『LADY DAY:The Best of Billie Holiday』

録音1933〜44年

COLUMBIA/LEGACY C2K 85979(二枚組)



これまで私がいろいろジャズについて書いてきたものを読んだ方にはお分かりのことと思いますが、私の「ジャズへの長い旅路」は雨のように降りかかる音符を体から必死で払い落としたり、金管楽器の地雷を踏んで黒コゲになったり、レコード店で長い時間買おうか買うまいか彷徨いながら疲れ果てたりという、困難で苦痛に満ちたデコボコ道です。
何を好きこのんでそんな道を歩くんだ、ということは、ま、今は、おいとい、て。
これからちょっとお話しするビリー・ホリディの歌も、私が経てきたそんな苦労の一つです。

ビリー・ホリディBillie Holidayは、エディット・ピアフなどと並んで恋と酒と麻薬に身を滅ぼした「破滅型」の歌姫として有名で、ジャズに興味がない人でも名前はご存知じゃないかと思います。
南部のポプラの木にぶら下がっている、雨にうたれ陽にさらされ風にゆれるその果実は、リンチを受けた黒人の死体、という人種差別を告発した「奇妙な果実 Strange Fruit」を歌ったことでも有名かもしれません。

ジャズ・ボーカルならまずビリー・ホリディだろうとCDを買ってきて、聴いたとたん私はびっくりしてひっくり返った。まあとにかく暗いイメージには事欠かない人ですが、歌い方がとにかく「暗い」、を越えて、もっのすご〜く気持ちが悪い!

きれいな声じゃないというのは、森進一や八代亜紀のようにかすれた悪声で名歌手になった人もおりますから、まあいいでしょう。
彼女の場合はそれに加えて、なぜそこで一拍置く?とか、なぜそこで伸ばす?とか、伸ばした声を途中で下げる?とか、なぜそこで声を濁らせて歌詞をヒキガエルのようにつぶす?とか、そこで半音上げて相手の顔色をうかがう?とか、口を半開きにして英語の発音をするな〜!とか…ぜいはあ。
とにかく彼女の歌い方すべてが生理的にものすご〜くキモチ悪かった。

どんな歌も彼女は崩してうたうので、もとの歌とまったく違う歌になってしまいます。
器楽的唱法といわれたそうで、トランペットなんかがウ〜ワンワンワン〜と音を響かせる、あれを声でやったらしいんですね。

ジャズでは楽器はたしかにメロディーとは違う旋律をかなでます。
ビル・エヴァンスの「枯葉」なんか、あの「かれは・よぉ〜」という有名なメロディーを一回も弾かずにちゃんと「枯葉」に聞こえるんだからフシギでしょうがない。同じ抒情派でも、リチャード・クレイダーマンとはそこが違う。

でもビリー・ホリディの歌い方は、私には生理的に「不快」でした。
歌のリズムを狂わせて、途切れさせて、こちらの鑑賞を遮断するような歌い方だと思いました。
なんでだろう。こんなキモチ悪い歌い方をする人が、どうして不世出のジャズ・シンガーとして有名なんだろう!?と不思議でしょうがなかった。

そう思う人は私だけではないらしく、「JAZZジャイアンツ 名盤はこれだ!」(寺島靖国、安原顕:講談社)を読んでいたら「ビリー・ホリディはクサヤの干物」。100人中50人は嫌いだろう。と書いてあって、あ、当たってる(笑)。

クサヤの干物、ご存知ですか?たぶん太平洋岸の食べ物だと思うんですが。
初めてその名前を聞いたのは「ガキデカ」の「一度は食べたい、クサヤの干物!」
吉祥寺に住んでいた頃によく行っていた割烹のメニューにのっていたので、注文してみたら、ホントに鼻が曲がりそうなほど臭かった(笑)。
「ビリー・ホリディはドリアン」といってもよかったんだろうけど、「クサヤの干物」の方がゴロがいいですね。

ドリアンというのはクサいので有名な東南アジアの果物で、むかしシンガポールの屋台で買って食べたことがある。外見はトゲの生えたプリンス・メロン、果肉の形状と歯触りはマンゴーで、香りは300年くらい昔のぬか漬けが腐ったもの。
ドリアンを食べるために妻も売りとばす、という格言があるくらい好きな人は好きだそうですが、私はクサヤはときどき食べてもいいですが、ドリアンはちょっと遠慮します。香りもナニですが、果肉がドローリでこってりでボリューム満点で、胃がムカついちゃって大変でした。すごくカロリー高いと思う。
共通点は、どちらもホテルに持ち込むと従業員に追い出されるということです。
私たちはシンガポールのホテルを追い出されずにすみましたが、ヨーロッパのホテルでクサヤの干物を焼いて追い出された日本人がいるそうで、従業員に同情します。くれぐれも海外旅行には持っていかないように。

ビリー・ホリディは生前ジャズ雑誌の読者の人気投票でも一位になったことはないそうで(批評家やミュージシャンのあいだでは人気があった)、バンド・マスターやクラブのオーナーに歌い方を変えるようにいわれたこともあるそうで(強情な彼女はそれをはねつけましたが)、彼女の歌い方はそう簡単に多くの人に受け入れられるものではなかったようです。

ビリー・ホリディがダメな人は私だけじゃないんだ…とホッとしたんですが、私の好きな「暗い日曜日 Gloomy Sunday」とか「As Time Goes By」(これは別のCD)とかが入っているので、イヤだなあ、私には合わないなあと思いながら、何回かプレイヤーにのせて聴いておりました。

そんなある日、ひょっとするとこの人は壊れてたのかな…?と、ふっと思いました。

母親が13歳、父親は15歳の時に生まれて、母親の手で育てられ、10歳の時に強姦され、14歳で娼館で客を取っていたという「ビリー・ホリディ伝説」を彼女は背負っていますが、そういう経緯をたどった人間が心に傷を受けて、自己回復と自己嫌悪のあいだで揺れ動かないわけがない。(一番怖いのは、そういう経歴が当時のアメリカの黒人にとってべつに珍しいものではなかったという、アメリカのもう一つの姿を知ったことですが)

たぶん彼女も自分が何ものかうまくつかむことができず、自己嫌悪と溢れだしそうな自負心のあいだで揺れ続けて、自分とまわりの適正距離が測れないままにぶつかってははね返され、乞い求めては裏切られたと嘆き、しかし生きていくためにはベクトルに身を任せて突っ走るしかなく、行く先もわからず突っ走ることがこの人にとっては歌うという行為だったんじゃないか。
そう考えると、彼女の歌の方向性の無さや、なぜここで曲がる?ここで伸ばす?ここでたゆたう?という違和感がぜんぶ説明できるような気がして、彼女の歌に感じていた不快感がすべて消えて、彼女はこういうふうにしか歌えなかったんだろうな、と思ったとたん、私の耳に彼女の歌が素直に入ってくるようになりました。

いったんそうやって彼女の歌を自分なりに納得してしまうと(つまりピカソの目が五つ、鼻が三つ、手が4本ある女が歌をうたったら、ビリー・ホリディのように歌ったに違いない)、こんどはビリーの声の中音域の豊かさや、前方25度に抜けていく高音の美しさ、かすれて地をはう低音、曲を崩しながら違うリズムで曲を作り上げるその創造性、何よりもけだるいメロディーの展開の仕方、が私の耳に入ってきて、それまで不快だったビリーの歌い方がすべて反転して、魅力に変わりました。

これほど甘くて優しく体を揺り動かす音楽を、私は聞いたことがありません。

壊れていない人間は、この世にはいません。
バラバラになりそうな自分をギュッと押さえて、枠木が外れないように必死でタガを引き締めて暮らしていくのが私たちの「日常」ですが、ビリー・ホリディの歌を聴いていると、自分を取りまいている垣根、自分を守るために張りめぐらせているガードがスッと消えて、タガを一瞬はずしてくつろいでもいいかな?という気になります。
それはまるで音楽の中に意識が溶け出して、なにか大きなものに吸収されてひとつになって、ゆったりと安心するような不思議な気分です。
どんなにイライラツンツンしている時でも、彼女の歌を聴くと体から力が抜けて、ホッとして、安らいだ気分になるので、このCDと「ヒルデガルド・フォン・ビンゲン」(11世紀のドイツの修道院で作曲した女性)を、私は睡眠誘導剤に使っています。どちらもぐっすり眠れます。

たぶん音域や波長を調べると、彼女たちはアルファ波を「異様に」出す歌い方をしてるんじゃないかと思うんですが…。

それにしても都会というのは不思議な音楽を生みだすところですね。
モダンで都会的で洗練されていて時代の先端をいっているジャズを歌うビリーの声は、土俗的でアーシィEarthyで、アフリカの大地の強さと暖かさに溢れていて、ひょっとするとアフリカの吟遊詩人のグリオの血を引いた由緒ある家系の生まれかもしれないな、なんて思ったりします。

私がもしも片恋に苦しむロミオか女たらしのマントヴァ公爵だったら、恋人の窓の下で彼女に歌わせるでしょう。吟遊詩人の代わりに。
フランク・シナトラは似合わないけど、ビリー・ホリディの恋歌は15世紀のスペインやイタリアの街にすんなりと溶け込むに違いない。
彼女の歌うガーシュインの「The man I Love」が夜の闇から響いてきて、

彼はいつかやって来る 私の愛する男
彼は私の手を取り、目をのぞき込む
ばからしいと思われようと、私は知っている
そのとき、二人のあいだに言葉はいらないことを

たぶん、私は彼に出会う、いつの日か
それは月曜かもしれないし、火曜かもしれない
彼は二人のために小さな家を作る その日から
私はもう愛する男を捜してさまようことはない

なんてビリーの歌をバルコニーで聴かされた女は、わけもわからず甘く切ない気持ちに襲われて、思考力完全マヒに陥って、簡単に恋におちるに違いありません。

このCDはコロンビアから出た10枚組の「コンプリート・コレクション」を二枚にまとめたもので(最近四枚にまとめたものも出た)、ビリー・ホリディはコロンビア→デッカ→ヴァーブとレコード会社を移動して、会社ごとにコンプリート・コレクションが出ていますが、初期のコロンビア時代が音楽として聴いていて一番楽しいようです。
麻薬を乱用する前で、声もテクニックもはつらつとしているうえに、バックのミュージシャンがとてもいい。カウント・ベイシー楽団のメンバーとか、ベニー・グッドマンとか、一流のメンバーが演奏をしていて、それだけ聴いていても楽しいスイング・ジャズです。ビリー・ホリディの歌い方にはスイングが一番合っているような気がします。
LADY DAYというのはHolidayのうしろのdayを取って彼女を呼ぶ、あだ名だそうです。

ジャズという音楽に先入観を持ったり、わざわざ敷居を高くして敬遠する必要はないと思うんですが、でも「手がかかる音楽だなあ」と私も実際よく思います。
そのかわり、これいいね、とかこれ好きだなあ、とかを越えて「なんだ、これ!?」と感動を覚えることはロックやポップスではあまりないことなので、そういうところ、ジャズはクラシックに似ているのかな?とも思うし、でも歌を作ったり演奏したりする人間のパーフォーマンスに感動するってところはクラシックともぜんぜん違うなあと思うし。
ひょっとするとジャズ自体がクサヤの干物でドリアンなのかもしれません(笑)。

もし彼女のCDを買って、「うわっ、これはクサヤの干物だ」と放りだした方がおられましたら、目が五つ、口が三つあるピカソの女が歌ってる…と想像してみると、すんなり耳に入ってくるかもしれませんよ。
レコード・テーブルに数回のせて回しているうち、やがてその良さが分かる、ってだけのことかもしれないけどね(^^;)v。

 


2003/4/13

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