20013月の トンテンカン劇場

2001/3/28(水)『月光のチチェローネ』

チチェローネとは「案内人、観光ガイド」という意味のイタリア語です。
夜空の下、青い繻子のマントを着た案内人の後ろ姿に導かれてたどり着いた先は、月光の中に秘やかに厳然と浮かびあがるコロッセオかと思いきや、100年近く前の上海の薄汚い路地裏です。

最近私は上海租界番外地ホの10番あたりに住み、まだ摩天楼が立ち並ぶ前の南京路のウラの薄汚い料理店で食事をし、瀟洒な西洋館の立ち並ぶフランス租界や、外灘(バンド)の暗闇を散歩しています。

時々金沢の家へ戻って来ます。
先日は雪の夜に、広州の野原に地雷を埋めに行ってきました。
私は「悲劇」作家なので、かわいいと思う人物ほど痛い目に遭わせてあげたくなります。右手をふっとばそうか、それとも足にしようか。いっそ心を粉々にしてあげようか。 機能は最新型で、爆薬の量はなるべく多く。命は取らないよ、お話が終わっちゃうからね。彼らをどうやってうまくここに誘いこもう。おっと、埋めた場所を忘れないように目印をつけておかなくちゃ。
白い小石がなかったので、パンくずを道にまいてきました。 小鳥さんに食べられないよう見張っていなくてはなりません。

月刊連載はほんとうに久しぶりで、最後にやったのは「月刊カドカワ」に連載した「ソフィアの歌」ですが、あれは毎月16p。
その前が「イスタンブル物語」(月刊ASUKA )、その前が「上海1945」(「プチフラワー」)。

月刊に限らず、連載というのはストレスのもとです。
むかし、ずっと一ヶ月が二週間だったことがあります。
毎月二週間、家から一歩も出ずに仕事をし続けて、終わったときの昨日が二週間前の昨日の記憶だったのです。
さすがにこれは気分が悪かった。

もうこんなムチャはできませんし、いつの頃からか少女漫画が読み切り志向になって、月刊誌が減り(今何誌くらいあるんでしょう?)必然的に季刊誌や隔月刊、読み切りを描くことが多くなって、もう年だし二度と月連載をすることはないだろなーと思っていたら、やることになってしまった。

3月は締め切り2日前に突然鼻水と咳が出て、ペンも持っていられないほどの筋肉痛になって、熱を計ったらなんと39度!!!
慌てて行ったお医者さんで「インフルエンザですね」と言われ、出してもらった薬であっという間に熱が下がったのと、アシスタントが約一名同じ症状で倒れたのとで、たぶんあれはインフルエンザだったと思うんですが( 春になって出だしてるそうです)、締め切り二日前に39度を出したことなんて初めてで、なんじゃこりゃ〜と思いながら、いただいた抗生物質を飲みながら原稿を上げました。
とにかく薬がよく効いて、締め切りが終わるとともにすべての症状が消えて、今は何となくかったるい体をあやしつつ、いったいあれは何だったんだろう。まるで横町からダンプが飛び込んできて、轢かれたと思ったら通り過ぎていったみたいだ…と振り返ってぼんやり思ってるところです。

4月はゴールデンウィークで締め切りが早くなって、殺人的スケジュールなので、今からお手上げ状態です、オーララ。