Rembrandt
Rembrandt

 

京都国立博物館にて2002年11月3日(日)〜2003年1月13日(月)
フランクフルト、シュテーデル美術館にて2003年1月31日(金)〜5月11日(日)

 

 

あれは秋に入ろうとする頃。
コンビニで久しぶりに朝○新聞を買って広げたとたん、
「京都で奇跡にめぐりあう 大レンブラント展」というキャッチ・コピーが目に飛び込んできた。
続いて「あの人を誘って、世紀のレンブラントを見に行こう」ときたもんだ。

う〜ん。最近の京都国立博物館はいい広告代理店を使っているなあ。
02年の春にやってた「雪舟展」のコピーはたしか「五十年に一度の雪舟」。
これを見のがしたらあと五十年、雪舟の絵や屏風がズラッと並んでるところを見られないのかと思うと、よし、行こう!と思ったが(むかし東京国立博物館で雪舟の屏風を見たとき感動したので)、W杯前の何やかやと忙しい時期で(^^;)行けなかった。
行った人によるとすっごく良かったそうです。残念。

レンブラントは私がずっと恋いこがれ続けている画家なので、今回こそ見のがすわけにはいきません。
しかし私は原稿がぜんぜん進まず、机の前でず〜っと呻吟していて、今机の前を離れて京都なんぞに行ったら、また集中力がとぎれてますます進行が遅れるに違いない、と心配でした。

加えて。
大レンブラント展と銘打ってるくせに、彼の絵を大量に持っているルーブルやアムステルダム博物館やロンドンのナショナル・ギャラリーやエルミタージュやメトロポリタンの名前がない(笑)。
オランダやドイツの小さい美術館に散在しているレンブラントの絵をかき集めて、タイトルとキャッチ・コピーで人を集めるセコい作戦ではあるまいな。最近日本も貧乏になって、そういう美術展多いからな、と疑いの視線で見てしまった。

秋は深まり、原稿の進行速度はますます遅れ、ずっと家に閉じこもって机の前に座っている私の精神状態はどんどん悪化の一途をたどり、これは一度机の前を離れて気分転換した方がいいと、京都へ行く決心をしました。
ついでだから関西方面に住んでる友人たちに声をかけて、絵を見たあとはみんなで盛り上がって騒ごうよと誘ったら、総勢5人の団体ツアーになりました(笑)。

 

 

いかにも「だるいな〜」って人物を描いた上の絵は、カラヴァッジオCARAVAGGIO(1571-1610)の「果物かごを持つ少年」(1593-4年)です。

中世・ルネッサンスが終わり、光と陰のコントラストの中に演劇的な世界が広がるバロック絵画はイタリアの画家カラバッジオCARAVAGGIOに始まるといわれていて、彼がいなかったらレンブラントもあんな絵を描かなかったろうといわれていますが、じつは私はこのカラバッジオが大のニガテです。

娼婦や町で買った少年たちをモデルにキリストやマリアの絵を描きまくり、酒とケンカに明け暮れる無頼の日々を送り、人を殺して逃亡先でケンカだか暗殺だかで死んだというスキャンダラスな人生で有名な人ですが、ハチャメチャな人生を送ったってだけならまだいいんですが、私がついていけないな〜と思うのは、彼の描いた絵の人物の顔には愚かさとか、エゴイズムとか、裏切りとか、背信とかが思いっきり表れていて、こーゆー人物を恋人にしてた人とは、いや〜、ちょっと趣味が合わないかもしれないな〜。

カラバッジオ・アレルギーは私だけではないらしく、20世紀初頭にカラバッジオ・ルネッサンスが起こって彼が再評価されるまでは、いえ、されたあとでも、有名な作家や美術評論家もけっこうヒドいこと言っています。
「光と陰のコントラストの中で、でっぷり太った下品な人々が酔いつぶれている自堕落な絵」。
…同感します(笑)。

しかし私も最近大人になり(笑)、ふつうなら逃げたいと思う人間の汚さと正面から向かいあって、これでもかこれでもかってそれをキャンバスに描きつけて、「さあ、見ろよ」って人に押しつけたカラバッジオって、なんかフシギな人だな〜って興味を持つようになりました。
お友達になりたいかどうかはべつとして(笑)。

京都博物館の売店でTASCHEN版の「CARAVAGGIO」画集を買ったんですが、印刷もキレイで、文章もけっこう面白くて(ジル・ランベールとあるのでフランスの研究者だと思うが、著者解説が無い)、それをもとに彼の生涯をここにちょっと追ってみますと。

1571年9月29日(おや、てんびん座?)、ミラノの近くで生まれます。
ミラノで画家の徒弟に入り、画業を始めるが、二十歳前後の頃、ローマに移ります。(やじうまの声「どーせ、追い出されたんだろう」)

その頃もう才能は溢れんばかりで、注文を受けると下絵を描かずに直接キャンバスに描き始め、あっという間に仕上げるほどの天才だったらしい。「バッカス」とかの代表作もこの頃描いていて、そういえばイタリアってそういう天才を生みだす国でしたね。

しかし彼はいかがわしいモデルを使ってリアルな絵を描くので世間の評判いと芳しからず、依頼主と悶着を起こしたり、下町のごろつきと付き合って官憲に逮捕されたりと、絵より人物の方がセンセーショナルで話題になる。ぴっぴー。

そういう人間にもパトロンが付くのが、この時代のイタリアはローマの面白いところ。
以前にも言ったが、パトロネージこそ才能を必要とするのです。

当時ローマの文化をになうシピオーネ・ボルゲーゼ(ローマの北にデンとましますあのボルゲーゼ美術館を作った人)やマリオ・デル・モンテ枢機卿(バチカンの要職にありながら、ギリシャ、ヘブライ、東洋文化にも造詣の深い人文主義者)などのそうそうたる面々が彼の絵を気に入り、購入したり、教会の祭壇画を彼が描くように骨を折るのですが、この「困ったちゃん」はあいかわらず娼婦や町で拾ってきた男をモデルにして聖書の場面をリアリスティックな日常に引き下ろす絵を描き続けて、敬虔なキリスト教者たちの神経を逆なでしまくって騒動を起こし、その結果パトロンたちは後始末に駆け回ることになります。

当時人気があったのはルネサンス後期のマニエリスム絵画とかだそうで、今は残っていないので誰がどういう絵を描いていたのか分かりませんが、とにかくそういう人たちがアカデミーの椅子を占め、民衆のあいだで人気もあったとかで、騒動を起こし続けるカラバッジオは、あれはいい、あれはダメだといつも話題の中心にいてみんなが夢中になって評価したがるような人で、今ならワイド・ショーの悪役まちがいなし。

彼自身も「絵を買うよ」とか「この教会の祭壇画を描きなさい」と言ってくれるエライ人たちが彼のために駆け回るのを見て、ワザとセンセーショナルな絵を描いてその努力をぶち壊して笑っていたそうです。う〜む、子供め!いや、天才か…?

困った人だけど、そこまでひねくれた精神ってなんだかスゴいですねえ。
ちょっと大人しくして、モデルにヘンな人を使わず、慣習的な構図に従って描けば、彼の溢れる才能は「人気作家」としてなんの問題もなく、大喝采で時代と民衆に受け入れられることは分かっていたのに。
でもこうすれば波風立たせず世の中に受け入れられるよと人から忠告されて、自分の描きたい絵をそんなふうに直したら、それも一種の犯罪だと思うんですね。自分の信じてる世界に対する、というか、人はこういうけどオレはこうだと考えてる「神」に対する裏切り。銀貨三十枚でキリストを売るユダの行為ですね。

ルネサンスという時代はそれまでの中世から解放されて、ひとりひとりの人が自分の足で立って歩いていかなければならなくなった時代でした。
それまでは世の中はこうだよ、「死」はこうだよって神さまがすべてを決めてくれていたのに、ルネサンスはその閉じられた世界を壊して、押し広げて、無窮の地平線を見せた。

たとえば、ミケランジェロの「ピエタ」は十字架にかけられて亡くなったキリストを抱いたマリアが泣いている像ですが、この世界からあなたは消えてしまった、私たちはこれからどうやって生きていけばいいんでしょう。とても怖い、とても悲しい。でもそれを望んだのは私だから負けないよ、って当時の人々の意志表明だから美しい…と思うんですね。

カラバッジョがなにを考えてたかは知りませんが、彼はそれからもお下品で不道徳な絵を描いて騒動を起こし続け、彼を非難する人たちに怒り続け、下町のよからぬ仲間と遊び続けて、とーとー彼をつかまえて取り調べようとした教皇庁の警察官をなぐり殺してしまいます。

「オレが殴ったとき、ちょうど屋根から石が落ちきて、それがヤツの頭に当たって死んだんだ」と神に誓って弁解し、目撃者の友人たちはみんな「オレも見た」と証言したそうですが、こんな弁明が通ったらそれこそコワイ。

さすがに警察官殺しの罪は大罪ですから、これまで彼の罪をコネでもみ消してきたパトロンたちも彼を牢から出すことはできず、閉じこめられていた塔から彼を脱獄させるのがせいいっぱいでした。

ところが彼は指名手配中でローマに身を潜めているときに球戯のゲームをやって、「イカサマをやったな〜」とケンカになって、その相手を殺してしまう。フラストレーションたまってたのかもしれないけれど、教皇庁はさらに彼を追いに追いかけ、パトロンや援助者としては「え〜かげんにしなはれ〜、わてらの堪忍袋にも限界がありまっせ〜!」

ローマにいられなくなった彼はナポリへ逃げます。
さらにそこからマルタ島へ向かい、マルタ騎士団に入ろうとします。騎士になると恩赦が受けられるそうな。でも単に東地中海を見たかったのかもしれないな、とも思う。
人気作家だった彼は絵を描いてそれを売って、あちこちに傑作を残しながらマルタへ向かいます。

マルタで彼はマルタ騎士団長に頼まれて、その肖像画を描くことになります。
しかし彼は騎士団長の横にその兜を捧げもつ可愛いペルシャの少年のお小姓を描いてしまいます。
神に仕える独身の騎士団で、これは大問題です。
ここまできても、彼はやります。もはや、尊敬するしかありません。

それが原因かどうか知りませんが、「堕落した団員」として彼は除名され、マルタ島にもいられなくなって、ナポリからローマに戻ろうとします。

里心でしょうか。もう年だし(39歳)、病気だったともいいます。
この時代に放蕩の限りをつくしていれば、イタリア人が「フランス病」と呼びフランス人が「イタリア病」と呼んだあの病気にもかかっていたにちがいありません。

ローマの近くのエルコレの港に上陸したあと、その海岸で彼の死体が発見されます。
ケンカか、暗殺か、分かりません。
彼を殺したいと思っていた人は大勢いたようで、犯人は永遠の謎です。

私、こういう生き方をした人ってキライにはなれないんですね〜(笑)。

でも彼の絵はどこかで「どうだ、これでもか」って人に押しつけるところがあって、「絵」として「大好き!」とはやっぱり言えないんですけどね。

 

REMBRANDT VAN RIJN(1606-1669)
THE ARTIST'S SON TITUS「画家の息子 ティトス」(18頃だと思われる)
THE WALLACE COLLECTION ウオーレス・コレクション蔵

 

上の絵はレンブラントの絵の中で私が一番好きな絵ですが、今回は来ていません。

前置きが長くなってしまいましたが、レンブラントはヨーロッパの北でカラヴァッジオの影響を受けて絵を描きながら、彼とは対照的にとても穏やかで静かに暮れていくカンジの人生を送った人です。

カラヴァッジオから遅れること35年。
1606年にオランダに生まれた彼も、若い頃からその才能をもてはやされた天才でした。
アムステルダムで肖像画家として人気を博しながら、あの有名な「夜警」を描いた頃から彼の困難な後半生が始まります。

「夜警」はアムステルダム博物館で見ましたが、闇の中から光に照らし出されて、壁一面に浮かび上がる人物たちの迫力ときたら(すごく大きな絵)、うっわ〜!美術教科書のウラ表紙に載ってたのとぜんぜん違うやん〜っ!!! と、その前から一歩も動けませんでした。

私はいまだに「絵画」、タブロー、ファイン・アートっていったい何だろうってよく分からないんですが…。
建築の一部かなあとも思うんですが。
フレスコ壁画やタペストリーは完璧にインテリアですよね。
以前オブジェをやってるアーチストが「生け花に似ている」と言ってたんですが、「生け花」とは空間を切りとって演出することです。俳句や和歌が「時間」を切りとって演出するようなものかもしれません。
空間を演出して、そこに「時間」を与える「ハイパー・デコレーション」かなあ。

好きな絵や彫刻を見ていると、時間や感情がその一点に凝縮して、ドド〜ンとものすごいエネルギーをこちらに与えてくれます。
でもその「絵」自身は「物語」でも「建築」でもないんですね。
う〜ん。画家を志す人ってなんで画家になりたいって思うの?「絵」でいったいなにを表現したいの?
漫画家には、すっごくフシギ。
いちばんフシギなのは、なぜ私はそれを見たいの?それを見ると楽しくなるの?ってこと(笑)。

通説によると「夜警」という絵は町内会の人がみんなの肖像画をまとめて描いてもらうつもりで依頼したのに、レンブラントは劇的効果を狙い過ぎて、なんでオレの顔が影に半分隠れてるんだとか、○○さんがアップになりすぎだとか、オレはどーしてこんなに小さいんだとか、もっとハンサムだぞとか、お金を出した人がみんな文句をいって、「二度とおまえなんかに依頼するもんか〜」ととっても不評だったそうです(笑)。
市役所のカベにかけられている時には、サイズに合わないとふちをチョン切られたりして、「名画」としての扱いは長い間受けなかったようです。許せませんね。今はこれでどれだけ観光収入が入ってると思ってるんだ(笑)。

奥さんのサスキアが3人の子供を産んで次々失ったのち、四人目のティトスを産んで、この頃亡くなります。
レンブラントは幼いティトスの乳母としてやってきたヘンドリッキェと再婚しますが、「夜警」の悪評がたたったのか、それ以来大きな注文はこなくなってしまい、このあと死ぬまで経済的に苦しんだといわれています。
でも画家としてはあいかわらず人気があったみたいで、肖像画の依頼は絶えることなく、各国から弟子が来て徒弟となったりして、版画を作るとそれもかなり売れたみたいです。
それでなぜ経済的に困窮したかというと、収入より支出の方が多かった。
どうもこの人、経済的才能がザルだったらしいんですね(^^;)。
カラバッジオじゃないですが、やっちゃいけないと思うことを自分でやめられる人って、やっぱり大した作家にはなれないですよね(暴論?)。

名声も人気もありながら、収入より支出が大きい人生を送るレンブラントを、二番目の愛妻ヘンドリッキェと大きくなった息子ティトスは必死で助けようとしたみたいですが、力及ばなかったらしい…。
レンブラントはヘンドリッキェをモデルとしてたくさんの絵を描いていますが、一人息子のティトスの肖像も何枚も描いていて、じつは上の「ティトスの肖像」をロンドンの「ウォーレス美術館 WALLACE COLLECTION」で見たとき、笑ってるのか泣いてるのかわからないこの青年に心とらえられたことがキッカケで、私はレンブラントのファンになりました。
子供を見る親の目というのは特別なんだろうな〜と思いますが、ティトスという人自体がどこか普通の人と変わった繊細で感じやすい子供だったような気がします。

今回来ていた作品には画集にのってるような有名な作品は一枚も無いんですが、いい作品も何枚かありまして、「 ベレーをかぶった若い女性の肖像」とか「ヘンドリッキェの肖像」とか「ジュノー」とか「笑う自画像」とか。
たとえばティツィアーノのように「美人を描くのがメッチャうまい!」画家もいますが、レンブラントの描くヘンドリッキェは美しいだけではなく、その後ろに暖かさと深さがあって、ああ、この美人に会いたいなあとか、こんな人が側にいてくれたらなあとか、見る者がシンシアリィな存在としてその絵に感情移入してしまうようです。

今回、ティトスを描いた絵も三枚来ていました。
14歳くらいの彼を描いた「机の前のティトス」とか、これルーブルでは飾ってなかったぞという肖像画とか、どちらも初めて見る絵だったので嬉しかった…!

RRP レンブラント・リサーチ・プロジェクトRembrandt Research Projectというのをご存知でしょうか。
1968年にオランダのレンブラント学者を中心に作られた「研究チーム」で、歴史的文献解釈やエックス線照射などの科学的技術でレンブラントの絵を調査して、その真贋や描かれた年代やその背景やモデルとなった人物を探る「プロジェクト」だそうで、これまで500点調べたウチで、真作と評価したのは200いくつだそうです。
なけなしの金をはたいてあやしいレンブラントを買った弱小美術館には、「くるな〜、調査にくるな〜!」ってピケはられるくらい嫌われてると思うんですが、そのRRPもいったん贋作と折り紙を付けたあとに、あ、すまん、やっぱ真作だった〜と訂正することもあるそうで、よーするに純真で正直でハタメーワクでアカデミックなレンブラント・オタクですね(笑)。

しかし彼らの調査のおかげで、その絵の描かれた年代や状況やモデルがかなり詳しく特定されて、今回の展覧会はその研究成果に従って配列されていて、レンブラントがいつの時代にどんな人の絵を描いたかよく分かって、それによってレンブラントがどういう人だったか、なにをやったかという人間像がこちらに迫ってきたところは、とてもよかったような気がします。

それにしても「○○美術館蔵」なら許しもするが、「個人蔵」って書いてあるのは許せまへ〜ん!
どこぞのお城のロココ風の大広間の壁の薄暗い闇にかけられていて、「ハロー、いとしのヘンドリッキェ、今日も元気かい?」なんて毎朝毎晩お殿様だけがその絵に挨拶してるなんて考えると、もう、うっきっき〜っ!です。
この絵は私一人のものよ、私のために微笑んでくれればいいのよ〜!って、レンブラントは見るものの思い入れを誘う、すごくパーソナルな画家なのかもしれません。
パーソナルというよりは、ヒューマンというべきか。

16,7世紀のオランダは市民階級が栄える新教国で(一人の王様のご機嫌をとるんじゃなく、たくさんの市民のカオを立てなきゃならない)、カソリックとプロテンスタントの抗争の中で人も町も揺れ動いている、ムツカシイ時代でした。
レンブラントはそれまでになく自画像を多く描いた画家ですが、自分の顔をこんなにしつこく描く作家っていったいなにを考えてたんだろうってフシギだったんですが、この時代のオランダはイタリアとは違う北方人文主義のメッカとして栄え、当時のオランダの産業は顕微鏡や望遠鏡などのレンズ製品を生産し、それがガリレオの地動説やニュートンの万有引力の法則を生みだしました。
つまり彼はいい鏡を持ち、それに写った自分とはなにかを考えた最初の画家でした。

レンブラントが描いた肖像画の人物はみんな大人しそうで静かな顔をしていています。
でもその向こうに、自分はこれからどこへ行くんだろう、どうしたら幸せになれるんだろう、という不安をかかえていて、その不安が絵の中に表現されている肖像画が、私の「これが欲しい」という心をくすぐるのかもしれません。

レンブラントは死ぬまで愛するものを失い続けました。
サスキアを失い、1663年にヘンドリッキェを失い、1668年には一人息子ティトスも失います。
この展覧会の最後の部屋に飾られている絵は、「PORTRAIT OF TITUS」(1667-8)。
ロンドンのダリッジ美術館にある、ティトスが亡くなる直前に画家が描いた息子の肖像画です。
著作権が怖いってこともあるんですが、私自身があまりこの絵を見たくないので、ここには載せません。

その絵の中では、夢見るように大きく見開かれたティトスの目はさらに大きくなり、頬はやせ、赤い顔色は結核で死んだのかな…?と想像させます。
( ヘンドリッキェもティトスもレンブラントも、死因は分かっていません)
レンブラントは息子の死を承知してその肖像を描いているし、たぶんティトスも分かっていたんでしょう。
その肖像を描いたすぐあと、1668年にティトスは亡くなります。
愛するものを失い続け、失い続ける自分を見つめ続け、視線をそらさず自画像を描き続けた画家は、翌1669年に亡くなります。

そんな絵があるなんて知らずに最後の部屋に入ってしまった私は、いや、ちょっとっとっと〜とそで屏風して前の部屋に戻ったり、いったん出ては戻って人の頭の後ろからのぞき込んだりして、しばらくウロウロしてしまいました。

「ティトスの肖像」でファンになった画家のWORKSが、その対象の死でENDになるなんて、完結しすぎですよね。

この展示会は、大きな美術館でズラッと並んだ大作を見るより、有名じゃないけどレンブラントらしい数々の作品を彼の生涯にそって見ることができて、彼の作品と人生を理解するのには本当に良かったと思います。
レンブラントの闇は、世界で一番精神性に溢れた高貴な闇です。
暗いけど、赤やグリーンや金色がその中で一番美しく輝く闇です。

黒と茶色を塗り重ねて作り出した微妙な色彩の闇の前に、彼の描いた人物はいつも立っています。
これからの人生を待ちこがれながら恐れていたり、なにかを諦めながらすべて受け入れようとしていたり、最終通知を聞こうとしていたり、彼らは本当にいろんな表情をしています。

彼らの背景が、売店で売ってるカタログや絵はがきではただのベタになっているので、こんなパチモン売るんじゃね〜ってちゃぶ台ひっくり返しそうになりました(笑)。

この「レンブラント展」のカタログはそれなりに色はキレイに出てるけど、絵のヘソがまったく出ていないというデジタル印刷の典型で、失敗した私の三枚の絵はがきとそっくりです(笑)。
レンブラントの画集はいろいろ持ってますが、いい画集ほど元絵に忠実じゃなく、その絵を見てどこに感動したかって、見る者の焦点に合わせて印刷しています。
でも「レンブラント展」のカタログはこのボリュームで2000円なんだから、すっごくがんばった方だと思う。

でもTASCHEN版の「CARAVAGGIO」はかなりいい印刷で、1000円で、印刷どこだろうと見たら、Printed in Germany。
お〜い、負けてるよ、Japan!


このレンブラント展ツアーに参加したのはたった二名で(私を入れて)、あと三名は仕事が忙しくて、電車に乗るのに朝起きられず(阪急?)、午後からのスケジュールに順々に参加したんですが、ホント携帯がなかったらこーゆー離れ業はできなかったと思う。

東京にいるとき必要だって買ったケータイですが、金沢にいると全く使わなくて、最低使用料がムダだから解約しようかと思っていたんですが、こういうことがあるとやっぱ手放すわけにはいきません。
歩いてるときもサテンにいるときも、いつも誰かがケータイ片手に「駅からね〜」とか「その道を曲がってね〜」とか話し続けてウルサかったけど(笑)。

「レンブラント展」をやっていた京都国立博物館から出て、私たちは京都の有名なコーヒー店「イノダ」の三条堺町本店に行きました。
20数年前のまだ学生だった頃、京都の大学に行った友人がお兄さんと一緒に一軒家を借りていて、部屋が多いので学校が休みになると私や友人たちはいつもそこに泊まりに行っていて、京都へ行くたびに必ずこのコーヒーショップでコーヒーを飲んだものです。
友人は結婚し、子供ができ、離婚して、気楽に泊まりに行けなくなり、京都へ行くことも少なくなったんですが、それからも京都は大好きな町です。

夕食はみんなでガイドブックを見て木屋町の「岩乃家」に行きました。
朝早くに金沢を出て、一日京都を歩き回ってフラフラだった私は「お酒飲んだら倒れちゃうよ〜」といいながら、お料理が美味しくて、みんなと話してると楽しくて、しかもみんなもっのすご〜くいける口だったので(笑)、どんどん料理が進んでお酒も進んで、お料理もお酒も「うわ〜、なんて美味しいんだろう〜!」の連続で、追加に次ぐ追加をして、「あ〜、美味しかった!」とお勘定を頼んだとき、一人4200円と言われて、「え〜っ!信じられない〜!どうしてそんなに安いの〜!!!」と驚いた。

私が今住んでる金沢で、4200円でこのボリュームを食べられるお店はあるけれど、この値段でこの繊細な味を出すお店はありません。結局金沢って、素材に頼っちゃうから。
京都って盆地で、素材に頼るわけにいかないから、ウデをみがく。それが、この差なのね。

とっても美味しい創作おばんざいのお店「岩乃家」は
京都市中京区木屋町通三条上る、キヤマチジャンクション1F
075-211-7373
です。


2002年12月