2000年3月の トンテンカン劇場

2000/3/30(木)『私のオードリィ』

新学期を待ち望む一年生のように胸ときめかせて、今日私は文房具屋さんで新しいノートを買いました。
オレンジ色の可愛いルックスで、Collection de ecoleとかなんとかフランス語で表紙に書いてありますが、フランス製のノートじゃないと思うんだけどなあ。

そして、今私がこのキーボード打ってる部屋の後ろには何もありません。
家具や本の山はすべて私の目の前に移動しました。
部屋の左半分にすべての荷物が入って、右半分には何にもないという、まあパソコンを入れると決心した人が、それを入れる場所を作るためによくやる、お部屋の掃除ってやつを今しているわけです。

それにしても、本を数冊持ったら息が切れる。中腰がまったくできない。腰痛はこのところおさまっていたんですが、腰がきかなくなるってのはこういうところに現れるんですね。ちょっと動くと、四十肩やら五十腰が出て、持久力も耐久力も無くなっていて、ま、アタシはもともと丸ペンより重いものを持つと下痢する体質だったんだけどね。こりゃちょっとヒドイよなあ。パソコンを買った時より、というかWebページを作った昨年から、体力がものすごく低下してます。ちょっと考えたほうがいいなあ。

何でノート(パソコンじゃない)なんて買ったかというと、まあ冬はもともと苦手な季節なんですが、暖かくなっても花粉症のケハイ(今年もどうやら発症には至らなかったもよう)で目が利かなくなって、毎日だらだらと過ごしてたってのもあるんですが、やらなくてはならないことが多すぎて、それが複合的に入り組んで、自分でもいったい何が最重要課題か分からなくなり、何もせずただ毎日を過ごしてしまったという反省がありまして。これからは毎日スケジュールをノートに書いておいて、それを消化することに達成感を味わう人生を生きようと決心したのです。

なんだか夏休み前にノートかレポート用紙を前にして、「夏休みスケジュール」を立てて、でもいつも夏休みの宿題は最後の4,5日でやってた生徒がどっかにいたなあってイヤな記憶が頭の中をよぎるんですが、都合の悪いことはすべて忘れて、新たなる明日に向かっていこうと思ってる私です。

あ。ちなみにこのノートには「オードリィ」という名前を付けました。
私の予定表が進んでるかどうかは、「オードリィ、どうしたの?」って、これから聞いて下さいね。

2000/3/24(金)『フライト・ジャケットが欲しい』

フライト・ジャケットを買おうかと思っています。
もう春だというのに、なんで今頃フライト・ジャケットかというと、たぶん先日読んだ「プラチナ・ビーズ」「スリー・トパーズ」(五條瑛)に出てきた坂下が着ていたからじゃないかと思います。
坂下というのは日系のアメリカ軍情報将校で、ノーミソにシワがないらしく、なーんも考えず、この平和日本ですぐ銃をぶっ放しまくる男で、いつも考えすぎて動けなくなって、これじゃイカンとたまに行動に出ると必ずひどい目に合うかわいそうな葉山が側にいるせいだと思うけど、どうも可愛くて、ペア・ルックがしたい、などとバカなことを考えてしまったようです。

でも「フライト・ジャケット」っていったいなんだろう?
たしか、アメリカ軍のヒコーキに乗る人間が着るジャンパーだったと思うけど。

「トップ・ガン」(1986年。トニー・スコット監督)を見たら、おおっ。着てました!
F-14トム・キャットに乗る時はナイロン(?)のつなぎですが、降りるとGパンに黒い皮のワッペンベタベタのフライト・ジャケットを着て、トム・クルーズはケリー・マクギリスに会いに行きます。

おや。その下に着ているTシャツはヘインズじゃないか。エリがヨレヨレのところとか、いかにもボリュームがないところとか。一時期流行して(「トップガン」のせい?)私も着てたけど、クーラーが効きすぎる日本の夏には、頼りなすぎて、寒すぎて、今は着なくなったなあ。そういえばアメリカ軍御用達のTシャツはヘインズだったっけ。
Gパンは、たぶんリーバイスだろうな。これは軍用品じゃないと思う。

「ライト・スタッフ」(1983年。監督フィリップ・カウフマン)はどうだろうと見たら、これも着てました。
しかも第二次大戦後から始まる話だから、パイロットがみんな皮のフライト・ジャケットを着て出てくる。飛行機も皮のジャケットを着て操縦してる。
ペタッとした水泳帽みたいな皮の飛行帽をかぶって、皮のフライト・ジャケットを着たこーゆーパイロットがB29で日本を空襲したんだろうなと考えると、あまり気持ちいいもんじゃないけど、これはそういう映画じゃない。
マッハ(音速)の壁に挑むところから始まって、ソ連と対抗するアメリカの宇宙計画に、宇宙飛行士として「正しい才能(ライト・スタッフ)」を持つ七人のパイロットが選ばれる。
しかし、トップ・パイロットのチャック・イェイガーは、大学を出ていないということで、選ばれない。
トム・ウルフのドキュメンタリーを原作に、アメリカの宇宙計画をめぐる人間模様と、それからはずれながらも自分に誇りを失わず、自らの「ライト・スタッフ」を証明したチャック・イェイガーを描いた作品。
このチャック・イェイガーが、最初から最後までずっと皮のフライト・ジャケットを着て出てくる。
演じてるのがサム・シェパードだから、めちゃカッコいい。
ついでに、サム・シェパードもヘインズのTシャツを着ていた。

フィリップ・カウフマンて、画面とかちょっとしたとこにユーモアセンスがある人だな。次作の「存在の耐えられない軽さ」はこのユーモアがなかったから面白くなかったのかな。
オーストラリアのアポリジニの祭儀とロケットが交感するところが好きです。

あと記憶があるのは「レッド・バロン」(1971年。ロジャー・コーマン監督)。
ジョン・フィリップ・ロー扮する第一次世界大戦のドイツの空の英雄フォン・リヒトホーフェン男爵(レッド・バロン)はたしかずっとドイツ軍の制服で、彼を撃ち落としたカナダ人のパイロットのブラウンが、茶色の皮のフライト・ジャケットを着ていたような気がするが、ビデオを持っていないので確かめられない。

貴族出身で戦争で騎士として戦うことを選んだ男爵は、機体を迷彩色に塗るようにという命令を受けて、自分の機体を真紅に、部下の各機を黄色やブルーに塗り、その編隊はフォン・リヒトホーフェンとフライング・サーカスと呼ばれる。逃げも隠れもしません。自信のある奴はかかってらっしゃい。撃ち落とされてもしらないよ。
「モンティ・パイソン」がその名を使ってるように、この男爵に心ひかれる人は多いが、監督のロジャー・コーマンという人も私は好きなのだ。ハリウッドで「金星人地球を征服」とか「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」とかB級映画を撮りまくる一方、コッポラやスコセッシなどの若い作家を育てた。
先日「私はいかにハリウッドで100本の映画を作り、しかも10セントも損をしなかったか」という自伝を見つけて、「いか〜ん」と止める左手を振り切って、右手が買ってしまったので、もし読んだら改めて書くかもしれません。

2000/3/21(火)『春は満開、花粉症も満開!』

春分の日です。お彼岸です。
ううう、お墓参りに行かなきゃあ。

3月は更新無しかと自分で危ぶんでいたので、ここで更新できたことは我ながらオメデタイと思っています(笑)。

やりかけの、やらなきゃならないことは多いんですが、やらなきゃならないことが多すぎて、どうもフィニッシュまでいかないという状態がいつの間にかずっと続いています。
そのうえ、やらなきゃならないことより、なぜかやらなくてもいいことの方を優先させたりして、人間ってなんて弱いものだろうなんて、今さら思い知ることでもないんですが、改めて確認している毎日です。

しかも。
今年かなり花粉症に近づいているらしくて、朝起きると目が腫れてて、首や肩がガクガクにこってて、胃の調子も悪くて、ディスプレイをのぞき込んで字が読めなかったりすると、いったい何のために私は生きてるんだろうと考え込んだりして、ますます落ち込んで、春が来るのが楽しくないどころか厭わしいと思うようになったら、人は一体何を頼りに生きていけばいいんでしょう。
しかも、やっとの思いであんな曇天を耐えて、春が来る日を毎日待っている北国の人間は。
ああ、今日は晴れた。久しぶりに散歩に行こうと遠出すると、帰ってきてからクラクラと寝込むんだから、もはや毎日が明けない曇天の連続こそ世界という認識になります。

でも。お彼岸だからね。
う〜む。
お墓の側に杉の木はあったかなあなんて考えない日がいつか来てくれるのでしょうか。

2000/3/16(木)『日本はトルシェに捨てられた』

15日のサッカー日本代表×中国代表戦を見て、試合後脱力感に襲われて立つ力もなくしばらくのびちゃった人は私だけじゃないと思います。きっと。
終わったあと30分くらいテレビの前から動けなくて、ただため息ついて、ああこの落胆と無力感は日本代表を見るようになってからもはやお友だちといえるくらいたびたび訪ねてきて、しばらく姿を見ないとどうしたんだろうと心配になるくらい親しい腐れ縁の友人だなあ。初めて出会ったのはどこだっけ。昔の日本代表を見た時か。それからドーハ。それから国立での韓国戦。懐かしい思い出は走馬燈のように記憶の中を駆けめぐり、再会の喜びに嗚咽を漏らしそうになりました。

試合は中田、名波、城のヨーロッパ三人組が日本にいた時より成長したプレーを見せて大活躍。
日本代表健闘するも、ゴールには至らず、0−0で引き分け。
親善試合でホームで引き分けというのは、すなわち負けです。

中国代表、思った通りいいチームになりました!

1998年の春に二回ほど見ています。
選手全員が身長180センチ以上、体重80キロ以上で、思わず「おい、サッカーやるよりラグビーやれよ」と叫んだ身体的優位、サッカ−技術も正確で強く、人口10億から選抜するとこういうチームができるのかと、チャイナ・パワーにひたすら感嘆。
でも笑っちゃうのは、彼ら「サッカーがなにか」分かっていなかったってことです。恵まれたフィジカルと正確で力強いサッカー技術を持ちながら、「サッカーがなにか」分からないままプレーしてて、この時日本代表は中国に負けてますが、それは当時岡田氏だった監督のゲーム進行方針のためで、この時の中国はまだ怖いチームじゃなかったです。
その中国の姿は、かつての(オフト以前、Jリーグ以前の)日本代表とちょっと重なって、たぶんいい指導者といろんな経験を積んで「サッカーとはなにか」を理解したら、末恐ろしいチームになるぞと思いました。
この1月に名将といわれるユーゴ人監督ボラ・ミルテノヴィッチが中国監督に就任しました。
過去4回のW杯で、彼が監督したチームはすべて予選リーグを突破し、決勝リーグに進出。コスタリカ、アメリカ、ナイジェリア(あと一つどこだっけ?)。決勝リーグ進出請負人の「異名」を取り、「トルシェなんかじゃダメダメ。ミルテノヴィッチ呼んでこ〜い!」と、日本でも言ってる人がいっぱいいた、すっごく有名な監督さんです。
さすが、ボラ。
2ヶ月で中国チームに「サッカーとはなにか」を教えました。
でもたぶん今、中国選手は教えられたことを忠実にやってるだけです。オフトのもとで日本チームがやったことと同じ。教えられることがある限りは強くなる。でも、教えられることが無くなって自分たちでやらなきゃならないことが出てきた時、中国選手もミルテノヴィッチも壁にぶつかる。
中国選手がそれを越えた時が、本当に中国チームが強くなる時でしょう。

で、日本。
海外三人組はたしかによかった。
でもあれはチームじゃなかった。
そしてトルシェはな〜んにも手をうたなかった。
世界ユースやオリンピック代表であんなに手塩にかけ、花咲いて光り輝き魅力的な選手に成長した小野や中村を、使い捨てた。
自分の力で自分の選手を自分の戦術で使うという熱意をこれっぽっちも見せなかった。
世界ユースやオリンピック代表の試合で、こんな試合を見た覚えはない。
トルシェはこのチームを愛していない。
右サイドをやった望月は去年のコパ・アメリカで、海外と戦う気迫に唯一トルシエから及第点をもらった選手ですが、フル代表の彼ですら、ユース代表上がりの稲本ほどの技術がない。
右サイドが明神だったら・・いや酒井だったら・・

何があったか、私は知りません。去年一年、トルシェがどれだけ、何を、日本サッカー協会とJリーグと、そしてマスコミやスポーツ新聞と戦ったのか、具体的なことは何一つ知らないし、それで彼がどれだけすり減ったかも知りません。
でもトルシエはもう止めたようです。日本代表監督であることを。
たぶん彼のもとには慣れたアフリカやヨーロッパからいろんな話が来ているでしょう。
昨日試合後の記者会見の「このチームには未来がある」という言葉は、自分が育てた若い芽を損ねることなくこれから育ててくれという願いに、私は聞きました。
たぶん契約期間終了の6月前に、彼は止めるでしょう。

誰が次の監督になるのか。
私は中田が監督として戻ってくるまで、日本人監督はやめた方がいいと思っているので、外国人監督がいいんですが、中田だって日本とあわずにイタリアに逃げていった人間です。
日本は世界と競える人間を嫌って、追い出す伝統があります。
もはや監督より日本サッカー協会の会長を外国人にした方がいいんじゃないかと思っています。

2000/3/7(火)『春です』

時々遊びにいっていた好きなサイトのひとつが、しばらく休憩に入りました。
体を悪くして、パソコンの前に座るのが辛いです。数ヶ月、充填のためにお休みします。。。
おいたわしや。さぞや大変だったでございましょう。Webページ作成者のはしっこに連なるものとして、その苦労の一端は分かります。どうかゆっくりお休みください。さらにパワーアップしてのカムバックを心よりお待ちします・・、と思わずディスプレイの前で祈りました。

多いです。楽しくて人気があるサイトで、行くとフツッと消えてたり、しばらくお休みの掲示がかかっているところ。

今世界中のラインで、飛び交っているいろんな人との触れ合い、好きなものや熱中するものの話、花咲くこのWebカルチャーの熱気を支えているのは、個人の「好きだ!」というエネルギーだけなのですね。

気が向いた時に、好きなことだけ勝手にやってる私みたいなのは、まだラクなほうなんだけど、それでもたった一人でいろんなコンテンツの管理をする個人サイトの運営って、限界あるなあって思います。

私が思う 「このサイトがアブナイ!」(^^;)

1:毎日更新するサイト
2:CGIをたくさん使ってるサイト
3:資料中心で、必然的にいろんなサイトにリンクが多いサイト

1は解説不要ですね。
2は、CGIプログラムを使うと、インターネットの楽しさである「インタラクティブ」性が出て(BBSやBBSを改造したいろんなプログラム、フォーム、アンケート)そこへ来た人がいろんな形で参加できてすごく楽しいんだけど、管理者はファイルアップやプログラム管理が大変で、参加する人たちへの気遣いもしなきゃならなくて、自分一人のサイトじゃないと思うと毎日休みなく管理し続けなきゃならなくて、私みたいに今日は気が乗らないからスイッチ入れないなんてワガママは許されなくて(すま〜ん^^;)、きっと風邪ひいてもディスプレイの前に座り続けるんだ。
3は、タメになるページなんだけど、タメにするためには常にいろんなサイトをチェックして情報の正確性に責任を持たなきゃならなくて、それが手間とプレッシャーになって、「好き」が義務感に変わった時、かなりツライんじゃないかなあ。

それでも、20代の人はこの毎日の激務に耐える体力があるみたいです。体力もありますが、「好き」のエネルギーが、若い人は直進して邪魔物がなくて大っきくて、突っ走れるんじゃないかなあ。
でも、2、3年突っ走って「や〜めた」ってのも、けして悪いことじゃないと思う。やってる時は楽しいし、止めたあとは、きっと友人が増えているもの。

体悪くしてまでディスプレイの前に座り続けるのは、好きだからだし、Webページを作ることはホントに楽しいってことも、よく分かっています。「好き」というエネルギーこそが、これから世界を動かすとも思います。
このバランスをうまく取りながら、Webページを運営していけるといいですね。

って、なんでこんな話書いてるかというと、賢明な諸兄にはもうお分かりですね。
最近更新してない言い訳でございます。てへへ(^^;)。

2000/3/1(水)『PS2はたぶん買わない』

うわあっ。3月ですねえ。ついこの前、お正月じゃありませんでしたっけ?

ところで、旅が好きな人間に、RPG(ロール・プレイング・ゲーム)が嫌いな人はいない。というのは私の偏見でしょうか(笑)。
一番最初にやったTVゲームは・・「ファイアー・エンブレム」だったかなあ。今市子さんのところで「ドラゴン・クエスト3」をやらせてもらって、どっぷりのめり込み。
最初に自分で買ったソフトは「ドラゴン・クエスト5」で、次にスーファミ版の「ウィザードリー5」(末弥純さんのイラストがキレイ!)。そのあと「ウルティマ」にはまって、プレステを買ったあとは、一週間寝ないで「ファイナル・ファンタジー7」をやりました。
でも、3年前パソコンを買ってから(特に画像ソフトを入れたら)、お絵描きばかりしてて、とんとゲームをしなくなりました。

船で海を旅するゲームが好きで、「ドラ・クエ3」の「旅の扉」をすべて解明するまでのプカプカ船旅や、コーエーの「大航海時代1,2」には夢中になりました。世界中を船で交易して、海賊と戦ったり、自分で海賊やったり(笑)、新大陸の秘宝や新種の動物を発見したりして、最後はどこかの王女様と結婚することを目指すというRPGシミュレーションですが、結婚したあとも城を飛び出して、ゲーム・オーバーで敵も現れず、秘宝も発見できない平和な海を、いつまでも空しくウロウロしてたなあ・・。

先日読んだ池澤夏樹氏の「ブッキッシュな世界」に、「百年の孤独」(ガルシア・マルケス 新潮社)のストーリーがのっていて(氏が一番好きな小説だそうです)、昔から「純文学」というヤツはまったくダメで、ノーベル文学賞受賞するような本はぜったい向いてないと敬遠していたんですが(一時流行ってけっこう有名な本です)、あらすじを読んだら、あら、なんだ、これRPGゲームじゃない、と思って、読み始めたら、面白い!「薔薇の名前」は挫折した私ですが、ノーベル賞を受けてても「百年の孤独」は面白い!

錬金術、年に一回町を訪れるジプシーたち、ダイヤモンドの結晶はいつか夢で見た氷に閉じこめられた町か。
絵心がズキズキうずいて、なんだかすごく昔から好きなものばっかり出てきて、魔術やおとぎ話、歴史をわざと混淆させて、現実と幻想の入り交じった世界を作って、これこそ「夜店の屋台の赤いビー玉」だわ!CGで描くためにあるような世界だわ〜!と私の右手は燃え上がったんですが、うちの2400を見て、出てくるのはふわわわあという深い溜め息。
「PhotoShop」でレイヤーを10枚重ねると必ずフリーズ。大きな画面だとフィルターがかけられない(遅いかフリーズかどっちか)。32000色の液晶画面じゃカラーコーディネートも不自由だし、「PhotoShop」は優れたお絵描きソフトですが、本来の目的は写真のレタッチで、赤目を修正したり、画面を明るくしたり、二枚の画面を一枚に合成したりするために作られたもので、その機能が絵を描くのに使えるぜって、デザイナーやイラストレーターが使っていますが、やっぱり「絵を描く」ってことには向いていないところがある。「Painter」というペンや筆や絵の具を使って絵を描くのをデジタルに置き換えるというソフトがあって、漫画家さんでも「Painter」の方が面白いという人が多くて、なんとか早くこれを入れたいと思ってるんですが、ウチの貧しい環境では入れられなくて、やっぱりG4がないとダメなのね。

でも、狭いウチの部屋にG4を入れるには、たんに場所を空けるだけでなく、生活環境の根本的再構築(リストレーション)が必要で、それが一向に進んでいない。

私は熱中すると誰彼かまわず「いいよ〜!いいよ〜!」っていって回りたくなる人間なので、3年前パソコンを買ってからは人の顔を見ると「まだなの〜?買おうよ〜!」というのが口グセです。MacでもPCでもどっちでもいいんですが、私はMacしか使ったことがないので、今のところ毒林檎の行商人をやっていますが(エヴァンゲリストなんていいもんじゃない)、私の友人は「買う気はあるんだけど、部屋が狭くて・・」という人が多い。たしかに、あの部屋にパソコンとディスプレイを入れたら大変なことになるだろうなという「とんでもない部屋」にみんな住んでいる(笑)。ウチはコンクリだからまだいいけど、日本家屋の二階に住んでる人は、資料と本とビデオで一杯のこの部屋にパソコン入れたら床が抜けるよというのが、冗談に聞こえないところがコワイ。

新しく出たグラファイトのiBookくらいなら入るかもね(性能も上がったし)。でも漫画家がiBook買ってもしかたないしね。プリンタやスキャナのスペースも必要だし。

パソコンは楽しくて役に立つお友だち。でも、新しく入れるには一大決心が必要な、気難しいお友だち。
特に「PhotoShop」は奴隷となってお仕えする覚悟がないと扱えない気位の高い「女王様」。機嫌を損ねるとムチ打ちの刑をくらい、逆らうと「天の岩戸」の後ろにお隠れになって、お出まし下さい〜と泣いて叫んでご寛恕を乞うしかない。使ってる人が口を揃えて嘆きます。(だからって出すって人もいないってとこが(^^;)。

3月4日に出るプレイステーション2はたぶん私、買わないと思います。
ゲームをやってるヒマがあったら、部屋の掃除をしてG4様をお迎えする準備を整えなくてはならないし、G4様をお迎えしたあとは、お絵描きやその他のシステム調整でまた忙しくなって、「Painter」を入れたら、これまた簡単に使えるソフトではないし、「PhotoShop」もヴァージョンアップしなきゃならないし、当分ゲームをやる時間は無いだろうなあと、こりゃ諦めるしかありません。