20017月の トンテンカン劇場


2001/7/31(火)『ウチが料亭だったころ…』

先回、重要なことを書き忘れました。
「信長」を描いた時は優秀なアシスタントが4人手伝ってくれたのです。

4人ともベタやスクリーントーンはじめ、カケアミや動線、集中線などの定規を使ったスケールワークも上手く、バックも描ける。
なにより作家が何を描きたいか理解するセンスを持っていて、「おねがい!」とおがみながら原稿を渡すと、私の思ってたとおりの原稿になって戻ってくるところが、ネームの疲労で言語中枢すら危機に瀕している締め切り直前の漫画家にはじつにありがたかった。
このビッグでエクセレントな四人がいなかったら、いくらキャリアだけ長くて長いページを描くのに慣れている漫画家の私でも、下絵、ペン入れ、仕上げを一週間に64pづつ、三回繰り返して196pをあげるという行為を完遂することは困難だったと思う。
(64p×3=192pで、カラー4pを加えて196p)

あれほど優秀なアシスタントが4人も揃ったという経験は(長いだけの)私の漫画家人生でも稀なことでした。
それだけの実力の持ち主だったので、みんな今はプロとして活躍しています。

じつは彼らにはもう一つ重要な才能がありました。
料理がうまかったんです。

3週間の仕事中、毎日かわりばんこに近江町市場に買い出しに出かけ、山のように野菜や魚や肉を背中にしょって帰り、当番制のように日替わりで台所に立って、美味しい食事を作ってくれました。

もずくにじゅんさいを入れると美味しいのをご存知でしょうか。
じゅんさいは東北の沼地でタライにのったオバサンがひとつひとつ手で摘みとる、ヌルヌルした葉っぱです。あのヌルヌルした葉っぱの正体がいったい何なのか、いつか東北へ行って沼地でタライに乗って解明したいと夢見ているんですが、いつ叶うかわかりません。
もずくのヌルヌル感にじゅんさいのヌルヌル感が加わると、えもいわれないヌルヌル感が生まれるのです。

とある割烹でもずくの中にじゅんさいを入れた料理を味わい、「む、旨い!」と舌鼓をうった私は、自宅で作るようになり、「これは旨い」とみんなに好評をはくしました。

「信長」の執筆時期は5月ごろで、東北の沼地で採取されたじゅんさいが各地の店に出始める時期だったので、毎日じゅんさい入りもずくが巨大なガラス鉢に入って食卓に並びました。
塩抜きしたもずくにビニール袋に入ったじゅんさいを入れて、ポン酢を加え、氷を浮かべる。そこにネギとしょうがとみょうがをみじん切りにして散らす。
というだけのとても料理とはいえないものですが、「ミネラル〜!」とか「繊維質〜!」とかいいながらみんな毎日それを食べてました。近江町では能登半島のもずくをキロ単位のビニール袋で売るので、5人で毎日食べても一日や二日じゃ無くならない。一人だと持てあまして腐らせるから買えないんだよね(^^;)。

スズキやヒラメやトリガイは毎日日替わりのお刺身定食。
ハチメやカマスは塩焼きしました。
シルバーの地に黒いタテジマがアールデコなシマダイを買ってきたヤツもいました。
網じゃなく一本釣りで釣ったシマダイは、一匹千円を超す料亭魚です。(網で捕るとこすれ合って傷むんですって)
エンゲル係数がはね上がったが、塩焼きしたそのシマダイは、さすがに絶世の美味だった。
マグロは太平洋の魚で日本海では捕れないんですが、春に少し地物のマグロが出ることがある。それを買ってきて、すり鉢一杯のとろろをおろしてマグロにかけたら、食べても食べても減らない「魔法の山かけ」(笑)。

体力が切れてきた時は、スタミナが欲しい、即戦力のエネルギーは牛肉!と山形牛のヒレステーキを買ってきて(近江町は肉も安い)、にんにくをいっぱい使って焼きました。
サラダには葉もの、トマト、きゅうり、ブロコリ、アスパラ、アボガド。
ほうれん草や小松菜は中華鍋で踊り、 ねぎ、みょうが、大根おろし、すだち、しょうが、わさびなどの香味野菜が毎日大量に消化されました。

ナスの味噌炒めや筑前煮やイワシのぬたなど、手のかかるお総菜は出来合いのを近江町で買ってきた。
近江町はお総菜も安くて美味しい。
やはり美味しい近江町のおにぎり屋さんで買ってきて、皿いっぱい盛り上げたシャケやおかかや梅や五目のおにぎりが、夜食としてあっという間に消えました。

デザートは仕事場では重要な働きをするのですが、3000円以上のご注文は宅配しますという美味しいケーキ屋さんがあって(これは近江町ではなく森本)、そこからマカデミアナッツのせエスプレッソ・チョコレート・ケーキとか白桃のババロアとかを、丸まる一個ホールケーキで毎日配達してもらいました。
漫画を描く作業は肉体労働であると同時に頭脳労働で、その両方の疲労回復に大量の糖分を必要とするらしくて、一日ケーキ三個食べ続けても太らないんです。ぜんぶどこかで消化するらしい…。

だから「信長」のことを思い出すと、私はこみあげる懐かしさと恋しさともずくのゲップで嗚咽しそうになりながら、失われた、黄金の時の中にかつて私は確かに生きていたのだ…と幸せな気分に包まれるのです。

私の人生であれほど豊かでゴージャスな食生活を送ったことは、「信長」執筆時三週間のあとにも先にもありません。

あの三週間、私の仕事場は料亭「信長庵」だったのです。

 

 

 

2001/7/24(火)『連載と読み切りの設計図』

先日三波春男さんのことを書いてるうちにスペースが無くなって中断した「連載と読み切りのあいだには」の続きです。

「月光の帝国」で久しぶりに月刊連載をやって、改めて読み切りと描き方が違うことに驚いた。

90年代にずっと描いていた「歴史ロマンDX」(角川書店)はページ数の多い読み切り中心の雑誌で、年四回か五回出る不定期季刊だったので(つまりいつ潰れてもおかしくない^^;)、いつ出るか分からない雑誌をどうやったら買ってもらえるだろう?と編集さんと必死で考えました。

とにかく、読んだ!という満足感を与えられる作品。その回だけで、ああ、面白かった!と思ってもらえる作品。一回でまとまりがあって、インプレッションを読者に与えられる作品を描こう!そうしたら、その本がまた本屋さんに並んでいるのを見たときに、以前読んだ人はまたその充足感を味わいたいと思って、その本を手に取ってレジに行ってくれるんじゃないだろうか。

「歴史」にとらわれず(このタイトルやめてって女性スタッフはみんないったのに…)「物語」を重視して、夕食後30分だけ現実を忘れて夢の世界に遊べる雑誌を作ろう!狙う年代層は十代後半から、ずっと漫画を読んできた年輩層まで(^^;)。というコンセプトで、編集さんもピカピカの新人を熱心に育てて、そういうターゲットを狙った雑誌があまりなかったこともあったせいか、いつ出るかわからない雑誌にしてはけっこう売れてたんですよ。

久しぶりに連載をやって、30ページってラクだ〜!!!
長い読み切りは描いても描いても終わらない。
30pだとネームでも絵でもゼイハアもう限界だってときに地平線が見える。 あそこまで行けばいいんだと元気百倍、でがんばる。

そんな体力的、物理的問題だけじゃなくて、連載は次はどうなるんだろうという読者の期待を「期待」できます(一ヶ月後には必ず出るわけですから)。キャラクターを掘り下げて表現スタイルに気を使って「世界」を作ることで、また読んでもらえるかもしれないという希望をつぎに繋ぐことができる。

以前「歴史ロマンDX」に「信長King of Zipangu」(1992年)という作品を描いたんですが、これは前にも書きましたが、196p(!)書き下ろしでした。

「織田信長」を漫画にするというこの企画では、圧倒的にページ数が足りなくて、「子供時代なんか描いちゃいられない」と、荒縄を腰に巻き父親の葬式に焼香の灰を投げつけるという有名なシーンははぶいて、もう京都を手に入れたあとの壮年期、彼の最後で最大の戦いだった「浄土真宗本願寺派」との戦いに焦点を絞ったのですが(それは彼が容認したキリシタンとの対立という点でコントラストを作る)、それでも最後までネームをやったら、やっぱりページ数が足りなくて、ば〜さばさカットしていきました。

まず白雪とのエピソードを削りました。
猿楽一座の少女 白雪は出雲の阿国がモデルですが、彼女が三郎に石山本願寺で出会って、これまでの能楽、猿楽とはちがう新しい「おどり」を産みだそうと試行錯誤している彼らに三郎が心動かされて、いろいろアイデアを出したり、演目を考えたり、用心棒になって助けたり、はては自分も舞台に立つ…(笑)というエピソードがあったんですが、そこをばっさり削りました。
女の子とのエピソードをまっさきに削るとは、それで少女漫画家か!
いや、もう悟りをひらいています(笑)。

心残りは、このシーンがあったら、信長と本願寺との戦いに巻き込まれて、一般市民がどれだけたくさん泣いたか、どれだけささやかな夢が散っていったか、それがどんなに三郎の負い目になっていたかということがもっと伝わったんじゃないか…。
でも目標はとにかく196pめにエンドマークをつけることでした(笑)。
というより、あの「お許し下さい〜」というセリフに始まるコマを見開きで取るために他のすべてを犠牲にした、というのが正解かな。

それでもまだページが足りなくて、漫画家としてのテクニックを総動員しました。解説のナレーションを独立したコマにとらず、ふつうに流れるコマの上に重ねる、なんてのは当たり前で、その上に数コマ縦断でモノローグ・ナレーションを横に流すとか、人物が会話してるシーンで3コマ取るところを2コマに抑えるとか(人物の会話が小さい描き文字でやたら入ってるのはこのせいです)我ながら少女漫画のテクニックの見本表みたいな漫画だと思う。

無駄なものをカットし、必要なものだけ効率よく入れたせいか、いろいろな事件がつぎつぎ起こり、あっという間にラストに突入する求心力のある話になったと思うんですが、この漫画を読む人は目が右に左にタテにヨコに動くので忙しい上に、史実が山ほどものすごいスピードで出てきて、だれが敵でだれがだれと戦ってるのか分からなくなって、大変だったと思う。10人中7人くらいは途中で脱落したんじゃないかと思う。洗濯機の中で脱水にかけられてグルグル回ってるTシャツみたいな気分になった方には、ほんとうに申しわけありませんでした(笑)。

といいつつも、私はあの作品がけっこう好きなんです。
あれが好きだといってくれる人も多いので、嬉しい(^^;)。

あんな作品がアンケート一位を取るなんて、「歴史ロマンDX」は変わった雑誌だった。(アンケートというのはムツカシイ問題で、ただ取ればいいというものでもないが、巻頭が一位を取らないと雑誌は売れないという法則があるので、プロはそれなりの責任を負わせられます)
どういう人が読んでいたんだろうか。このWebページにはあまりいらっしゃらないみたいですが、あの雑誌を読んでいた人は今どういう雑誌を読んでいるのかな。もう読んでないかもしれないな。

しかし「信長」を連載で描くとしたら、あの漫画を30ページづつ載せても、アンケートが取れないで、3回くらいで肩をたたかれて終わってたろうってことも分かってるんです。
連載だったらどういう描き方をしただろうと考えても、どう描いたらいいのか私にはよく分からない。
「月光の帝国」を読み切りで描くとどうなるだろうかとも考えるんですが、これもまたよく分からない。まったく違う漫画になったかもしれません。

読み切りでも連載でも、描き始めたときは、描き手はラストがどうなるか分かっていないってとこは同じです。
ラストページのナンバーをフリ終わったときに初めて、ああ、私はこれが描きたかったんだ、とわかる。
読み切りはそれが一回で終わり、連載はそれを数ヶ月とかの時間をかけてやるという違いかな。その間ずっと暗い海でサーフィンしてるみたいで、息が抜けなくて、精神的には連載のほうがシンドイかもしれません。
でも暗闇でサーフィンしてるうちに思いがけない大きな波が来たりして、そういうとき「連載」という描き方は面白いなあと思う。波にのみ込まれて遭難することも多いですが(笑)。

単行本になると同じ漫画ですが、連載と読み切りは設計図が違っていて、描き方も違うし、描く内容も違うのかもしれないというお話しでした。

「信長」はとっくに絶版になっていて、本屋さんにはありません。
取材や資料調べをやってるうちに締め切り一ヶ月半前になり、それからネームを3週間で上げて、絵は196p.を64p.づつ三つに分けて、一週間ごとに下絵、ペン入れ、背景を繰り返したという、ものすごいスケジュールで、やっぱり絵がかなり荒れました。
もう少しヨロイとかをちゃんと描いて出し直せたらなあというのが私の夢なんです。

 

 

2001/7/18(水)『梅雨は明けましたが』

なんだかびっくりしています。
関東に続いて北陸も梅雨明けしてしまいました。
こんなに早く、九州や関西をさしおいて、です。
今年の梅雨前線は複雑な曲線を描いてるみたいですね。

ちょっと前から、昼も夜も24時間クーラー付けっぱなしです。
これまでこの暑さで、これからは猛暑の去年よりもっと暑い夏がくると予報でいってます。いくら夏女で暑いの大好き!の私の暑さ耐久度にも限度があります。
暑さには強いけどクーラーには弱いから、熱帯夜が続いてクーラーを付けて寝るとノドとお腹をやられて夏風邪を引き込む。体を冷やすと風邪は治らないからとクーラーを切ると、暑くて汗をかいて悪化するという悪魔のスパイラルに入り込むので、夏風邪はなかなか治りません。なるべくかかりたくない病気です。
みなさまも充分お気をつけ下さい。クーラーには頼らないようにして、夜寝るときはノドとハラを死守するのです!

W杯チケットがハズれた上に、修理に出していたCDプレイヤーもカセットテープデッキも、サービスセンターで昇天してしまいまいました。
つまり私が20年間愛用していたステレオセットはもう部品も残ってないくらい旧式の時代遅れだと立派な証明書をもらってしまったわけで、覚悟はしてたんですが、やっぱり、かなり切ないです。

困るのはカセットテープデッキがないと「上海灘」のテープが聴けなくなったこと。ほかにも「ガンダム」歌唱集とか、「エリア88」のサントラを録音させてもらったものとか…むかしはカセットテープがなくなる日が来るなんて夢にも思わなかったから、友人たちと交換し合っていろいろ聴いてました。
今その懐かしいCDやレコードが聴きたい!と手に入れようとしても途方にくれることが多い。
チェッカーズやユーミンは今CDで手に入るけど、なかにはアーノンクールの「マタイ受難曲」をレコードから録ったものなんてのもあって(アーノンクール指揮の「マタイ受難曲」はバッハの「マタイ」を聴くならぜひこれ!とオススメしますが、彼は三回録っていて、この最初の録音が女声合唱を一切使わないでバッハの時代に一番忠実に演奏したもののハズ)Nakamichiのメタルテープで録ってるこれは、オークションに出すとけっこう高値がつくんじゃないかと思う。出さないけど。
これは教会かどこかで録音したんじゃないかなぁ。おさえた合唱の響きがフォルテッシモなのにピアニッシモで、ささやいているのに叫んでいて、その微妙にうねる音は教会に響くパイプオルガンに似ています。
教会はそこで演奏される楽器や合唱を響かせる、バイオリンやギターでいう筐体です。その中でバッハが作曲したとおりに演奏したら、マイクで拾ってデジタルに変換するのは難しい音になるだろうなと思う。

ちなみに今のDVDコンパチCDプレイヤーとアーノンクールの相性は、ものすごく悪い。聴いてると、こんな単純化、金属化、うすっぺら化はやめてくれ〜ともだえ苦しんで、息ができないくらい苦しくなる。早く新しい性能のいいCD専用プレイヤーを買わないと、私の寿命は縮んでしまうんじゃないかと心配だ。

レコードやテープがそうだったように、MDもCD-Rもきっと永遠のメディアではないんだろうな。こっそりMP3で手に入れて今ホクホクしてる人も、数年後あの大好きな曲を久しぶりに聴こうとして「うわ〜っ、エクスチェンジ・ソフトがない〜っ!」と叫ぶんだ(笑)。

私は最初に買ったビデオがSONYのBetaだったので、かなりの量の貴重なBetaビデオコレクションも持っています。これもBetaが壊れたら二度と見られなくなる。

一生手放したくない!と思うものはいったいどういうカタチで持ってれば安心なんでしょうね。
あまりコレクターにならず、モノに執着を持たないで暮らすのが一番イイのかなあ。