2002年6月22日W杯観戦記(トルコ×セネガル)

 

6月18日の日本×トルコ戦が終わったあと、悲しんでいいのか喜んでいいのか分からなくて、世界の焦点がぼんやりとズレて、息をするのも重くてたまらない日々が続きました。
そういう人はたぶん私一人じゃなかったと思います。

「最後の試合できっと泣くでしょう」なんてウソついてすいませんでした。
試合に勝ったときに泣いたことはありますが、負けたときに泣いたことはないのでした。
「ドーハ」の時も、一緒に見ていた友人たちと今まさにセンを空けようとしていたシャンペンを冷蔵庫に戻して、みんなが口もきかず帰っていったあと、勝てる試合だったのになぜ勝てなかったんだろう、これがサッカーなのか、これが日本の実力なのか、と一晩中考え続けて、その数日後に入院したのでした…。

これまでの日本代表のW杯戦歴です。

1993年 W杯アメリカ大会アジア地区最終予選で、実力を出し切れず敗退。
1998年 ジョホールバルで出場権を得たものの、フランスでは予選リーグ三戦全敗。
2002年 予選リーグを一位で通過したが、決勝リーグ第一戦で実力を出し切れず敗退。

日本っていつも「実力を出し切れず」敗退します。
しかし、こうやって並べてみると、着実に階段を登っているじゃないか!?と驚いてしまいました。
このままでいくと、2006年ドイツ大会は日本は「決勝戦まで行くに違いない」というくらいの実力を持ちながら、ベスト8で「実力を出し切れず敗退」に違いありません(笑)。

この「実力を出し切れず」をずっと私は日本の「欠点」で直すべきだと思ってたんですが、ここまで続いてしかもそれなりに実績を重ねているのをみて、もはや「実力を出し切れず」「ふがいない戦い」をするのは日本の「伝統芸能」として認めて、これを洗練し、ますます先鋭化することで世界と戦っていくべきではないかと思い始めました。

と、冗談はこのくらいにして。
ベスト16に入ったのはすごいし、地元開催でなくてもその辺をこれからもウロウロしてくれるのなら、ベスト8だの4だの優勝だの(笑)しなくてもいいと、優しい日本人の私としては満足しています。

「アルゼンチン×日本」戦と信じて買った22日長居スタジアムの準々決勝のチケットは、アルゼンチンの予選リーグ敗退で予想が外れたものの、日本×チュニジア戦のあとは「セネガル×日本」戦かぁ、30万で売れるなあ、ほっほっほ。と18日までは「とらたぬ(とらぬタヌキの皮算用)」をしていました。
「セネガル×トルコ」戦という、準々決勝とは信じられぬ地味なカードになるなんて、おキツネさまから受けとった一万円札が、翌朝見ると木の葉になっていたような気分です。

しかしながら、イングランドファンの友人のSさんは、たとえイングランドが来なくてもアルゼンチンが見られるならいいわと16日の大分スタジアムの券を買って、「スウェーデン×セネガル」というイブシ銀のカードに当たってしまいました。
みんなA組とF組が番狂わせをしたのが悪いのです。
かようにW杯の「とらたぬ」は思うようにはいかないものです。オプショナルとして別府温泉家族旅行を付けていた彼女が楽しんでくれたことを心から祈ります。紹介した私にどうか石を投げないでください…あっ、いてっ。

木の葉を握りしめながら、私はどーしよーかと悩みました。
体調が悪かったし、こんなカードを見にわざわざ大阪まで行くなんてしんどいな〜ってところが本音でした。
でもどんぐりで買ったわけじゃないし、インターネットでダフ屋してもこんなチケットに高値が付くわけがない。
それでも「よっこらしょ」と腰を上げた一番の理由は、今世紀中二度と無いといわれる自国開催のW杯を、金沢でTVの中だけのものとして過ぎ去らせるのはイヤだ!と思ったからだと思います。

W杯の前から開催地やキャンプ地にならなかった地方都市の対応はこうだろうなぁと予想はしてましたが、予想以上にヒサンでした。

金沢の例をいいますと、人が集まってTVを見ながら応援できるスペースは繁華街にあるスポーツ・バーと郊外のライブ・スペースの二カ所だけで、繁華街のウラにあっていろんな催しをする中央公園にプロジェクターの幕を張って、日本戦の時に「パブリック・ビューイング」(この言い方、初めて知った)をすればぜったい盛り上がったに違いないのです!
それをしなかったばかりか、ワザと駅や商店街にTVを置かず、人が集まらないように気を配っていたようで、これは人が集まって騒ぎが起きたら困るという「フーリガン」への過剰対応だったのか、スカパーやFIFAへの著作権支払い問題だったのかよく分からないんですが、フランスでは人が集まるところには必ずTVがあってその前に人が集まっていたし、韓国では「パブリック・ビューイング」を大々的にやっていたので、なんで日本でこんなに公的映像規制があったのかいまだに分かりません。
たぶん郊外の量販家電店のTV展示コーナーには人が集まってたんじゃないかと思うんですが、海外から来たサポーターたちは、試合を見られるTVを探して町中を駆け回ったんじゃないでしょうか。

おそらく今の日本でスポーツは見るもので参加するものではないから、ウチに帰ってTVで見ればいいでしょうという考え方が、ひとつめの理由。
人が集まっておしゃべりしたり、行き交う人を眺めて時間を過ごすヨーロッパの「広場文化」が東洋には無いことが、ふたつめの理由。だと思います。

でも日本もかつては夏の暑い晩に道に縁台を出して、ユカタやステテコ姿でうちわ片手にとなり近所の人と世間話を交わす空間がありました。
TVが普及するようになって、人は家の外へ出なくなり、クーラーの普及で、窓を閉めて室外機の熱風を外にまき散らし、となり近所が迷惑しても「知らん顔」になりました。
古い共同体が壊れた時は、それを元に戻そうとするのではなく、新しい共同体を作る努力をしなければなりません。
W杯で日本代表やいろんな国の代表が戦うところを見ることは、日本に新しい共同体意識を生み出すいい機会になるんじゃないか、と私は期待していました。イタリアの町はカルチョをそういう共同体意識を生む「道具」としてとても上手く使ってるし、Jリーグがその「百年構想」で目指しているのもまさにそういうことでしたから。あなたの町にもJリーグ。です、はい。

ですから、おウチのTVの前で見ればいいでしょ、って観客をバラバラにするこういうやり方が日本中で行われていたのだとしたら、なんのためのW杯招致やねん?と、残念でたまりません。


とにかく「行くしかないべー」と、22日の昼頃大阪行き「サンダーバード」に乗り込みました。
6月の車窓の外には、田植えが終わったあとのみずみずしい水田の緑が広がっていて、ところどころに鮮やかなアジサイの紫色のアクセントが入っていて、うわっ、キレイだなあ。
しかしクーラーが効きすぎで、寒い。梅雨で体調が悪くなっているところに(湿気に弱い)風邪気味だった私は、腰痛は痛むは。腹痛は悪化するは。
防寒用のカーディガンを取り出して着てもまだ寒くて、「あ、あれがあった」と日本代表タオルマフラーを首に巻き付けた。今さら空しいと思いつつ、競技場に行くんだから一応アイデンティティを証明するものを何か、と思ってバックに入れたんですが、これ、じつはドーハの時にTVの前で振っていた「縁起の悪い」マフラーで、ユニフォームも持っているんですが、それはフランスで三連敗したときに着ていた「縁起の悪い」ユニフォームで、縁起の悪いものしか持ってないのは私が悪いんじゃなくて、いつも負ける日本代表が悪いのです。

サンダーバードで大阪へ向かう3時間がこんなに長いと思ったことは初めてで、たぶんこれが「セネガル×日本」だと、もっと体が軽かったかんだろうな…。

大阪駅に着いたのは3時半頃で、宿泊先の梅田のホテルに入りました。
「うひゃーっ」とばかりにホテルのベットに倒れこみ、リモコンでTVを付けたら「韓国×スペイン」戦が始まったところで、かなり朦朧としたアタマで見ていたが、韓国というのはいったい何というチームだろう!
準々決勝まで来るともうどの国も体力を消耗しきってヘトヘトで、特にスペインはこの前がアイルランド戦でPK戦までいった。でも韓国もイタリア戦で延長戦の後半まで戦ったし、休養が二日少ないからミスが多くて、これまでほどパスが繋がらない。スタジアムをまっ赤に埋める韓国サポーターもそういう事情が分かっているらしく、これまでほど「イケイケ!」と叫ばない(と思ったのはホテルのTVのスピーカーの劣悪さのせいか?)
ところがヘロヘロの韓国チームが、戦っているうちにどんどんHPを回復して元気になる。
と見えたのは、最初元気だったスペインがどんどんスタミナを無くしていくのに、韓国のスタミナはそれほどおとろえなくて、最後には運動量でスペインを上回ってしまったという、緑の芝生の上の「相対性理論」の結果なのですが、こんな化け物チームに勝てるところ、どこにもないだろうな。
もともと韓国チームは、相手チームより先にバテたところを見たことがない!というくらい体力と精神力が強いチームだったところに、ヒディング監督はさらにフィジカル強化をしたという。

いろいろな意味で、今回の韓日W杯はFIFA副会長にして韓国サッカー協会会長のチョン・モンジュン氏の大会でした。
そもそも韓日W杯は、80年代の終わり頃に当時FIFAの会長だったブラジル人のアベランジェ氏が、アジアでW杯をやりたいと日本のサッカー協会に持ちかけたことから始まりました。
FIFAの目的はアメリカに続く「サッカ−不毛の地」アジアの開拓と征服で、日本はその経済力のみを評価されたワケですが(時あたかもバブルの真っ最中)、W杯など夢のまた夢だった日本はこれに飛びついた。
開催するためには一回くらいW杯に出てなくちゃね、と「老人たち」の反対を押し切って代表監督にオランダ人のオフト氏を招聘し、Jリーグを発足させてそれを軌道に乗せた(今のところ、続いている)川淵チェアマンの「腕力」は高く評価したい。

しかし早くからプロリーグを持ち、W杯にも出場している韓国としては、「経済力」だけで日本開催はないだろう。と名のりを上げて、かくて1996年のFIFA総会で日本と韓国が招致合戦をしたあげく、韓日共同開催が決まった。
この時日本のサッカーファンもマスコミも、「共同開催なんてうまくいくか分からないことを押しつけて、FIFAってなんて勝手なんだ」とプンプン怒ったものだ。
そう。FIFAなんて、オリンピックなんか比じゃないくらいの「伏魔殿」なのだ。
チョン・モンジュン氏は反アベランジェ派のスウェーデンのヨハンソン氏(UEFA会長)と組んで日本開催を阻止したが、韓国の経済力では自力開催は苦しいといわれていて、彼が最初から狙っていたのは韓日共同開催だったと思う。

かなわないなあと私が両手を上げて降参してしまうのは、チョン・モンジュン氏が韓国のメンツを守ると同時に、極東の一部にわだかまる不毛な緊張関係をこれ以上悪化させないための合理的解決方法として「韓日共催」を提案し、それをクリエイトしたところだ。
じっさい、今回の共同開催で韓国と日本はお互いのことを今までより知り合って、どういう国がお隣りにあるのかよく理解を深めることができたと思う。

W杯前に行われたFIFA会長選挙では、アベランジェ氏の後継のブラッター会長に対抗してまたいろいろご活躍なさったようで(笑)、FIFA会長になるとか、韓国の大統領選に出るとかいわれている「政治家」ですが、「野心」だけなら日本の代議士と同じで、「野心」に加えて「信念」と「理想」を持っているところが、この方のグローバル・スタンダードなところ。
一番の功績は、前回フランス大会の予選リーグで韓国を5-0でズタズタに切り裂いて叩きのめしたオランダチームの監督を代表監督に迎え、その指導で韓国チームを改新し、これまでとはまったく違う「戦う軍団」を作ったことですが、韓国のW杯組織委員会はこの方のもとに有能なプロジェクトチームを組んで、審判や応援に大活躍したのにくらべ、天下り官僚の巣窟だった日本の組織委員会(JAWOC)は土建屋「W杯」を運営してしまった(笑)。
日本側に人材さえいれば強力なパートナーシップを築ける方だと思うので、政治もサッカーもこれからの日本の奮起に期待しています。

スペインは上手いかもしれないが、体力を無くしては、気合いにまさる韓国に押される。
とはいって韓国も決め手に欠け、延長戦が終わってPK戦に突入する。
そろそろ6時だ。試合開始は8時半だが、早めに入って会場の様子などいろいろ見たいと、ホテルを出発する。

地下に入って、土曜の夕方の殺人的混雑の阪神百貨店の食料品店街で「栗おこわ弁当」を買い、地下鉄御堂筋線の梅田駅から長居駅に向かう。
地下鉄はぼちぼち込んでいて、季節はずれの(涙)青いユニフォームや外国人サポーターなどがゆるい密度で点在していた。
なんばでかなり人が降りたので、座れた時はホント嬉しかった。もうすでにかなり足にきてて、階段を上がるのもツライ状態だった。
でもなんで大阪は地名の漢字をひらいちゃうんだろう。なんばとかキタとか聞くと、みーんなやっちゃんのシマかって思っちゃう。それだけでヨソ者はけっこう引いちゃうんだぞ、大阪には。

長居駅に着きました。降りました。
階段を上がるところから、外国人比率が上がり、そこからなんだか日本ではなくなりました。
お祭りです。またとないサッカーの祭典が始まるという予感がヒシヒシと押し寄せてきます。
地下鉄の通路を出ると、向こうの方に銀色に輝くカーブした金属製の屋根が見えます。UFOみたい。歩いてる人はトルコ、セネガルのサポーター、それ以外の各国のサポーターたち外国人。
でもその後ろに広がっているのは日本の住宅地で、うわあぁ〜、日本でW杯がひらかれている〜!!! 信じられない違和感で一瞬思考停止してしまいました。でも次の瞬間ものすごい感動が押し寄せてきました。
地下鉄駅の出口から出たところに、いろんな国のサポーターが「I WANT TICKET!」と紙を掲げています。
どこからかアフリカンリズムの響きが聞こえてきて、通路の両脇にはズラッとユニフォームやバッジを売る人が並んでいます。
オフィシャルショップは一軒ありましたが、あとはほとんど外国人で、彼らはグッズを片手に国を出て、売りながら生活費をかせいでるサポーターたちや、応援はほったらかしてもサッカーグッズを売るW杯テキ屋でしょう。
見たところダフ屋らしい人はいなくて、今回取り締まりが厳しいようですから、ダフ屋さんはどこかすみっこで御商売してるのかもしれません。
でも、ここは日本なんですよ!
日本でこの状況が展開されて、人が頬を紅潮させて歩いたり、集団を作って冷やかしたり、してるんです。その光景が、私には信じられませんでした。

公園の道をスタジアムに向かいます。
スタジアムのちょっと前で「チケット見せて下さい」ってチェックされて(あ、えっと。名前が入ってなかったのは、企業名が書かれていてそれがアルファベットだったので分からなかったので、ちゃんとしたチケットでございました。名前を提出したにもかかわらず、まったくノン・チェックでした)、金属探知器をかけるのでケータイやキーはこれに入れて別にしてくださいってポリ袋を渡されて、さらに進んでいくといよいよゲート!バッグを明けて中身をチェックされたあと、金属探知器でピッピッピと触られて、通過したぞ〜!と喜ぶと、「ようこそ、楽しんで下さいね」と案内役のお姉さんが満月のように笑いかけてくれました。

その顔を見て、私は涙が出そうになりました。
係員はみんな胸にIDホルダーを下げていて、オフィシャルな人以外にボランティアな人がかなりいました。私には見分けがつきませんでしたが、通路を監視する人やゲートで検査する人やスタジアムで案内する人や、お姉さんやオジサンやいろんな人がみんな心から「来てくれてありがとう。私たちは嬉しい。あなたも楽しんで下さいね」ってホントににこやかに笑いかけてくれて、それに笑顔を返すとますます心の底から笑いが湧いてきて、ああ、今日はお祭りだ、特別の日だ、って嬉しくてたまらなくて、今日ここへ来てよかったなあって体中で感動してしまいました。

ゲートを探しながらスタジアムを見上げると、長居スタジアムは銀色のUFOのような屋根を太いコンクリートの柱が支える構造で、その柱の間にスタジアムの回廊が見えて、そこで飲み物を飲んだり、グッズを買ったりしている人の姿が見えます。
フランス大会のサンドニ・スタジアムを遠くから眺めて、いつかあそこへ行けるんだろうか、と思ったことがよほど印象的だったのか。以来、私にとってスタジアムは舞踏会の開かれているお城になりました。窓からもれる明かりとそれにゆらめくシルエットを遠くから眺めて、ああ、招待状があれば私も王子様と踊れるのに、と観客は「夢見るシンデレラ」(笑)。
でも私は今日、舞踏会の招待状を持っているのです(たとえズルして手に入れたものであっても)。カボチャの馬車のお迎えが来るまで、今日一日ここで踊っていられるのです。

座る位置ごとにゲートが違うので、たくさんの人から「あっちですよ」「そちらから入ってください」とにこやかに案内を受けて、ウロウロしたあげくたくさんの階段を上がって、やっと見つけた自分の座席番号に座って、ホッとして辺りを見回すと、正面スタンドときいて期待していたのに、そこは最上階から十数段下のゴール寄りのほとんど「見切り席」の近くでした。
コンクリの階段の傾斜が急で、登ったり降りたりするのが怖くて、おまけに長居競技場はトラックがあるから遠い。まあ、フィールド全体を見渡して、サッカーのダイナミズムを味わうにはいい席でした。

私が着いたのは7時過ぎくらいだったでしょうか。
キックオフは8時半なので、フィールドでは地元のキッズ・チームの試合が行われていました。
「栗おこわ弁当」を食べていると、8時前から両チームの選手のウォーミング・アップが始まりました。
トルコチームがさっさと出てきて、熱心にウォーミング・アップしてるのに比べ、セネガル選手ったら遅く出てきて、ロクにウォーミング・アップもしない。
ほよ〜。アフリカ・チームってマイ・ペースだねえ。

お弁当を食べ終わってお茶を飲んでいると、東京からの観戦組が横のシートに到着しました。
東京から車を飛ばしてきたそうです。
「どのくらいかかりました〜!?」「…7時間くらい」
空席の目立ったスタジアムもほぼ満員になり(ところどころ空席あり)、どこからともなくウェーブが起こって、スタジアムを数周。

8時25分。選手たちの入場。国歌斉唱。
セネガル国歌は記憶にありませんが、トルコ国歌はモーツァルトにも影響を与えたトルコ軍楽を生み出した国の子孫らしく、マイナーなのに力強くて堂々とした19世紀的名曲でした。
トルコ国歌の時に、スタジアムからちょっと「ブー」という声が湧いたのですが、セネガル・サポーターは左側ゴール裏の一部を占めるだけだったので、あれはその前に敗戦した日本サポからの「礼儀」としての「ブー!」だったのでしょう。

トルコ人サポーターは右側ゴール裏の一部に赤いスペースを作っていましたが、200人ほどだったでしょうか。
日本にいるトルコ人はけっこう多いと思っていたので、ちょっと以外でした。
経済危機だそうですから、サポは来たくても日本まで来られなかったのかもしれません。
トルコ料理は美味しくて日本人の口に合うので、日本にもっとトルコ人が増えればトルコ料理店も増えるのに残念、とこれは個人的意見。

試合が始まったとたん、「コンカカ、コンカカ」というタイコの音が左側ゴール裏から聞こえ始めました。ゴール裏に陣取った20人ほどのセネガル人の楽隊が、タイコを抱えてそれをうち鳴らし続けています。(TVでも聞こえたそうですが、スタジアムはほとんどライブ・コンサート)

ヤギの皮を張ったタイコを木のスティックと手でたたく、セネガルの「サバール」(サヴァールではない)という民族音楽だそうで、得点を入れるとそのリズムに乗ってシャツを囲んで得点を入れた者にあやかりたいとみんなで踊るらしいんですが、セネガルの選手たちは明らかにそのタイコのリズムに乗って体を動かし、攻めたり守ったりしていました。

「なんじゃこりゃ」「これがセネガルか〜」という驚きがスタジアム中を襲い、私たちはトルコを心配しました。
その心情は、数日前まで日本の戦う相手としてセネガルを想定し、「こういうことをやるんじゃないか」と思ってたことを、まさにやってくるチームだな、と確認したというか、ホントにやるんだな〜とアキれたというか…。

「コンカカ」リズムは単調なツービートで、メロディーなんかないくせに、トルコがボールを奪うと調子を変えて高鳴ります。「気を付けろ!奴らが襲ってくるぞ。みんなで集中して守るんだ。コンカカコンカカ」
セネガルがボールを奪うと、「 行け。奴らを血祭りに上げるんだ。今こそチャンス。コンカカコンカカ」
トルコがゴール近くでフリーキックをする時は、ぜったい「外れろ、外れろ。コンカカコンカカ」

「あれ、負けろ、負けろって呪いをかけてる気がするんですが…」
「 きっとやってるでしょうねえ…」
考えてみると、サポーター席での応援を規制するルールというのは無かったような気がする。
「トルコ選手たち、メーワクですねえ…」
「あの人たち(セネガル楽団)このまま試合が終わるまで続けるんでしょうか…?」
「ブラジルのサンバ隊と競演すれば、もっと盛り上がるでしょうにね」(それは次の試合。実現しなくて残念)

と場外ではトルコやセネガル楽隊の体調を心配していたんですが、セネガルは疲れているのか、これまでの動きとは違い、反対にトルコは細かいパスをキレイに受け渡して、ものすごいスピードでセネガルゴール前に攻め上がり、何度も決定的チャンスを作る。ところがそれをフォワードがぜんぶ外すので、スタジアムは「うわ〜っ!」と盛り上がったあげく、「ひ〜っ!」と残念でしたの急降下をたどる。それを何度となく繰り返した。
トルコ・チームの一番の問題点は決定力不足らしいが、191センチのフォワードでキャプテンのハカン・シュキルは、たぶんケガをしていたのだと思う。体力十全な普通のフォワードなら、何度となく決められるチャンスだった。
もう一人「トルコのユル・ブリンナー」ハサン・シャシュもケガをしていたのか、諦めがいいのか、プレーが淡泊で、「トルコの森島」バストゥルクが一人で元気に駆け回っていた。

18日の日本×トルコ戦で、勝てる相手だったのに…というのは、どうかな?です。
一点入れられたあと、引いて守ったトルコに、日本はボールを持たされながら上手くかわされていた。トルコの方が一枚上手だなあと思った。

目の前で見たセネガル戦では、トルコは攻めることが多かったんだけれど、相手ボールを奪って攻め上がる時や、相手ディフェンダーに詰められてパスを出す時も判断が速くて、ボールがちゃんと味方に行き、しかもそのボールが強くて速い。スピーディでキレイな三角形を描いてスペースに出たボールを、後ろから飛びだしてきた選手が受け取り、また後ろから選手が飛びだしてきて受け取り、というボール渡しを何度も目の前で見せられて、あのパスワークは今の日本人選手にはできまへん〜。

日本はヨーロッパや南米に体力的にかなわないから「組織」で戦うとよくいうが、一対一の対決になった時、逃げようとして「組織」を使う。
どんなに「パス回し」が上手くても、相手ディフェンダーがゴール前を固めている時、それを破るためには飛び込んで「個人×個人」で戦わなくてはならない。そういう時に日本選手は味方にパスを出す。パスを受けた選手はまた味方にパスを出す。ゴールしなきゃならない時に、パス、パス、またパス。 ボールを譲り合って誰も責任を取らないこのやり方は、日本の政治や大企業とそっくりだ。

トルコは前に相手ディフェンダーがいても、一対一の戦いを恐れずに突っ込んでいく。
組織は組織として機能させつつ、一人一人が自分の戦いから逃げようとしない。
それをやるだけの技術も、各自持っている。
「組織」は個人を押さえるためにあるのではなく、「個人」を自由にするためにあり、「組織」が作りだした「自由」なフィールドこそ、「個人」に自由に戦うことを許してくれるという西欧的思考法を、これまでのヨーロッパとの交流の歴史からか、トルコ・チームが完璧にマスターしているのに比べ、日本チームはあまりにも「個」を「組織」に埋没させる日本的な戦い方をしていた。

これは日本選手が臆病なのではなく、日本選手が日本の「社会慣習」に縛られているからで、この問題は監督にはどうしようもない。
オフトも、そしてトルシエも、選手たちを自由にするために「私のいう通りに、自由になりなさい」と彼らに命令してしまった。
選手たちはその言いつけに従い、「自由」の操り人形になった(笑)。
トルシエは「しまったーっ!」とどこかで気付いてたんじゃないかと思うし、フィールドでは中田くんが(彼は精神的バイリンガルなので)「おい、おまえら、自分たちの目でフィールド見て、自分たちの力で戦えよ」とチョキチョキと糸を切って回っていたように思う。
日本選手たちが糸を断ち切って自分自身で戦えるようになるのは、「ナカタ・ジャパン」になった時かもしれないし、それはそう遠くない。ドイツのあとくらいじゃないかと私は思ってるんですが、どうだろう…?


そういう思いからか、セネガルがだらしないせいか、スタジアムの日本人はだんだんトルコびいきになっていった。
ほんとうはね。日本を負かしたってことで、観客席を埋める我々日本人は、トルコなんて負けちまえ〜と思わなきゃならないし、とくに日本戦で点を入れたモヒカン頭のウミト・ダバラがボールを持ったときは、目くじら立ててブーブーいわなきゃならなかったんですが(笑)。たぶんトルコも最初はそういう目に会うんじゃないかって、ちょっと思ってたんじゃないかな。
でも我々日本人・やっとW杯チケットを手に入れて、何がなんだかよく分からないけど、こんなお祭りは二度と無い、ということだけは分かってて、今この時を楽しみたいと思ってスタジアムにやってきた・インスタント・サポーターたちは、そういうヒマなことする余裕がありませんでした(笑)。
だって目の前を緑の芝生が埋めて、ナイター照明でそれが照らし出されて、千夜一夜物語のように(意味不明)輝いてるピッチの上で、生死を賭けた二チームが戦ってるんですよ!
その行方がどうなるか、トルコの流麗なパスワークが勝つのか。セネガルがところどころに見せる驚異的身体技能が勝つのか、って引き込まれちゃったら、それに夢中になって他のことはもうどーでもよくなっちゃいますよ。

セネガルはホント、らしくなくて
「ディウフどうしたんだろ?今日はぜんぜん出てこないなあ」
「11番、トルコのディフェンダーに消されてます」
「あ、そうですか。トルコのディフェンダー、日本選手みんな消しちゃいましたからね…」
クレバーです。

でもトルコもフォワードがぜんぜんダメなので、ハーフタイム「こんなの4-0の試合だよ〜!」(「4-1」だと私は思う)といいながら、後半は「点、入れろ。どっちでもいいから、点入れろ〜!」と、セネガルの「コンカカ」と拍手でかけ合いを始めました。

えーっと、どこかでコンカカ・リズムが拍子を変えて、タカタカではなくタンッ・タタン!になったんですね。で会場もタンッ・タタン!の拍手を返して、それにセネガル・リズム隊がまた返して、という。ビデオで録画した方は見返すとその変化が分かるかもしれません。あの時、スタジアムではピッチでの真剣な戦いをヨソに、スタンドで私たちは遊んでいたのです。

すいません。日本戦ならこんなことはしないし、じゃあ、セネガル・リズム隊はセネガルの勝利を祈ってないのか!?といわれれば、そんなことはないと思うのですが、ワタクシはセネガルってとんでもない戦い方をする面白くてとってもベッラなチームだと思うんですが、彼らはサッカーをしていたのではなく、音楽に合わせて芝生の上で遊んでいたんじゃないか?と思うのです。
もちろんこれは疲れてスタミナを無くしたこの試合の彼らだけを見て抱いた感想で、他の試合を見た人は違う感想を持ったかもしれません。
でも、まあ、べつに、彼らが遊んでいたとして、それで、なにがいけないんでしょうか?

そうこうしてるうちに、延長戦に突入。
PK戦かなあと思ってたとき、右側を駆け上がってきたウミト・ダバラがクロスを上げ、それを受けたイルハンがボレーでシュート!
入った〜っ!!!うわ〜ゴールデンゴール〜〜〜!!!

やっと入ったね。おめでとう、トルコ!
よくやったね、セネガル!

みんなスタンディング・オベーションで、両方に拍手。
トルコはもちろん喜んでいたけど、セネガルもけっこう喜んでいて、じゃなくて、自分たちの戦いはここで終わったけれど、オレたちよくやったよねって満足げで、サポーターに誇らしげに挨拶して、リズム隊もそれに返してた。
それはそうだよ、初出場でベスト8だよ。あんたたちはスゴイよ、W杯の「遊戯王」だよ!おめでとう!!!
そして、トルコ。次はブラジルだねぇ。今日みたいな熟練した鋭いパス回しができるようになるまでいろんなことがあったんだろうけど、次の試合では思い切りその熟成したチーム力を発揮して、ブラジルを苦しめていい試合見せてね。がんばってね〜っ!!!
と、会場みんなが大拍手。

トルコはまずサポーターに挨拶に行ったけど、会場の雰囲気が分かったんだろう。
一般席にも両手を振ってずっと挨拶して回り、さらに数人は(全員ではない)セネガルサポーター席の前までいって、彼らに挨拶した。それは煽動やイヤミではなく、「セネガルは強かった」と敬意を表する行為だった。
された方の気持ちは、分からない(笑)。
日本×トルコの時に、これをやったトルコ選手はいた?その時そこにいたサポーターは、どう思った?
まあ、いい。
スタジアムを埋める日本人観客はほとんど帰らずに、勝利したトルコを祝福し、次のブラジル戦に送り出すために、彼らが芝生の上から消えるまで30分か1時間の間、拍手し続けていた。

つくづく私たちはお目出度い国民なんだろう(笑)。
べつにどこの国でも、戦って勝利した者はその美しさを祝福されるべきだし、戦って疲れた人には優しくしてあげたいし、がんばる人に国境はない、と感情移入してしまう。
命を賭けて国境を越えた人にはすこぶる閉鎖的なくせに、私たちはこういう時だけインスタント・インターナショナリストになる。
でも、まあ、いいじゃないか。W杯は「ゲーム」なんだから。
今この時だけは「遊びを楽しむ」子供に戻りましょう。

帰り道はとっても遠かった。
スタジアムを出てから、地下鉄駅まで長い行列。駅に入るのに階段規制をしていたのだ。
東京からの観戦組と「なんばで飲みましょう」と話していたのに、この人の波の中ではぐれてしまい、一人でとぼとぼホテルに帰った。

残念だった。18日の日本戦の愚痴を言い合いたかったのだ。
負けるべくして負けたと分かっていても、嬉しいのか悲しいのか分からないこのもやもやした感情は、いろんな人と話して慰めあってこれからがんばろうねと確認し合うことで、精算して昇華してこそ、明日のエネルギーになる。

浦和レッズとジュビロ磐田のサポーターの案内で観戦したことがあるが、サポはそのチームから代表に選ばれた選手のことをよく知っているし、報道されないいろんな情報も持っていて、特別の思いを込めてその選手を応援する。だから代表を応援する気持ちも、温度が高い。

もちろんサポの楽しみは、試合観戦と応援だけではない。
Jリーグの試合や代表の試合の終わったあとは、行きつけの飲み屋でビールを飲みながら選手や戦術のことについて話す。情報を交換する。グチを言いあう。ケンカする(笑)。サッカー以外のことでも友人になり、環境も年令もこえたコミュニティーが、そこにできる。

サッカーのために私たちがいるのではなく、私たちが楽しく生きるために、サッカーがある。
そう、私に教えてくれたのはイタリアだが、楽しく生きたい、ぺしゃんこになっても懲りずに明日に向かっていきたい。
もし今回のW杯がそういう思いを日本にもたらしたとしたら、いつか金沢にもJリーグチームができることを、私は心から期待している。

スポーツは見るものではなく、みんなでやるものであり、参加するものであり、それを積み上げていくことが「文化」としてのスポーツを育てて、それが「祭り」となり、人間が人間として生きていく毎日を豊かにしてくれるものだ、とスタジアムやTVを見て感動した人たちがもし思ったのだとしたら。

とエラそうなことを言いつつ、ホテルに帰ったら、体力を使い果たしてHPゼロの緊急状態だった。
シャワーを浴びるやいなや気絶してしまった。
フランスでも疲れたけれど、日本でもやっぱりW杯観戦は疲れる。
ダフ屋との戦いは無かったし、しかも日本語が通じるスタジアムだったというのに。
18日宮城のスタジアムを埋めた日本サポーターも、やはり移動に次ぐ移動、行列、応援、また行列。そして帰省。仕事。また応援。その繰り返しで疲労がたまって、それが雨にあってあのおとなしい応援になってしまったんじゃないかなぁ。

それまでのTVでのW杯観戦で生活時間が無茶苦茶になっていて、日本応援の心理的ストレスもあって、もうすでにかなりW杯スタマックだった私は、もし22日のこの試合が「日本×セネガル」だったら、胃を完全に破裂させていたに違いない。
負けるのはツライが、もし勝っていたとしても、次の相手はブラジルだ!
疲労に加えてその緊張に私の胃が耐えられたとは…とても思えないんですねぇ…(涙)。

日本代表の強化と同時に、サポーターにも疲労との戦いに打ち勝てる体力と精神力を強化するためのプログラムが必要なのかもしれません。


長居スタジアムは大阪で、大阪はコンサートでは(サッカーはこの限りではない)日本一ノリがいいといわれるところで、これを一般化して考えることは危険なんですが、その会場やそこで働くボランティアの方々を見て、日本人は「もっのすご〜く」お祭り好きだし、お祭りが上手い!と驚いた。
しかもフランスW杯のスタジアムでのお客さまのパフォーマンスや、町のパンピ−・フランス人の優しさ、親切さ、好奇心は、私にはとても心地よいものだったが、今回長居スタジアムにいた人の笑顔は、すぽ〜んとそれを飛び越えるくらい印象的だった。

人はいいけどシャイで恥ずかしがり屋で、明治維新以来「お国」のために命を捧げて、太平洋戦争以降は「効率」を神として、高度成長経済の戦場で「過労死」が出るまで働き続けた日本人は、結局その前の「お祭り好き」の民族的伝統を捨てることができず、今ふたたびその血を揺り動かされて、ああ、どうしよう〜と動揺しているんじゃないかなあ(笑)

今回の韓日W杯は、私の目には、なんだか、けっこう成功したように思えます。

06年のドイツ大会は、遠すぎてよく分かりませんが、今のところこれまで一度もナマで見たことがない鹿島アントラーズの試合を見に行きたいと思っています。
小笠原くんや本山くんや、トルシエが育てたベイビーズが06年のドイツ大会のピッチに立って大活躍しているところを見たいから。ふがいない戦いをしたときは「ばか〜! それでドイツへ行けるか〜!?」と愛のタマゴや腐ったトマトを投げてあげましょう(笑)。

次回ドイツ大会は、もし日本が予選を通過して出場を決めたら、FIFAからチケットが割り当てられて、それが定価販売されるはずなので、その天文学的確率に当たることを今から心から祈っています(笑)。

「木の葉」のチケットで行ったW杯の準々決勝は、地味なカードに加えて両チームの体力的問題もあって、手にアセにぎる大熱戦ではありませんでしたが、二つの国が持っている力をギリギリまで出して戦い、その勝敗にそれぞれの国のドラマを見せてくれて、私はこれが「W杯」だなあと実感して、ホント見ることができてよかった。行ってよかった。と満足しました。