2000年2月の トンテンカン劇場


2000/2/27(日)『北朝鮮までエッサカホイ 2』

続きです。まだ北朝鮮です。

「プラチナ・ビーズ」「スリー・アゲーツ」(五條瑛 集英社)

少年時代に自殺した父は日系アメリカ兵だった。

スパイだったらしいその父と、正体不明の母の間に生まれた葉山は、HUMINT(人的情報収集活動)担当官として「カンパニー」(CIA?)の現地調査員として働いている。専門は極東。つまり北朝鮮。
情報活動には、ほかにCOMINT(通信情報収集活動)と、ELINT(電子情報収集活動)というのがあるそうです。

上司は典型的WASPの「エディ」。
打ち合わせ場所によくアークヒルズが出てくるので、その上のマンションに住んでるのかもしれない。あそこよく不良ガイジンが住んでるそうだから。
相棒は、日本人に生まれながら、アメリカで育ち、アメリカを(アメリカ軍を、か)こよなく愛し、そのアイデンティティに一片の疑問も持たず、平和国家の日本でも銃をぶっ放しまくる海軍調査軍(NISC)所属の坂下。
そして、たぶんKGBのエージェントで、ソ連崩壊で祖国を失って、北朝鮮のために働いている(注:金正日のためではない!)謎の男、サーシャ。

エディを除いて、出てくる人物すべてが祖国喪失者(ディアスポラ)です。
ついでに、日本人であろうとして、どうもはまらないで、いつも失敗する葉山を除いて、日本原理で行動する日本人が一人も出てこない。舞台も状況も日本なのに。
日本人以外の何ものでもない弟吾郎すら、オカマであることで、日本原理からはみ出している。この徹底ぶりは凄い(笑)。

サーシャは北朝鮮人ではありませんが、その協力する理由の後ろに、北朝鮮の事情が見えてくる。
全ての登場人物が国から切りはなされて、漂よいながら帰るところを探している。その中に、やがて、国とは何か、人とは何かのフォルムが見えてくる。

食糧事情に恵まれて、ハンバーガーにも飲んで吐くゲロにも不自由してない(^^;)身としては、「国」とはなにかと問う契機は、この国に生きるぼんやりした「居心地の悪さ」は何だろうという、形の定まらない不安感でしかありませんが、その不安感と微妙にシンクロする小説です。

出てくるディアスポラたちの組むチームワークが心地よく、「知る」(情報)ことに取りつかれた人間たちの、切なさとやるせなさが重く、心に迫ります。

この作品は四部作だそうです。
最後は葉山の両親の謎が明かされ、サーシャと最終対決するんだろうか。楽しみです。


ところで、バックを白に変えてから、映画や本のことをトンテンカン劇場に書くようになってしまいましたが、これ、ラクなんです。
日記、映画、本と分けて書こうとすると、カテゴリはどこだっけってファイルをいくつか移動しなきゃならなくて(ついでに頭のカテゴリも(^^;)、FTPソフトでアップする時にもファイルが増えて、手間がかかる。Webページをやってる人はお分かりでしょうが、FTPのアップはけっこう面倒です。
CGIのBBSを改造した日記スクリプトを使うと(けっこうみんな「日記」はこれを使ってオンラインで書いています)もっとカンタンなんでしょうが、今のところ使用予定はありません。

なるべくラクに、なるべく楽しく、好きなことを書いて、余った時間は他に回そう(笑)。いや、Webページってホント大変なんですよ〜。

トンテンカンに書いたことをソート機能か検索を使って、カテゴリ別に(本とか映画とかパソコンとか)分けて出すこともできると思うんですが、「データベース・ソフト」が使えない私(「Office」とか表計算とか、普通の人が使うソフトが全滅。画像ソフトはちょっと使えるけど、それも未熟者)にできるか、ちょっち不安(古いわ)。
そのうちMY ROOMも模様替えかな・・。ああ、おまえ、また面倒を引き込む気だな・・。

2000/2/26(土)『北朝鮮までエッサカホイ 氈x

ハンブルクまでのトンネルも埋まらないのに、最近せっせと北朝鮮へのトンネルを掘っています。ウチのシャンゼリゼは穴ぼこだらけで、いまや歩くのもヤバイです(涙)。
なんで北朝鮮ねん?といえば、はい。明らかに映画「シュリ」の影響ですね(笑)。

「亡国のイージス」(福井晴敏 講談社刊)
守るべき国の形も見えず、いまだ共通した歴史認識さえ持ちえず、責任回避の論法だけが人を動かす。国家としての顔をもたない国にあって、国防の楯とは笑止。我らは亡国の楯(イージス)。偽りの平和に侵された民に、真実を告げる者。

-----------無断引用

イージスというのは海上自衛隊の艦船のなんかの最新型のシステムですが、もとはギリシャ語の「楯」という意味だそうです。
日本の現状に不満を持つ自衛官が、北朝鮮テロリストの力を借りて自艦をハイジャックし、米軍から盗み出した最新秘密兵器をタテに日本政府に要求を突きつけます。
要求をのまないと東京を破壊する。最終期限は12時間後。
それを迎え撃つ自衛隊。自衛隊始まって以来の実戦が勃発します(それも自衛隊同士)。
右往左往する日本政府、国家の危機を前に、それでもまだ保身に走る防衛庁の情報機関、内閣調査室、警察庁・・。
(似た設定の漫画がありましたが、読んでないのでほんとに似てるかどうか知りません)

この作家、理科系らしくて、一行に二つは専門用語が出てきて、メカオンチには読むのが疲れる。おまけに、とても長い。
でもこの長さがあるから、その知識、描写、構成力で描き出す架空現実が、リアリティを持って迫ってきます。イーグルがこうミサイルを発射して、それをこう探知して、ああ迎撃するのか。どっか〜ん。うっひゃ〜。再攻撃だ。ハープーン発射。チャフ雲散布!ミサイル迎撃用意。間に合わない!きゃ〜っ!!!死んだ・・・。

この迫力と臨場感はお見事。映画化すると「ダイ・ハード」みたいな傑作ができそう。どこかがもう版権買ってると思うけど。日本映画界にそれだけの技術があるかどうかは別として。ノウハウあるのはガイナックスだな。低空飛行するミサイルが目標を捉え、クワッとかま首を上げて上昇し、垂直に急降下するとか、会議室のモニタにレーダー画面がパッと映るところとか、「エヴァンゲリオン」の絵で浮かんできます。

映画化したら、如月行のキャスティングは誰だろうと考えるのは、けっこう楽しい。不幸な生い立ち故に秘密機関にリクルートされた男「ニキータ」(と呼んでしまおう)。外見はジャニーズ系だけど、もっとクセのある役者がいいだろうな。浅野忠信か、藤原竜也なんてどうだろう。彼に人間の心を取り戻させる恋人役は、先任曹長 仙石(ウソです。冗談ですっ!)。これは個人的に大地康夫を希望します。

本当に良く出来た「アクション小説」です。
でも、この北朝鮮テロリスト ホ・ヨンファは、ただの狂ったテロリストで、北朝鮮である必要がありませんでした。
分かってます。そういうものを読みたけりゃ、ドキュメンタリーか歴史書を読めばいいんです。私は森に入って「魚がいない〜」という漁師です。

この項、次に続きます。

 

2000/2/23(水)『24時間テレホーダイがやってくる♪』

21日にトップページ画像を変更しました。「Shang-hai1945」のイラストらしいんですが、何に使ったのかなあ???
ハートの額縁を作っている途中、使用済みの黄のイラストを中に入れてみたら、あら、けっこうイケルじゃんと、ついでにこれで3月のカレンダーを作ってしまいました。廃物利用のリサイクル作品です(笑)。

ところで先日、NTTから利用分請求書が来て、1月分やっぱりオーバーしてしまいました・・。
私は昨年の10月にテレホーダイからi-アイプラン3000に変更しました。
i-アイプラン3000というのは24時間いつでも料金7000円以内は(一日1時間45分くらい)定額というNTTの(ケチくさい)サーヴィスです。
11月からしばらくパソコン使用不可だったので、その反動か、あるいは冬で天気が悪くて外出を控えて部屋の中にいたせいか、昼も夜もサーフィンをしていて、たぶんハデにオーバーするだろうなあと思ってたんですが、本当にハデにオーバーしてくれました。
テレホーダイに戻そうか、請求書を前に、ただ今腕を組んで思案中です。
でもまたあの、昼間繋ごうとして「ちょっと待て、夜まで我慢しよう」というストレスが戻ってくるのかと思うと、ぜったいイヤ。一年サーフィンを自粛する方がマシだ!と思っちゃう。

そう。一年です。

東京、大阪方面の一部地域で今やっている24時間繋ぎっぱなしサーヴィスをこれから全国に拡大して、料金も下げると、なんかNTTがやっと言いだしたそうですね。年内には日本中で24時間テレホーダイが実現しそうなフンイキです。(でも4500円はまだ高いぞ。2900円のプロバイダ料金てなんだ?)

ああ、嬉しい。とも思うし、うわあ、パンドラの箱の底が抜ける。とコワくもあります。「情報化」は加速度を増し、ネット中毒、ネット廃人がますます増えて、日本は大変革期を迎えるんだ。

インターネットの功罪はいろいろあるんでしょうが、インターネットは面白い!これだけはたしか。でも、インターネットをやる人の一日が24時間以上増えるわけではないから、その分何かをするのを止めることになる。人によって、掃除、洗濯、料理だったり、外へ出ることだったり、本を読むことだったり(私はH.P.を作り始めた去年一年、ほとんど本を読みませんでした。いや、読むのはH.P.作成やCGIやJAVAスクリプトのマニュアル本ばっかりだった。)

でも、このところずっとサーフィンしていて、私が行くのは本と映画のページが多い。話題になった本や映画について知識が入って、刺激を受けて、読んでみたいなと思う。本と映画は、インターネットによる情報交換でかえって活性化していくような気がします。

雑誌は大変そうですね。サーフィンやメールの交換やBBSが日課になった人は、情報収集と「時間つぶし」の道具としての雑誌を買わなくなる。特殊な専門的な本当に必要な雑誌以外、潰れていくでしょう。ライターと本屋さん受難の時代です(笑)。

TVも見なくなりそうです。同じディスプレイを見るなら、こっちが勝手に行き先や内容を指定できるインターネットの方が面白いもの。TVマン受難の時代も始まるのか(笑)。

この構造変革、漫画にはどういう影響を・・おっと、紙面が尽きたようだ(含笑)。

2000/2/18(金)『漂流する文庫と書庫の天国』

あれは20年近く前の11月だったと思う。霧が出ていたような気がするが、あとから私が記憶の中で付け加えた演出かもしれない。

ロンドンではいつも大英博物館の横の安ホテルに泊まるが、その日の午後、時間があった私は、ホテルを出てラッセル・スクエアを横切り、ロンドン大学に向かった。
ロンドン大学は大英博物館のすぐ裏にある。
大学に用があったわけではない。せっかく近くにいるのだから、大学付属のコートールド美術館を見物しに行こうと思ったのだ。

地図を片手に道を何度か曲がり、れんが作りの素っ気ない建物がそれかと目星をつけ、番地を確かめようとドアの上を見ると、「Warburg Institute」という表示が目に入った。
びっくりした。こんなところで「漂流する文庫」と出会うなんて・・・。

第二次大戦前、ドイツにワールブルク・インスティテュートという機関があって、イタリア美術の研究をしていた。
ユダヤ財閥に生まれたアビ・ワールブルクという人が、お金にあかせて貴重な本や資料を集めて「ワールブルク文庫」を作り、そこにヨーロッパ中から学者が集まって、研究したり、本を出したりしていた。
ルネサンス狂いだった学生時代に、読んで面白いなと思ったイタリア美術の本には、よくこの名が出てきて、それで名前を覚えている。

ユダヤ人がパトロンだったので、当然ナチスが政権を取ったら、ドイツにいられなくなった。
英国の研究者たちの協力で、ドーバーを越えて「文庫」をロンドンに「亡命」させたと何かで読んだ。
ここにあったのかあ。

このロンドン大学の建物には、一階に「Warburg Institute」、四階(か五階)にコートールド美術館が入っていた。
思いがけない再会(?)に、懐かしくも感動した。

ところで、コートールド美術館は大学だから予算に限りがあるらしく、ルーベンスのデッサンや、ティエポロの下絵(壁画を描く前に、紙に描いてスポンサーに見せたもの)など、大作家の小作品が多いが、どこかの「ひまわり」を一枚飾ってた社長と違って、キューレーターの趣味がとてもよい。
ロンドンの数々の美術館の中でも、このコートールドと、個人のコレクションをもとに家具やインテリアを集めたウォーレス・コレクションはおすすめだ。

と、なんでこんな話を書いているかというと、「W杯旅行記」の更新が久しぶりになっちゃってすいません〜。
やっとフランスW杯を一試合観戦しました!
じつは今、ウチのパリの部屋には、20世紀初頭のハンブルクに通底するトンネルが空いてて、そこによく落っこちるんです。
「ウォーバーグ」(ロン・チャーナウ著 日本経済新聞社刊)という本を読んでて、これが上記の「ワールブルク文庫」を作ったアビ・ワールブルクの一族です。
ロスチャイルド家ほどじゃないけれど、ハンブルクで銀行業をやっていた富裕なユダヤ財閥で、まあその一族にいろんな人がいて、戦争が起こったりして、とこのユダヤの財閥一族はただ今激動の時代を迎えております(笑)。

しかし、このアビ氏、本当に見事な本狂いです。
天国が書庫であるという夢を見たユダヤ人が昔いたそうですが(笑)、親兄弟を脅迫して金を出させて、好きなだけ買いたい本を買って、巨大な本の山をこさえて、その本を入れるための研究所を建てて、自宅と書庫をつなぐ通路を作って、もう読んでると涙が出るくらい羨ましい。
「天国が書庫」の宗教があったら、私、入信したいかもしれない。。。

2000/2/10(木)『金沢飲み屋通信』

いちおう日記なのでちょっと近況を書くことにします。
5日にSOKEさんと映画「シュリ」を見に行きました。初日で土曜日だったとはいえ、ものすご〜く混んでいたので驚きました。
この映画はふつうの上映ルートに乗らなくて、韓国映画はエスニック系でお客が入りにくいのかなあと思っていたのですが(だから私たちも設備の悪い小さいホールで見ることになったのですが)、香港ノワールやハリウッド・アクション映画を思わせる娯楽映画で、しかも、その娯楽条件をクリアした上に、人間や国について深く感じさせるところがある、まあちょっと好き嫌いはあるかもしれないけれど、けっこう多くの人に一見の価値はある映画だと思うので、大きな映画館で一般公開して、普通の人にもたくさん見ていただきたいと思っています。
映画観賞後、私たち二人は疾風のように金沢の夜の町を駆け抜けました。やがて犀川沿いのバリ料理店に辿り着き(いくら土曜の夜だってあの店いったい何時までやってるんだ。4時過ぎに店を出た時まだ来る客がいたぞ)ゴジラのように火炎を吹いて、そのまま夜の中にフェイドアウトしました。
時はいつの日にも親切な友だち・・とユーミンは歌いましたが、記憶を無くすのは神の救いかもしれません。

そのあと二日酔いと戦いながら、読みかけの「スパイの誇り」(ギャビン・ライアル)を読んでいたら、前回ここで告白したことが厄払いになったのか、イッキにラストまで読了。いろいろ書きましたが、やはり「ライアルらしくない」という印象でした。その理由をずっと考えているのですが、「初の時代物」というところがやっぱりネックなんだろうかと思います。
時代が1913年です。英国情報部の創生期だそうです。紳士たれと教育を受けた「破産した」貴族が、もとIRAのアイルランド人の助けを借りながら、「スパイ」という闇に動き、人を欺き、世間を計りごとに掛ける、およそ紳士とはいえない仕事に就きます。
迷いながら、試行錯誤しながら、第一次世界大戦(1914年)前夜の「火薬庫」バルカン半島の情勢を背景に、その仕事をひとつひとつ果たしていく彼を描くことで、「スパイ」という仕事が「歴史」の中で作られていく過程をライアルは書きたかったのだと思います。
でもこれ、たぶんとても難しいのだわ。
この当時のバルカン情勢、というか世界情勢は、世界史上一番入り組んでいてヤヤコシイ時代です。
19世紀の帝国主義的植民地政策に成功した英国、フランスがあり、それに出遅れてアセるドイツ、あとから加わるイタリア(極東では日本)があり、衰退し崩壊寸前のトルコ帝国とオーストリア・ハプスブルク帝国とロシア帝国があり、「我関せず」のモンロー主義を唱えつつ強国への道をまっしぐら、隠然たる影響力を持つアメリカがあり、それぞれが繁栄を求め、栄光の夢を追って、それぞれの道を歩めば、そこかしこで衝突や駆け引きの花が咲きます。
そんな絡み合ったクモの糸のような外交の中で、人を欺き、人を計り事に掛け、利益のためには味方も裏切る「スパイ」の仕事を、自己確認と自己嫌悪の間で揺れながら積み上げていく人間を描くとしたら、「描写」はどちらを追えばいいのでしょう。
つまり小説としての「地の文」はどっちを優先するの。ってことなんです。時代説明なの。心理描写なの。両方を組み合わせた新しい文体を編み出すの?
一応「漫画家」なので、「漫画の文法」の場合、どれを追うか、どれを捨てるかは分かります。でもこれ「小説の文法」と全然違います。私は小説文法はよく分かりませんので、これ以上よく分からないんです。
ただ、緊迫するバルカン情勢を背景に、アメリカ人富豪をスイスまで送る使命を受けたエージェントが、ドイツと戦い、敵とも味方ともつかないハプスブルクやトルコ人の援助を受けて、傷だらけになりながらスイスに辿り着くって話を書けば、もっと読みやすかったんじゃないかなあ。ジョン・クリアリーの「高く危険な道」(角川文庫・今たぶん絶版)とか、この時代をバックにそういう傑作を書いた作家もいます。好きでした。でも、ライアルはそういう安易で今まで誰かがやったことあることはしたくなかったのかもしれません。

そんなことをぼんやり考えてる昨日9日、また夜の町へさまよい出て、「いたる」というお店で寒ブリやカレイの焼き物やかにみそのグラタンやイワシの春巻きなど、美味しいものを山ほどいただくという幸せな夜に恵まれました。
お酒もエビスの生ビールに始まり、「菊姫」「天狗舞」その他地酒を飲ませていただきました。なんか、生きててよかったと思う日が続いています。そのうち私、天罰が下るんじゃないでしょうか。
「いたる」というこのお店は新鮮な食材を創意工夫好きな店主がいろいろなお料理に加工して、それをお手頃なお値段で提供するので、金沢の人にも観光客にも人気があります。週末やゴールデンウィークは予約無しでは入れません。
昨日もカップルや会社帰りのサラリーマンや家族連れで、下のカウンターも上のお座敷も7時頃には満員になり、ウィークデイでもすごいんだなあ。
若いお兄さんたちがいっぱいいて、テキパキとキリキリとよく動いて、見てると気持ちがいい。「蓮むし食べたいな。加賀レンコンの季節はいつだっけ?」と聞くと、「え、おまえ知ってるか」「オレしらねーよ」とささやいたのち、誰かに聞いたのか、電話で問い合わせたのか、「冬です!」と元気に答える。この店で働く「プライド」というのを見たような気がして、外で雪が降ってるのを窓ガラスの向こうに眺めながら、金沢が一番いい季節は冬だねえと、ふっと微笑んでしまいました。
あいかたはあいにくお仕事の方だったので、SOKEさんと飲んだくれたほどの開放感はなくて、そうそうに帰ってこれを書いています(笑)。
「いたる」は金沢のガイドブックには載っているお店ですが、これ以上混むのは困るので、アドレスは書きません。

 

2000/2/3(木)『タマに経済はタメになる』

「Mdn」が並んでるコンピューター・コーナーから、数歩ステップを踏んで横にずれると、ビジネス・経済書コーナーがある。
ここに並んでる本のタイトルは最近「情報化」「ネットワーク」「グローバル化」などパソコン関係のものばかりだ。
なんてね。えらそうなことを言ってますが、私も経済書コーナーなんて今までほとんど見ませんでした。
サイマルの本にお世話になったことはありますが、日本経済新聞社というのはちょっとフィールドが違う。読んでもどうせ分からないだろうと敬遠していたのです。

昔から小説を読むより岩波新書を読む方が好きでしたが、最近は小説を読むことが多い。読みたい小説が昔より増えた。読まなきゃならない小説も増えた。

去年の暮れからギャビン・ライアルの「スパイの誇り」にずーっと引っかかり続けています。「深夜プラスワン」などを書いたライアルは英国の冒険小説作家。ハヤカワ・ポケット・ミステリのファンは(文庫版じゃなくてタテに長いペーパーバック型のやつ)けっこうお好きな方多いんじゃないかと思います。
最近ずっと新作が出なくて、版権でもめてるのかなと思っていたら、去年暮れにハードカバーで新作(英国で出たのは1993年)がやっと出た。しかも、あおりが「落ちぶれ貴族が第一次大戦前夜のヨーロッパを舞台に活躍する、英国情報部の創生期に題を取った歴史小説」
ライアルの新作で歴史小説!おまけに舞台はハンガリーだ!
飛びついて買って読んだけど・・進まない。
主役は英国人、パートナーはIRAをドロップアウトしたアイルランド人。ライアルお得意の男二人のお話なのに、これ、どこか進行の仕方がヘン。エピソードの進み方とか描写の仕方がなんかおかしい。私は小説の書き方は分からないが、読んでいて描いてある世界が目の前に広がらない。前作の「砂漠の標的」も最後まで読めなかった。ライアルはこういう描き方する人じゃなかったんだけどな。病気でもしたのかな。でも一応ライアル・ファンとしては最後まで行ってから文句を言おうとがんばって、一日2,3ページ読んで寝るというのを繰り返して、気がつくと二ヶ月たっていた。

なんだか空しくなってしまって、ちょっと気分転換しようと、雑誌に紹介されていた「新資本主義が来た・21世紀勝者の条件」(日本経済新聞社)という本を読み始めました。
日経新聞の特集連載記事を本にまとめたもので、とても読みやすい。
そして、面白い。
なんだ、経済書って面白いじゃない。

どこが面白いかというと、前から何となく今までみたいにいいモノを作ってそれを世界中に売ってというやり方ではもう日本はもうからないだろうなと思っていたが、それは「何となく」思っていただけで、この本にそれが何でもうもうからないのかが書いてあったのです。
コンピューターが世界を変える。インターネットが商売を変える。これからの時代は国民国家が終わり、ネットワークで繋がれた世界を「市場」が支配する。自由な競争の中で「スピード化」「情報化」を征した者が勝者になる。

ちょっと待ってください。それぜんぶアメリカの特技じゃありませんか。最近アメリカの景気がいいのは当たり前じゃない。得意なことをやってるんだもの。
パソコンを生み出したアメリカの陰謀かなとも思いましたが、もともとアメリカはメイフラワー号から降りる時、どういう国を作ろうか決めてから降りようぜと契約を交わして、そのディシプリンに沿って作った国。こうなるといいなあという人類の願望があの国を作ってるといえないこともない。

そして。
問題はこれぜんぶ日本は苦手だってことなのです。
インターネットは日本を変えるかもしれないなあとぼんやり考えていましたが、「情報化」によってそれまで栄えていた商船「日本丸」は沈没しました。お終い。そう、のちの歴史の教科書に二三行書かれる可能性の方が高いんだ。
はうううぅぅ。
憂鬱な気分のまま、私はまた「スパイの誇り」に戻ります。