000年9月のシドニー・オリンピックで彼は小野くんのいないトルシェ・ベイビーズと一緒に戦いましたが、ベスト・エイト止まりでしたねえ。

たしかその冬だったと思うんですが、ケガが治って必死のリハビリの結果、日本代表に復帰した小野くんと、イタリアから戻った彼がスタメンで先発する試合があった。開始のホイッスルが鳴るなり、「キミと90分やれるのは初めてだね」と彼はうれしそーに小野にパスを出したが、小野がそのパスを処理しそこなうのを見て「あ、まだ戻ってないのか」と、その試合中二度と小野にパスを出さなかったと記憶している。同じフィールドに立ちながら小野にパスを出そうとするたびにためらう彼は、なんだか寂しそうだった…。

なんて私の感傷的妄想はどこまでもふくらむのだが、小野くんのリハビリへの道はほんとうにタイヘンだったらしいのだ。インタビューで読んだんだけど、体がよくなって試合に出ても、「ボールが来て受けようとする瞬間、スライディングされて倒れた瞬間のイメージが甦って、側に誰かいないかと警戒してボールを出す一瞬の判断が遅れる」んだそうです。ワンタッチで天衣無縫のボールを出す「エンジェル・パサー」の小野くんにはこれが致命的で、さらにケガした選手はケガをしたところをかばってムリをするのでそこをまたケガするんですが、所属する浦和レッズがJ2に降格して、降格阻止のための出場やJ1昇格のための出場でさらに無理を重ねて、浦和ファンには悪いけど、浦和は日本の至宝を破壊する気か〜と私はかなり腹を立てました。
そして小野くんも2001年からオランダへ行きました。

その間も何度か日本代表として同じフィールドに集まる機会があったんですが、なぜかトルシエ監督は小野くんをあまり使わなかった。たしかに調子はよくなかったが。トルシエはキャラクター信仰をせず、そのときどきで試合に勝てる選手は誰かなーって考えるタイプみたいですね。自分の戦術、あるいは訓練に自信があるのでしょう。

3月27日の「ポーランド×日本戦」は中田と小野がほぼ90分同じフィールドで戦った初めての試合でした(と思う)。

背が高いだけであまりに芸がないポーランドが相手だったせいで増幅された部分もあるんでしょうが、中田の計算された緻密なパス、小野の蹴ると見せかけて一瞬遅らせてタイミングをずらすパス(それが実に自然!)、そして前からかけるプレッシャーと、ゾーンで守り一人がかわされると次がカバーに入り、空いたスペースに次のが飛び込み、次から次へと繰り出されるポジションチェンジと、それを前へ前へとつなげるミラクルなボール運びを見ながら、私はなぜか墨絵の日本画の幽玄の美を想起していました。これ外国人の目から見ると「ニンジャ・サッカー」っていうんじゃないのー?ってくらい、日本人の勤勉さと緻密さと繊細さから生まれたきめ細やかで機能的で躍動的なサッカーでした。
中田の司令塔ぶりも見事でしたが、ウラに回って天性のサッカーセンスと視野の広さでそれを補佐する小野のクセ者ぶりも見事でした。
小野が司令塔になり中田が補佐にまわる試合もきっとこれからあるに違いない。

日本は後進国だからと世界をただおそれる日本人監督ではなく、騒がしくて好奇心のカタマリで血が熱いフランス人監督が、これまでのサッカーの歴史のノウハウと日本の特質を結合させて、日本人にしかできないサッカーをするチームを作り上げたのなら、これこそ異種混淆の偉大な成果!というところですが、ま、賞賛の言葉は6月まで取っておいても腐らないでしょ。

少なくとも私は27日の試合を見て、W杯で日本チームの決勝リーグ進出を確信し、とらぬタヌキのトトカルチョを始めました(笑)。初戦でベルギー、二戦目にロシアに勝って決勝リーグ進出を決めたあと、チュニジアとの三戦目で主力を温存してベンチ組で戦い、主力を決勝リーグに投入。
おお、これは98年W杯でフランス代表が取った戦術と同じではないか。
では日本は優勝するのか〜っ?

そりゃムリとしても(笑)。
99年ワールド・ユースの準決勝のウルグアイ戦に勝利したあと、イエロー累積で決勝のスペイン戦に出られなくなった小野くんをナイジェリアのスタジアムで泣きながら抱きしめて(鼻水まで流してたと思う)「キミの決勝はW杯だ!」といったトルシエ監督の言葉が、今実現しようとしています。

 

 

 

2002/3/23(土)『「演出術」を立ち読みしました』

三寒四温の日が続くうちに、布団の枚数が減り、みそ煮込みうどんがだんだん美味しくなくなり(大根やニンジンや油揚げやかぼちゃや里芋などを入れたみそ汁にうどんを放り込む。ほうとうと名古屋の味噌きしめんを一緒にしたような冬の非常食)、コートを着ない日が増えて、そのせいで風邪を引き込んでハナをすすりながら公園を歩いて、ふと見上げると、わっ、もう桜のつぼみがふくらんでいる!と、いつものように春がやってきました。
来週はもうお花見ができるみたいです。

演劇のお話しを続けますと。
最近蜷川幸雄さんの「演出術」という本が紀伊国屋書店から出たんですが、これは御本人が書いた本ではなく、演劇ライターの長谷部浩さんて方が蜷川さんにインタビューして、いろんな芝居のことを語った…対談本というのかな。
金沢の喜久屋書店で見つけて、手にとって椅子に座り込んだら、一ページ目から立てなくなってそのまま最後まで読んでしまった。。。
面白いっ!!!

何が面白いかといいますと。。。
まず私が見た芝居の(やっぱり見た芝居じゃないと細部が分からなくて面白くない(^^;)ウラ話がこれでもかこれでもかと山ほど聞けるところ。

最初「グリークス」から始まって、尾上菊之助くん(オレステス役)は歌舞伎役者なのでセリフをキレイに歌ってしまって、そこんところお姉さんの寺島しのぶ(エレクトラ役)に負けてたのね。それが悔しいらしくて出番がないときもずーっと稽古を見てて、母親殺しのシーンでは自分から服を脱ぐって言い出して…。
白石加代子のクリュタメイストラを「女殺油地獄」のように殺すシーンで見せてくれたアンティノウスもかくや!?という肉体美は、そういう理由で拝見できたのかー。
エレクトラとオレステスの姉弟は父親の復讐のために母を殺すという近親相姦的壮絶「いっちゃってる」姉弟愛なのですが、その役を実の姉弟が舞台の上でやるのを見てますます壮絶だなあと思ったんですが、あの二人が叫んだり泣いたり抱き合ったりしながら舞台の下では同じ血を引いた役者同士として戦っていたと思うと…うう、壮絶すぎて…。

「王女メディア」をやるときは辻村ジュサブローさんの衣装が稽古の時ヘンだったので直して下さいって言ったら、「これでいいのよ。まあ見てなさいって。ふふ」と笑われて、舞台稽古でその衣装にライトが当たったとたん「あ、これでいいのだ」って分かったとか。
この世界にはああいうマニアックな名人がいるんだよ。字で読むより役者が発したときに名セリフになるホンを書く高橋睦郎とかな(「王女メディア」の修辞は詩人の高橋睦郎さん)。それに負けるわけにいかないから、オレの胃は壊れるんんじゃないか〜、まったく。
おノロケをありがとうございました。の世界ですね(^^;)。

舞台というのは役者たちのアンサンブル、大道具、小道具など裏方のアンサンブル、いろいろな人の共同作業だというところが面白い。
ついでにお金を出し宣伝し劇場を提供し舞台を作り出すプロモートとの関係も、共同作業です。小劇場出身の蜷川さんを商業演劇の東宝が使ったのはやはり敏腕プロデューサーがいたからで、最近の東宝の舞台がどうもイケてないのはその方がいなくなったせいかな…。

いろんな芝居の役者や衣装や装置の話を聴いているうちに、おおむかし見た舞台の記憶がくっきりと甦えってきて、それを見たときに受けた感動までまるで昨日見たみたいに目の前に現れたのは驚きました。
「王女メディア」も「近松心中物語」もよかったけど、私が一番好きだったのは「にごり江」でした。

樋口一葉の「たけくらべ」「おりき」など四つの短篇を久保田万太郎が脚色したホンで、或る夜、明治初期のまだ江戸の面影が色濃く残る下町を舞台に、四人の女の物語が同時進行します。
夫から逃げて実家に帰ってきた女は貧しい家族に「ここにおまえの場所はない」と言われて泣く泣く帰る決心をし、美登利は信如のことを思いながら明日は芸妓になるのだと諦め、心中もドラマチックなギリシャ悲劇も起こらずただただシンキくさい、しょうがないわ、我慢するしかないわ、これが運命だからという女たちの日常がたんたんと語られる夜に、浅丘ルリ子の凛とした声が響く。

浅丘ルリ子というのは日本の女優の中では珍しくハードボイルドができる女優ですが(育った日活というところがふつうの日本映画とは違うフィルムを作っていたからか。あそこの女優さんは北原三枝、鮎川いずみなどキリッとした女優さんが多かった)、舞台に立つようになってからますますいい女優になりました。よく通る舞台向きの声で、立ち姿が凛々しくてとにかくカッコイイ。
彼女の演る「おりき」という女も運命に流される哀れな女なんですが、泣いたりヒス起こして我を失うことなく、運命に向かって「このやろー」と怒るんですね。あ、そういう点では神に逆らうギリシャ悲劇の女だったのかな。

一晩の物語だから舞台はずっと夜で、演劇にはいろいろな闇があって歌舞伎の中でも「夏祭浪花鑑」の殺しの場と「桜姫東文章」の闇とは違うし、「にごり江」の闇も、現実の夜とは違う舞台の中でしか見られない「闇」でした。
浅丘ルリ子の声が夜の闇にポツンとおちて、水紋を広げてやがて吸収されて静かな夜に戻る。そんな底知れない闇をあの日私は日生劇場(帝劇?)で見て、ウチに持ち帰って、ずっとそれを抱えていたようです。

ほかにもシェイクスピア劇とか「近松心中物語」とかのいろんなウラ話や苦労したことや舞台の職人芸の話が聞けて、聞き手もいいせいでホント面白い本で、「あ〜いい本だった」と読み終わって棚に戻し、買わずに帰ってきました(笑)。ごめんなさい、蜷川さんm(_ _)m。

でも芝居はその時だけ、目や耳だけじゃなく体のすべての感覚で受け止めて経験する、一期一会の夢。「夢」であると同時に、肉体の五感を使って体験する「リアル」でもあります。
観客がその時舞台から受け取るものだけが演劇のすべてだってことを一番ご存知なのは貴方ですよね。
メモや資料には「演劇」の一番大事なエネルギーが抜けていて、それを手元に置きたいと思わなかったんです。
てなわけで上に書いたエピソードは私の記憶によるもので、かなり怪しいです(笑)。

そのかわり、といってはなんですが、私はこれから蜷川幸雄の舞台を一本でも多く見るぞ!と心に固く誓いました。

 

 


2002/3/13(水)『人形たちの子守歌』

すっごく久しぶりに辻村ジュサブローさんの人形の写真集を引っぱり出して見ておりました。なにかイラストの参考になるイメージはないかという下心です(笑)。

この本は1980年に美術出版社から出た「万華鏡花」という本で、桜姫東文章、樋口一葉、楊貴妃、真田十勇士などの人形の写真が載っております。
この時期は泉鏡花とギリシャの神々の人形を作っておられた時期らしく、写真もその辺の人形が多いです。

首をすくめて両手を広げ「わ〜れ〜こそは〜タマズサが〜おんりょおぉ〜」ごっこをしなかった人はいなかったってくらい、私たちはNHKの「新・八犬伝」に夢中になった世代です。

この本が出た80年というと、辻村さんは「新・八犬伝」に続く「真田十勇士」の放送も終わり、蜷川幸雄さん演出で平幹二郎さんがギリシャ悲劇のヒロイン役(!)をやる「王女メディア」や、やはり平幹二郎さんと太地喜和子さん(と市原悦子さん)の「近松心中物語」や、平さんと栗原小巻さん(すっごくよかった!)の「NINAGAWAマクベス」など、舞台のアート・ディレクターとして衣装や小道具を作りながら、ご自身でも鏡花の人形芝居を小劇場で上演していらっしゃった時期です。

人形といえばなんだか昨今すごくブームみたいで、コミケでもインターネットでもたくさん作る人がいて、昔のバービーや大人向けフィギュアを海外のサイトから買う人も多くて、オークションでも人形やその人形が着る洋服が飛び交っているようですが、私自身は「お人形趣味」にはまったくの不感症でして。 パリへ行って骨董品屋さんでジュモーを見つけて(有名なフランス人形)数十万出そうかど〜んより迷ってる友人の心なんかこれっぽっちも分からなかったし(笑)。まあジュモーはテディ・ベアと同じ抱き人形で、ジュサブローさんが作る人形劇で操作するための芝居人形とは違うんですが、とにかく部屋にこれ以上なにも置きたくない、荷物はなるべく少なくしたいという「遊牧民」ワナビーズの私には、大金を払ってわざわざ場所を取って手入れの大変な「お人形」を買い込む人の気持ちはどーも分からないんですよねー。

でも久しぶりにジュサブローさんの写真集を見ていたら、う〜ん、これは欲しいかもしれない。
なんかふつうの人形と違うんです、ジュサブローさんのお人形は…。

満州で生まれ、料亭の芸妓さんの部屋を遊び場にして育ち、子供時代は芸妓さんの着物をハサミで切って人形を作って叱られていたそうです。
広島の田舎の町に引き揚げてきて、その町の芝居小屋に通って手伝いなどしたあと、役者を志して東京に出たものの、前進座の河原崎国太郎さんに「役者はむつかしい」と言われ、人形劇団や藤浪小道具(歌舞伎のカツラや小道具を作ってる会社。歌舞伎座の廊下を歩くと必ずこのネームの入ったハコにつまずく)に勤めながら、息をするのと同じようにずっと人形を作り続けて、やがて人形作りが社会の中で成立する職業かどうか分からないまま、これを一生の仕事としてやっていこうと決心したそうです。

人の形をしているのに、人ではない。
それが人形、だそうです。
ジュサブローさんの人形は、たしかに人ではないが、鏡花の人形にしろ、ギリシャの神々にしろ、綿や絹や縮緬の切れはしが「人の形」を取って息をし始めることで、私たちの酸素吸入領域が減ったなあという息苦しさを感じます。

鏡花人形もいいのですが、縮緬の古い切れにビニールやエナメル塗料で塗った皮などを使ったギリシャの神々は、ドラマチックで存在感があって悲劇的で、もし手に入るなら私はヘラクレスかオイディプスかアポロが欲しい…。

この本の中で一番面白かったページは「人形のための音楽」でした。
ジュサブローさんは人形を作るときは必ず音楽を流して仕事をするんだそうです。

「泉鏡花の人形たちが好きなレコード」
クラウス・シュルツ 「ボディ・ラブ」
タンジェリン・ドリーム「アルファ・ケンタウリ」
サード・イヤー・バンド「ミュージック・フロム・マクベス」
ツトム・ヤマシタ「ゴー」
ブライアン・イーノ「ミュージック・フォー・フィルムス」
イ・プー「ロマン組曲」
喜多郎「天界」
マトゥンビ「七つの封印」

「ギリシャの神々の好きなレコード」
アース・ウィンド・アンド・ファイア「太陽神」
サンタナ「ムーン・フラワー」:ほほ。今でも愛聴盤です。
オス・オリジナイトス・ド・サンバ「悲しみをふきとばせ」:ブラジルのサンバ・グループ。軽快なリズムで最初から最後まですっとばす。レコード何枚も持ってたのに、数回の引っ越しでどこかへ行ってしまいました。
ジョルジ・ベン「ゼ・プレチョーニのバンド」
ウォー「ヤング・ブラッド」
マイク・オールドフィールド「チューブラー・ベルズ」:これも持ってたんだけど…。
ボブ・マーリィ・アンド・ザ・ウェイラーズ「アット・リセウム」
サンタ・エスメラルダ「朝日の当たる家」:すっごくクサいラテンのリズムでブルースをやるグループ、じゃなかったっけ?

なにせ80年発行の本なので、辻村さんが70年代によく聴いたレコード、ということだと思うんですが、私が聴いていた音楽とちょっと重なっていたりすると、妙にウレシイ(笑)。
鏡花人形たちは70年代のニュー・ロック系というか、音がくるくる回って世界を作り出す音楽が好きなようですね。
ギリシャの神々人形はちょっと南方系の、リズムがはっきりした音楽が好きなのかな。

人形を作っているときも流し、そのお人形が修理のために帰ってきて、ほこりを払ったり髪を結い直したりしながらその音楽を聴かせてあげると、しばらくしてその人形は元気になるんだそうです。

人形も、音楽もホントに不思議なもんですね。。。

 

 

 

2002/3/10(日)『あいもかわらず、お疲れさまな私…』

ぐす、ぐすっ。東京はずっと曇りだったので、花粉症の被害から逃れられると思ってたのに。。。

今回すっご〜くご無沙汰していた友人に「弦楽器にさわらせて〜」とヴァイオリンを習いに行ったら、ご無沙汰ね〜攻撃の逆襲をうけてボコボコにされました。

「久しぶりね〜、W杯見にフランス行くっていって以来じゃない」

---うっ。そうだ。いろいろ忙しくて…ゴホゴホッ。

「 ○○さん(私の本名)が行方不明だってみんなウワサしてるよ〜」

---中学、高校の友人たちは大学や結婚で今や西宮、京都、東京。
会いに行こうと思ったら日本縦断の旅になる。

「だ〜か〜ら、年賀状くらい出しなさいってば!」

---12月は年末進行があるので、年賀状出す漫画家は天然記念物。
たとえ12月に仕事していなくても、長い間についたクセは直らない。

でもやっぱり今年は年賀状出そう。と毎年思ってるような気がするが。

カルチャ・センターでフランス語を教えていた友人は、人生の一区切りをつけたシルバーな方々が「ずっとやりたかったんです」と覚えの悪い(しかも片っ端から忘れる)アタマでゆっくりゆっくりと「好きなこと」をやっている姿にいたく感動したらしく(やりたくないことをやっている「サル」どもに大学で教えている反動かもしれない(^^;)、 その影響か数年前ヴァイオリンを始めて、今は市民オーケストラに入ってチャイコフスキーなど奏でている(「後ろよ、後ろ!」と何度も念を押してた)。

何冊も本を読んでも分からないことが、面と向かって人に教えてもらうと15分間で分かることがある。
弦楽器があれほど人間の体を筐体にして響く楽器だとは知りませんでした。
私でも一応、音は出た(笑)。
しかしピアノは誰が弾いても同じ音で鳴るが、ヴァイオリンの弦と弓の接触による空気振動はもっと微妙で、右手がどう動くかによってまったく違う音が出る。
「今度ヘンデル弾いてあげるね〜」と別れる時ニコニコ手を振ってたが、習い始めた頃のご近所のみなさまの迷惑は大変だったろう。引っ越そうかと考えた人もいたに違いない。ダンナさん、よく離婚しなかったと思う。ぜったい考えたと思う。

彼女はMacの先輩なので、コンサート通いの記録を「ファイルメーカー・プロ」で付けているのを見せてもらって、「え、なに?これカワイイ〜!」
「演目、作曲家、演奏家と感想を書き込んで、それぞれのキーワードで検索できるの。もうずいぶんたまったよ」

「ファイルメーカー・プロ」はMacユーザー御用達のデータベースソフトで、仏文研究のための作家や単語を入れて個人用索引を作るのが本来の仕事だが(図書館の書名索引のカードをデジタルにしたようなものを考えてください)、ウィンドウがモノクロームのシックでお洒落な作りで、その中に小さく、キレギレに、でも大事な情報が書き込まれていて、「えっと…あれ」と思い出せないことを検索にかけると一瞬でダーッと出てきて「あ、そうなのか」と教えてくれる。 カッワイイーッ!!!
うわ〜、「ファイルメーカー・プロ」欲しいなあ…!でも安いソフトじゃない(4,5万円)。なにに使おう?でもこのソフト欲しい。覚えが悪くて、覚えたことを片っ端から忘れるメメント頭の代わりに、エサをあげて飼いたいよ。データベースソフトはイヌ型ソフトね。かまってやればそのぶん忠実、投げたものを金色の巻き毛なびかせて持って帰ってくるリトリーバー。くぅ、欲しいなぁ。使い道は飼って、いや買ってから考えようかな。でもデータベースなんて漫画家には縁がない。住所録には高すぎるし…。でも、欲しいなぁ。

お泊まりさせてもらって、明けて3月2日は映画「ロード・オブ・ザ・リング」の初日でした。
「こーゆーのは早く見たものの勝ちよね〜」ともよりの池袋駅で映画館に入った。9時からの初回と4時からは立ち見だったが、12時半の回は座れたし、前にまだ空席があった。

アクションに次ぐアクションで、え!?「指輪」ってハリウッド製SFXアクション映画だっけ…?とあ然。黒の乗り手がマントをひるがえして駆けるスローモーション・シーンは「監督、香港映画好きでしょ…」、サルマンとガンダルフの対決シーンはワイアーアクションで、もーどーしよー。帰ろーかなー。
でも九人が広大なニュージーランドの大地に旅立つあたりから(笑)、ロードムービーは字で読むより目で見た方がスケールが出ていいな。
モリア鉱山でバルログに襲われてガンダルフが墜落するところも、小説より迫力があって面白かった。
と、「指輪物語」の大ファンというわけではないが、ロードムービーの大ファンの私は思いましたが、小説のディティールを自分の想像の中で視覚化しているファンの人たちがどう思うかは知らないよ…(笑)。

池袋には日本一の床面積を誇るジュンク堂書店がある(金沢に3年前にできた喜久屋書店はこの系列らしい)。せっかく近くまで来たんだからと見物に行ったが、8階か9階建てのデパートみたいで、移動が面倒で、すぐに出た。

東京に来たのはパーティーのためだったので、カシミアのコートを着て、10センチのハイヒールをはき、POLLINIのバニティ・ケース型ハンドバックを腕にかかえて、「紳士は金髪がお好き」のマリリン・モンローとジェーン・ラッセルの補正下着に締めつけられたドレス姿に憧れる私としては、こういう格好もけしてキライじゃありませんが、お腹がすいたと横町のラーメン屋に入れないのは不便だった。カシミアにおつゆが飛んだらタイヘンだ。
おまけにはき慣れないハイヒールで歩き回ってヒザはガクガク、腰は痛むし、足首折れそう。どこかでけつまずいてたらきっと折れてたと思う。

それから新宿の「ヴァージン・メガストア」に行った。
最近レコード屋さん巡りは東京滞在中の恒例行事。
私は初めての作家の本やアーチストのCDを、インターネットではどうしても買えない人間です。手に取ってどうするか決めて、買ったものが気に入ったらインターネットでどんどん注文飛ばすんですが…そういう人多いよね?
ここも英国レコード店だけあって古楽Early Musicコーナーが充実している。でもやっぱり一番揃っているのはHMVなのだ(渋谷のHMVは前日行った)。
エマ・カークビーは今のところモンテベルディの「マドリガル集」が一番いい。中世のアンドロジーヌな吟遊詩人に、ヘンデルやハイドンを歌われると違和感がある。でも彼女はそれで評価されたわけで、あくまでも私的には…ってことです。

それから吉祥寺で買い物をして、帰ってコタツに入ったら、いつのまにか横に倒れて気絶してた…。

こりもせず、今度は関西周遊旅行に旅立つ予定です。
観光や観劇もさることながら、「ハーイ、元気〜?遊びに来てよ〜」って言ってくれる友人たちと会って、同じ悩みや違う決断を話し合えたら楽しいだろうな、と。

 

 


2002/3/9(土)『むかしむかし銀座に洋書店がありました』

また東京に行っていて、帰ってきたところですが、2002年1月17日でイエナ書店が閉店したことを友人から初めて聞かされて、思わず叫んだ「Amazon〜!」
新聞を取ってないせいか、銀座の洋書店の閉店なんて地方ニュースだから報道されないのか、今まで知らなくて、もうなんともいえないショックです。

とと、イエナ書店というのは銀座のSONYビルと三愛のあいだにあった洋書店で、私が東京にいた頃、洋書を買うならイエナか日本橋の丸善か新宿の紀伊国屋書店の上、だったんですが、私はイエナが一番好きでした。
丸善の方が広いんですが、イエナの方がいつも欲しい本が見つかったんです。
きっと目利きの店員がいたんでしょうね。。。

海外の画集やファッションやインテリアの本や絵本が狭い店内にギッシリ並んでて、デザインスクールや美大や外国文学の教授や出版関係の編集者やら、みなさんもっのすご〜くお世話になったと思います。
私がむかし描いた漫画の背景とか衣装とかは、ほとんどここで買った本をヨコに置いて描いたものです。

もう長いこと行ってなかったんですが、私も今行ったら好みの本をチェックして、あとでAmazonで検索かけるだろうなあ…。

洋書って高かったんですよ、ね。
海外行ってそこの書店で買って日本へ送る方が安いくらい、ヒコーキ代は安くなったのに、いつまでも洋書は高かった…。

でも私はあの本屋さんが好きだったし、なにより銀座という町がとても好きでした。
デパートや高級ブティックの並ぶ表通りを一歩入ると、センスのいい画廊や新宿、渋谷とは違うオトナ向けの店が並んでいて、資生堂パーラーやれんが亭などの「レストラン」ではなく「洋食屋」さんがオムライスやハヤシライスを食べさせてくれて。

その端っこにある歌舞伎座で、むかし市川団十郎襲名披露公演を当日券で見ようと売店の前をウロウロしていると、一人のオジサンがツカツカと寄ってきて「私は見られないので」とチケットを二枚くれて、あわててお金を払おうとすると、「空席を作りたくないから〜」と受け取とろうとせず、ニコニコ手を振って去っていきました。
さいしょ「ダフ屋か」と思ったんですが、あとで考えるとウチの町の歌舞伎座で団十郎が襲名公演をやる、メデタイ、これはみんなで盛り上げにゃあときっと町内会(商店会?)で切符を負担したんでしょうね。
でもオジサンそのときは時間の都合がつかず、空席にするよりは、と誰か切符欲しがってる人を捜して劇場に来たのです。

ありがとうございました、銀座のダンナさん
貴方のおかげで私と金沢美大出身でマルセイユに3年留学したのに一度も歌舞伎を見たことがない友人は、団十郎襲名披露公演タダで見ることができました。
二階のいい席で高そうな着物を着たおばさんたちに囲まれて、揚巻は歌右衛門で、舞台はいつもに増して華やかで、「助六」ってシュール〜!と騒ぎまくりました。(ダイアログがものすごく飛んでてシュールなんです。それが団十郎のキャラクターと合っててさすが「お家芸」!)

オラが町さの団十郎公演を盛り上げてやらにゃあという心意気と、ムダにするよりは遠くから来てくれる人に見てもらうべーという「おもてなし心」に感動して、この町の人はほんとうに「歌舞伎座」が好きで、この町に住んでることを誇りに思っているんだなあ。。。

日本で最初にレンガ道に舗装され、柳の街路樹が植えられたこの町は、百数十年前に日本と西洋が出会った頃から変わらず、その両方のよさを持ち続けているような気がします。

そういう町にイエナ書店があることが好きだったんですが…。

せめて銀座という町はこれからもずっと変わらないでいてほしい。。。

東京トンボ帰りの曲芸師の私は、また体調不良で寝込んでしまいました。
いつもの通りの気管支不調ですが、どうも花粉症もからんでるようで、お天気がよくて花粉がたくさん飛ぶ風が強くて寒い日に、「わ〜い、春だ〜!」と薄着で飛び回ったせいで暴発したような気もするんですが(笑)、安静にしてる以外対策がないみたいで、しばらく、ちょっと寝ていようかな、っというカンジです。