一枚目はモンセラート・フィーゲラスの歌う「ロマンセRomances」といわれる物語り歌、二枚目はフルート、リュート、ハープ、バイオリン、ヴィオラなどを使ってエスペリオンXXIが「セファルディ」といわれる中世のユダヤ系吟遊詩人の音楽を演奏します。
フランスの王様は三人の姫をお持ち。
末の姫が壁掛けを織りながら、居眠りをした。
王妃さまがぶとうとすると
「ぶたないで、お母さま。とても幸せな夢を見たの。
ドアの向こうに満月。窓の外にディアナの星。
井戸をのぞきこむと、三羽の小鳥がついばむ黄金の柱が見えたわ」
「夢の謎を解いてあげよう。
満月はおまえの義理の母、
ディアナの星はおまえの義理の姉妹、
三羽の小鳥はおまえの義理の兄弟、
黄金の柱は王様の息子で、おまえの許嫁だよ」
民話のような歌です。
糸紡ぎの仕事に疲れた娘たちは、つかのま手を休めて、王子様の花嫁になることを夢見たのでしょうか。
恋人に花をもらったの、という娘に、真実の恋人にもらった花のトゲで傷つくより、いけすかない夫をお持ち、とさとす母親の歌は、シェイクスピアの世界そのままです。
すてきな騎士さんがお通りだ
なんて高貴でハンサムな方だろう
「よろしければ、だんな様
貴方に幸せを差し上げましょう」
「神よ、この災難からお守り下さい
私には美しい妻と子供がおります
彼らに免じて、お許し下さい」
「私の目にとまったからには、ステキな方
悪いことがふりかかりますように
他の男と一緒にいる妻を見て
子供たちがならず者になるのを見ますように」
こりゃ〜戯れ歌ですね。くすくす。
酒場でみんなで合唱したか、色町の呼び込みに女たちが歌って、男たちとひやかし合いをしたのかもしれません。
かわいい娘よ、なぜ泣いているの
あなたが私をひとり残して、行ってしまうからよ
きみは7年待つだろう
八年目にほかの男と結婚するだろう
僕への思いも、僕の服もその男に捧げるだろう
「グリーンスリーヴス」や「スカボローフェアー」を思わせる、悲しい歌です。
時は来て、時は去る
彼女は海を見つめて祈り続けた
ある日、海から船がやってくるのが見えた。
「もしかして私の愛しい人を見ませんでしたか、船長さん」
「もちろん見ましたよ、
遠い戦場で、大地を枕に、空をマントに、彼は眠っています」
その答えを聞いた女は、海に身を投げます
このCDの解説には英語訳がついているので、なんとなく歌詞が分かるのですが(「カタルーニャの千年の歌」は原語だけ(^^;)、物語り歌にしろ、戯れ歌にしろ、去っていく男と、それを追いかけて海の側でいつまでも男の帰りを待つ女というシチュエーションが繰り返し、印象的に出てきます。
明日のことなどなにひとつ分からない、中世です。
ヨーロッパでの戦争にしろ、十字軍の戦いにしろ、海のむこうにはいつも戦場がありました。
町や村には圧制と疫病がはびこり、押さえつけられ不安に脅えている人々は、せいいっぱい今日を楽しんで生きていこうとします。
酒場でつかのま騒いだあと、男たちは女を置いて旅立ち、「花よ」と讃えられ歌われた女たちは、子供を抱えて泣いたり、次の男をつかまえて思い出を捨てます。
そして「おまえだけが命だ」と誓う男は、すぐに次の女を追いかけて、「あなたがいなくなったら私は死ぬでしょう」という女の涙もダイヤモンドと交換可能、一瞬美しく輝いて色褪せる真珠細工の飾り物です。
時は来て、時は去ります。
私の耳には淡谷のり子の唄うブルースが聞こえてきます。
窓を開けると港が見えます。
腕にイカリの入れ墨ほったマドロスさんは、やくざにゃ強いけど恋には弱いのです。
酒とカードでただれた胸に、True Loveは住めないのです。
花を浮かべて流れる水の、明日の行方は誰も知らないのです。
水平線は広がり続け、新大陸へ、アジアの町の片隅へ、南の名もない島へと、男たちは富と名声を求めてさすらい、港、港に女を作り、異国の街の路地裏に迷い、あるいは遠い海の果ての戦場でぬかるみの中に倒れます。
華やかなイルミネーションに飾られた街で、女たちは男の帰りを待ち続け、泣き疲れて涙もかれはて、いつか忘れていきます。
1920.30年代の上海で、ベルリンのキャバレーで、パリのカフェで、ニューヨークの劇場で、ブエノスアイレスのタンゴ・バーで、私はこれらの歌を聞いたような気がします。
もうずいぶん前になりますが、エステル・ラマンディエの「ロマンセ」というレコードを買いました。
エステル・ラマンディエはフランスのアーチストで、中世のハープやひざの上にのせて使うオルガンや古いヴァイオリンやリュートを演奏しながら、中世の歌を歌います。
この「ロマンセ」はセファルディといわれるユダヤ系の吟遊詩人の歌を集めたものです。
ほかには「聖母マリアのカンティガ」(13世紀頃のスペインの聖母頌歌集)や「デカメロン」(中世イタリアの世俗的歌曲)を持っていますが、今は「旧約聖書」を歌で唄っていると聞きます。この人もなかなかCDが手に入りにくい人です。
「セファルディ」は「スペイン系ユダヤ人」…と訳すようです。
カスティリアとアラゴンが合併してイスパニアができたのちの1492年、イベリア半島のキリスト教による浄化をめざすイスパニアは、キリスト教に改宗しないユダヤ人は国外追放にするという命令を出しました。
多くのユダヤ人たちが住み慣れた土地を追われ、財産を捨てて、北アフリカや東欧、「新教」の英国やオランダに新しい安住の地を求めて散っていきました。
彼らは住みついたその土地でスペインでの習慣や伝統を守り続けて、ラマンディエもその系譜につらなる一人のようです。
中世歌謡の中でも「セファルディ」という分類があるように、中世ヨーロッパの音楽にはユダヤ人音楽家が大きな役割を果たしたようです。
中近東の音楽の影響を受けたどこか東洋的な旋律、マイナーでもの悲しく抒情的でありながら、豊かな音楽性に溢れた「セファルディのうた」を聴いたとき、こういう「音楽」もあるんだなあと静かなショックを受けた覚えがあります。
私はこのレコードが好きでよく聴いていましたが、ほかにも「セファルディ」の音楽を演奏したCDはないのかなと探しているうち、J・サヴァールの「ディアスポラ・セファルディ
Diaspora Sefardi」というタイトルが目に止まり、それから彼の情報を集めるようになりました。
つまり私がJ・サヴァールにのめり込むきっかけを作ったのが、このレコードでした。
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愛と哀しみのロマンス ROMANCES
エステル・ラマンディエ ESTHER LAMANDIER
Alienor ビクターVIC-28173
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これは今CDで出ているのか、分かりません。
大事に、大事にして、これからもずっと聴き続けていきたいレコードです。
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