吟遊詩人のおはなし

 

 

頭の中のイメージはまだ曖昧な空間を漂っていて、カタチはさだかではありませんが
このところ私の頭の中にはこういう絵がよく浮かんできます。
どうも私の頭はこういう「話」を描きたがっているみたいです。

でもそれが、こういう吟遊詩人がでてくる話なのか
こういう吟遊詩人が歌っている歌のような話なのか。
私にはまだよく分かっていません。

歌っているのは髪型を見ると、どうもベルリンのあの人みたいですね(笑)。
ということは「ニーベルンゲンの歌」か北欧のサーガを歌っているのでしょうか。
あるいは、キャバレーの余興で仮装してるだけかもしれません…。

 


 

ひとくちに!吟遊詩人!といってもいろいろな吟遊詩人が世界中にいるようです

 

 

*トルバドール Troubadour

12,3世紀ごろの中世はヨーロッパ。スペインに近いポワチエやトゥールーズから地中海に面するカタロニア、プロヴァンスまでの南フランスで、そのころ使われていたオック語で作詞した吟遊詩人。地中海的性格にイスラムの異教の影響が加わり、美と情熱にあふれる世界を展開しました。
「アンジェリク」(ゴロン夫妻)のトゥールーズ伯爵ジョフレはこの遺産が残る環境で成長したのですね。

*トルヴェール Trouvere

トルバドールの影響を受けて、こちらは北フランスのオイル語で作詞した北フランスの吟遊詩人。有名なクレチアン・ド・トロワの「アーサー王伝説」や「パルシヴァル」「トリスタンとイゾルデ」など、中世騎士物語を題材に「宮廷風恋愛」が花ひらきました。

*ミンネジンガー Minnesaenger

ドイツの伝説や英雄の物語を歌った吟遊詩人。「ニーベルンゲンの歌」が有名ですが、ほかにも「グードルーン」とか「デートリヒ・フォン・ベルン」とかある。騎士たちのミンネジンガーのあと、ドイツでは15世紀ごろに職人たちが「詩人組合」を作って、だれが一番(マイスタージンガー)かニュールンベルクでコンクールをやってたらしい。靴屋の親方ハンス・ザックスが優勝したらしいが、よく知らない。ワグナーは苦手なので。

*スカールド

ノルウェーやアイスランドのバイキングの吟遊詩人。特定の王様と行動をともにし、その業績を即興に歌うことを仕事とした。高貴な身分の出で、武芸にもひいで、戦場では王を守る親衛兵となった。なんだか戦国時代のお小姓を思い出してしまう。小姓は殿を命をかけて守るものです。森蘭丸は歌わなかったかもしれないが、松尾芭蕉は伊賀の若殿のお小姓でした。

*バード Bard

吟遊詩人の老舗、アイルランド・ケルトでは吟遊詩人をこう呼ぶらしい。
バードといえば「風の呪歌(ガルドル)」(あしばゆうほ 秋田書店刊)です!「クリスタル・ドラゴン」もケルト伝説をもとにファンタジーの美しさに歴史のリアリティを織り込んだ傑作ですが、番外編の「風の呪歌」は吟遊詩人が出てきて、どうも、あの作品が私はものすごく好きなのです。
ちなみに the Bard of Avon エーヴォンの詩人とはシェイクスピアのことです。

*琵琶法師 Biwa-hoshi

祇園精舎の鐘の音〜と「平家物語」を語って歩いた盲目の旅法師。
琵琶もリュートの親戚です。

 


中世には、「音楽」も「詩」も教会の中にあって、ラテン語で歌われていました。
「音楽」と「詩」はアーチを描く高い天井の教会と、厚い石壁の修道院の奥にあるものでした。

その「音楽」と「詩」を町中へひっぱり出して、ラテン語ではなくふだん使っている言葉で、武勲詩や騎士道や恋の歌をうたおうという動きが、12世紀頃に始まりました。
最初のトルバドールといわれるギヨーム・ド・ポワチエは、当時フランス王をはるかにしのぐポアチエとアキテーヌ領を治める領主でした。それに続くトルバドールやトルヴェールもみんな王侯貴族だったそうです。偉い人の文化的たしなみ、騎士の教養、宮廷のお遊びだったのですね。
神を誉めたたえ祈る音楽から、美しいものを賛美し、女性への愛の喜びを歌い、神は永遠かもしれないが、一世を風靡した英雄の栄華も死んでしまえばただの塵、人の世は一瞬、愛も権力もいつか消える、そしてこの命も。と歌いました。

神話、伝説、英雄詩、物語が宮廷から宮廷へと伝わり、たくさんの詩人が歌い、山を越え、海を越え、口から耳へ、耳から口へとヨーロッパ中に広がりました。

戦場の血に汚れた鎧をぬぐと、剣をハープに持ち替えて歌い、その麗しい声で奥方の心をとりこにして、領主と決闘沙汰を起こしては次の城へと去っていく遍歴の騎士、なんてのもきっといたんでしょうねえ。

時代が下ると「吟遊詩人」は職業として独立し、王侯貴族は自分の宮廷に専属の詩人をおくようになります。いい詩人を抱えていると、きっとその王様の名前も上がったんでしょうね。

やがて詩は宮廷から町や田舎にも広がって、旅の吟遊詩人や芸人が生まれます。
トルバドールが学識あるシンガーソングライターなら、その曲を歌うだけの市井の詩人はジョングルールJongleurと呼ばれたそうです。曲芸や熊踊りをみせる旅芸人という意味です。

町から町へ、村から村へ。自分の知らない遠いところで、自分の知らない遠い昔にあった悲惨な戦争の話や、有名な騎士の死に至るまでの一生や、あの騎士とこのお姫さまは恋におちたけど別れたんだよ、と詩と音楽にのせて語る吟遊詩人は、芸人であると同時に、新聞やTVがまだない頃のニュースペーパー、「ワイドショー」のようにみんなワクワク待っていたのではないかと想像します。

 


 

吟遊詩人はかくのごとく階層があり、国によってちがう名で呼ばれ、またその活動のかたちも千差万別という、じつに実体のつかみにくい曖昧な存在なのですが、どんな国にもかならずいるのです。

「ルバイヤート」を書いたオマル・ハイヤームはイスラムの吟遊詩人だし、杜甫や李白などの中国の詩人の叙情性と無常感も、たとえ彼らが旅をしなくても、その歌が人から人へ伝えられることによって、吟遊詩人であったといえましょう。
人は詩人を必要とするという事実は時代を超え、国境を超えて、永久に変わらないようです。

ここで「モンティ・パイソン」の「一家に一人、詩人はいかが?」を思い出した方がおられるかもしれません(笑)。
かつてのBBCの名作バラエティショー「モンティ・パイソン」の中で、一家に一人詩人を飼いましょう!というキャッチフレーズのもとに、物置やバスタブの中で詩人を飼うというコントがあったのです。
あのコントは英国やアイルランドの人には今も「詩人」が特別の意味を持っていて、それが形骸化してるぜって笑うという、すっごく複雑な英国人にしか分からないギャグだったのかなあ…

   

 

 

上の絵は透明水彩を使って描いたものに、「Photoshop」で加工をかけました。
塗り重ねがしやすいのと筆が使いやすいので、絵を描く道具としては水彩が好きです。
でもパソコンを使わずにただ絵として描くのなら、リキテックスを使ったと思います。

あいかわらず水彩は発色が悪いけど、これは下塗りだから。 「Photoshop」で加工してもっと濃い色にしようと、スキャナで取り込んだあといろいろ色調整をかけたんですが、どうしても濃くならなくて、はげかけた壁画かイギリスの水彩画みたいになってしまいました。
ほんとうはもっときついコントラストの絵にするつもりだったんですよ(夜の闇に浮き上がる人物…というカンジの)。
しょせんWinsor&Newtonの水彩は英国の回しモノ…いや、透明感が出せるから透明水彩なのね。

今回「Painter」は使わず、フィルターも使わず、素材CDの金属の写真を乗算やソフトライトで重ねました。
「新・バックの鬼 寂(さび)」A&P CO-ORDINATOR発売 12800円 というフリー素材写真集は金属や石の写真が多くて面白かったです。

絵を描くのは楽しいです。
ディスプレイの中でつぎつぎと姿を変える「幻」を見ているのも、やっぱり楽しいです。

 


2001/7/21

 


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