20015月の トンテンカン劇場


2001/5/11(金)『連載と読み切りのあいだには』

深くて遠い川がある〜。

いいえ、私はカラオケを歌う気はありません。

でも歌わせるとけっこううまいんですよ。
レパートリーは美空ひばり、石原裕次郎、三波春夫、クールファイブ。
ちあきなおみとかもけっこういけますね。
西田佐知子も好きです。小林旭も。

演歌系だとばればれしてしまいました。


ところで三波春夫さんが、とうとう逝ってしまいました…。

「さよなら、三波さん」と銘打って放送されたテレビで「チャンチキおけさ」や「俵星玄蕃」のVTRが流されるたびに、ああ、テレビでは歌舞伎座で聞いたあの迫力が出ないな。
この人はほんとうにライブ・アーティストだったなあと思いました。

私は東京在住中、二度ほど三波さんが毎年夏に(8月だったと思う)歌舞伎座でやってらした定期公演を見ました。

すごかったです。
あの方は発声法がふつうの方と違ったんでしょうねえ。
舞台で歌う声が歌舞伎座のすみずみまで届いて、「俵星玄蕃」の「雪をけたてて、サクッ、サクッ、サクサクサクサク…」 あ、こっち来ないでくださいとのけぞってイスからずり落ちました。

その圧迫から解放されるやいなや、キィ〜ンとはじける声で「月ぃが〜」と続く。
その声の響きの、朗らかさ、心地よさ。あまりの気持ちよさに、体中の力も魂も抜けました。

三波春夫歌舞伎座公演はスペクタクルでした。
ディズニーランドより面白かったです。
でもお客はおばちゃんばっかりで、そのおばちゃんたちときたら公演中でも後ろで幕の内弁当を食べてるんだから。もぅもぅ〜。

「雪の渡り鳥」も大好きでした。
「かぁっぱ〜からげぇえ〜て〜、さんどぉ〜が〜さ〜」と頭の上から高音がまっさかさまに降ってくる。脳天割られて、きゃ〜、きゃ〜、どーしたんだと騒いでると、なんか伊豆の下田で出入りがあったらしい(笑)。
(解説しますと、「雪の渡り鳥」は鯉名の銀平という江戸時代の渡世人のお話しで、このころ股旅ものが流行がしたらしくて、「清水の次郎長」シリーズとか「沓掛の時次郎」とか「一本刀土俵入り」とか、いろいろな渡世人が歌に歌われたり、映画で人気スターが演じたりしています。「木枯らし紋次郎」とか「北風小僧の寒太郎」とか「一円玉の旅がらす」とか「箱根八里の半次郎」とかは、もっとのちの話となります)

三波さんの舞台と客席との交感のしかたは、同じ歌舞伎座によく見に行っていた「歌舞伎」とどこか似ていました。

「歌舞伎」のどこが面白かったかというと、客席にとても近いというところでした。
というか、花道とかを使って舞台と客席がほとんど一体化するのです。
時代も状況も違う人物と思わずシンクロして、その舞台に引き込まれる。
新劇や四季のミュージカルや(^^;)海外で見たいろんな劇でも、こんな「体験」をしたことはない。
これは「お芝居」のすごく原初的な形じゃないかと感動して、それがゆえにインパクトも大きくて、夢中になって「歌舞伎」の追っかけをしていたんですが、その舞台と客席の交感を、三波春夫さんは違うかたちでやっているようでした。

歌手三波春夫はその前に浪曲師をやっていて、あの舞台の吸引力もその経験からきたのでしょうか。
大衆芸能から生まれた、といってしまえば簡単ですが、ではその「大衆芸能」はどこからきたのか…。
三波さんは浪曲や講談のみならず、室町時代の説教節などの能や歌舞伎を生み出した古典芸能の研究もしていらしたそうで、ご自分でもそういう芸能の後継者だと意識してらしたようです。
「お客さまは神さまです」という有名な言葉も、その辺の文脈で理解しています。
ただお客さまの望むことをやります!ってだけでは、人を感動させることなんかとうていできまへん。
この芸と神の絶妙のミクスチャぐあいが、私にはナゾだったし、そういう伝統を体で知っている芸人が、ああ、また一人いなくなってしまったなぁ。これからもどんどんいなくなるんだろうなぁ…と、なんだか寂しくてたまりませんのです。

私が三波春夫公演をいっしょに見に行った友人たちが「ムーン・ライダース」のファンで(私もファンですが)、手紙を出したのがエンでその頃メンバーの方と遊んだりしてたのですが、「三波春夫公演はいいよぉ」と言ったら、「大滝詠一さそって見に行こう」と言っていたそうです。
三波春夫とか美空ひばりとかクレイジーキャッツの植木等とかは、演歌とかバラエティとかのジャンルをこえて私たちにとっては基礎食品でした。好きとか嫌いとかを越えて骨の一部となり、血管に血として流れている、ホルモンみたいなものです。

今の私にとって、三波さんの舞台をナマで見られたことはかけがえのない宝物です。

でも、美空ひばりさんのコンサートを見られなかったことは、本当に心残りです。

もうひとつ。
尾崎豊の金沢公演のチケットを買っていたのに、その前の新潟公演で彼が倒れて(胃潰瘍となっていたが、一回目の覚醒剤)、そのあとも結局彼のコンサートは見られなくて、私にとって今彼はビデオとレコードの中だけの存在になりました。
残念です。
舞台の上から彼が放つエネルギーを受け取っていたら、彼は私にとって違うアーチストになったでしょう。

スペースがなくなったんで 『連載と読み切りのあいだには…』というタイトルで書きたかったことは、今度またね。 ということになってしまいました。
すみませぬ。