20011月の トンテンカン劇場


2001/1/10(水) 『初めてDVDを買いました』

プレステ2もDVDプレーヤーも持ってない私ですが、去年買ったG4にDVD-ROMが付いていたので、見ようと思えばいつでも見られる状態でした。
でもあっという間にすごい数のタイトルが出て、レコード屋さんにずらっと並んでて(レーザーディスクよりビデオより、画質も音もよくて値段が安いんだからムリないよね) そのうちインターネット本屋さんで検索をかけて(たいがいCDやDVDまで扱っている)欲しいものをまとめて注文しようと思ってたら、先日、近所のショッピングセンターでCD、DVDのバーゲンセールをやっていて、そこでずっと欲しくて探してたタイトルがあったので、「ラッキー!」と買い込んで、たらったスキップで帰ってきました。

私のDVD初タイトルはリー・リンチェイの「ワンス・アポナ・タイム・イン・チャイナ天地大乱」という映画です。

プロデューサーと監督はツイ・ハーク(監督ジョン・ウーだと思ってた)。
劇場公開時に映画館で見て、リー・リンチェイのカンフーがカッコよくて端正で品格があって、「ああ、また武術やりたいなあ。楊進先生、お元気ですかぁぁぁ?(むかし吉祥寺で武術を習ってた先生。すっっっごくカッコよかった!)」と映画館を出てから数日涙にくれて過ごしたものです。

主役は黄飛鴻(ワン・フェイフォン)という19世紀から20世紀の清朝末に実在した有名なカンフー・マスターです。
白蓮教徒の乱に、孫文先生もからんで(^_^)、リー・リンチェイが孫文を追う清朝の役人(いいぞ、強いぞ!ドニー・イェン!!!)と戦う最後のクライマックスでは、そのアクションに手を汗握りながら、なぜこの二人が戦わなければならないのかと「歴史の意味」についてどっぷり考え込んでしまう、スカーッとさわやか、あとに何も残さないラストとはちゃうちゃう映画でした。
カンフー映画のかたちをとってますが、これは「カンフー映画」のワクのなかでツイ・ハークが自分のやりたいことをギリギリやって、中国の悲劇を描いた「歴史映画」だと思います。
ツイ・ハークというのは、ほっておくと娯楽作品のワクからはみ出ちゃうのを「しまった、いかん、いかん」と必死で押さえる、アクション一辺倒のジョン・ウー(アタマかかえたぞ「MI-2」は…)とちょっと違うキャラクターらしい。
これから中国のジョージ・ルーカスと呼ぼうかしら。

で、DVDですが。
G4で見るせいかもしれませんが、画面で見るとフィルムというよりはビデオみたいで、ミョウに細部まで明るくてはっきりして、奥行きがないものですね。
でもたしかに細部まではっきりして全体を見渡すことができるから、編集室で機械に向かってフィルムを編集する監督はこういう気分なのかな?と思ったりもする。
インテリアや衣装などを参考にしたいというヨコシマな意図をもって見る人間にはいいかもしれないなと考える、ヨコシマなワタクシです。

ところで、「どるちえ公司」を改造しました。
何とかしなきゃとずっと思っていて、「ヴァレンチーノ」の文庫本が出るのを機会に、思いきって「ヴァレンチーノ・シリーズ」のカラーをどあ〜っと全部アップしました。ぜいぜい。
「ヴァレンチーノ・シリーズ」の文庫本は、白黒印刷はホントーにキレイです。
でもカラー印刷はマット・コーティングが多すぎたね、竹のTさん?(笑)。
カラーはこのWebページで見ていただく方がキレイかと思います。

「どるちえ公司」はフレームを使ってるうえに、画像が多いとけっこう手間がかかるので、この作業は疲れました。
もちろん好きでやってるんだし、画像のデジタル化が一番上手くできるのは元絵を描いた作家だと思うんです。
でも。
今いろんな面で限界も感じていることも確かです。
もう一人、自分のクローンがいたらいいのですが…。

今はネームをやっています。

あ。
メールをいただいた方で、H.P.を見つけて嬉しいです!
最近西洋を舞台にすることが多いようですが、東洋もまた描いてください!
という方がおられまして。
このH.P.だけ見てたらそう思うだろうなあ。
いえ、けっして責めてるわけじゃないんです〜!
私が至りませんのです。申し訳ありません。

「月光の帝国」の内容紹介もやっぱり必要ですよね。
今どういう作品を描いているか、分かるページも作らなきゃいけませんね。

つぎのテーマは、それですねえ。

2001/1/1(月)『明けました。2001年』

20世紀が終わって、21世紀の元旦がやってきました。

一日たったからって何か変わるとは思わないんですが、新しい年がいい年になったらいいなあと願います。

19世紀が終わって20世紀になる時も、たしか数年はそんなに変わらなかったような気が…(生きてたわけじゃありませんよ)。
5年か10年して…変わりましたね。
これは19世紀の動き、というのと、20世紀の流れです、というのに境界線が入り交じりながら別れていって、今は19世紀と20世紀は違う質のものとして認識しています。

でも区分けすることにどんな意味があるんだろうって、29、30,31日とNHK衛星で『グリークス』を見た私は思います。

『グリークス』というのは「ギリシャ人」という意味で、ホメロス、エウリピデス、アイスキュロス、ソフォクレスほか、ギリシャの神話作家や劇作家の脚本を編集して「トロイア戦争」を中心に一本の劇にまとめて(といっても、まとまって起承転結してるわけじゃない)、それをいろんな役者で3時間×3部作として、丸一日かけて上演するという(at:東京は渋谷のシアター・コクーン)とんでもない企画で、話聞いたときは演出の蜷川さんたら、いつもとんでもないこと考えるんだからぁと思っただけで、見に行こうとは思わなかったんですが( 2000年の9月では、連載準備で東京へ行けるわけもなかったしね)、これすごい舞台だったようですね。

ギリシャの戯曲家たちの作品を編集してこの脚本を書いたのは、イギリスかアメリカの人のようで、たぶんイギリスかアメリカで上演されて評判を取ったんだろう(すいません。見に行ってプログラムを買っていれば分かることなんですけど)。

ギリシャ人もローマ人も、町の一番いい場所に立派な劇場を作った、娯楽といえばまずお芝居、という人たちで、そんな環境から生まれた数々の悲劇作家の美しいセリフで語られる(訳もすごくいいと思う)ドラマは、2000年前のギリシャの重厚な歴史劇と思いきや、どっこい!

ギリシャに負けて奴隷にされるトロイアの女達の嘆きは従軍慰安婦やコソボの民族浄化だし、親と子の葛藤も現代そのものだし(ダテにエディプス・コンプレクスという名を付けてない)、鎖に繋がれた女たちの独白はフェミニズム論争だし。
人と人の対立としての戦争、人と神の対立、男と女の対立、永遠と現実の対立。そのすべてが、今の私たちの物語だったのです。

舞台の上には大きな振り子がゆらゆら揺れて、「時」が今も昔も変わらない人間のドラマを見つめていました。
そして、劇場は有限の人間たちが無限の問題を捧げて祈る神殿と化していました。

蜷川さんの演出では近松や樋口一葉を素材に、幾たびの胎内回帰をさせていただいた覚えがありますが、この『グリークス』は圧倒的でした。
劇場がこれほど神殿になるとは…。

役者たちもすごかったなあ…。
アキレウスの田辺誠一、オレステスの尾上菊之助、花があった。
エレクトラの寺島しのぶ、アンドロマケの麻美れい、久世星佳、うまかった。
平幹二郎もスゴイけど、ヘカベ役の渡辺美佐子はバケモンだった。
もちろん白石加代子も。
役者の「K-1」リングでしたね。
みんな競い合いながら、のびのび跳んだりはねたりしていました。

この祭儀に「観客」としてではなく、「信者」として参加できなかったということが2000年一番の心残りかもしれません。
2001年はもっとお芝居が見たい!!!

あっ。お仕事もがんばりますね。