200110月の トンテンカン劇場


2001/10/27(土) 『熊本はよかとこばい(あやしか熊本弁ばい)』

熊本旅行から帰ってきたところです。

東京から帰ってきて席を暖める暇もなく(笑)なぜ熊本へ行ったかというと、友人のマダム・Nに「ゼロ戦塗装のセスナに乗れるよ」と言われたからです。

マダム・Nは雑誌「別冊 丸」に連載を持つ戦記ライターで(「戦記ライター仲村の部屋」)、「丸」というのは「あの頃はよかった」という懐古趣味の特殊な人が読む雑誌と思われがちですが、戦争も歴史として記録に残しましょうというフィジカルで客観的なスタンスの雑誌です。
マダム・Nの職業が 「戦記ライター」と聞いたとき、私は「へ?」って思ったんですが、先の戦争に出征して生きて帰ってきた方々の戦友会や慰霊祭に出席して、彼らが体験したことを聞いて、一人一人の兵士の地平線から「戦争」の姿を描こうとするその仕事の生成過程を、今回じっくり側で拝見させていただいて、大変だなあ…。
戦争はたいがい男性が起こすものですから、戦争の記録を書く仕事は女性には向いていないようですが、戦争が起こったときに一番被害をこうむるのは力が無くて何もできない女性ですから、どーして起こったんだ?と問いかけ、二度と起こさないためにはどーしたらいいんだ?と、女性のほうが必死に考えるのではないかと思います。
それに人の話を聞いてそれを伝えようとする「語り部」の仕事は、ある種「巫女」に似ていて、女性の方が向いているような気がします。

今回、海軍の天草航空隊の戦友会に出席するマダム・Nにくっ付いて、そこで訓練を受け、特攻隊としての覚悟を固めた基地跡をたどり、戦争が日常であった頃に彼らが経験したいろいろな話をワキで聞かせていただきました。

特攻はゼロ戦だけでなく、天草航空隊からは水上偵察機に爆弾を積んで発進したそうですが、その水上機が滑走する様子を台車がこう付いて、傾斜しているスロープから海中に飛び込んで、戻ってくるときは数人がかりで台車をこうはめて…と、「こうですか?」と口を出すと、「違う違う、こうです!」とプラモデルを使って克明に説明を受けました。
レーダーが無いので夜間飛行はできないが、グラマンに発見されないために、満月の夜に特攻に飛び立ち、月光の海面を見ながら南の沖縄に向かって飛行し、未明の薄暗がりの中で突入目標のアメリカ軍艦隊を識別して…という話をしてくださったのは、グラマンに追いかけられて海上の道を見失って不時着し、生還した方でした。

熊本空港からその戦友会がある天草まで、私たちを飛行機に乗せて運んでくださったのは、熊本市の老舗の醤油屋のダンナさんでした。幼い頃から空と飛行機に憧れて、どうせ戦争で死ぬならヒコーキでと予科練に入り、特攻の直前に終戦になったという。戦後も空への憧れはやまず、セスナの免許を取り、ゼロ戦の黒と緑に塗り分けた機体で平和な日本の空を飛ぶことが、日本を愛して散っていった先輩や仲間への慰霊だから、と伺いました。

四人乗りの富士重工製エアロスバルです。
私はヒコーキが好きで、国内でも海外へもジェット機に乗るのが大好きですが、目の前の風防ガラスの向こうでプロペラが回転し始めたとき、「しまった〜っ!」と思いました。
これはプロペラ機だったんだ。
でも重たい機体をグズグズ引きずってやっと飛び立つジェット機とは大違いで、タクシーウェイから滑走路に入り、短い助走でフワッと浮き上がる小型飛行機のいさぎよさ、心地よさときたら、思わず両手を振り上げて「いけー!」と叫んでしまいました(笑)。

高度一千メートルほどを、下に有明海や天草を見ながら飛行しました。
気流でガタガタ上下に揺れて、風と気流の流れをよんでそれにエンジンの動きを合わせることでやっと飛ぶことができる、ヒコーキは危険と背中合わせのキカイです。なんで人間はこんなはかない機械を作ったのだろうね。
だからこそ操縦と整備には万全の注意と、イカルスの轍を踏まないための謙虚さが必要なのです。

戦友会があった天草から、再び熊本空港に戻るときはものすごい悪天候で、「吐いてもいいですよ〜」とヘラヘラ言う私たちを、「貴女たちは車で帰りなさい」と乗せてもらえなかったんですが、飛行機で帰った操縦士のダンナさんとナビをやった特攻隊のご友人のお二人は、覚悟をしていたと思います。これで死んだら、それは自分たちの責任だ。そうならないために、自分たちは全力を挙げて戦うのだ、と。
日本で男のダンディズムを感じるなんて、滅多にない…どころか、あれが初めてだったかもしれない。

私たちは天草パールラインを通って、車で熊本へ帰りました。
ダンナさんたちも、途中大変だったようですが、無事、熊本空港に着陸しました。ほっ。
一緒にトンカツ屋さんで生還を祝って乾杯して、昼食を食べたのち、私たちは観光モードに突入しました。

まず、熊本城です!
ここは秀吉の時代に加藤清正が建てたお城で、そのあと細川家が入りました。「日本新党」を作ったあの「細川さん」のご先祖です。
日本のお城は姫路城以外はほとんど残っていなくて、明治維新以来壊されたり、焼けたりして、金沢城も城門しか残ってなくて、私はお城の中身というのを初めて見ました。
熊本城も明治10年の西南戦争の時に焼けてしまって、大空にそびえ立つ黒い木肌の本丸は戦後に再建したコンクリート製ですが、石垣はすべて残っていて、その石垣をたどると、ぐるぐる回りの迷路になっていて、ここは戦争をするための城だったんだなあ。加藤清正は城作りの名人として有名だったそうで(戦国時代のゼネコン?)、よじ登ろうとする兵が滑り落ちてしまうという急な傾斜の「武者返し」の石壁や、押し寄せる敵兵を銃や弓で狙うための銃眼など、実用的でありながら美しい「もののふの美学」を、このお城を見ていると実感します。
焼け残った宇土櫓(やぐら)は古い昔の熊本城跡で、戦国の城の面影を今に残すこの城で、上に登るにつれて光線量がふえる日差しを浴びながら、暗い色の木で囲まれた部屋でボーッとしていると、見事に戦国時代にトリップします。

町はずれの細川家の菩提寺だった泰勝寺(たいしょうじ)跡に、細川ガラシャのお墓があるというので行ってみたら、その山の斜面の竹林に宮本武蔵の家の跡がありました。
晩年、細川家に招かれた彼は、ここで「五輪の書」を書き、亡くなったのです。
そういえば、天草・島原の乱の時に兵を送った細川家とともに、彼も戦場に行ったっけ?
戦国の終わりを告げ、人を締めつける徳川の平和の到来を告げるその戦場で、徳川のやり口ったらホントやだなーと、戦国育ちの自由人である彼は思っていたに違いない。
でも人が人を殺しまくる戦国の世はもう終わらせなきゃとも思っていたんだろうなあ。人を殺す技術に熟達したものはそう思うのです。そう思わない人を殺す技術に熟達したものは、自分で自分を壊すことになります。そうならないためには「道」、つまり宇宙の構成原理を学んで「マスター」になる必要があります。なんだか「スターウォーズ」の話になってしまいました。

熊本は食べるものがすべて美味しい町でした。
阿蘇の伏流水が湧き出て、水が美味しいことで知られていて、美味しい水で育てるから、野菜も美味しいし、豆腐も納豆も美味しいし、名物馬肉も美味しいし、その水で育った牛のミルクも美味しいし、生きていくために一番大事なのは、やっぱり水ですね!
ただ、お魚だけは(笑)。有明海は内海で穏やかなので、日本海の荒海にもまれて運動量の多い魚を食べ慣れている私には、脂肪分が多くて…(笑)。
有明海の魚にはエアロビクスをオススメします。
(福岡は日本海だから美味しいと聞きます。いつか福岡に行きたい!)

 

2001/10/19(金)『王は踊る Le Roi Danse』

新米も、きのこも、近海網で捕れるお魚も、美味しい季節になりました。

金沢はずっと秋晴れが続いていて、東京みやげの温度・湿度計をのぞきこむと、40%前後で、これじゃ除湿器のスイッチを入れる必要ないじゃない〜、壊れてるんじゃないの、これ〜、と毎日首をひねっていました(笑)。
付いていた解説書によると、湿度40〜65%が人が快適と感じる範囲だそうです。
冬の金沢は90%とか95%とかが続くので、金沢っていつも湿気80〜100%の町だと思ってたんですよ。
春や秋が過ごしやすいのは、やっぱり湿度が低いせいだったんだ。
冬に向けて、この目盛りがどこまで上がるか、今から楽しみにしています(ガード、ガード^^;)。

ところで、最近音楽の話しかできない私です。
9月に東京で『王は踊る Le Roi Danse』という映画を見ました。

監督のジェラール・コルビオーは18世紀のヨーロッパを熱狂させた去勢ソプラノ男性歌手を描いて話題になったあの『カストラート』を撮った人で、ベルギーのテレビ局に勤めてオペラ・バレエのディレクターをやっていたベルギー人で、ブリュッセルにかつてあったベジャールの20世紀バレエ団の公演などフィルムに収めていたかも…。
おまけにベルギーは最近話題の古楽ルネサンスの一大拠点のひとつで、そういう中で育った人が、17世紀にフランスで活躍した作曲家リュリのドラマを撮るとなれば、これはぜひ見なくては。

おまけに、キャッチコピーが「愛を封印した国王ルイ14世と、芸術家リュリの禁断のラブ・ストーリー!」とくれば、行くぞ、行かねばなるまい!と思い立った人は(私以外にも)多かったはず(笑)。

映画は「三銃士」の時代です。
王妃アンヌ・ドートリッシュとマザラン枢機卿に権力を握られ、各地の封建貴族の反乱にもおびえるルイ14世が、やがて「太陽王」となり、絶対王政を確立する過程で、「世界の中心」ヴェルサイユで、自らを「太陽」に見立ててバレエを踊り、そんな彼にリュリはバレエやオペラを作曲して捧げる…というこの映画は、リュリのルイへの「ラブラブ」を描いた映画ではまったくなくて、「舞台芸術」が政治にどんな役割を果たすかというコルビオーの「舞台芸術論」を、豪華絢爛な時代絵巻の中で展開した、アカデミック映画です(笑)。

学究肌のコルビオーらしいなあと、私はけっこう好きだけど、なんでキャッチコピーが「愛を封印した国王ルイ14世と、芸術家リュリの禁断のラブ・ストーリー!」になるんだろう。あ、きっと、宣伝を担当した会社に「JUNE」や少女マンガファンがいたんだね(笑)。

渋谷の「シネマ・ライズ」二階は、画面が見やすいようにカーブした床の上に座り心地のいい椅子が並んでいて、スピーカーもいい音で、そこに横たわって、ヴェルサイユ宮殿やオペラやバレエの舞台の美しい絵巻物を見ながらいい音楽を聴く二時間は、さながらビジュアル・コンサート。
くるくる巻き毛の美しい男がゾロゾロ出てきて、着ているジュストコールは、うわっ、古着を使ったモノホンじゃないか、バロック・バレエを豪華に再現して、本物のヴェルサイユでロケもしてます。そういえばかつてここの地下で見た「カストラート」は、テレビやビデオで見たとき画面が真っ暗だったので、「王は踊る」では照明を注意して見ていたら、ほとんど窓から入ってくる自然光だけで撮影しているようで、これもビデオになったら真っ暗ね…。
細部までくっきりと鮮明なハリウッド映画は、四方八方から照明を当てて、暗い色は作っても、影や闇は作らないようにしてるんですね。

この映画で使われているリュリなどの音楽は「古楽」に分類されるんですが、音楽を担当している「ムジカ・アンティクァ・ケルン」は有名な古楽アンサンブルですが、私にはちょっと音が堅かった。
劇中で「ラ・フォリア」という有名なスペインの舞曲が何度も印象的に使われるんですが、G・パニアグアかサヴァールで聴きたかったなあ。同じルイ14世の時代を背景にした「Tous le matins du mondo めぐりあう朝」という映画のサントラ盤で、サヴァールが演奏しているリュリを聴くと、彼がこの映画の音楽を担当していれば、映画の価値も数ランク上がったろうにと残念。「カストラート」の音楽をやったルセ指揮「タラン・リリック」でもいいけど…。

というように、「王は踊る」は目と耳に優しい映画でしたが、誰かがレオナルド・ディ・カプリオのルイ14世、ガブリエル・バーンのリュリ、チェキー・カリョのモリエールで「禁断の大ヘビー級バロック三角関係ラブ・ストーリー!」を作ってくれれば、私としては喜んで行きたいのですが…(い、石投げないでください〜)。

 

2001/10/5(金)『いや〜、参った、参った 新感線』

10月2日に衛星第2で「ワンス・アポナ・チャイナ天地大乱」をやっていましたね。みなさん、ご覧になりましたか?
リー・リンチェイの代表作で、監督のツイ・ハークも、私が見た限りでは一番いい、というか、らしい仕事をしている映画で、DVD持ってるんだけどな〜と思いながら、また見てしまいました。

リー・リンチェイがドニー・イェン扮する清朝総督と戦うラストシーンは、カンフー・アクション映画の歴史に残る名シーンですね。
西欧列強に侵略される清朝末期を舞台にした骨太の脚本をバックに、リー・リンチェイ、ドニー・イェンという当代一流のカンフー・スターを使って、彼らの闘いをいかに美しく、アパッショナートにフィルムの上に表現するか、ツイ・ハーク監督、命を賭けてますね。細かくシーンを切り、角度を変え、切り替わりを早くするスタイリッシュな演出は、これぞツイ・ハーク美学といいたくなるくらい、見事な出来です。

ところで私はそれを見てるうちに、このリズム何かに似ているなあ、最近どっかで見たなあ、と思い始めて、やっと気付きました。

あ、劇団☆新感線の舞台だ〜!

東京で劇団☆新感線「大江戸ロケット」の公演に行きました。
いしだ壱成くんが薬で捕まって、大阪公演が途中で中止になったあの舞台です。主演が替わって、東京公演をしていました。

舞台の出来は去年の「犬夜叉」の方が楽しかったと思うけど、私は劇団☆新感線が何をやろうと、またおんなじバカやってるな〜と思いつつ、ワクワク大喜びして、すっごく元気になって、お金を払ったことを後悔しないで帰ってくる体質らしくて、どうも劇団☆新感線に生理的弱みを握られているようです(笑)。

演出家の名前をとって「いのうえかぶき」と呼ばれる劇団☆新感線のスタイルは、ブルース・リーのファンらしい劇団員(すべてとはいわない)が、舞台中を駆けまわって、カンフーやったり、チャンバラやったり、歌ったり踊ったりして、セリフを言うときも決めポーズで見得を切ってカッコをつけるという、大騒ぎのドタバタですが、ただのドタバタに終わらず、様式化した演出でお客さまに提供するところが「いのうえかぶき」といわれる由縁で、そのスタイルはマンガのコマ割りやブルース・リー映画のビジュアル要素を舞台に取り入れると歌舞伎になるのかなあという、大衆芸能の原点を考えさせる刺激に満ちています。これ、ホメすぎ?(笑)。
ツイ・ハークが劇団☆新感線の舞台を見たら、きっとファンになると思うんですが。。。

なにより「大江戸ロケット」には、去年の「犬夜叉」には出ていなかった古田新太さんが出ていたので、大感激。
古田新太さんは劇団☆新感線の看板役者で、二枚目で、色悪で、カッコをつけた次の瞬間、ひょうきんで落として(きっと、テレ屋さんなんですね〜)次になにやるか分からない、そもそも何がなんだかよく分からない人です。でもチャンバラやると色っぽく、ドラマやっても色っぽく、目に入るとそこから目が離せなくなるというヘンな物体、いや、えっと…とってもステキな役者さんです。
あ〜ゆ〜の好きだな〜と思いながら金沢に帰ってきたら、衛星第2で劇団☆新感線特集をやっているじゃありませんか。
そこで見たことのなかった「魔性の剣スサノオ」や「電撃ロック・九龍城のマムシ」などの演目を初めて見て、いや〜、これ、めちゃくちゃツボやわ〜!と、ますます新感線ファン、すっかり古田新太フリークが、ここに一人できあがってしまいました。

古田新太さんはすご〜く魅力的な役者です。すご〜く人気があります。他劇団へのゲスト出演も多いようです。私は見ていないのであまりエラそうなことは言えませんが、私が「古田さん…」というと、「きゃあ〜!」と嬌声を発する友人たちは多かった。
ところがそういう友人たちとも、一点で対立するのです。私が「美しい」というと、「あの、ぽちゃぽちゃ…」と、彼らは無言になるのです。「だって彼はビジュアル系じゃない?」というと、冷たい一瞥を投げられて、さっと話題を変えられるのです。
うう〜、なぜなんでしょう。私は話題の「殺生丸」さまも、読んでないけどぜったいきっと似合うと思うし、「エリザベート」の「トート」役もやっていただきたいし(あまりにすとんと似合いすぎて、面白味に欠けるかもしれませんが)、そりゃ「踊るインド屋敷!」の彼は梅沢登美男に似てましたが、そもそもやせてないビジュアル系の、いったいどこが悪いんでしょう? !
あの存在感、踊りや殺陣での体の動きの美しさ、彼こそ今日本で一番お耽美な舞台を創出できる、お耽美な役者さんです!!!

今から古田新太さんの追っかけやるぞ〜!と決心したとたん、10月フジ新番組「スタァの恋」(主演、藤原紀香、草薙剛)に出るとかで、演劇活動はお休み。来年の「天保12年のシェイクスピア」(井上ひさし作)まで、彼の舞台姿は見られないとのこと。がっくり。

舞台には独特のマジックがかかっていて、人気のある俳優さんがテレビに出ると、舞台の毒、つまり熟れきった果実が今まさに崩れおちなんとする腐敗しきった臭さがなくなるんじゃないかと心配なんですが(おいおい、自爆してるぞ)、メイクしない古田さんなんて古田さんじゃないよ〜と心配しつつ、まあ、がんばってねとテレビ応援しますからね。
来年のお芝居も楽しみにしてますからね〜。