20014月の トンテンカン劇場


2001/4/30(月)『桜と共に去りぬ』

雪が降らなくなってから、金沢は毎日いいお天気です。
まるで金沢ではないみたいです。

お天気がいいおかげで、私はしょっちゅう出かけて、散歩もできて、遠出もして、そのおかげで「お花見」とかいうものも数回することができました。

その実質は、買い物だったり、散歩だったりするのですが、いわゆる「自由業」者が(いろんな証明書発行の書類の「職業」欄に、私はこう記入します)いったん外へ出ると、そこに桜の木がある町が広がっています。
そこにどあ〜っと出ていった「自由業」者は、夕方になっても帰ってきません。 夜になっても帰ってきません。たぶん、永遠に桜が咲き続けるなら、二度と帰ってはこないでしょう。
これを「お花見」と世の中ではいうようです(笑)。

桜の花はとうに散り終わりました。
桜の花の下には死体が埋まってるのではなく、桜の花の下にはただただ虚空があるそうです。
最近、坂口安吾の朗読を聞いて、ああ、なるほど。
と思ったのですが、狂い散る桜の花びらの下では、その花びらが地面に届く先に、舞い散る花びらに切り取られる空間こそが、人を狂気に追いやるのです。
枝から地面への、ほんの2mくらいの距離のドラマですね。

そう考えて思い浮かんでくる記憶は、京都のしだれ桜や東京の吉祥寺の八重桜など、バックが青空くっきりの空間の中でのサクラです。
虚空に身を置いて、白い花びらがただ散るのを見つめているあの時間は、本当に怖い経験でした。

空は青ければ青いほどよい。
花は白ければ白いほどよい。

バック・ミュージックはバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」 でしょうか。
くるくると旋回するヴァイオリンの弦が、くるくると乱舞する桜の花びらの散るさまに似ていて、むかし「花月物語」という漫画を、バッハを聴きながら描いたことがあります。
室町あたりを舞台にした、ラストに桜が乱舞するお話しでした。
あの頃、能を見てはいたのですが 、ようわからんかった。
というか、あまり好きじゃなかったんです。
謡曲のドラマツルギーや背中傾斜20度もっとしゃんとせい!と言いたくなるシテたちはほっといて、そのきれいなイメージだけをバッハの調べに乗せました。
て、カンジ。
私の中の能役者は、白絹の衣装でバロック音楽にのってくるくる舞って散る人でした。

サクラも終わった公園を、最近は散歩しております。
例年ならゴールデンウィークのこの季節は新緑がワッとわき出して、いっせいに若みどり色に染まり、道を歩いてるだけでその緑がムッと押しよせてきて、その勢いに感激する季節なのですが、今年は若緑色の葉の下に薄赤いテンテンがあって、なんだか新緑が汚いなあ…。
緑の葉っぱの下のあの赤いテンテンは何だろうと近づいてよく見ると、桜の花が咲いた後の残った花茎のあとでした。
桜が咲いたあと、いつもは雨で流れる花茎がその枝に残っているのです。

う〜ん。これは、はやくどしゃ降りの雨が降って、洗い流して欲しいぞ〜。

さらには、新緑に必要な雨が降らないためか、今年の新緑はどうも力がありません。
3月から金沢はほとんど雨が降っていないんです。
お天気がいいのはホント嬉しいんですけどねえ。
緑が成長するためには、やはり雨は必要ですよね。

なんだか複雑な心境のうちに、もう初夏になりますね。