『KIND OF BLUE』MILES DAVIS

Mile Davis(trumpet), Julian"Cannonball"Addeley(alto saxophone)
Jhon cotrane(tenor saxophone)
, Wynton kelly,Bill Evans(piano)
Paul Chambers(Bass),Jimmy Cobb(drums)

録音1959年
COLUMBIA/LEGACY  CK64935



恥ずかしながら、マイルス・デイビスでございます。
今ごろやっとマイルス?っていうのと、ビル・エヴァンスの次がマイルスとは、アンタ王道を歩んでるね、ふっ。ていう二つの意味で「恥ずかしながら」でございます。

なにせ「ジャズの帝王」です。
生きているのに「Legend(伝説)」と呼ばれたお方です。(1991年に亡くなりましたが)
その名前をそこいら中で聞き、ジャズを聴くならこの人を避けて通るわけにはいかないという現代音楽史に「ド〜ン」とそびえ立つ巨人です。
一刻も早くこの神殿にお参りしてお祓いをうけて立派なジャズ者に、ってメッカ詣りか、マイルスは?

しかしレコード店のジャズコーナーの前に立って数段の棚を右から左までぎっしりと埋めた作品の多さを見たとたん、のばした私の手は空中で止まり、「これはヘタに手を出したらえらいことになる…(取り憑かれたらサイフがもたない)」。また今度にしようととなりの棚でマンボなんぞを買って帰り、こんどこそはと決心して棚の前に立ってもためらったあげくにブライアン・セッツアーなんぞを買って帰り(サイテー)、なかなか手を出すことができませんでした。
そういう人、けっこう多いんじゃないかと思うんですが。

手を出せなかったことには、二、三、私の個人的な事情もありました。
じつは私、金属的なCDの音も苦手なんですが、金属製の楽器の音もどうももっのすご〜く苦手らしいのです。
トランペットとか、サックスとかの音が。

もともと木や骨で作られていた楽器が、いつのころからか金属で作られるようになりました。
たとえば金属で作った現在のフルートは大きな音は出るのですが、木製のフルートの持つ柔らかいニュアンスが聞こえなくなって、これ、古楽を聴いてる人にはきっと分かっていただけると思うんですが、今の金属製の楽器の音はどれも大味で、な〜んでこんな改悪をしたんだ!?とフシギでしょうがない。いや、大きな音を出すためなんですが(笑)。

でも私はコンサートホールではなく、ウチの可愛いLINNのCDプレイヤーで聴いているので、オオバコでどう響くかなんて関係ない。フルートだけでなく、チェロやヴィオラ・ダ・ガンバやヴァイオリンも(ギターもか?)金属弦ではなく、昔の羊の腸をよじったガット弦の方が、私のCDプレイヤーでは微妙で美しくていい音に響きます。

ピアノが苦手なのはたぶん「鋼鉄のハコ」だからで、スウィング・ジャズでもピアノのデューク・エリントンより、トランペットのルイ・アームストロングより、クラリネットのベニー・グッドマンが好きなのは、クラリネットが木管楽器だからじゃないかな…。

さらに私は、幼少期のトラウマも抱えております。
もの心ついて、外界から入ってくるいろいろな音が「音楽」として耳に認識されるようになったのはちょうどマイルス・デイビスの全盛期で、「ジャズ」というと「マイルス!」という時代でした。
正確にいうと私の耳に入ってきたのはマイルスに影響されたミュージシャンたちの音楽だったと思うんですが、それはニュー・ジャズとかフリー・ジャズとか呼ばれるジャズの流れの中ではかなり実験的な音楽で、それまでずっとジャズを聴いていた人には「聖者の行進」や「茶色の小瓶」がここまで進化したか!と面白かったのかもしれませんが、テンポもリズムもメロディーもなく、それぞれの楽器がただ「ぷあっぱらっぱっぱ〜」と自己主張するだけの音楽を聴かされて、いたいけな子供がひきつけを起こしているところを想像していただきたい。

なによりその音楽はまったく踊れなかった。これ、致命的。
私にとって踊れない音楽は「犯罪」と同義語です。

50年代、60年代にジャズが多様化し先鋭化してさまざまのアーチストによって豊かな実りを迎え、そのエネルギーが70年代のロックのアート化、プログレッシブ化に吸収されるまで、ほんの数年。
その数年に自己形成期を送ってしまった私たちは、たぶん日本で一番ジャズを生理的に受けつけない世代です。

そんなわけで、いったいなんの因果で「ジャズって面白いかも?」と思うようになったのかいまだにワケが分からない私ですが(エゴ・ラッピンのファンになっただけじゃなく、ずっと古楽を聴いていたことが影響したように思う…)、いろいろなジャズCDをつまみ食いしてかなり免疫ができたはずの今日この頃でも、買ってきたCDからトランペットやサックスの音が「ぷあっぷあぁ〜っ、ぱっぱらっぱぱあぁ〜っ」と飛び出してきたとたん、うわっ、地雷踏んじゃった〜!
しかもそれが4ビートにシンコペーション(拍を一つずつ打つのでなく、ちょっと前や後ろにズラして、リズムを狂わすことでエモーションを作り出す音楽技法…らしい)をオン・ビートにかけて前のめり気味になってたりすると、気分が悪くなって体中の組織液が逆流して吐きそうになってダダダーッとトイレにかけ込んでしまう。

私の「ジャズへの長い旅路」は、地雷原をよけながら一歩一歩進匍匐前進するゲリラ活動です(笑)。

たぶん私はこのまま金管楽器への苦手意識も幼少期のトラウマも乗りこえることができず、真性のジャズ者になる日は永遠に来ないと思うんですが、あなたはなぜそんな思いまでしてジャズを聴くのか…?と問われれば、はい。 たまたまその曲と私の波長が合ったとき、ポップスやクラシックでは得られないフシギな浮遊感をジャズは与えてくれて、それに引き込まれると意識がゆらゆらとして、その中で揺れているカンジがなんともいえず気持ちがいいのです。

で、マイルス・デイビスです。
いろんなところでマイルスに影響を受けたとか、マイルスと一緒にやったとか私が好きなミュージシャンが言うので(ジャズ以外の人も言う)、やっぱりいつまでも逃げていちゃいけないなあと一大決心して、とうとうゲリラは三千円払って地雷原に乗り出しました。

買ってきたCDをかけたとたん、あ、この人のトランペットは、サヴァールにとってのヴィオラ・ダ・ガンバだ。
私がこれまで聴いたことのある「トランペット」という金属でできた楽器の音ではなく、息をするために必要な呼吸器管の延長が、この人にとってはトランペットなのです。
以来、私の心はマイルスのものです(なんて軟弱なゲリラ^^;)。

それにしてもなんてカッコよくてハンサムな人だろうと驚いてしまいました。
セントルイス近郊の歯医者さんの息子に生まれて中産階級として育った彼には(親から仕送りを受けてジャズ・ミュージシャンになった第一号でしょう)、ボタンダウンのシャツや仕立てのいい背広がよく似合います。
彼のズボンには、いつもピシッと折れ目が付いている。
ブルックス・ブラザースかなあ。
身長が高くないので、エンピツラインの上下スーツを愛用してたみたいで(その頃イタリアン背広は流行っていなかったし、流行ってもきっと着なかったと思う)、かといって東部の模範的アメリカンの服装かというと、中折れ帽をななめにかぶって目立つサングラスをかけて、ちょっと崩して「オレはミュージシャンだ」と浮き世に流れる。その決め具合と崩し具合のバランスがたまらなくカッコいい。

それくらい均整のとれた見惚れるほどのハンサムさんで、生涯太らず少年のような体型を保ち続けて(髪は薄くなったが)、少年の雰囲気を失うことなく(たぶん心も)「帝王」として君臨したこの人には、「プリンス・オブ・ダークネス」というあだ名が一番よく似合うような気がします。
カリスマ性とアイドル性を合わせ持った、なんてチャーミングな人だろう。マイケル・ジャクソンにどこか似てると思ったら、何人も奥さんがいたけど、男も愛したそうな。ははは。

マイルスは人に自分をどう見せるか、ポーズの取り方を先天的に心得ていた人みたいで、アルバム・ジャケットの写真を見るとその目線やポーズやファッションがその時代を切り取って、彼のもう一つのステージになっています。

02年の6月のW杯の時にベッカムヘアーの人が町中を歩いていたように、彼のアルバムが発売されるたびに、黒い帽子をかぶってエリを立てたり、大きなサングラスをかけて彼にそっくりの格好をした人がたくさん街を歩いてたんじゃないでしょうか。私がその頃ジャズ・ファンだったら、と考えると、きっと「きゃー、きゃー」いってたような気がします(ミーハーだもん^^;)。

変身する前のクラーク・ケントが撮った運転免許証みたいなジャケットのビル・エヴァンスが、このアルバムではピアノを弾いています。
テナー・サックスにジョン・コルトレーン、アルト・サックスにキャノンボール・アダレイを迎えて、ほかにベースとドラムスのリズム・セクションという、えーと、六重奏団ですね。なんとも豪華で華麗なメンバーです。

一曲目の「So What」。
ベースとピアノがからみ合って始まるスローなオープニング。そこにドラムスが加わり、マイルスのトランペットがさりげなく入ってきて、ストイックでアンニュイなメロディーを展開します。
そこにコルトレーンやアダレイのサックスが加わったとたん、私は叫んだ。
「こらっ、エヴァンスとマイルスの邪魔をするな〜!」(笑)。

二人のサックスの音がとってもいい音でいい演奏だってことは分かるんですが(どっちがアルトでテナーなのか分からないんですが^^;)、きっとこのアルバムがこんなに緊張感に満ちていて完成度が高いのは、あの(余計な)二人が「オレが、オレが」ってがんばったからなんでしょうが。

このアルバムのビル・エヴァンスは背景でずっとリズムを刻んでいて、ほとんどソロ無しですが、ときどきぱあっと星をまき散らして、あ、いたのね(笑)。
繰り返すそのフレーズも彼にしてはなんだか挑発的で、「トリオ」の時と比べるとぜんぜん違うなあ。
でも「オレが、オレが」のホーン三人組が、謙遜の美徳にあふれる「お先にどうぞ」のエヴァンスのピアノの上にそのプレイを展開しているってことは確かで、伴奏者としてこれだけの仕事ができるというのもエヴァンスのもう一つの才能なんでしょうねえ。

マイルスのトランペットには華麗というより「知性」によって強靱に押さえつけられた「狂気」を感じるんですが、「世界」を壊してやりたいと思うほどのマイルスの屈折した外向性と、内へ内へと向かうエヴァンスのピアノは、合っていたのか、合わなかったのか…私には分からないんですが、これ以降二人が競演することはありませんでした。

マイルスのトランペットとエヴァンスのピアノに、ベースとドラムのリズム・セクションがからむ「KIND OF BLUE」を聴きたかったなあと思うのです。

このレコードがジャズ史上に残る「名作」になったのは、コード(和音)によるインプロヴィゼーション(即興演奏)から離れて、モード(旋法)による「モード・ジャズ」を確立した歴史的金字塔!…だからそうですが、ふわっはっはっ。そんなもん、ネコに小判、ブタに真珠。

これをかけると少し毒を含んだペパーミントの香りの風が部屋の中に吹いてきて、その中で私はゆらゆらといつまでも揺れています。

*ビル・エヴァンスに関しては2002年7月のTONTENKAN劇場で書いているのでご参照下さい。


2003/2/15

 

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